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野口武彦 公式サイト

撮影: 西村洋一氏

初口上

このたび、いい年をしてホームページを開設することにしました。「電波に乗らないと世の中について行けないぞ」と勧めてくれる人もいて、それもそうかなと思いましたので、年甲斐もなくやってみようかという気持ちになったようなわけです。

ぼく(以下拙老と自称)は今年で満七十八歳になります。七十にして「古稀」といいます。『論語』では「七十にして心の欲する所に従って矩(のり)を踰(こ)えず」といっています。八十には該当する言葉はありません。孔子様は長寿社会を想定していなかったようです。

どうやら人間八十歳に近づいたら、心の欲する通りにふるまってよい、そうしても決してルール違反になることはないというお墨付きを頂いたみたいです。老人性アナーキーのライセンスです。歌の文句でいえば、〽嬉しいなうれしいな、爺にゃ学校も試験も何にもない、です。何の束縛もないバラ色の老年が行く手に広がっています。

とは言いながら、拙老も寄る年波、なぜか皺こそあまり寄りませんが———だからかえってキモイという人もあります———年相応にいろいろな患いをしました。現在は足が立たず、ロレツがうまく回らず、左手は自由に動かず、この文章も右の中指一本でパソコンのキーを叩いている状態ですが、まだ頽齢という気がしません。まあ、そんなちょっとヘンな老童を想像して下さい。

〽年波はいづこの岸に寄るやらん

波紋はいずれどこかの岸に到着するでしょうが、拙老の場合は間違っても「彼岸」ではなく、いやになるほどの「此岸」でしょう。それも思いっきり下世話な方面になりそうです。

〽久米仙はおとつい桃の谷に落ち

桃李もの言わねど、樹下はおのずから小道をなす。これからは人だかりのする場所にできるだけ顔を出す所存です。

このホームページを『桃叟日暦』と名付けるゆえんはここにあります。平たくいえば「桃色爺さんの日ごよみ」です。人間、年を取ると老人性鬱病になるか老人性ユーフォリズム(多幸症)になるかのどちらかだそうです。どうせ傍迷惑には違いないのだが、どちらかといえば明るい方がいいと思いまして賑やかなのを選びました。灰色かバラ色か。いい年をしてバラ色というのもナンですので、桃色にさせて頂きました。御同好の士も少なくないかと存ずるような次第です。

さて、「日暦」といっても、毎日の動静を律儀に「日録」に書き綴るなんてのは性分にあいませんので、その辺はまったく融通無碍、勝手気まま、自由形競技の形式で、思いついたことを書き連ねて行こうと思います。

まさか身辺雑事をつづるほど老け込んではいませんので、当分は出版予定の本、その他の予定などで拙老いまだ健在なり、ということの広告にしたいと思います。

というのも、最近ウィキペディアに「この存命人物の記事には、出典が全くありません」といった文章をよく見かけるようになりました。読み直してみると、これはどうも「当該人物は生没不明である」ということの婉曲表現らしいのです。もしかしたら拙老などもいつのまにかこの部類になっているかもしれない。

そんなわけでこの『桃叟日暦』は、さしあたりまず拙老の「生存証明書」として発行され、「オーイ、マダ生キテイルゾ」という第一声をお披露目するものでございます。



プロフィール

1937年東京生まれ。作家、文芸評論家、神戸大学名誉教授。
早稲田大学第一文学部卒業。東京大学大学院博士課程中退。近世日本文学、日本思想史専攻。
1970-72年、ハーバード大学イエンチン研究所客員研究員、1975-6年、プリンストン大学極東言語学部客員教授、
1981-2年ブリティシュ・コロンビア大学アジア学部客員教授。

1973年、『谷崎潤一郎論』(中央公論社)で亀井勝一郎賞、1980年、『江戸の歴史家』(筑摩書房)で
サントリー学芸賞、1986年、『「源氏物語」を江戸から読む』(講談社)で芸術選奨文部大臣賞、1992年、
『江戸の兵学思想』(中央公論社)で和辻哲郎文化賞、2003年、『幕末気分』(講談社)で読売文学賞を受賞。
現在では手に入らないが、代表作として『石川淳論』(筑摩書房、1969年)、『江戸がからになる日―石川淳論第二』
(筑摩書房、1988年)『三島由紀夫の世界』(講談社、1968年)などがある。

2010年、半年間に脳の病気を三つ(髄膜炎、脳梗塞、脳出血)患う。
小脳障害(バランス失調、構音障害)が後遺症として残り、現在もリハビリを続けながら、片手で執筆作業をしている。
病気後の出版物に『慶喜のカリスマ』『忠臣蔵まで』『花の忠臣蔵』(以上、講談社)、『不平士族ものがたり』
『異形の維新史』(以上、草思社)、『「今昔物語」いまむかし』(文藝春秋)がある。