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蝉しぐれ

すぐ左IMG_0117の写真はクマゼミヘルパーさんに撮ってきてもらった宮川河口付近のセミです。いかつい頭部と柄にもなくすきとおった翅から、クマゼミであることは一目瞭然です。このところ毎朝セミの大合唱に驚かされる季節になりました。一頃まではジージーと諸声(もろごえ)に鳴き立てるのはアブラゼミときまっていたのですが、最近とんとアブラゼミを聞かなくなりました。もうこの辺では淘汰されてしまって、関東に行かなければ聞けなくなっているのでしょうか。

5年ほど前。六甲の山上でミンミンゼミを聞いてびっくりしたことがあります。その数年前、『江戸の風格』の取材のため東京中を歩き回っていて、皇居の北丸公園でミンミンゼミの鳴き声になつかしさを感じました。どちらも珍しさがあったからそう感じたわけで、考えてみればその頃ごく普通に耳にしていたのは、アブラゼミだったのではないかという気がします。(左端の写真――https://ja.wikipedia.org/wiki/アブラゼミ――参照。翅が茶褐色です。)拙老がこんな風に地上でうろうろしている間に地下ではセミたちの種属保存競争がすさまじく展開されて勝負がついていて、いま毎朝シャガシャガと聞こえているのは、勝ち誇ったクマゼミの雄叫びかもしれません。

日本の古典文学にも蝉はもちろんよく登場しますが、まず人々の心に留まったのは、その声からだったようです。やたらによく人間感情に共鳴してくれる虫だというのが第一印象だったのでしょう。だいたい『万葉集』には蝉を詠んだ歌は少なく、全部で10首しかりませんんが、その大部分がヒグラシだというのも何だかわかるような気がします。

3617  いわばしる滝もとどろに鳴く蝉の声をし聞けば都し思ほゆ(巻15、遣新羅[しらぎ]使らの歌のうち大石麿麻呂)

3620  恋繁み慰みかねてひぐらしの鳴く島影にいおりするかも(巻15)

この2首はどちらも外交使節として新羅国へ旅立つ途中、安芸国長門島(あきのくにながとじま)という所で作った歌です。前の歌は、蝉の声から都(当時は奈良)を思い出すという都偲びの歌ですが

さてここで都を思い出すよすがになった「蝉の声」はどういう種類の蝉のものでしょうか。ヒグラシが「滝もとどろに」鳴き立てることはまずないように思うのですが。それとも奈良時代にはヒグラシも大合唱したのでしょうか。後の方の歌は、折口信夫が、「あまり恋しさに、心がなだめられないので、今日の旅はやめて、蜩(ひぐらし)の鳴いている島の蔭に、小屋掛けをして泊り込んだことだ」(「口約万葉集」)と訳していますが、ここでも作者は、セミがヒグラシであると特定しているあけで、その鳴き方には別に注意を払っていません。ゼミはただ「鳴くもの」と印象されればよかったのです。

平安時代になって、和歌が宮廷文学化すると、セミも新しい感覚でとらえられるようになります。今までよく鳴く虫としてもっぱら聴覚的なイメージで詠まれていたのが、あらたに視覚的にも見られることになります。蝉の抜け殻が人々の目に留まったようです。早くも『古今集』に2,3の例が見られます。

448  空蝉のからは木ごとにとどむれど魂(たま)の行方を見ぬぞ悲しき(巻10物名 読人不知

831  空蝉はからを見つつも慰めつ深草の山煙(けぶりだに立て(巻16哀傷歌、僧都将延)

見られるように、ここには「空蝉」という新しい語彙が用いられている。なるほど「うつせみ」という4音節の言葉はありましたが、それはたとえば「古昔(いにしへ)もしかにあれこそうつせみも妻を争ふらしき〈万葉集1‐13、天智天皇〉」という有名な大和三山の歌にあるとおり、「現実」とか「現世」とかを意味する語でした。特に「蝉の抜け殻」を指してはいなかったのです。それがこの言葉=イメージの出現以来、字面で干からびている茶色の奇妙な物体を意味するようになりました。次の『古今集』の2首には「空蝉」という言葉こそ出てきませんが、蝉の翅の薄さ、はかなさ、たよりなさといった一系列の連想複合体が出来上がっていることを示します。

896  蝉の羽の夜の衣は薄けれど移り香濃くも匂ひぬるかな(巻17雑上、紀友則[きのとものり])

1035 蝉の羽の一重に薄き夏衣馴れば寄りなん物にやはあらぬ (巻19雑体、凡河内躬恒{おおしこうちのみつね})

どちらも撰者の歌です。歌の作り方も技巧的で、「蝉」はどちらも「衣」の縁語や序詞になっています。

その場合、「空蝉」の一語がどんなに含蓄豊かだったかがわかります。その功績は一にかかって『源氏物語』の巻名にもなっている物語歌に帰されます。光源氏が人妻を誘惑し、女は男に肌身を許すスレスレのところで、下衣だけを後に残してするりと抜け出る、エロテイックな場面です。人妻の名は「空蝉」。ひとり取り残された源氏は未練タラタラこんな歌を詠みます。女の方も満更ではないようです。

(光源氏)空蝉の身を変えてける木(こ)のもとに猶人がらのなつかしきかな

(女、返歌ともなく)空蝉の羽に置く露の木がくれて忍び忍びに濡るる袖かな

日本の感受性の基底には、この「蝉」を一例として、千年にもわたる文学伝統の中で培われた複合連想作用の働きで。しっかり安定した構造を具えたものが多くあります。その意味では、人性の自然が文芸を模倣するのです。

昭和は遠く成りにけりと申しますが、1945年8月15日のことを思い出します。暑い日でした。空が抜けるように青かったのを覚えています。正午から玉音放送があり、終わってからも町は変にしーんと静まりかえり、路上には人影がありませんでした。蝉の声がいやにやかましかったです。(了)

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