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わが「終活」(1) 付 『昭和昔話集』1

むだばなし。『昭和の劇評』:さるにても昔の劇評家はうまかった。昭和の昔、守田勘弥(喜の字屋)というそこそこの役者がいた。ある時『寺子屋』の松王丸を演(や)ったことがあって評判になった。当人も一世一代の大舞台だと思っていたらしい。公演が始まってすぐ、新聞に芸評が載った。「舞台に源蔵が二人出て来たようだ」。――最近、次期首相をめざして何だか色っぽくなった菅さんを見ていて、ふと思い出しました。(『昭和昔話集』1)

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日頃冗談で拙老には135歳までの寿命があると称している桃叟ですが、回りの人々からあまり信用してもらえません。リアルに物を考えろ、いつまでボケずにいられるか分からないぞということらしいです。たしかに用意は周到な方がよいので、確実に品質維持が保証できる期間をさしあたり85歳まで、あと2年半と見積もることにしました。85になってまだ元気だったら、次に90になった時のことを考えれば済むことです。

『不思議の国のアリス』のルイス・キャロルが一人の少女へ宛てた手紙に、「老人には、死ぬことの他にいくつかやることがある」と書いています。桃叟老人にも「いくつかやる」べきことは残っていますが、その一つはさしずめ拙老なりの「終活」でしょう。あんまり好きな言葉ではありあせんが、流行語として定着下様ですから仕方がありません。昔風にいえば「一生の総括」です。ソウカツという言葉の響きに何となく鬱屈を感じるのはこの世代だけなんでしょうカネ。

拙老も齢よわい83歳を数え、連れ合いには先立たれ、子孫の係累はなく、同年配の旧友は目減りし、今は天下晴れて自由気ままな身の上です。もうそろそろ、何の気兼ねも忖度もなしに、自分がこの決して短くない歳月を何に熱中して生きて来たかを回顧してもよい時分だと思うのです。年を取ると顧みたり、回想したりする時間の量がやたらに増えます。泣いても笑っても、80何年という歳月が流れてしまったわけです。一生の出来事が一度に見える「パノラマ視現象」なんてのも現れるそうですが、今のところ起きていません。

しかし桃叟といえども、ただ漫然と生存していたわけではなく、そこには一筋の水脈がありました。二十世紀の間じゅう、多くの人々をその圏外に引き留める引力を持ち続け、その限りで強く支配したマルクス主義とのわれながら不可思議なつきあいです。この関係性――あえて関係とはいわない――を既存の言葉でいうのはなかなか難しい。帰依・信奉・親炙しんしゃ・友好…どれも違う。どこかに緊張を孕んだ共生の関係は、やはり「つきあい」とでもいうのがいちばん適切のように思います。

何だかんだいっても、結局少くとも5年ぐらいは「同棲」したわけだから、今更知らんぷりはできないし、またする気でもありません。輝かしい経歴などではなく、しくじり・恥・オッチョコチョイ・不調法・不体裁なことばかりがやたらに思い出されますが、それは決して自虐形態をしたナルシシズムではありません。今にして思えば、それは結局、当のマルクス主義本体がひっかぶった危機に由来する「不具合」の』個々の現れだったのではないのでしょうか。

というようなわけで、廿世紀後半から廿一世紀にかけての時代に生き合わせた年代層にとって、マルクス主義との思想的な差引勘定をきちんと「精算」を付けることには、どこやらヤヤコシイ男女関係を清算するような七面倒くささが付きまといます。昔の言葉でいえばショウモウなのです。とても1回や2回のブログにチョコチョコと書いてお茶を濁すわけにはゆきかねます。――次回以後、もっとゆっくり時間を掛けて、必要だったら私的体験も材料として――間違っても自叙伝風にではなく――語りまぜつつ、記述して行こうと思う次第です。 (続)。

 

 

コメント1件

 渡辺喜一郎 | 2020.09.22 18:04

続編が楽しみです。小生も72歳となり、まだ若いと言われればそれまでですが・・・。先生に初めてお会いしてから40年になります。

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