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心機、花錦を織る

よく「心気一転」などといいますが、「心機」と書くのが正しいそうです。「機」字の原義は「からくり」つまり「はたおり」の機械という意味ですから、「心機」とは、心で精神の布を織る仕掛け・仕組みのことです。そういえば、♪ボロを着てても心は錦、という歌の文句もありました。またこのことから、物事のメカニズムが時宜を得て、周囲の諸条件とうまく噛み合うかたちで発動するハズミのことも「機」といいます。「好機」「心機」「神機」「妙機」などのたぐいです。

考えてみれば、4月初めに罹患した帯状疱疹が拙老に特別な「機」をもたらしたのかも知れません。最初、この疾患を何となく軽い気持で見ていたのですが、実はこれなかなかのクセモノで、拙老いまだにその後遺症的神経痛に悩まされている次第。たいした痛みではないのですが、皮膚の裏側がしょっちゅうピリピリするのは叶いません。

そんな折も折、拙老は、とあるブログ中にめずらしくも拙老の名前が出ているのを発見しました。めったにないことです。奇貨措くべからずと申しますから、とにかくその一文を引用させていただきます。

川日記 2018.1.15.~1.31.北海道放送故守分寿男氏著「北はふぶき」、「さらば卓袱台」。ローカル局がドラマの可能性を開拓した時代があった。西部邁氏死去。自死という。私は西部氏を買わない。しかし、どの世代にも優れた個性はいるに違いないが、この世代は間違いなくそうだ。青木昌彦(姫岡玲治)、唐牛健太郎、山本義隆、長崎浩、最首悟、平岡正明、野口武彦・・・。60年年代という時代のプリズムを通した思考の乱反射、その光の射程の奥深さこそが大事なのだ。》

拙老はこの文の筆者とは面識がありませんし、どこのどなたとも存じませんが、放送界で一仕事をなさっている人物のように見受けられます。

拙老の名もまだ忘れられていないようで、光栄の至りです。それと共に一種ズシリとした責任感のようなものを感ぜずにはいられません。前世紀から今世紀にかけては大きな思考と感性の転換が進みましたが、そのハシリとして最初に波しぶきを浴びたのが今から思えば60年年代だったのです。上に列挙された8人のうち、すでに4人が故人になられています。オマエもぐずぐずしているんじゃないぞ、という声が聞こえてくるような気がするのです。もちろん、何か形のあるものを世に遺したらどうかという意味です。

拙老はこのところ平均1年に1冊ぐらいのテンポで単行本を刊行して来ています。ずっと歴史とも小説ともつかぬ領域のものなので、読者を戸惑わせているかも知れませんが、自分で本当に書きたいと思っているのは人々の心に沁みる物語――つまり《小説》――であり、また1作ごとに作品をそれに近づけていると確信しています。

今後のできばえは、読者の皆さんに見ていただく外はありませんが、今はとりあえず、『元禄六花撰』の姉妹編にあたる次回作――タイトル未定――に御刮目かつもく願いたいと考えているような次第でございます。

 

 

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