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羅生門の階段

久しぶりにかつて同僚教官だった池上洵一氏から『平安文学研究』の抜き刷りを送っていただいた。何だか昔の戦友から便りをもらったような気がしてなつかしかったのでさっそく拝読した。

『平安京の街角』と題する氏の文章は、これまでいくつも通読された公卿日記のノートをベースにしていて、相変わらずマジメな論文の骨格が備わっているのには敬服の外はない。

拙老のように何でもアマチュア主義で、エッセイ風に仕上げてしまう流儀の者はいつまでも頭が上がらない。実は拙老、何年か前に『今昔物語いまむかし』(文藝春秋)という本を刊行したことがあり、それに記したことは、氏のような篤学の大家のオメガネに掛かったらどうなるかとずっとビクビクものであった。だから、このたび氏の論考中に「羅城門の上層」という見出しのある章段があるのを緊張の思いで読んでみた。

拙老が自著の第一章「羅生門の暗がり」で話の眼目にしたのは、羅生門には「上層にのぼる階段はない」という一文であった。実物はとうの昔――すでに平安時代のうち――に焼失しているのは承知の上で、拙老も凝り性なものだから、いろいろな楼門を見て回ったのを思い出す。平安神宮、南禅寺、知恩院、万福寺。どれももちろん空振りだったが、分かったことが一つある。どこの門にも楼上に登る階段はなく、いくつかに現存する階段の建物は「山廊」という後世の建築様式である。

羅生門に階段があるという誤解は、そもそも芥川龍之介の有名な同名の短編小説に始まる。そしてこの誤解は今昔物語の人々に「近代人」を発見しようとした発想そのものと連動している。拙老はそうではなく、今昔人を昔生きたままによみがえらせることこそが、現代人が今生きていることとの「共通成分」に達する道筋だと考える。『今昔物語いまむかし』はそのつもりで書いたものだ。

それはさておき、池上氏の論考によれば、さまざまな公卿日記を通じて、二階はもとより門の「上層に登る記事にもまず出会えない」とのこと。これは決して断章取義的、恣意的な、拙老に都合のよい引用ではない。だがシアワセな性分である拙老としては、これを嬉しい掩護射撃と受け止めたいのである。