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畸のエロス

3月26日の記事で「わが仮想読者」という小文を書いたところ、意外に反響があり、「『畸』の思想」と題したメールを頂きました。「思想」はちょっとオーバーのように思いますが、悪い気持はしせん。メールを下さった方――「畸」のKにちなんで以下K氏と呼びましょう――は、「畸人」をもっぱら「半端者、異端者、余計者、社会不適格者」といった系列に連なる人種とお考えになっているようです。御本人はそうであるかも知れず、多少ヒトを巻き添えにしてくれるなという感じがしなくもありませんが、まあたしかに、「畸人」には「奇人」であるような一面がないとはいえませんから、これはこれでよしとしておきましょう。

少なくともK氏は、自分は「健全、正統、完全、無欠」であると思い込んで一生を自己満足して暮らす人々よりはまともに生きているわけです。拙老はどちらかといえば、一風変った人士の方にエールを送りたいタイプです。 

しかし「畸」と「奇」とがごっちゃにされ、混同されるのも無理はありません。「畸」がもともと田をいくら等分しても割り切れずに余る土地」を意味したことはすでに申しましたが、両字の根本的な意味成分になっているのは「奇」という声符であり、この形声で作られた文字に崎、倚、綺、錡、琦、寄、羈、剞、猗などがあります。どれにも共通して、「めずらしい、はみ出した、目立つ、不安定な、特別の」といった一連のニュアンスが含まれているといえます。同じ才能でも「奇才」と「英才」とではだいぶ扱われ方が違うのです。

そんなわけで、自他共に奮い立とうという趣旨から次の連作口吟を「畸のエロス」と名づけることにしました。「小序」付きです。K氏にも特に異存はありますまい。

 

《畸は奇にあらず。割っても割っても割り切れぬ余りの田をいう。ただの変わり者ではない。常識では間尺に合わぬ余計者なり。ひょっとして何か未曾有なものが育つ場所かも知れない。》

♥畸の者は哀れなるかな人らみな目をそばだてて袖を引き合う

♥畸の者ははれがましきぞ人らみな目を丸くして遠巻きに見る

若き日を思い出して

♥なりなりて余れるもののわれにあり人目つつしみいゆきはばかる

♥なりなりて余り出でたる悲しみにやすらい知らずいつも人恋う

♥割り割りて割りつくせりと思うにもなお余りあるわが身なりけり

畸の古訓はアラタなり

♥いかにせん畸の字のヨミは荒田なり余りて荒れしわが身なりけり

♥侘びぬれば荒田に憩う白鷺の姿よきにも涙こぼるる

 

ここまで書いたところに熊本地震のニュースが飛び込んで来ました。初めは、神戸の地震や東北大地震と比べて軽く見ていましたが、報道が続くにつれて、これはオオゴトだと本気で思うようになりました。余震がいつまでも連続するのは先例があることです。しかし、地震規模が逓減するどころか増大するのは異例です。尋常ではありません。案の定、初めのM6強の地震の後にM7・3のものが起こるに及んで、これを「本震」とすると判定が訂正されるに至りました。範囲も徐々に他県まで拡大しつつあります。被害箇所はすべて「別府‐島原地溝帯」の延長上だそうですが、われわれにはまた、日本列島についての常識が揺すぶられる時期が訪れたようです。

熊本城がテレビに映っていました。天守閣の瓦は落ち。石垣は崩れて惨憺たる姿でした。明治10年(1877)の西南戦争の時、西郷隆盛軍が攻め落とせなかった天下の名城も自然の威力には勝てなかったわけです。10年ほど前、取材に行ったのを思い出します。この城はまた、その前年の明治九年(1876)、神風連(しんぷうれん)の乱で主戦場となった場所です。神風連というのは、明治の文明開化に反対して蜂起した国粋主義者の一団です。その欧化主義ぎらいはまことに徹底していて、電線の下は頭に扇をかざさなければ通らなかったと言われますし、熊本城で師団兵と戦闘した時も夷狄(いてき)の武器である銃砲の使用を拒否して、そのためにほとんど全滅したほどです。この人々などは、正しく時代に畸なる者の代表格といえましょう。

ですが、拙老がもっと心を惹かれるのは、時代はちょっとだけ早く、明治3年(1870)に世を去りましたが、この神風連の精神の父と仰がれる林桜園(はやしおうえん)という人物です。桜園は間違いなく「畸人」です。その思想が異色であっただけでなく、容貌も魁偉(かいい、大きくて立派)だった。鼻が異様に高くて眼光鋭く、下唇が垂れ下がって頤(おとがい)を蔽っていたという異相でした。時々独り言をいうので、人々は先生が神と話をしているのだと噂したそうです。誰もがこんな風に一目でそれと知れる「畸人」であるとは限らず、一見すると平々凡々たる顔付きだがどこかヘンだという人もいます。

♥畸なるとは片ほにあらず真ほでな片端なれども片輪ではなし

♥畸なるとは世の常ならず世にそむき数まえられぬ身にぞありける

♥畸の人を変わり者とな見まがえそ世をうれたみて嘆く仁なり

♥畸の人はヘンコ片意地変わり種世を拗ねてこそ生くるなりけれ

♥畸の人は奇妙奇天烈(きみょうきてれつ)屁の河童世とさかさまにますぐなりけり

神風連のことは小説『天(あめ)の浮橋』に書きました。(『不平士族ものがたり』所収、2013、草思社)―――――野口武彦

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