連俳初学ういまなびの栞
われらが「囀りに」歌仙もどうにか初折の裏を迎えました。初ウ6を公募中のところ現在3句の投稿が寄せられています。いずれも力作ですが、どこかアチャムケホイの印象を否めません。どうにかしなくちゃと思います。とはいっても、かく申す桃叟自身が筑波嶺つくばねの道にはとんと不案内、皆目かいもくドシロウトと来ていますので処置なしなのですが、むしろこれを勉学の機会として、先人の踏み分けた後をたどって歩きにくい道を進んでみようじゃないですか。
誰が作ったのか「歌仙季題配置表」なるものがあり、当「囀りに」歌仙もそれに従って36句のそれぞれに季を配当しています(「囀りに」句順表参照)。しかし参考のため連俳史に残るような名歌仙のいくつかをひもといてみると、みな必ずしも格にとらわれず、自由にのびのびとやってるようです。「春秋は同季五句去りで句数は三〜五句。夏冬は同季二句去りで句数は二〜五句。恋句は三句去りで句数は一〜三句。定座なし。ウとナオの内に各一箇所」といった細かな決まりが運用にも柔軟な幅があります。思うに、季語の配当はおおまかな目安であり、動かぬ準縄規墨ではないのです。句に季があるのは、俳語を無制限な数の語群から絶対フリーハンドで選ぶのではなく、季語の枠組みに絞り込むためだと心得ればよいでしょう。語句は限定された方が作りやすいのです。
理屈をいうより、実作に徴してみましょう。芭蕉が元禄2年に奥の細道紀行の途次に巻いた「秣まぐさ負ふ」歌仙というのがあります(岩波文庫『芭蕉連句集』、柳田国男『俳諧注釈』所収)。全36句を見る必要はありませんが、初学びの糧としてその最初の7句を掲げます。
1 秣負ふ人を枝折しおりの夏野かな 芭蕉 夏
2 青き覆盆子いちごをこぼす椎の葉 翠桃 夏
3 村雨に市の仮屋を吹とりて 曽良 夏
4 町中を行く川音に月 芭蕉 月
5 はし鷹を手に据えながら夕涼み 桃隣 秋
6 秋草ゑがく帷子かたびらは誰たぞ 曽良 秋・恋
7 もの言へば扇に顔を隠されて 芭蕉 雑・恋
今、われらの「囀りに」歌仙で連衆諸兄姉が苦吟されているのは7句目・8句目であります。7句目の「恋」には『秋」のシバリがあり、「恋」を必須とはしないが、恋を扱うなら秋の気配・気分、気色を漂わせたいものです。8句目の恋には何の制約もありません。純愛でも色情でも何でも構いません。御存分にどうぞ。
ところが、6句目倉梅子、7句目里女子はどちらも早くも「恋の呼び出し」の予感を漲みなぎらせているように感じられます。里女子に至ってはモウスンジャッタ印象です。次の8句目はタップリ秋っぽくお願いする次第です。9句目はノビノビとやれるのだから、一句ぐらいはお澄ましでいったらどうでしょうか。 了