toggle
桃叟だより

[皆さんの声をお聞かせ下さい――コメント欄の見つけ方]

今度から『野口武彦公式サイト』は、皆さんの御意見が直接読めるようになりました。ブログごとに付いている「コメント欄」に書き込んでいただくわけですが、
同欄は次のような手順で出します。

トップページの「野口武彦公式サイト」という題字の下に並ぶ「ホーム、お知らせ、著作一覧、桃叟だより」の4カテゴリーのうち、「桃叟だより」を開き、右側サイドメニューの「最新記事」にある記事タイトルをどれでもダブルクリックすれば、その末尾に「コメント欄」が現れます。

そこへ御自由に書き込んでいただければ、読者が皆でシェアできることになっています。ただし、記入者のメールアドレス書き込みは必須ではありません。内容はその時々のブログ内容に関するものでなくても結構です。

ぼくとしては、どういう人々がわがブログを読んで下さっているのか、できるだけ知っておきたいので、よろしくお願いする次第です。以上

桃叟お披露目三題

⑴『令二冬六吟半歌仙』首尾よく満尾お披露目。

10月1日にスタートしたこの半歌仙はテンポよく進み、このたび11月16日に満尾完結致しました。連衆諸兄姉の精進いちじるしく、ご勉強の様子が窺われます。だんだん連句がルコト一句立てとは違う「対話」であることの呼吸が呑み込めてきたようです。満尾3句を紹介します。

港の端は鯛網干したり        熊掌
昼は嵯峨夜は祇園の花を見て  三山
ワラビタラの芽山里豊か       綺翁

なお全句に御興味がおありの向きはご参照。令二冬六吟半歌仙句順表

⑵なお12月6日に予定していた「令二冬」満尾記念の集まりは、コロナ情勢の全国的悪化のため、残念ながらしばらく延期します。

⑶第3回興行は、『令二歳暮六吟半歌仙』と名付け、11月21日発起として挙行します。連衆6人は変わりなし。句順は多少入れ替わりますが、明細は令二歳暮六吟半歌仙句順表 を参照のこと。蘭々・里女の二子に正客・脇をお願いします。よろしく。

2020-11-11 | 日暦, 桃叟だより

昭和昔話集6――ウズラは何と鳴くか?

昭和56年(1981)に世を去った伴淳三郎というコメディアンがいた。「バンジュン」という愛称の方がよく知られている。いろんなギャグを作ったが、中でもいちばんウケたのが「アジャパー」というセリフだった。驚きと困惑を表す感嘆詞だそうだ。バンジュン扮する人物が困り切って天を仰ぎ、こういって両腕を広げる。この仕草が江湖に大流行して、三歳の童子までが「アジャパー」とやって周囲を笑い転げさせたものだ。(写真派はウイキペディアによる)

たしか1975年に、アメリカ東部の大学で日本古典を教えたことがある。学生は非常に優秀で、『伊勢物語』などをけっこうよく読む。百二十三段の深草の女の歌に「野とならば鶉となりて鳴きをらむ狩にだにやは君は来ざらむ」という有名な歌がある。なんとか無事に切り抜けたと思っていたら質問が出た。「そのウズラはどう鳴いたのですか」。予期せぬ質問だった。たじろいではならない。まことしやかに答えた。「深く茂った草叢に身をひそめて、ポーオ、ポーオと鳴くのです。」

しばらくして帰国したら、日本では辞書に音声が付くようになっていた。「鶉」の項で鳴き声を聞いたら、なんと「アジャパー」だったではないか(広辞苑)。

2020-10-31 | 日暦, 桃叟だより

「令二冬六吟半歌仙」スタート 昭和昔話集5

さきの「庭玖追善六吟半歌仙」が快調に満尾しましたので、「鉄は熱いうちに打て」という諺 どおり、暇を置かずに次の「令二冬六吟半歌仙」をスタートさせます。名称は令和二年冬期の歌仙興行という意味です。しばらくは 回転の早い、四季順繰り起こしの半歌仙を続けます。

前回とは連衆メンバーが多少入れ替わります。東国の三山子を客に迎え、新人の倉梅子が加わり、桃叟と碧村子は後見に控えます。これで「俳友グループ」の面々が一通り顔を揃えたことになります。

ちょっと心配ですが、まあ始めてみましょう。「俳友グループ」の皆さんには投句が治定し次第、それを記入した「句順表」が届きます。


昭和昔話集6:「焼酎の身分上昇」

年を取るといろいろ新奇なことに出食わすものだが、近年びっくりしたのは焼酎の地位がえらく向上したことである。一昔前まで焼酎は、こういっちゃナンだが、あんまり柄のよい酒ではなかった。ふううの酒席に顔を出さなかった。早い話が、背広を着る人間の飲む酒では なかったのである。明らかに、酒には酒の「身分」があって、焼酎はだいぶ下の方だった。

場所はたいがい縄のれんの赤提灯で、バーやスナックにはまず置かれなかった。昔、「赤旗の歌」の替え歌に、♪民衆の酒ショウチュウは、安くてまわりが速い、 焼き鳥固く 冷えぬ間に、 血潮は顔を染めん」というのがあった。今じゃ誰も歌うまい。拙老などは女子学生がチューハイなどを注文するのに目を剥いたものだが、それも今は昔だ。

前世紀の末から『季刊iichiko』というから文化雑誌が発行されている。聞く所によれば、スポンサーは麦焼酎「いいちこ」を製造する三和酒類株式会社だのこと。サントリーの向こうを張っているのだろうか。久しくアルコールとは縁を切っているが、その間にも文化の重心はゆっくり動いているらしい。

 

 

2020-10-21 | 日暦, 桃叟だより

「庭玖追善六吟半歌仙」満尾おひろめ

有難うございました。連衆の皆さんの御精進と御協力のお蔭で、9月29日にスタートした「庭玖追善六吟半歌仙」は、一ヶ月も経たないうちにめでたく満尾致しました。御一同が短時日で身に付けられた速吟の技倆に感服します。追善された庭玖こと故芳子――――生前連れ合いからはコンコンちゃんと呼ばれていました――――もたいへん喜び、冥界からお礼を申しております。

〽わがせこのかへりきまするやちまたのそのみちのへにまちたたずまむ

半歌仙18句の全容は添付ファイルの「句順表」を見ていただきますが,[庭玖追善六吟半歌仙句順表」参照ここでは不肖桃叟の挙句だけ紹介させていただきます。〽媼翁おうなおきなも蝶と連れ舞。畢

 

2020-10-10 | 日暦, 桃叟だより

新出発歌仙、出だし快調

コロナ騒ぎで中断状態になっていた歌仙興行をこのたび復興というより再出発致しました。何といってもまだ多くはシロウト同然の連衆、いやむしろ連中の集まりですので、あまり無理を18首で完結する「半歌仙」から始めました。初回は『庭玖追善六吟半歌仙』と名付けました。「庭玖」というのは生前テニス(庭球)が好きだった亡き芳子の俳号です。

6人の連衆には故人と面識のあった人々を選びました。今後、2回3回と半歌仙を続け、他のメンバーにも連衆に加わってもらおうと思っています。いずれ頃合いを見計らって、36句立ての本歌仙に復帰したいと望んでいますが、さていつになるやら。諸兄姉の精進が待たれます。もちろん桃叟自身も。

桃叟は、時々自分を落語に出て来る隠居老人のごとく夢想します。その閑居に熊さんだの八つんだのが出入りしてタワイのないお喋りをします。そんな集まりで五七五をひねるのですから、まあこれは熊八俳諧・雑俳歌仙とでも呼んんでおくのが分相応でしょう。みんなでウロウロしているから「烏鷺歌仙」かもしれません。

それでもお蔭様で『庭玖追善六吟半歌仙』のスタートは順調です。コロナ騒ぎで中断状態になっていた歌仙興行をこのたび復興というより再出発致しました。

それでもお蔭様で『庭玖追善六吟半歌仙』のスタートは順調です。9月29日に発足してから僅か一週間で連衆6人を一巡子、今日10月10日には早くも二巡の二人目に達しています。みな式目の要領を割と早く呑み込み、即吟のコツを身に付けているようです。このペースで進みましょう。勉旃(これつとめよ)です。

「句順表」を添付しておきます。進み具合も瞭然です。ご一覧下さい。庭玖追善六吟半歌仙句順表

2020-10-05 | 日暦, 桃叟だより

昭和昔話集』4: 「政治家と学者」

昭和20年代に吉田茂というワンマン首相がいて、日米単独講和を結んだ時それに反対して全面講和を唱えた学者たちを「曲学阿世きょくがくあせいの徒」と」罵った。しかし大学教授の身分に障りが出るようなケチなことはしなかった。だいたい学者なんて者は、現実政治の役に立たないに決まっている。「享保改革」を断行した徳川八代将軍吉宗が大儒荻生徂徠おぎゅうそらいと会見して「さてさて、儒者とはまことにタワイのない者じゃ」と嘆いたことはよく知られている。

そういえば昔、コナン・ドイルのシャーロック・ホームズ物でこんな作品を読んだことがある。題は忘れたが、資産家の富豪貴族が急死する話だった。死因に疑惑があってホームズの出番になるわけだが、名探偵の眼力は一目で犯人を見抜く。もと執事をしていた男だった。あるじを毒殺して当主に成り済ましていたのである。なぜわかったか。思わず家具の塵を払ってしまう無意識の動作を見逃さなかったのだ。人間、身の丈に合わないことはやるとすぐわかる。

連句グループ復活 『昭和昔話集』3

『昭和昔話集』3:「タンカは死なず」

評判のテレビドラマ『半沢直樹』の最終回は視聴率が34.75%と最高だったそうだ。この高人気はどこから来るのだろうか。おそらく主人公が「三人揃えて千倍返しだー」と胸のすくようなタンカを切る場面だろう。

たしかに、今までじっと忍耐し、我慢に我慢を重ね、溜まりに溜まった鬱憤うっぷんを一度に吐き出すシーンは痛快だ。視聴者はこのタンカを待ちかねていたのである。日頃、勤め先の上司の専横・独善・無理解などに悩まされ、半沢の立場に深く感情移入し、ストレスを溜め続けていた多くの視聴者が主人公にすっかり自己同化できる場面だった。しかしその大ウケは、主人公半沢および堺雅人という主演役者の人気以上に、タンカを切ることそのもののうちに用意されていたのではないかという気がする。

歌舞伎の舞台では、日頃頭の上がらない相手に威勢よく悪態をつく場面は一幕のハイライトであり、見せ場であり、タンカ(啖呵)は一種の口上芸であった。見物客は舞台で啖呵を切る爽快感を共有する、いわばそれに共同参加するために芝居小屋へ足を運ぶのである。現代日本でテレビの視聴者が画面に釘付けになるのも同じことだ。

ここでは芸の様式がまずあって、それから筋書が来る。見たいのは半沢直樹よりもむしろ半沢の啖呵場なのだ。だからこの場面では、もともと歌舞伎仕込みの澤瀉屋中車の顔芸が生きる。さすがに「赤っ面」ではないが、さんざん悪役で揉まれた苦労が凄みとして滲み出る。堺雅人のマスクはいまだ白塗りで甘い。政界の黒幕を演じた柄本明も、ラストの土下座で悪役が「半道化」になってしまった。尾。

*       *      *     *

「庭玖追善六吟半歌仙」への参加お願い

長らくお待たせしました。連句の興行が時疫のせいでずっと中断していましずっとたが、このたびやっと復活する運びになりました。この際思い切って粧いを変えて新しくスタートし直してみるつもりです。「囀りに」歌仙を15句目で中断するのは残念ですが、考えてみればうまくいかなかった原因がいくつもあります。

一つには、興行の運び方として「出放題」にこだわったこと。歌仙の運営は、各句ごとに連衆すべてが付句を投ずる「出放題」とあらかじめ定まったメンバーが決まった順序で代わる代わる句を付けて行く「膝送り」とに大別され、「膝送り」には両吟・三吟・四吟・五吟・六吟などがありますが、「囀りに」歌仙では「出放題」にした結果、連衆が多過ぎ、めいめいが「誰かがやるだろう」といわゆるお見合い状態になりがちでした。それに捌きの桃叟が自分の個人的な好みを押しつけたキライもあります。そんなこんなで反省点しきりです。

これからは付句に小むずかしい注文は付けません。まあ「雑俳歌仙」とでも言った気持で気楽に行きましょう。「季」と式目さえ守れば、後は何でもOKです。

今回は、連衆6人の六吟半歌仙(18句)でひとまず再出発することにしました。多少トップダウンの気味がありますが、御勘弁下さい。

順序と配分は添付ファイルで送る「句順表」の通りです。人選に不満がおありかもしれませんが、本興行の趣旨は「玖庭追善」にありますので、亡妻芳子――テニス(庭球)が好きだったので俳号は「玖庭」です――、故人と顔見知りだった人々を揃えました。この「六吟半歌仙システムがうまく行くようだったら、次回以後はどんどん顔ぶれを入れ替えて進めてゆくつもりです。連衆に指名された諸兄姉のご協力を願います。

さしあたり「文音ぶんいん」方式で進めます。順番に御投句を桃叟宛てにお送り下さい。不肖桃叟が書き留めさせていただき、「句順表」にも書き加えます。ではまず脇句の碧村子からお願いします。庭玖追善六吟半歌仙句順表

追慕連作拾遺

 

黄薔薇に囲またキツネの子

〽事あらば今来んとこそ語らひねありか告げてよ魂たまの憑りしろ

亡妻追慕連作

9月25日には御存知の社会事情から「偲ぶ会」に集まることはできませんでしたが、故人をよく知る人々から御追悼をいただきました。有難うございました。ただただ感謝あるのみです。芳子は黄バラが好みで、ピンクの花はダイキライでした。あの世でも好き嫌いを通していると思います。

以下は、亡妻を追慕する腰折れの幾首かです。

〽空耳に朝よと告ぐる声のして見れど主なき去年こぞの臥し床

〽一年は夢のうちにぞ過ぎにけるかくても人は永らふるもの

〽駆けめぐる野にも山にも跡なくて狐失せにし猟夫さつのつれづれ

〽秋深し日ごとにまさる老いらくのボケとワスレといづれ友なる

〽八十年やそとせを妹と過ごせし津の国の風は光りぬ草は歌ひぬ

〽津の国の産土うぶすなを掘るその昔丘に埋めたる恋の碑いしぶみ

以下割愛

2020-09-23 | 日暦, 桃叟だより

わが「終活」(2) 付 『昭和昔話集』2

むかしばなし2。『いよっ、澤瀉屋(おもだかや)ア』:                                                        あちこちでよく話題になるので近頃評判のテレビドラマ『半沢直樹』を見てみた。面白かった。脇役を澤瀉屋系の歌舞伎役者連がガッチリ固めているのが心嬉しい。とりわけ市川中車(香川照之)がが達者だ。サアサアサアと息も継がせず詰め寄る「繰り上げ」の台詞回しなどさすがに堂に入っている。この芸が相手に食われまいと張り合う主役の「倍返しだー!」というキメゼリフを引き立てている。来週の大詰めで主役の演技がどうすれば「新劇調のスローガン絶叫」に終わらないかが演出の見どころだろう。楽しみにしている。

:::::::::       ::::::::         :::::::       ::::::::         :::::::

わが「終活」(2)――――同年配の人口がどんどん目減りしてゆくので、最近では老生の名が人々の口の端に上ることはほとんどなくなったようです。現にこのブログを定期的にクリックして下さる読者の数は12人そこそこです。テレビタレントのSNSに「いいね」が10万集まるのに比べるとまったくのお笑い草です。

しかし、老生はこういうことには慣れています。1957年には数百人しか集まらず、届けに行った警察署から冷やかされるほど貧寒だったデモが、1960年には5万に膨れ上がり、お巡りさんをキリキリ舞いさせた光景が目に焼きいています。信念が揺るがぬ限り、人々はまた寄って来るものです。

まあ桃叟個人のことはどうでもよろしいが、どうでもよくないのは桃叟をこういう運命に誘い込んだマルクス主義思潮の問題です。桃叟だけのことではない。極端にいえば、全世界人口の半分以上、二十世紀人口の大部分が影響を受け、日々の生活に有形無形の影響を蒙っているこの思想は、たんによく言われる「青春のハシカ」として済ませられる問題ではありません。

この際、「マルクス主義とは何か?」といった問いかけは、思想史事典にゆだねましょう。たとえば「マルクスとエンゲルスが創始した思想体系であり、しばしば科学的社会主義と言われ、資本の私有を廃止し、社会の共有財産に変えることで、階級のない協同社会をめざす」(ウイキペディア)といった概念的な説明にあまり意味があるとは思えません。問題の焦点はどこまでも「桃叟個人にとってマルクス主義体験が何であったか」にあります。そしてこの課問は、少くとも廿世紀全般にわたって投企され費消された幾多の青春がこぞって発しているはずのものです。 続く。

 

 

 

1 2 3 4 5 16