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パオロ・パチガルピ著 『神の水』

タイトルになっている「神の水」という言葉は、昔、アメリカ中西部の乾燥した平原に入植した開拓民が天から降りそそぐ雨を呼んだ表現だそうである。

生活実感のこもった言葉だ。しかしこの表現からは、何かもっと切迫した、人間の根源的な渇きに発した「水」への祈念が響いてくる。作者のパオロ・パチガルピは1972年生まれのアメリカのSF作家 であり、この分野ではたいそう権威のあるローカス賞・ネビュラ賞・ヒューゴー賞などを続々と獲得している。拙老は、このテの作品はスティーヴン・キング以外にはあまり読んでいないが、今回その不案内にもかかわらず、この作品を私設書評欄に取り上げてみようと思い立ったのは、何よりもこの作品の底から、全編にみなぎる悪夢的に予言文学的な構図、疑似黙示録風の構造を突き抜けて、切実な祈念の声が聞き取れるような気がしたからである。

書評にはルールがあって、ストーリーの結末やプロットを暗示するキーワードのたぐいを語ってはならないことになっている。そういう制約があるので言葉を控えるが、本作の舞台はアメリカ南西部。カリフォルニア、ネバダ、ユタ、アリゾナ、ニューメキシコ、テキサスなどの諸州が隣接して広大な地域を占めており、その間にロサンジェルス・ラスベガス・フェニックスなどの大都会が散在している。各州・各都市はそれぞれ自立し、自主性を保っているが、じつのところ、この地域は一つの運命共同体的なきずなにつながれている。コロラド川である。北はロッキー山脈に水源を発し、南のメキシコ湾にそそいでいる。上記の諸州は多かれ少なかれ 潅漑事業・工業用水・砂漠の緑化といった恩恵を、上流から下流まで、この大河からの取水に仰いでいるのである。

もしコロラド川が涸渇したらどうなるか。

『神の水』一篇はこの必ずしも荒唐無稽ではない想定が現実になった日々の年代記である。諸州の利害官関係はたちまち険悪化し、水利権はおろか毎日の飲み水までが暴力的な争奪の対象になる。州兵による越境者の殺戮、住民同士の殺人が日常茶飯事化する。物語の核になる人物はネバダ州ラスベガスの「水工作員(ウオーターナイフ)」、水問題を取材しようとする女性ジャーナリスト、テキサス難民の少女。いずれも水不足にあえぐアリゾナ州フェニックスに来合わせて運命を交錯させる。この都市はすでに利権の独占を図る企業「ネバダ水資源公社」に水の供給を止められ、盗水(?)を防ぐために用水路は封鎖されている。富裕層は中国資本の「太陽国際公司(タイヤンインターナショナル)が経営する分離された区画「環境安全都市(アーコロジー)」――そこでは清潔な空気と水が豊富に提供される――という設定だ。中国インフラ資本の描き方には思わず笑ってしまう。

SF、ファンタジー、ホラーのたぐいは、江戸文学でいえばさしずめ稗史小説(はいししょうせつ)の部類だろう。語るところは驚天動地、波乱万丈を旨とし、架空虚誕(かくうきょたん)を決して嫌わない。写実ではなく真実を描く。たとえば曲亭馬琴の『八犬伝』。たとえ仁義礼智忠信孝悌を体した八犬士は絵空事でも、この世に仁義というものがあってほしいという人々の祈念が真実であることは読者の胸に強く響く。同様に、今、世界の人類を不安にしている水資源涸渇の真実は、時として エンターテインメントの方が生々しく心に伝わるのである。

現在世界中で水紛争が起きている地域はコロラド川流域にとどまらない。ちょっとインターネットを開くだけでも、アムール川、スエズ川、ドナウ川、ユーフラテス川、チチカカ湖周辺など各地で争いが絶えないことがわかる。イスラエルと周辺アラブ諸国の紛争には水資源の奪い合いがからんでいるし、中国が日本の水源地を買い占めにかかっているという噂もある。水不足の問題全部には地球温暖化の巨大な影が落ちているともいわれる。これらを取り上げる論調は、エンターテインメントが突きつける具体的な「不安」の存在感に比べると寒々しいほど抽象的に見えてしまうのだ。 (中原尚哉訳、早川書房)

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