toggle

中沢新一著 『熊楠の星の時間』

2

中沢新一氏の『熊楠の星の時間』は、氏が長年研究している大学者南方熊楠(みなかたくまぐす)についての近年の講演類を集めた論集です。熊楠が明治の生んだ途方もないスケールの大学者であり、生前は「歩く百科辞典」と呼ばれた記憶力抜群の博識家だったこというまでもありません。しかし、これまでほとんど「死後の門弟」という感じで熊楠に私淑して来られた中沢氏が熊楠から受け継ぎ、さらに発展させようとしているのは、特に宗教思想家としての側面です。なかんずく、氏が「南方マンダラ」と命名した学問の方法論の探求です。

「マンダラ」とは本来仏語(ぶつご)で、如来、諸菩薩の悟りの境地を幾何学的な配置で象徴した画図のことですが、熊楠は密教マンダラに独特の解釈を加え(もっと正確には、中沢氏が熊楠はそう解読したと措定し)、心界(人間の精神作用)と物界(物質的時空)とを同時に全体として把握する特異な直観像を提出しています。この創念は、熊楠自身が「曼荼羅(まんだら)ほど複雑なものなきを簡単にはいいがたし」としている上に、中沢氏による解説は、「エクリチュール」「オートポイエーシス」「ポリフォニー」など最新流行の輸入理論用語を多用しているのですこぶる難解をきわめます。こんなにムズカシくていいのかという気持もあり、どこまでやれるかわかりませんが、今回この書評欄では、できるだけこの近作に食いついてみようと思います。

1世代を30年と見るのが相場ですが、その数え方でゆけば今かららだいたい2世代前の1950年代後半――ほぼ60年安保闘争の前夜です――、当時の思想界スズメ・言論界の廊下トンビというような輩の間では、「3大難解語」という見立てが流行りました。吉本隆明の「大衆」、橋川文三の「体験」、谷川雁(がん)の「原点」の3つです。どれもご当人たちは必死に取り組まれ、周囲の俗人たちを大いに閉口させたのですが、そこはそれ難解さの不思議な魅力も手伝ってなぜか一世を風靡したものです。今にして思えば、この3人はそれぞれの個人的な関心事にのめりこんでいたように見えながら、実は、「知識人と大衆」という時代の大きな問題、永遠に新しいが、時折周期的に――たとえば火星の大接近のように――身近でクローズアップされる論点を考え詰めていたのです。折から60年安保闘争は そういう季節に当たっていました。ポスト安保の状況を先取りしていたともいえます。結局のところ、3人は知識人が思想だのイデオロギーだので勝手に熱くなって空転するのを、冷然と見殺しにして健康に生き延びる大衆の生命力の謎を解こうとしていたのだと思います。

それからまる1世代を距てて、日本には新たな「3大難解語」が出現しました。柄谷行人氏の「外部」、浅田彰氏の「スキゾ・パラノ」、中沢新一氏の「マンダラ」の三幅対とでもまとめられるでしょうか。この御三家は、現代日本の知的状況を最新の西欧思想理論を武器にして切断する「外」からの視点を導入したという業績で共通しています。3人とも外国語が早く分かることにも共通点がありましょう。またこの3人には思想史的同世代者として、いわば課題曲のように、否応なく直面せざるを得なかった状況があります。20世紀末の日本には、第2次世界大戦後しばらく人々の意識に浮かばなかったメタフィジック(形而上的)なものへの関心が蘇りました。宗教への志向の復活ともいえます。起きている現象は2方向に分かれていて、一見すると複雑です。一方では、統一教会・幸福の科学・オーム真理教などの新興宗教が世間を騒がせ、他方では極端なマイホーム志向・老化防止療法の流行・家族アルバムへの執着といった俗物主義・刹那主義の解禁が二つながら進行している事態が現状です

他の二人と違って中沢新一氏は、たんに西欧思想だけにとどまらず、「東洋人の思想の原型」に軸足を伸ばしています。1980年代の初め頃、チベットの僧院へ入って実地の仏教修行をした――臨死体験も含むらしい――というのも強みです。氏の南方熊楠への接近はこのチベット密教研究に触発された面が大きいと思いますが、氏の広汎な仕事のうち、直接南方熊楠を対象とした著作は、①『森のバロック』、せりか書房、1992;②『同』、講談社学芸文庫、2006――一部改編;③『熊楠の星の時間』、講談社選書メチエ、2016 の3冊です。氏は①で熊楠が「生涯に強くひかれたもののリスト」として、「粘菌、隠花植物、神話的思考、野蛮や風習や土俗、霊魂と幽霊、宗教の比較、真言密教、セクソロジー、猥談、男色、ふたなり(半陰陽)」などを列挙しています(②では削除)が、③では、それらのレパートリーのうち、粘菌と珊瑚礁(さんごしょう)の生態・自然環境としての神社の森の保護・「アブノーマル(精神変態・異常能力)」な人間の振舞い等、熊楠学にあっては相互に関連する諸問題をトピックとして、それらと同一の構造をそなえたとされる「華厳(けごん)モデル」の実在を語っています。「華厳」とはもともと仏教の1宗派の名称ですが、熊楠=中沢はこれを大乗経典の『華厳経』に体系化されている壮大な世界観という意味で用いています。

粘菌は、微生物を食べる動物的性質を持ちながら、胞子によって繁殖するといった植物的性質を併せ持つ生物と定義されます。こんな奇妙な生態を持つ生命体が存在することは、熊楠によれば、「動物であり、かつ、植物である」ものが現に実在しているのだから、これは現代社会全般に承認されている古典的な論理の3法則(自同律・矛盾律・排中律)のうち、自・矛はもとより、排中律(AはBであるか非Bであるかのどちらかである)をさえ逸脱している事物が実在していることの歷(れっき)とした証しに他なりません。動物と植物のどちらともいえないものが現存しているわけですから。通常の論理の枠を拡張した思考論理が要請されます。中沢氏はこれを切り拓いたのが「華厳」の世界だとしています。ついでながら「半陰陽」もまた性別の分類を超えた実在です。

海の自然の森である珊瑚礁もまた無数の動植物および鉱物――サンゴという軟体動物、それに付着する光合成を行う海藻、サンゴのポリプから分泌される石灰質(鉱物)――が、生きているのも死んだのも共存している環境です。同様の論理で、熊楠自身が持っていた「アブノーマル(精神変態・異常能力)」さも境界を越え出ていることの証明です。

だいたい以上が中沢氏のいう「南方マンダラ」の大概です。たいへん複雑で難解ですが、それには大きくいって理由が二つあると考えられます。

第一は、南方熊楠の仕事そのものがあまりにも独創的で一般の思想界から孤立していたこと。それは明治の欧化主義の社会で、同時代の西欧理論によるサンスクリット文献学をたっぷり吸収した上で日本の仏学(ぶつがく)主流に背を向け、真言宗の曼荼羅教説を独自に読み破り、それを出発点として「未知の学問」をめざすものであったのです。が、世間一般の常套的思考方法――氏はそれを貫く「科学的因果関係」の原形を「ロゴスの3法則」と一般化する――を脱出するための地道な作業はこれまで充分になされてきたとは言い難いのです。中沢氏は誰も「熊楠のように 華厳を一飲みに」はできなかったとうまいことを言っています。

第二は、中沢新一氏自身の問題であると思われる事柄です、氏の文章を見ましょう。①「この経典(『華厳経』)の一番の特質ははじめて「法界」の内部構造とそこで起こっている活動の運動学を、明確なレンマ的論理で表現してみせたところにあります」(第1章「熊楠の華厳))②「南方熊楠のおこなった創造の秘密を知るために、無意識の原初過程を組み込んだ新しいサイエンスが必要です。ここからはジョイスともラカンとも別れて、私たちはシントムという鍵だけを携えて独自の道へと踏み込んで行かなくてはなりません」(第3章「南方熊楠のシントム」)③「言語の線形性をもってしては、水が指の間からこぼれていくように、豊かな情報の大半が表現から消えてしまいます。可換性もほとんどの場合できません。非可換性と非線形性が細部にまでゆきわたった空間ですから、華厳モデルの数学化はまだ相当な時間がかかりそうです」(第5章「海辺の森のバロック」)。

まず①では、「レンマ的論理」という用語が使われています。「レンマ」は「ロゴス」と対立し、発声する時間的順序に制約されぬ直観的な把握を意味するらしいが、この概念を理解するには多少とも古代ギリシャ哲学の知識を前提としています。読者にそこまで要求できるのでしょうか ②では、「シントム」なる語を用いていますが、これはフランスの精神分析学者ラカンがイギリスの作家ジェームス・ジョイスを分析した時に「精神病の徴候」シンプトムをちょっとひねり、芸術的創造と結び付けてこしらえた造語だそうです。これは専門知識の範囲を超えてオタク的知見に属します。③の「線形性」「可換性」などは高等数学の術語です。――氏の著作を読むにはこの程度の知識が不可欠だということなのでしょうか。用語法がどこか生煮えなので、初歩的な読者には多少鬼面人を驚かす気味合いがなくはないでしょうか。

「南方マンダラ」ではまだ言語化されない〈潜在性の状態〉と〈現実化した状態〉とがたがいにつながっているとする氏の世界理解の根本は、量子物理学者デイヴィッド・ボームが晩年に到達したホーリズム(システムは全体を部分や要素に還元できないとする立場)の世界観にも通じています。ボームはいいます:生なき物質とは生命が際立って顕現していないような、相対的に自律した亞総体と見られるべきなのである。すなわち生なき物質とは、全体からの二次的、派生的かつ特殊的な抽象である(『全体性と内蔵秩序』)。つまり中沢氏は、熊楠のいう「心界」「物界」を陰伏する生命の潜在的状態と生命の顕在する領域とに二分する世界観に引き付けて理解している、と見てよいでしょう。けっきょく現代自然科学の言葉に翻訳できる分だけ、熊楠学が先駆的だったということなのでしょうか。(野口武彦評)

コメント





コメント

画像を添付される方はこちらで画像を選択して下さい。