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わが元禄

「元禄」という年号には一種独特の明るいイメージがあります。現代人が過去のこの時代を考える時まず思い浮かべるのは、「元禄模様」「元禄小袖」「元禄見得」といった何かしら陽性の想念であるようす。盛り場にある飲食店の名前を考えても、割烹「元禄」、小料理「元禄」、バー「元禄」などはいかにもありそうですが、クラブ「享保」、サロン「天保」なんてのがあろうとはちょっと想像できません。景気がよくなければダメなようです。

でも、そう思うのは拙老だけのことで、もしかしたらそれにはこれからお話するような個人的な記憶が関係しているのかもしれません。

前世紀の60年代の中頃、京都は京坂三条の終点駅の真ん前に、「元禄」という名前の大きなキャバレーがありました。入ったことは一度もありません。当時、筆者はまだ学生の身分でしたから、前を通り過ぎただけです。だが、分厚いドアガラスの向こうから伝わってくるバンド音楽やさざめきの気配からは、そこに自分とはかけ離れた世界があることが漠然と感じられました。

その後数年して、このキャバレーは閉鎖されたと噂に聞きました。有名な暴力団の幹部が客席で殺されたのがきっかけだったそうです。そんなわけで店そのものは消滅したのですが、店名の「元禄」だけは不思議にずっと記憶に残った「げ、ん、ろ、く」という言葉の響きには、何か派手なもの。華やかなもの、うつろうもの、やがて滅び去るものといったどこか二律背反的な美意識の連想がついてまわります。おまけに、思い切った行動にいつも伴いがちな暴力的な血の匂いのようなものまでが加味されています。

元禄の年号が筆者に引き起こす連想の一部には、どうも昔京都の盛り場でちらりと覗いて見た奇妙に遠い世界の残像がこびり付いているような気がしてなりません。そこは重いガラス扉に距てられた禁断の園であり、疑いもなく、一介の素寒貧(すかんぴん)学生には手が出ず、及びもつかない美女と札束と官能の幻がきわどく渦巻いていました。

現代日本から想像する元禄年間(1688~1704)は、われわれに一種独特のものなつかしい親近感を覚えさせます。基底にあったのは、永久に続くと思われた経済成長、人間だれしも才覚と運さえあれば金儲けができるという信念であった。門地や生まれに関係なく成功を掴めるという明るい気分が世に満ち満ちていました。現代日本も一時はたしかにそうでした。今から60年ほど前、「昭和元禄論」というのが一世を風靡したのを思い出します。日本経済に「神武景気」が訪れ、やがて国中がバブルで沸き返る以前の時代です。

昭和が「元禄」なら、平成はさしずめ「享保」でしょう。江戸時代のすべての改革政治は例外なくデフレ基調の緊縮経済です。後期の二大改革――寛政と天保――お手本を享保に求めました。元禄の昔に帰れというスローガンが叫ばれたことは一度もありません。きっと元禄精神の根底に何か野放図で、アナーキーなものを感じるからでしょう。

最近は、昭和の出来事がセピア色に染まって蘇るそうで、つまり昭和を語ることはもう歴史小説になる時代です。それで肚を決めました。拙老がめざすのは、元禄を舞台にした現代小説を書くことです。歴史といい、現代といい、その間はただ一筋の均質な時間がつないでいるだけなのですから。

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