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トカゲの一分(いちぶん)

人間の歴史には、ごくたまに信じられないほどの珍事が起きることがあります。カエルがヘビを呑んでしまったり、ゴマメの歯ぎしりが天下国家を揺るがしたりというような、普通は起こり得ないことが現実になる場合です。シュテファン・ツヴァイクのたくみな表現によれば、「重大な運命を左右する糸が、一瞬間だけまったくつまらない人間の手に握られることがある」(『人類の星の時間』)というのです。ツヴァイクがこの文章で挙げている実例は、1815年8月18日、ナポレオンが起死回生を賭けたワーテルローの一戦のみぎり、皇帝の命令を小心翼々と守り、退却するプロシャ軍を無駄に追跡し続けたばかりに、肝腎の決戦に居合わせず、運命的な敗北の一因となった凡将グルシー元帥のことです。

ナポレオンはその後大西洋の絶海の孤島、セントヘレナに幽囚されたまま1821年に生涯を終えますが、グルシーの方は戦後死刑にもならず、つまりたいして罪に問われたわけでもなく、ただ追放されただけで、世界のあちこちに流浪したはてに1847年に81歳で死にました。ナポレオンより長生きしたわけです。

今、拙老の頭に浮かんでいるのは、最近ニュースを独占した感のある森友学園のことです。もちろん、安倍首相をナポレオンに見立てるつもりはありませんし、ましてや篭池さんを「つまらない人間」に数える気持などは毛頭ございません。それどころか、篭池夫妻やら昭恵夫人やらバルザック風の《人間喜劇》にお迎えしたいキャラクターが続々と登場して興味が尽きません。また時々脇役的に登場する財務省のお役人さんの困り切った顔のクローズアップを見ると、その昔、ディッケンズが『リトル・ドリット』で描いた、「仕事ヤルベカラズ」を原則とする「迂遠省」の官吏もかくやあらんと思わせてくれます。

国会の証人喚問に応じた篭池さんの「尻尾切りはやめてほしい」という発言はいっぺんに有名になりました。その気持はわかります。いきなりこんな仕打ちを受けるまでは、首相と自分とは同じ陣営に属し、同じ「大義」につくす自分に便宜を計ってくれると信じていたのに、急に掌を返されたのですから、篭池夫妻が「裏切られた」と思うまでの心境になるのも当然です。

この事件はいずれ篭池さんがすべての罪を引き被って「一件落著」に至るでしょう。権力者に不義不正はないという神話を守るには、権力は切羽詰まれば馬謖(ばしょく)さえ斬ることがあります。いわんや、トカゲの尻尾を切ることにおいてをや。トカゲの尻尾は、もともとトカゲの一部分だったのであり、決して無辜(むこ)の庶民だったのではありません。その辺を間違えてはなりませんが、この際はやっぱり権力に捨てられてピクピクしている尻尾の方にに声援を送るところでしょう。   了

 

 

 

 

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