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精神科医の友への手紙

かれこれ50年ほど前のことだったと記憶します。拙老は金沢大学へ集中講義に行ったことがあります。たしか題目は『谷崎潤一郎の文学」だったと思います。その時教室で熱心に聴講してくれる学生がいました。それが若き日の平井孝男君、いや失礼、平井氏だったのです。その後は互いにかけちがって、ごくたまにしか会う機会がありませんでしたが、その間にたいへん勉強され、たくさん実地を踏まれて、今は立派な精神科医になっています。

「友」と呼ぶのはいささか気が引けるのですが、最近送ってもらった本を読んでいろいろ感じることがありましたので、ご当人のご承諾を得て、同氏宛ての手紙を以下に公開させていただこうと思います。

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平井孝男  様

御近著『精神分析の治療ポイント』を御惠投有難うございました。

全部を粗々ながら一応通読、つくづく敬服しました。貴兄は小生などにはとてもできない(尻込みしてしまう)大変なお仕事に真剣に取り組んでおいでです。小生のような物書きと違って、いつもナマモノを扱っておいでですから、書かれることにも迫力がおありです。

御著はどちらかといえば「同業者」向きに、治療のノウハウを記した専門書だと思いますのでそちらの方面は敬遠して、小生にもわかる範囲の事柄だけを話題にするのをお許し下さい。

小生が「!」と心を留めたのは、貴兄が「あらゆる精神医学の潮流は、それぞれの逆転移の結果である。またフロイド以後の精神分析が何百という学派に分かれていくのもそれぞれの逆転移を持つからである」(p.111)と書いている一文です。これは文脈によって、フロイド
以後の学者のフロイド学説に対する逆転移と読めるように思いますが、それでよろしいか?

それならば、ユングのフロイドとの訣別という重要な出来事も「逆転移の一ケース」と解釈できるわけですね。そもそも転移は「治療者に対する感情の総体」(p.80)と定義されていますから、二人の決裂の出発点には、「始めに感情ありき」的な根底があったといえるのではないか。

小生は、貴兄がいかにも現役の精神科医らしく「感情」を重視し、治療者ー患者のアナロジーでフロイド=ユングの師弟関係をとらえておいでなのを面白く(失礼!)拝読しました。

実は小生最近、『鴎外五人女』という小説を書いた機会にユングを少々勉強、例の「元型」説に多少かぶれている所だったので、貴説に特別興味を持ったわけです。

他にも尋ねたいこと、確かめたいこと、疑問、感想などいろいろあるのですが、なにぶんメールのこととてそう長くは書けません。もし貴兄のご賛同があれば、小生のホームページにこの続きを書きたいのですが、いかがなものでしょうか。ここまでのメールもこのまま(もちろん必要な補正を加えて)転載したいのですが許可していただけるでしょうか。右、お尋ね致します。        野口武彦 拝

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以下の文章は「尋ねたいこと、確かめたいこと、疑問、感想」についての付け足しです。色々ありますが、今回はさしあたり「感想」だけを申し述べることで御勘弁下さい。

御著の中で、拙老の心に留まった言葉が3つ(正確には3ヶ所)あります。

①貴兄が治療原則として打ち出されている「波長合わせと共同作業」(p.5)という視点。

②「逆転移」を独創的に――あるいは自己診断として?――「治療者の業の深さ」(p.108)と規定していること。(「我と好きこのんで修羅場に踏み込んで行く人間」だそうです。よくわかってらっしゃる!)

③そこから、人間の本性についての、慨嘆にも似た剔決てっけつが下されます。「直りにくいのは人間の本性」であり、「現実には完治はありえず、人間は永遠の寛解かんげ」であり、「治療とは一種の理想型」(p.252)であるのです。

この言や佳し。大いに我が意を得ました。なぜなら拙老近頃、自分の未成年性は死ななきゃ直らない、不可完治の「未成年病」とでもいわなくてはならないのじゃないかと思っているからです。まあ当分の間は、貴兄の被治療者になる気遣いはないと思いますが、老年のこととてわが人生はこれからどう転ぶかわかりません。

拙老は今後人生のアディショナルタイムをずっと慢性の寛解状態で過ごすことになるでしょう。何か起きた場合にはなにぶんよろしくお願い致します。     不一

 

 

 

 

 

 

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