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笠原芳光氏を悼む

宗教思想家の笠原芳光さんが逝去されました。「偲ぶ会」にはもちろん駆け付けたかったのですが、両脚が動かず、言葉もロレツが怪しい有様なので、残念ながら欠礼させていただきました。代わりに追悼の文章を捧げます。

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笠原さんにお目に掛かった回数はそう多くはありませんでしたが、忘れがたい記憶がいろいろ残っています。こちらは確信犯的な無信仰者であり、先方はまだ信仰固き牧師さんでしたから、ぼくなどは処置なしの口だったでしょうが、不思議にウマが合いました。ぼくだけでなく、御自分の人格を慕って寄って来る人々を拒まぬ柔らかな包容力をお持ちでした。周囲に集まった友人たちも多彩でしたが、中でもはっきり記憶に留まっているのは、歌人の塚本邦雄氏を引き合わせて下さったことです。笠原さんにはつとに『逆信仰の歌』(1974)という塚本邦雄論の名著があります。無信仰でも反信仰でも異端でもない逆信仰こそ、この端倪たんげいすべからざる現代歌人を解読するキーワードであるととらえ、それを「現代の魂のアリバイ」(『眩暈祈祷書』)とすることに共感しておられます。当時のぼくはそこまで理解は進まず、ただご紹介いただいた心嬉しさを表したくて、塚本氏への賛辞をへたな狂詩に托したのを思い出します。若気のナマイキでした。前世紀のこととて字面はさほど定かではありませんが、たしかこんな風のものでした。

涼風緑陰一里。古来先人道程。文名馥郁満万。二唱三嘆想渾。(りょうふうりょくいんいちりづか、こらいせんじんどうていのもと、ぶんめいふくいくたりばんほうにみつ、にしょうさんたんそうゆうこん)

平仄ひょうそくはおろか、辛うじて韻も踏ませただけのお粗末な濫造品です。よくも臆面もなく差し上げられたものです。が、それよりも深くぼくが恥じ入ったのは、先方がぼくの無礼を咎め立てせず――臆面のなさを一喝されて当然でした――返歌として、次の一首を贈って下さったことです。

われ凌しぐ千草の庭の萩のたけ彦星を招おぐ庭の露の白玉

グウの音も出ないとはこのことでした。さっそく賢しらにも返歌のつもりで、「仄ほのつかもとこれ夢にあらざるかただかにかくに愛しむたまゆら」。一顆の珠玉に酬いるに瓦礫を以てす、とはこのことでした。

それ以来、敬愛・親愛・親近を感じる相手には、及ばずながら、「人名歌ひとのなうた」とて先様の姓と名を読み込んだ一首をお贈りするのが習癖になりました。笠原芳光さんももちろんその一人です。いつか「按手」についてお聞きした時、たわむれに額に置かれた手のあたたかさを思い出します。哀悼の短歌を三首、いかにも腰折れですが、贈らせていただきます。

おだやかさ原に群れ伏す羊らはうらら眉目みめよし満つる光に

まつろわぬ黒き子羊エホバには顔をそむけてひとり歩みき

ちち慕ふはぐれ子羊毛を刈りてはだへに匂ふ霊の官能

 

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