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人界鳥瞰

いつぞやこの欄でご紹介した老鴉スローニンを覚えておいででしょうか。その日の記事は、この老友が若いカラスの群に邪魔にされ、「あっちへ行け」と追い払われてスゴスゴどこかへ歩いていったところで終わっています。それ以来ずっと、リハビリで屋上に出るたびにに、毎回彼の行方を案じてばかりおりました。ところが――――

いたのです! 無事に生きていました。相変わらず尾羽打ち枯らした痩せぎすの姿でしたが、いつも見慣れた隣のマンションの避雷針に留まってじっと身動きもせずにいました。カアカア鳴き交わしながら、塒ねぐらへと急いでいる群鴉どもには目もくれず、一心に下界に目を凝らしているようです。きっとその視界には眼下の人界が文字通りの鳥瞰図として映じていたに違いありません。

スローニンの視線の先には、いつも目に馴染んでいる恐竜山(「甲山に異変」の記事で「イグアノドンの岡」と呼んだ丘を改名)がうずくまっています。これを見ると、なんとなんと、今まで気づかずにいましたが、いつの間にかえらく寸法が縮まって『亀の子山」としか言いようのない姿になってしまっているではありませんか。

念のために、これを前回「イグアノドンの岡」として掲げた写真と比べて見ましょう。

下手な写真で恐縮ですが、以前は長かった恐竜の尻尾が断ち切られて、宅地らしきものに変わっている様子が明らかではありませんか。     

わが友老鴉スローニンは、いったいどんな気持でこうした人界の転変を見守っているのでしょうか。拙老はカラスにも鳥類エゴイズムがあると思います。たぶん同族が巣を作れる山林がどんどん削られるのに心穏やかでないだろうと想像します。カラス仲間では縄張りが世襲されるらしいのですが、そうなると自分の跡取りの幼鳥に譲るはずだった場所が森でなくなり、コンクリートの建物になっいたりして困惑することが起こるわけです。狭くなる土地をめぐって遺産争いも生じるでしょう。

「桑田そうでん変じて滄海そうかいとなる」という古い言葉があります。反対に「滄海変じて桑田となる」という場合もあります。世の中の転変が激しいという意味ですが、ただの物の譬えだと思っていたら、実景でした。文字通りのこういう情景は考古地理学の世界では珍しくないし、また核ミサイルが落ちた後の都会地を想像すれば容易に目に浮かびます。明治の東京は、江戸時代から続いていた武家屋敷を全部つぶして一面の「桑田」に変えました。都市計画もヘチマもありません。当時、人気の輸出商品だった絹の商売にあやかろうという浅ましい人欲のなせる業わざです。

恐竜山を掘り崩した住宅地に住む人々は、より快適な住環境をめざすだけのしょせんしがない善男善女でしょう。しかしどこそこ構わず住宅地にしようという土地会社・不動産業者はやっぱり人欲に衝き動かされて「山林を変じて廃屋と化す」るやからと言えるでしょう。なあそうだろうといって老鴉を顧みると、スローニンはカアカアと返事をしてくれました。カラス語で「そうだそうだ」という意味です。 嗚呼。

 

 

 

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