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恋と忘却

忘れ貝

ワスレガイ   『貝類図鑑』より

平成28年(2016)1日、最高裁は、JRで事故死した徘徊老人の遺族に賠償責任なしという判決を出した。世論はいろいろあろうが、拙老は久々の名判決だと思うし、何よりも最高裁判事たちの老齢化が理解を進めたのだろうと推察している。

ところで、日本の古代人にもアルツハイマーはあったのだろうか。

百年(ももとせ)に老舌(おいじた)出でてよよむともわれは厭はじ恋は増すとも(『万葉集』巻4―464)

大伴家持の歌である。紀郎女(きのいらつめ)との相聞歌で「たとえあなたが百歳になって物いう声がレロレロになっても――「老い舌」なんて言葉があるんだ!――私はイヤになりませんよ、もっと好きになっても」というのであるが、などと「ホントカネ?」と思うほど調子がいい。こんな歌がシャアシャアとよめる間は、まず老耄する気遣いはあるまい。

「忘却とは忘れ去ることなり」というが、アルツハイマーとは「百年の恋」も忘れさせてしまうものなのだろうか。古い時代の詩歌を見ると、「恋」と「忘却」との間には深いつながりがあるように思われる。「忘却」とはたんなる物忘れではない。忘れるということは、当初もっぱら、恋を忘れることを意味していたようなのである。

「忘れる」ことと「忘れ去る」こととは違う。現代語の「忘れる」は古語の「忘る」の延長上にあり、現代語は下一段活用の動詞だが、これは古語の下二段活用を継承している。辞書的には「記憶からなくなる」を意味する自動詞とされる(日本国語大辞典)。「恋を忘れる」とは、「恋が記憶からなくなる」ことなのである。

しかし「恋を忘れる」という言い方が端なくも示しているように(目的語を助詞ヲで受けるのは他動詞だ)、現代語では自他の区別がはっきりしていない。現代語どころか、奈良時代頃からすでにそうだった。しかしもっと古い時代にはただ物事を自然に「忘れる」のと、何かを意図的に「忘れ去る」あるいは「忘れ果てる」のとは厳密に区別されていた。両者の差異は、ラ行下二段活用の「忘る」とラ行四段活用の「忘る」とに分担されていた、と日本語音韻の研究――特に上代特殊仮名遣いに関する「有坂の法則」――で知られる国語学者有坂秀世(ありさかひでよ)が「「『わする』の古活用について」で論じている。

以下の諸例は、特にことわらない限りいずれも『万葉集』の引用である。いちばんわかり安いのは、次のように、同じ一首の中に動詞「忘る」の四段活用と下二段活用との双方が使われている例であろう。

海原の根柔ら小菅(こすげ)数多(あまた)あれば君は忘らすわれ忘るれや(巻14-3498)

「あなたは(私)お忘れになるでしょうが、私ニハ忘れられません」の意だ。四段の方は未然形ラ+尊敬の助動詞スで、意味は他動詞的、下二段の方は已然形ルレで、意味は自動詞的である。

『万葉集』の東歌(あずまうた)には、形は下二段だが、意味内容はまるっきり他動詞だという実例がいくつもある。その一つはこういうものだ。

あが面(おも)の忘れむ時(しだ)は国放(はふ)り嶺(ね)に立つ雲を見つつ偲(しぬ)ばせ(巻14-3515)

「私の顔ヲ忘れたら、国を遠く離れて山の峰に立つ雲を見ながら思い出して下さいな」――予想の助動詞ムは動詞の未然形に接続するから、この「忘る」は明らかに下二段活用である。つまり、下二段の他動詞がここにはある。

かと思うと、

うち日さす宮のわが夫(せ)は倭女(やまとめ)の膝枕(ま)くごとに吾(あ)を忘らすな(巻14-3457)

「あなたはいくら都女の膝枕をしてもいいけど、私をお忘れにならないでね」というのであるが、この歌では尊敬の助動詞スが未然形に付いていることは明瞭だ。

しかしもっと古い時代には、東歌ではなく、京畿地方の言葉にも、自他の区別を活用の違いであらわす語法が存在した。その一例に『古事記』上巻および『日本書紀』神代下に見えるヒコホホデミノミコトの短歌がある。両歌はたがいに異本の関係にある。

沖つ鳥鴨着く嶋にわが率(い)寝し妹は忘れじ世のことごとに(古事記)

沖つ鳥鴨着く嶋にわが率寝し妹は忘らじ世のことごとも(日本書紀)

――両方とも「忘る」の未然形が否定推量の助動詞ジに接続する。『古事記』の方は下二段で、有坂によれば「妹のことは一生忘れられないであろう」、「妹は『忘れじ』に対する主格である」。『日本書紀』の方は四段の未然形+ジの形。おなじく有坂によれば「妹は『忘らじ』に対する賓格(目的格)である」とされる。「一生決して忘れはせぬぞ」という誓言だから、意志的なのである。

その後長い時間が経ち、四段活用の「忘る」は日本語の表面から消失し、現代語の「忘れる」にいたっている。何か忘れるという意志的な意味もなくはないが、それも下一段の活用を通じて表現されるのである。だから、「忘る」という動詞には独特のダイナミズムがある。この動詞には、内心の激しい意志的な行為(忘れようと決意・努力する)を、うわべはさりげなく自発的に推移する心の流れ(忘れてしまう)に包摂させる感情の力学が蔵されている。

こういうダイナミズムは、前回取り上げた「恋ふ」の古形における下二段と四段の共存が、だんだん四段に吸収され固定したプロセスとよく似ている。「恋」とはもと、たんなる人間感情の激発ではなく、それと何か日常感情を超えた情念との積(せき)であった。一種の呪力であったといってもよい。呪力が人間離れした情念を呼び込むのである。その水位で恋をするには強力なエネルギーが必要である。そしてもし恋にエネルギーを発動するのに呪力の助けがいるなら。恋を忘れることにも呪力のエネルギーが要請されねばならない。「忘却」にも相当な労力がかかるのだ。

普通の努力では容易に恋を忘れることはできない。古人はこういう時、禊ぎをして神に祈るか、もっと平易に呪物の助けを借りようとした。呪物の中でポピュラーなのはまず「忘れ貝」であろう。

大伴の御津(みつ)の浜なる忘れ貝家なる妹を忘れて思へや(巻1ー68)

「大伴の」は「御津」にかかる枕詞。「御津の浜」は難波の住吉にある砂浜で、忘れ貝がたくさん取れるという。忘れ貝は人を忘れさせるというが、私は家で待つ妹を忘れたりするだろうか。この歌は慶雲(きょううん)三年(706)、藤原京時代の作だが、この頃にはすでに忘れ貝の伝承があったと知られて興味深い。

國學院デジタルミュージアムの『万葉神事語辞典』によれば、『万葉集』中に「忘れ貝」の用例は全部で5例あるそうだ。これらとは別に、「恋忘れ貝」という語句も5例あり、「これらはすべて恋人を忘れさせる貝として詠まれている」という。中でも次の一首は古伝承の形そのままだといえよう。

手に取るがからに忘ると磯人(あま)のいひし恋忘れ貝言(こと)にしありけり(巻7-1197)

「からに」は「だけで」の意。「手に取っただけで即座に恋を忘れられますよ」と海女は言ったけれども、いっこう忘れられないじゃないですか! ただ言葉だけだったんですねえ」というこの歌には、「古集中に出づ」と注がある。万葉の時代から忘れ貝のことは伝説にすぎないと幻滅されていたのだ。それでも恋に苦しむ人々はこの呪物にすがるのである。