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新規おひろめ 本ブログが 双方向に変わりました!

決意というと大袈裟ですが、ちょっと改まった心持ちを述べようという時、昔は特定形式の文章で書き表しました。その形式を「文体」といいます。陶淵明の「帰去来の辞」、蘇軾 (そしょく) の「赤壁の賦」、諸葛孔明の「出師の表すいしのひょう」などがそうで、「辞」「賦」「表」はそれぞれ文体のジャンルです。拙老にとっては今がその時に当たります。どの体を選んだらよいでしょうか。「表」は、「君主への上奏文」と定義されます。拙老は別にアルジモチではありませんが、このブログを読んで下さる皆さんへのきちんとした意思表白という意味では「上奏文」といえますから、「表」の形式を借りることにし、『老春の表』と題することにしました。題に篭めた心は次の3首のごとし。腰折れは御容赦  

老波はいづこの岸に寄るやらん目路に文あやなす水脈みをの跡先

夜をこめて沖の波風荒くともいざいで立たん文の防人さきもり

時こそあれ深山みやまに花を尋め行かんこぞの枝折をたどりたどりて

 

気が付いたら80歳になっていました。日本人男性平均寿命は81.09歳とのことですから、拙老ももうあんまり悠長にしてはいられないわけです。そろそろ残り時間のうちにやっておこうと思う仕事に、あらかじめ目星を付けることにしました。今のうちにやっておきたいことは、わが国の書きことばを保存し21世紀後半にまで持ち伝えることです。前世紀末から今世紀にかけて進行している、すさまじいばかりの言語破壊現象  言葉の無機的記号化・標識化・符牒化、洒落ならぬダジャレの濫用、微妙な言い回しの衰滅、ツイッターと称する電子的オシャベリの盛況、etc. ――が起きた原因はいろいろあるでしょうが、煎じつめれば聞きことばの氾濫に帰一すると私見では愚考致します。コトバをただの音声連続として聴取するだけ、「外声がいせい」としてしか聞こえなくなっている   「内声」がない  ことが弊害を生んでいるのです。(このことは長くなりますから、いずれ席を改めて申し上げます。)

今回このホームページを双方向にしたのは、最近、奇特にも本ブログを寓目して下さる読者  それとも訪問者というのでしょうか  がどんな人たちなのか掴んでおきたい気持がつのって来たからです。話が通じているのでしょうか。拙老としては、おおまかに言って、3つのグループに分けて把握しているつもりです。

①拙老と世代を共にしている人々。いってみれば「六〇年安保」組です。本当をいうと、語りかけるのがちょっと遅すぎたかも知れません。しだいに幽冥所を変えた人々が多くなって、拙老などは「生き残り」の仲間に属します。この年代層だけが体感できた時代の合わせ目のようなものを、もっと語り明かすことができるのではないか、という気がしています。唐牛健太郎は早死しました。北小路敏も世を去りました。青木昌彦も西部邁も亡くなりました。生き残った面々が、このまま黙って埋もれてしまういわれはありません。

②次に考えているのは、思い切って射程を広げ、まだこの世に生まれていない読者に呼び掛けることです。いわば未生の知己へ発信しておくことです。現代日本の《言語衰退》  文運隆盛の反対概念のつもりです  ぶりは当分の間ずっと下降線をたどり、やがてスッテンテンになるでしょうが、その索然砂を噛む時代をみずからも粘菌の胞子のように渇いた原形質と化してひたすら時世に耐え、今はどこかに飛び去っているコトダマが戻って来るのを待ちかねていることを拙老は確信しています。いや、そういう「見ぬ世の友」がどこかにいると直感できます。

思えば、文学の相場が下がった時代  雑書の多量販売とおおむね反比例します  は何度もありました。江戸時代だけに話をかぎっても、天明のピークの後、文化文政・天保・幕末と尻下がりが続きますが、やがて明治の文芸興隆期を迎え、戦争の時代に低迷し、また戦後文学の開花期を迎えました。逆説的になりますが、文学が「丈高く」なるには、前世代の人々が浸っている文化的現状に絶望し、呆れ果て、コリャイカンと気を引き締めるのが前提であるような気がします。してみれば、近い将来のスッテンテンにも、あたかもある種の貝殻成分のうちに真珠が育まれ、地底の岩層のすさまじい重圧がダイヤの原石を結晶させるかのように、環境整備の意味があるのかも知れません。

③最後に、拙老が大学勤務時代に接し、その後も何かとつきあいのある、いわゆる「教え子」たちのグループがいます。前後35年間一つの大学にいたわけですが、今振り返ってみると拙老はあまりいい先生ではなかったように思います。そもそも拙老は学問を教えるのが苦手でした。本を読めば覚えられることをワザワザ教室で習う必要はあるまい、というのが拙老のスタンスでした。当ての外れた昔の学生さんたち、ゴメンナサイ。そのかわり拙老はおよそあらゆる文学の根底にある「情感」を力の及ぶ限り伝えて来たつもりです。「情感」とはすぐれた文学を読んだ時、心の底から駈け上がって全身を揺さぶる、ナマモノの感動のことです。文字通り「動かされる」のです。幸福感・達成感・満足感のきわみにふと兆す「かなしさ」だといっても構いません。(「かなし」という日本語を語根的底層にさかのぼってみると、たんに悲哀を意味するだけでなく、親愛・愛惜・感慨といった領域まで幅広い意味成分を持っています。民俗学者によれば、稀少・珍奇の語義もあるそうです。)

もちろん拙老は「教え子」の皆さんに一緒に「文の防人」をやろうよ、とお誘いしているのではありません。八十面下げて「小説」をめざそうというクレージーな老翁につきあういわれは誰にもないことはよく分かっています。ですが少なくとも、旧師はかなりホンキデ現在の言語状況に危機意識を持ち、なんとか貧者の一灯を献じたいと心願を立てた八十翁であると御承知おき下さい。

終わりに、謙遜が足りないかも知れませんが、恥ずかしながら「己亥改元三つ物」をお目に掛けて、わが心意を披瀝しておこうと思います。

    発  囀りにわが耳籍さん老の春

    脇   ぬくもる潮に芽ぐむ葦牙

    三  遠干潟貝掘る人はまばらにて

どなたか第四を付けてくれませんか。場合によったら新しい歌仙に繰り込みます。しかしこれもまるで心得のない人に強制はできません。本ブログを御覧になって、老いの心意気を少しでもお感じになられるようでしたら、新設ブログ欄にどうぞ御鶴声くだされば幸甚です。桃叟敬白。

 

 

 

コメント4件

 双魚庵 | 2019.06.06 22:02

カーブのたびに変はる字(あざ)の名

と付けてみました。いかがでしょうか。あまりいつもの面子が出張るのもなんですし、あとは新規参入の方が繋いでいってくれたらいいですねえ。

 ugk66960 | 2019.06.14 22:12

投句有難う。他にも二,三句競作がありますので、いずれみなオープンにして桃叟の捌きで後を続けようと思っています。一句ごとに次の付句を公募する、という方式でどうでしょうか。

 中山敬一 | 2019.06.13 12:42

新規開店おめでとうございます。当初、「双方向」とありましたが、埠頭が分からず右往左往しておりました。このたびの澪のおかげで浅瀬に乗り上げずにすみそうです。しかし、連句の方は、遠浅の干潟から場面が町屋に変わっているやも知れず、恐縮ですが、おそまきながら駆けつけの一句。
「つれ求めてや蓑笠の翁」

 ugk66960 | 2019.06.14 22:22

投句有難う。他にも二,三句競作がありますので、いずれみなオープンにして桃叟の捌きで後を続けようと思っています。一句ごとに次の付句を公募するつもりです。

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