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夢の岡

いつもこれから夢の世界へ入ろうという時、拙老はきまってまず始発場所のようなところへ案内されます。かといって、別に待合室のような場所がるわけではありません。夢に出発する浮遊魂はたいがい拙老一人で他に人影は見えません。いたかも知れませんが、それらはけっきょくもとは単一体である浮遊魂の片割れたちでした。その場所に着いてから,その晩の行く先が決まるのです。

その場所は、繰り返し訪れるのでだんだんわかってきたのですが、なだらかな岡です。うとうと寝入ってからしばらくの間は闇雲に歩きますが、ふと気が付くといつも見慣れたなつかしい風景の中に立っています。それが岡なのです。なだらかな傾斜があり、拙老はその半ば――岡の中腹の小径――に立っており,行く手の視界は鞍状をした岡の稜線にさえぎられ、向うの高い空だけが見えます。このまま小径を登り続けて岡の上に達したら、どんな景観が目の前に広がっているだろうか。期待感に満ち満ちて、夢の中の拙老は足を速めます。……しかしながら、拙老はいまだかつてその景観を目にしたことはありません。そのいわば《究極の夢景》はついに抽象的な願望にとどまり、具象化されることはないのです。というより、いつもその辺で誰かが――白い手袋をした夢の「見えざる手」か、狂言回しか、それとも夢の水先案内人か――すばやく場面転換をして,浮遊魂を次の場景に送り込むからです。

拙老はこれまで、岡から新たに入って行く先の地理は夢を見る日によってまちまちだと思っていました。ところがそうではない、ということに最近気が付きました。もちろん、地名の固有名詞や風景の細部には小さな異動はありますが、大体において訪れる土地にはいくつかの基本的なパターンに分類されるようなのです。主なものは以下の3つです。

第1の部類は「東京―江戸コース」とでも名づけるべきプランです。周知のように、「プラン」という横文字語には地図・平面図・透視図といった原義が生きていますが、この紀行プランは文字通り、「江戸」とも呼ばれ、「東京」とも呼ばれたこの特定の界域を「透視」するのです。

浮遊魂はおおむね東京駅から「国電」――JRになる以前の名称です――に乗って、お茶の水か水道橋で下車します。昔の地形では両駅とも旧神田川の水路だった低湿地にあり、本郷台地へ上る勾配のきつい坂道が幾筋も連なっています。夢の浮遊魂も当然その一筋を上ります。あたりに建ち並ぶ家々はみな土塀に囲まれ、内側の様子は見ませんが、重そうな瓦屋根、格子窓など由緒正しい武家屋敷の作りです。その辺をしばらくぐるぐる歩き回った末に、ようやく横町が見つかって安心します。小路の奥に昔――いつの世とも知れぬ遠い昔――から懇意にしているなつかしい老夫婦が開いている古い汁粉屋があります。いつも甘いゼンザイを注文して小豆餡が黄金色にとろりと熟れているのに見とれて安心します。隣に古書肆があって、店に美しい装幀の本が並んでいます。まだ読んでいませんが、拙老はその内容をよく知っています。それには、拙老が今生に至るまでの全過去が記されているのです。

今回は充分字数を使ったので、この続きおよび第2、第3のプランについては来週に廻します。(続)

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