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忍ぶ草

忍ぶ草

ノキノシノブ  『植物園へようこそ』より

「忍」の一字は何かと日本人には馴染みが深い。じっとガマンしたり、ならぬ堪忍をするのがほんとの堪忍だといったりするのは、長らくわが国では美徳だった。三島由紀夫は「忍ぶ恋」という『葉隠』の言葉をすっかり有名にしたし、時事ネタで恐縮だが、つい最近抗争中のある任侠集団の組長の通り名にも使われているくらいだ。

歌語の一つに「忍ぶ草」というのがある。今日でもノキノシノブといわれている羊歯(しだ)科の植物」のことである。「忘れ草」と同じように、決して想像上の草ではなかった。

「忘れ草」にはワスレグサという実在の植物(ヤブカンゾウの異名)がちゃんとあり、野辺の草むらにいくらでも咲いていたから、人々は見ようと思えばいつでも目にすることができたのである。しかし、万葉時代はともかく、平安時代の歌人ともなると、だんだん自然に触れる機会が減ったと思われる。それに引きかえ、ノキノシノブの方は家々の屋根とか築地塀の上に自生するから目に留まる機会も多かった。

そのせいで、歌人が「忘れ草」という言葉を詠み込む場合も、実物がどっちかを知らないで詠むようになった。「忘れ草」がヤブカンゾウなのか、ノキノシノブなのか区別が付かなくなったのである。歌を詠む現場に混乱が生じた。たとえば次の一首を見られたい。

わが宿の軒の忍ぶにことよせてやがても茂る忘れ草かな(後拾遺恋3-737,読人不知)

「私の家の軒に生えているシノブグサに事寄せて、前の男がまだ忍んでくるだろうという口実のもとに、あなたは私をお忘れになった。怨めしく思います。」

『後拾遺集(ごしゅういしゅう)』は応徳3年(1086)に撰進された第4の勅撰和歌集である。「読人不知」となっており、作者が、昔の男のことを言い立てて足が遠くなった今の恋人を怨む女になり替わって詠んだ歌である。シノブグサを「忍ぶ」(人目に隠れる)に懸けている。そのシノブを口実に御自分の心に私を忘れる「忘れ草」を茂らせていらっしゃると非難しているのだ。

ところが、この歌に詠まれている「軒の忍ぶ」という草はノキノシノブのことであるが、作者はそれを「忘れ草」と同一視しているようである。これが決して間違いでないことは、すでに『大和物語』――950年前後に成立――に「同じ草を忍ぶ草、忘れ草といへば」(162段)とあるように、相当古い時代から、二つの呼び名が同じ植物を指すとされていたのである。『後拾遺集』の歌では、明らかに、両方の名前でノキノシノブを表現している。

時代はかなり下るが、勅撰集の18番目にあたる『新千載集』――室町時代の延元4年(1359)撰進――でも、こんな歌が詠まれている。

忘草誰たねまきて茂るらん人を忍ぶの同じ軒端に (新千載恋5-1564、芬陀利花院前関白内大臣ふんだりかいんさきのかんぱくないだいじん一条経通)

「この忘れ草はいったい誰が種を蒔いて茂らせたのでしょうか。私をお忘れになったあなたしょう。私と同じように恋を忍んで下さっていると思っていましたのに。」

この歌では「忘れ草」の語がノキノシノブを意味していることは疑いない。しかし、もう一方のヤブカンゾウも、決して和歌の世界から消え失せてしまったわけではなく、『新古今集』――元久(げんきゅう)2年(1205)撰進――以後の勅撰歌集でも、相変わらず「住吉」「岸辺」といった言葉と一緒に詠まれている。「忘れ草」の語義はずっと二本立てで進んだようである。

亡き人を忍びかねては忘草多かる宿に宿りをぞする(新古今哀傷853、藤原兼輔)

「死んだ人への哀慕がつきないので、せめて『忘れ草』の多く茂る宿で過ごそうと思います。」

明け暮れは昔をのみぞ忍ぶ草葉末の露に袖濡らしつつ(新古今雑中1672、祝部成

中ほうりべのなりなか)

「年を取ると昔のことばかり思い出して『忍ぶ草』の葉末の露のように涙をこぼす今日この頃だ。」

これら2首の新古今歌には、それぞれ「忘れ草」「忍ぶ草」が詠まれており、いずれも意味としてはノキノシノブを指してはいるが、重要なポイントは、どちらも「忘れる」こと・「忍ぶ」ことの比喩として用いられ、実物を指示する意味作用をほとんど持っていないことである。特に後の例では「忍ぶ」が懸詞に生かされている。新古今歌人はここでも言葉から言葉を紡ぎ出しているのだ。

「しのぶ」という動詞には、もう一つ厄介な問題がある。

かつては「隠忍(じっとガマンする)」を意味する四段活用動詞と、「思慕(人目に隠れて想う)」を意味する上二段活用動詞の二つが存在したのである。『葉隠』の「忍ぶ恋」などはさしずめ「忍ぶる恋」とあるべきところだ。奈良時代までは、四段活用の方はシノフと発音されたので両者はきちんと区別できたが、平安時代になるとその発音は消滅し、シノブに一本化したので両者が混用されるようになった(岩波古語辞典)。

なお折口信夫は、奈良時代にあった言葉を「しぬぶ」というバ行動詞であるとして四段・上二段二通りの活用を認め、「偲」の漢字を充てている。つまり。「しのふ」の形を認めていない。活用の違いがそれぞれ何を意味するかにはあまり関心を示さず、むしろその語源を探ることに熱心である({万葉語辞典})。

折口によれば、「しぬぶ」は「しぬ」を語根、「ぶ」を語尾とする動詞で、「しぬ」に動く心の状態であるという。「しぬ」は「下(しも)」「萎(しぬ)」「死ぬ」などと関係のある語であって、「意気消沈」の意があるとされる。これだけでは非常に分かりにくいが、事柄はたんに一つの動詞の語源に留まらぬ折口の独創的な死生観と結び付くと考えれば多少理解できるように思う。それによれば、大意はこうである。

古代の日本人には「死ぬ」という観念がなかった。現代人が「死」と呼ぶ現象は、ただ魂が遊離して、「くたくたになって元気がなくなった状態」であるにすぎない(「上代葬儀の精神」)。「しぬ」は「死ぬ」とは違うのだ。その「しぬ」という語の音を含んだ語はたくさんあり、それらはみな共通の意味成分を持っているとするのが、折口の独自な言語感覚である。このように「しのぶ」は「恋ふ」と同じく我々の深層に埋もれている始原的語感に行き当たる。「恋ふ」にも「しのぶ」にも、本来その底には、人間の生き死にがらみのおそろしく真剣なものがあったはずなのだ。    了

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