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アジサイ変幻

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隅田の花火(ガクアジサイ)

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普通のアジサイ

アジサイの季節です。この辺では六甲のアジサイが有名ですが、芦屋の町中でも民家の庭や生垣に植えられているのをよく見かけます。花の色がさまざまに変わるところから、花言葉は「移り気」とか「冷酷」とか「変心」とかあまり芳しい連想はないようです。「花言葉」などというものはしょせん西洋産の輸入品で、日本では明治以後のものにすぎませんが、それでも昔から、わが国の文学伝統はアジサイの「色変わり」の特質に注目しています。

昔はよほど地味な花に見られていたらしく、『万葉集』にはわずか2首しか詠まれていません。そのうちの1首に大伴家持:言問わぬ木すらあじさゐ諸弟(もろと)らの練りのむらとに欺かえにけり(巻4-773)。大意は、「物を言わない木の中にもアジサイのようにいろいろ色を変えるものがある。私もあの連中の口先のうまい言葉にだまされてしまったんだよ」とでもなりましょうか。「むらと」には2説あります。一つは「腎臓」という意味。古くは人間の精神作用はこの臓器が司ると考えられていました。「練りのむらと」とは「手だれの言語技巧」といった感じでしょう。もう一つは折口信夫訳で、「むらと」を「村人」と取ります。

古代日本人が見ていた野性のアジサイは、日本原産の植物で、どうやら今日のガクアジサイに近い種類だったようです(朝日百科『世界の植物』)。ガクアジサイの「ガク」は漢字を当てれば「額」で、内側に咲く細小な花叢(完全花・有性花)を外側から額縁のように囲む装飾花(不完全花・中性花)を指していいます。この装飾花は、ややこしいことに、花弁ではなく萼(がく)なのだそうです。巻頭の写真はガクアジサイの新品種「隅田の花火」ですが、変わり咲きに改良されて、ふつう4弁の装飾花が12弁になっています。もう一枚の青いアジサイの大きな花の玉の写真では、装飾花がみな4弁です。このいわば普通のアジサイは、かつて一度中国経由で西洋に渡り、改良して装飾花を成長させたセイヨウアジサイが逆輸入されて園芸種になったものです。

亜種・品種はたくさんありますが、アジサイ属の学名はHydrangea(ヒドランゲア)といいます。「水の容器」という意味だそうです。学名といえば。江戸時代の末近い頃、長崎の出島に滞在したドイツの医師・博物学者のシーボルトがアジサイにHydragea Otaksa Sieb. et Zucc. という学名を付けたことがあります。このうち「Sieb. et Zucc.」の部分は命名者シーボルトと協力者某の略号とすぐ分かるのですが、残るOtaksa」が何を意味するのか謎でした。これが実はシーボルトの愛妾(日本人妻)の名「お滝」――もと丸山遊郭の遊女其扇(そのぎ)――から取ったものだ、けしからんとすっぱ抜いたのは明治の大植物学者、牧野富太郎(まきのとみたろう)でした。けっきょくの学名は、以前にリンネによって命名されたものにプライオリティがあるというので取り消されたということです。

江戸時代に長崎の出島を拠点に活動した3人の外国人:ケンペル、ツンベルグ、シーボルトを「出島の3学者」と称します。ケンペルは「鎖国論」の筆者として、ツンベルグは「分類学の父」といわれるリンネの弟子だった植物学者、シーボルトは「鳴滝塾(なるたきじゅく)」を開いて多くの蘭学者・蘭方医を育てた(また国外退去にされた後、ヨーロッパで生まれた息子――お滝の子ではない――はイギリスの通訳官になり、幕末日本で活躍)などの業績でそれぞれ有名です。そしてこの3人に共通している特質は三人ともそろって博物学者だったということです。博物学というのは、自然界を形成する動物・植物・鉱物の諸事象・諸事実を蒐集し分類する学問です。大航海の時代以来、これまで未知だった世界の見聞が広まり、新しい知識体系への興味が高まった世紀の産物です。また、この時期は世界貿易の発展期でもあり、新事物への関心が新商品開発の研究にもつながっていたことは、この3人がいずれもオランダ商館(オランダ東インド会社の日本支社)の関係者だった事実からも推察できましょう。3人の身分はケンペル(医員)、ツンベルグ(船医)、シーボルト(医員)でした。全員みなオランダ東インド会社に雇用されていたのです。

話は突然、拙老のことに及びます。拙老は恥ずかしながら小学校から中学校までは人様から理科系だと思われ、なかんずく分類学のエキスパートでした。育ったのも戦後の焼跡で、当時の東京にはまちがいなく昔の武蔵野の自然が蘇っていました。目の向かう所どこにも新奇な草や木の花が咲き、昆虫がすいすい飛び回っていました。モンシロチョウやモンキチョウ、シオカラトンボ、ムギワラトンボ、時にはオニヤンマなどが日常の友でした。

チョウチョは節足動物門昆虫綱(こう)鱗翅目(りんしもく)に属するムシであり、トンボは同門同綱透翅目(とうしもく)に属します。用語は古めかしかったが、万物ことごとく整然たる分類学的世界秩序の中におさまって安定し、拙老はけっこう幸便に生きていました。調子がおかしくなったのは、学校教育にこの世界秩序が通用しなくなってからです。都立高校に進学して、一年生で「生物」を履修しました。ところが得意科目だったはずの「生物」の授業では分類学など教えませんでした。その代わり、PH(ペーハー)などという得体の知れない概念を教えられ、成績はたちまち急降下しました。それ以来、拙老の興味は、博物学をもっぱら擬人化して理解する方角に進みました。たとえば、花々は女体に転生します。

♀ あじさいの白き花玉かしぎゐぬ持ち重りする人妻の乳

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