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連俳と一句立ての俳句とはどう違うか

この前11月4日のブログで連俳と一句立ての俳句とはどう違うか」を本気で考えるとお約束しました。それというのも、この頃いくつか歌仙を興行してみて、多くの方から寄せられる投句の数々を拝見してドウモシックリコナイという印象を持ちました。皆さんそれぞれ達者なのです。しかし、こちらが期待しているのとはどこか違う。個人の巧拙以前に、連俳というものに対して大きなカンチガイをなさっているのではないか、と感じたので以下の小文を草する次第です。

拙老もこの道は初歩で、シロウトにすぎませんので、この際大先達の言から学ぶことにしましょう。以下にご紹介するのは、柳田国男が1947年に書いた「病める俳人への手紙」(『定本柳田国男全集』第7巻)の文章です。

「連歌は始めから、仲間以外の者には退屈なものと相場が決まって居りました。それがどうして又当事者ばかりには、あの様に身を忘れるほど楽しかったということが、寧むしろこの芸術の一つの深秘であります。(……)中途に誰かが才能を閃めかせて、更に一段とおかしいことを言い出して、笑わせてくれるだろうという予期のもとに、一同が句を続けて行こうとする所に、其楽しみがあったのであります。」

「当代の発句大流行、俳句には長じて居るが俳諧は丸で知らぬという類の珍現象、三冊子さんぞうしでも去来抄きょらいしょうでも、すべて発句のこしらえ方を指導する教理であるかの如く、心得た人の多くなった傾向も、一朝一夕の出来事ではな無いと思います。」

連俳(俳諧連句)は本来そしてどこまでも座の文学です。「座」というのは、もともと集団の場であり、とりわけ共同制作の場を意味します。共同といっても、一句を大勢で作るわけじゃありません。多くの句が節奏湊合して座衆を混一された雰囲気に溶け込ませるのです。

仲間との共同制作の伝統が忘れられ、一句立ての俳句(つまり後続のない「発句」ばかり)が重んじられ、俳句の主流になったのには、よくも悪しくも――柳田はもちろん「悪しくも」と見ていることは文脈から明らかです――正岡子規の俳句革新の影響です。引用した柳田の文章は、その頃はやった桑原武夫の『第二芸術論』――俳句を近代小説よりも低位に見る――を意識して書かれています。柳田に言わせれば、俳句がそんなふうに貶められるようになったのも、子規が一句立ての俳句を偏重したことに帰因します。俳句の五七五を17シラブルの最短詩型の抒情詩リリックとカンチガイさせたのです。その後、学校教育でもこの思い込みが踏襲されました。その影響は大きい。新聞・雑誌・テレビで流布するのみならず、わが桃門に集う諸兄姉にもそう信じ込んでいる向きがあるようです。

では、連俳と単発俳句とは実作上どう違うのでしょうか。

「俳諧」には初めから滑稽・可笑性・をかしみ…といった「笑い」にまつわる一連のニュアンスがつきまといますし、事実発生史的にもそれは古典和歌中の「俳諧歌」から出発しているのですから、そうした傾向を持つことは否定できません。しかし後世「笑い」への詩歌的需要は戯詩・狂歌・川柳などのジャンルに特化されて自立しました。俳語という形で詩歌言語のライセンスを得た俗語――周知のように伝統和歌では雅語以外の語彙は使用できませんでした。「蚤虱馬の尿しとする枕元」(松尾芭蕉『奥の細道』)なんていう表現は和歌ではトンデモナイことでした。こんな下卑た語彙でポエジーが表せるなどと考えていませんでした。しかし以後、俗語・卑語・日常語などが大っぴらに解禁されたのです。いたずらな上品趣味の狭い枠を取り払ってポエジーを世俗化したのです。卑俗・低俗・凡俗・流俗などは必ずしも嫌いません。俳句は川柳とはギリギリの所でカーブを切るのです。

俳句を作るのは、つまり自分自身を「俳諧化」することです。芭蕉に「見るところ花にあらずと云ふことなし」(『笈おいの小文』)という名言があります。これが「蚤」「虱」「馬の尿」を句によんだ人物の言葉だという所がミソです。この「花云云」は、現代風にいえば、ポエジーを発見するとでも言うことなのでしょうが、ポエジーは必ずしも見た目が美々しいものからでなくても得られるのです。現実を「茶にする」のは江戸文学が芸の域にまで洗練した人生スタイル――自分自身を相対化・客観視・超脱する技能――ですが、こうして生まれるのが「俳諧化」なのです。「俳諧化」はナルシシズムや我執のたぐいとは無縁です。つまり自己を「茶にする」のも「花」を発見する内の一つなのです。

さて、われらが実作ではどうなるのでしょうか。

われらふぜい――連衆の皆々様、失礼!――の俳論に芭蕉などを引き出すのは、同人雑誌の小説を論評するのにドストエフスキーを持ち出すようなものですから止めにして、ここではもう少し通俗的だった俳人・浮世草子の青木鷺水ろすいを参考にすることにしましょう。

鷺水に『若ゑびす』という俳諧手引書があり、こんなことを書いています。教えられることが多々あります。

「かいもく(皆目)なる初心の人には、笠付を以て平句をしならはせ、一句の仕立てやうを習はせ、付けはだへ(皮膚感覚?)をおぼえさせ、それも功の行きたる時、発句合はせをさせて、句作のよしあしを知らする事なり。なほ此上に歌仙・源氏四十四・五十韻・百韻・千句・万句などいふ習ひもあり。」

そして鷺水は初歩の稽古して「笠付」「前句付」などの実例をいくつか掲げています。このうち「笠付」――たとえば「ひろまりて」という上五(笠)を出題されたら「土手より外へ出るみやこ」「溝の流れも涯は海」といった七五を付けるたぐい――は、桃門連衆の諸兄姉には初歩的すぎるでしょう。鷺水による「前句付」――七七の短句を与えて五七五の長句を付けさせる――を眺めてみます。

「うらやましがるうらやましがる」

げぢげぢよ殿の妾の髪なぶれ   嫁入よめり聞く身は埋れ木の禿かぶろ

逆に五七五の長句に七七の短句を付ける場合もあります。

「見下ろした景気は絵にも及ぶまじ」

いはば潮干は海の虫ぼし  須磨をひけらす摩耶まやの宿坊

先人たちのこうした苦心の跡をわれらの実地に応用してみましょう。「囀りに」歌仙の初ウ3に択んだ湖愚子の「押しボタン流し目に見る同じ階」の長句を前句にして、七七の短句を付けてみたらどうでしょうか。「囀りに」句順表12参照。

折よく句順は「雑」ですから季題の制約はありません。この日常世界の一情景が序曲・イントロ・弾み・呼び水・引き鉄・見せ金等々、呼び名は何でもよいが、一つのきっかけになって心に浮かばせてくれる新しい境地をを短句にしてみて下さい。 了

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

コメント2件

 湖愚 | 2019.11.25 20:19

翁に倣い、アルバイト先の二人をつかまえ、歌仙を始めました。亭主の風格ある発句から始めたのですが、次に長句(俳句)をつけるやら意味不明のものが続くやら、テンヤワンヤですが、なんとか続けていけそうです。この連俳も早く次を付けていただかないと、前句の作者である小生が参入できません。委細は捌き手に任せて、コメントは句だけでいいと思います。どう展開していくのか、早く続きが見たくてうずうずしています。

 ugk66960 | 2019.11.26 11:20

新規に歌仙を始められた由。大いに結構。斯道の発展に奮闘努力されたし。されど自作への付句を催促するなど湖愚子は相変わらず自信家なり。まず、付けやすい句を作るのが先決問題ならずや? 一方、連衆諸兄姉の方にも、どんな前句であろうと付句を考える創意、というより親切心、ことによったら義侠心の如きものがあってよいのではないか。なお、拙老の次回ブログを見られたし。

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