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桃叟だより

[皆さんの声をお聞かせ下さい――コメント欄の見つけ方]

今度から『野口武彦公式サイト』は、皆さんの御意見が直接読めるようになりました。ブログごとに付いている「コメント欄」に書き込んでいただくわけですが、
同欄は次のような手順で出します。

トップページの「野口武彦公式サイト」という題字の下に並ぶ「ホーム、お知らせ、著作一覧、桃叟だより」の4カテゴリーのうち、「桃叟だより」を開き、右側サイドメニューの「最新記事」にある記事タイトルをどれでもダブルクリックすれば、その末尾に「コメント欄」が現れます。

そこへ御自由に書き込んでいただければ、読者が皆でシェアできることになっています。ただし、記入者のメールアドレス書き込みは必須ではありません。内容はその時々のブログ内容に関するものでなくても結構です。

ぼくとしては、どういう人々がわがブログを読んで下さっているのか、できるだけ知っておきたいので、よろしくお願いする次第です。以上

2020-10-21 | 日暦, 桃叟だより

「庭玖追善六吟半歌仙」満尾おひろめ

有難うございました。連衆の皆さんの御精進と御協力のお蔭で、9月29日にスタートした「庭玖追善六吟半歌仙」は、一ヶ月も経たないうちにめでたく満尾致しました。御一同が短時日で身に付けられた速吟の技倆に感服します。追善された庭玖こと故芳子――――生前連れ合いからはコンコンちゃんと呼ばれていました――――もたいへん喜び、冥界からお礼を申しております。

〽わがせこのかへりきまするやちまたのそのみちのへにまちたたずまむ

半歌仙18句の全容は添付ファイルの「句順表」を見ていただきますが,[庭玖追善六吟半歌仙句順表」参照ここでは不肖桃叟の挙句だけ紹介させていただきます。〽媼翁おうなおきなも蝶と連れ舞。畢

 

2020-10-10 | 日暦, 桃叟だより

新出発歌仙、出だし快調

コロナ騒ぎで中断状態になっていた歌仙興行をこのたび復興というより再出発致しました。何といってもまだ多くはシロウト同然の連衆、いやむしろ連中の集まりですので、あまり無理を18首で完結する「半歌仙」から始めました。初回は『庭玖追善六吟半歌仙』と名付けました。「庭玖」というのは生前テニス(庭球)が好きだった亡き芳子の俳号です。

6人の連衆には故人と面識のあった人々を選びました。今後、2回3回と半歌仙を続け、他のメンバーにも連衆に加わってもらおうと思っています。いずれ頃合いを見計らって、36句立ての本歌仙に復帰したいと望んでいますが、さていつになるやら。諸兄姉の精進が待たれます。もちろん桃叟自身も。

桃叟は、時々自分を落語に出て来る隠居老人のごとく夢想します。その閑居に熊さんだの八つんだのが出入りしてタワイのないお喋りをします。そんな集まりで五七五をひねるのですから、まあこれは熊八俳諧・雑俳歌仙とでも呼んんでおくのが分相応でしょう。みんなでウロウロしているから「烏鷺歌仙」かもしれません。

それでもお蔭様で『庭玖追善六吟半歌仙』のスタートは順調です。コロナ騒ぎで中断状態になっていた歌仙興行をこのたび復興というより再出発致しました。

それでもお蔭様で『庭玖追善六吟半歌仙』のスタートは順調です。9月29日に発足してから僅か一週間で連衆6人を一巡子、今日10月10日には早くも二巡の二人目に達しています。みな式目の要領を割と早く呑み込み、即吟のコツを身に付けているようです。このペースで進みましょう。勉旃(これつとめよ)です。

「句順表」を添付しておきます。進み具合も瞭然です。ご一覧下さい。庭玖追善六吟半歌仙句順表

2020-10-05 | 日暦, 桃叟だより

昭和昔話集』4: 「政治家と学者」

昭和20年代に吉田茂というワンマン首相がいて、日米単独講和を結んだ時それに反対して全面講和を唱えた学者たちを「曲学阿世きょくがくあせいの徒」と」罵った。しかし大学教授の身分に障りが出るようなケチなことはしなかった。だいたい学者なんて者は、現実政治の役に立たないに決まっている。「享保改革」を断行した徳川八代将軍吉宗が大儒荻生徂徠おぎゅうそらいと会見して「さてさて、儒者とはまことにタワイのない者じゃ」と嘆いたことはよく知られている。

そういえば昔、コナン・ドイルのシャーロック・ホームズ物でこんな作品を読んだことがある。題は忘れたが、資産家の富豪貴族が急死する話だった。死因に疑惑があってホームズの出番になるわけだが、名探偵の眼力は一目で犯人を見抜く。もと執事をしていた男だった。あるじを毒殺して当主に成り済ましていたのである。なぜわかったか。思わず家具の塵を払ってしまう無意識の動作を見逃さなかったのだ。人間、身の丈に合わないことはやるとすぐわかる。

連句グループ復活 『昭和昔話集』3

『昭和昔話集』3:「タンカは死なず」

評判のテレビドラマ『半沢直樹』の最終回は視聴率が34.75%と最高だったそうだ。この高人気はどこから来るのだろうか。おそらく主人公が「三人揃えて千倍返しだー」と胸のすくようなタンカを切る場面だろう。

たしかに、今までじっと忍耐し、我慢に我慢を重ね、溜まりに溜まった鬱憤うっぷんを一度に吐き出すシーンは痛快だ。視聴者はこのタンカを待ちかねていたのである。日頃、勤め先の上司の専横・独善・無理解などに悩まされ、半沢の立場に深く感情移入し、ストレスを溜め続けていた多くの視聴者が主人公にすっかり自己同化できる場面だった。しかしその大ウケは、主人公半沢および堺雅人という主演役者の人気以上に、タンカを切ることそのもののうちに用意されていたのではないかという気がする。

歌舞伎の舞台では、日頃頭の上がらない相手に威勢よく悪態をつく場面は一幕のハイライトであり、見せ場であり、タンカ(啖呵)は一種の口上芸であった。見物客は舞台で啖呵を切る爽快感を共有する、いわばそれに共同参加するために芝居小屋へ足を運ぶのである。現代日本でテレビの視聴者が画面に釘付けになるのも同じことだ。

ここでは芸の様式がまずあって、それから筋書が来る。見たいのは半沢直樹よりもむしろ半沢の啖呵場なのだ。だからこの場面では、もともと歌舞伎仕込みの澤瀉屋中車の顔芸が生きる。さすがに「赤っ面」ではないが、さんざん悪役で揉まれた苦労が凄みとして滲み出る。堺雅人のマスクはいまだ白塗りで甘い。政界の黒幕を演じた柄本明も、ラストの土下座で悪役が「半道化」になってしまった。尾。

*       *      *     *

「庭玖追善六吟半歌仙」への参加お願い

長らくお待たせしました。連句の興行が時疫のせいでずっと中断していましずっとたが、このたびやっと復活する運びになりました。この際思い切って粧いを変えて新しくスタートし直してみるつもりです。「囀りに」歌仙を15句目で中断するのは残念ですが、考えてみればうまくいかなかった原因がいくつもあります。

一つには、興行の運び方として「出放題」にこだわったこと。歌仙の運営は、各句ごとに連衆すべてが付句を投ずる「出放題」とあらかじめ定まったメンバーが決まった順序で代わる代わる句を付けて行く「膝送り」とに大別され、「膝送り」には両吟・三吟・四吟・五吟・六吟などがありますが、「囀りに」歌仙では「出放題」にした結果、連衆が多過ぎ、めいめいが「誰かがやるだろう」といわゆるお見合い状態になりがちでした。それに捌きの桃叟が自分の個人的な好みを押しつけたキライもあります。そんなこんなで反省点しきりです。

これからは付句に小むずかしい注文は付けません。まあ「雑俳歌仙」とでも言った気持で気楽に行きましょう。「季」と式目さえ守れば、後は何でもOKです。

今回は、連衆6人の六吟半歌仙(18句)でひとまず再出発することにしました。多少トップダウンの気味がありますが、御勘弁下さい。

順序と配分は添付ファイルで送る「句順表」の通りです。人選に不満がおありかもしれませんが、本興行の趣旨は「玖庭追善」にありますので、亡妻芳子――テニス(庭球)が好きだったので俳号は「玖庭」です――、故人と顔見知りだった人々を揃えました。この「六吟半歌仙システムがうまく行くようだったら、次回以後はどんどん顔ぶれを入れ替えて進めてゆくつもりです。連衆に指名された諸兄姉のご協力を願います。

さしあたり「文音ぶんいん」方式で進めます。順番に御投句を桃叟宛てにお送り下さい。不肖桃叟が書き留めさせていただき、「句順表」にも書き加えます。ではまず脇句の碧村子からお願いします。庭玖追善六吟半歌仙句順表

追慕連作拾遺

 

黄薔薇に囲またキツネの子

〽事あらば今来んとこそ語らひねありか告げてよ魂たまの憑りしろ

亡妻追慕連作

9月25日には御存知の社会事情から「偲ぶ会」に集まることはできませんでしたが、故人をよく知る人々から御追悼をいただきました。有難うございました。ただただ感謝あるのみです。芳子は黄バラが好みで、ピンクの花はダイキライでした。あの世でも好き嫌いを通していると思います。

以下は、亡妻を追慕する腰折れの幾首かです。

〽空耳に朝よと告ぐる声のして見れど主なき去年こぞの臥し床

〽一年は夢のうちにぞ過ぎにけるかくても人は永らふるもの

〽駆けめぐる野にも山にも跡なくて狐失せにし猟夫さつのつれづれ

〽秋深し日ごとにまさる老いらくのボケとワスレといづれ友なる

〽八十年やそとせを妹と過ごせし津の国の風は光りぬ草は歌ひぬ

〽津の国の産土うぶすなを掘るその昔丘に埋めたる恋の碑いしぶみ

以下割愛

2020-09-23 | 日暦, 桃叟だより

わが「終活」(2) 付 『昭和昔話集』2

むかしばなし2。『いよっ、澤瀉屋(おもだかや)ア』:                                                        あちこちでよく話題になるので近頃評判のテレビドラマ『半沢直樹』を見てみた。面白かった。脇役を澤瀉屋系の歌舞伎役者連がガッチリ固めているのが心嬉しい。とりわけ市川中車(香川照之)がが達者だ。サアサアサアと息も継がせず詰め寄る「繰り上げ」の台詞回しなどさすがに堂に入っている。この芸が相手に食われまいと張り合う主役の「倍返しだー!」というキメゼリフを引き立てている。来週の大詰めで主役の演技がどうすれば「新劇調のスローガン絶叫」に終わらないかが演出の見どころだろう。楽しみにしている。

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わが「終活」(2)――――同年配の人口がどんどん目減りしてゆくので、最近では老生の名が人々の口の端に上ることはほとんどなくなったようです。現にこのブログを定期的にクリックして下さる読者の数は12人そこそこです。テレビタレントのSNSに「いいね」が10万集まるのに比べるとまったくのお笑い草です。

しかし、老生はこういうことには慣れています。1957年には数百人しか集まらず、届けに行った警察署から冷やかされるほど貧寒だったデモが、1960年には5万に膨れ上がり、お巡りさんをキリキリ舞いさせた光景が目に焼きいています。信念が揺るがぬ限り、人々はまた寄って来るものです。

まあ桃叟個人のことはどうでもよろしいが、どうでもよくないのは桃叟をこういう運命に誘い込んだマルクス主義思潮の問題です。桃叟だけのことではない。極端にいえば、全世界人口の半分以上、二十世紀人口の大部分が影響を受け、日々の生活に有形無形の影響を蒙っているこの思想は、たんによく言われる「青春のハシカ」として済ませられる問題ではありません。

この際、「マルクス主義とは何か?」といった問いかけは、思想史事典にゆだねましょう。たとえば「マルクスとエンゲルスが創始した思想体系であり、しばしば科学的社会主義と言われ、資本の私有を廃止し、社会の共有財産に変えることで、階級のない協同社会をめざす」(ウイキペディア)といった概念的な説明にあまり意味があるとは思えません。問題の焦点はどこまでも「桃叟個人にとってマルクス主義体験が何であったか」にあります。そしてこの課問は、少くとも廿世紀全般にわたって投企され費消された幾多の青春がこぞって発しているはずのものです。 続く。

 

 

 

わが「終活」(1) 付 『昭和昔話集』1

むだばなし。『昭和の劇評』:さるにても昔の劇評家はうまかった。昭和の昔、守田勘弥(喜の字屋)というそこそこの役者がいた。ある時『寺子屋』の松王丸を演(や)ったことがあって評判になった。当人も一世一代の大舞台だと思っていたらしい。公演が始まってすぐ、新聞に芸評が載った。「舞台に源蔵が二人出て来たようだ」。――最近、次期首相をめざして何だか色っぽくなった菅さんを見ていて、ふと思い出しました。(『昭和昔話集』1)

……      ……      ……       ……

日頃冗談で拙老には135歳までの寿命があると称している桃叟ですが、回りの人々からあまり信用してもらえません。リアルに物を考えろ、いつまでボケずにいられるか分からないぞということらしいです。たしかに用意は周到な方がよいので、確実に品質維持が保証できる期間をさしあたり85歳まで、あと2年半と見積もることにしました。85になってまだ元気だったら、次に90になった時のことを考えれば済むことです。

『不思議の国のアリス』のルイス・キャロルが一人の少女へ宛てた手紙に、「老人には、死ぬことの他にいくつかやることがある」と書いています。桃叟老人にも「いくつかやる」べきことは残っていますが、その一つはさしずめ拙老なりの「終活」でしょう。あんまり好きな言葉ではありあせんが、流行語として定着下様ですから仕方がありません。昔風にいえば「一生の総括」です。ソウカツという言葉の響きに何となく鬱屈を感じるのはこの世代だけなんでしょうカネ。

拙老も齢よわい83歳を数え、連れ合いには先立たれ、子孫の係累はなく、同年配の旧友は目減りし、今は天下晴れて自由気ままな身の上です。もうそろそろ、何の気兼ねも忖度もなしに、自分がこの決して短くない歳月を何に熱中して生きて来たかを回顧してもよい時分だと思うのです。年を取ると顧みたり、回想したりする時間の量がやたらに増えます。泣いても笑っても、80何年という歳月が流れてしまったわけです。一生の出来事が一度に見える「パノラマ視現象」なんてのも現れるそうですが、今のところ起きていません。

しかし桃叟といえども、ただ漫然と生存していたわけではなく、そこには一筋の水脈がありました。二十世紀の間じゅう、多くの人々をその圏外に引き留める引力を持ち続け、その限りで強く支配したマルクス主義とのわれながら不可思議なつきあいです。この関係性――あえて関係とはいわない――を既存の言葉でいうのはなかなか難しい。帰依・信奉・親炙しんしゃ・友好…どれも違う。どこかに緊張を孕んだ共生の関係は、やはり「つきあい」とでもいうのがいちばん適切のように思います。

何だかんだいっても、結局少くとも5年ぐらいは「同棲」したわけだから、今更知らんぷりはできないし、またする気でもありません。輝かしい経歴などではなく、しくじり・恥・オッチョコチョイ・不調法・不体裁なことばかりがやたらに思い出されますが、それは決して自虐形態をしたナルシシズムではありません。今にして思えば、それは結局、当のマルクス主義本体がひっかぶった危機に由来する「不具合」の』個々の現れだったのではないのでしょうか。

というようなわけで、廿世紀後半から廿一世紀にかけての時代に生き合わせた年代層にとって、マルクス主義との思想的な差引勘定をきちんと「精算」を付けることには、どこやらヤヤコシイ男女関係を清算するような七面倒くささが付きまといます。昔の言葉でいえばショウモウなのです。とても1回や2回のブログにチョコチョコと書いてお茶を濁すわけにはゆきかねます。――次回以後、もっとゆっくり時間を掛けて、必要だったら私的体験も材料として――間違っても自叙伝風にではなく――語りまぜつつ、記述して行こうと思う次第です。 (続)。

 

 

第二回「偲ぶ会」延期のお知らせ

来たる9月25日は亡き妻 芳子を「偲ぶ日」にあたり、今年も昨年のように皆さんにお集まりを願おうと思っていたのですが、ご存じのように時疫流行の昨今です。我らの中には 高齢者・遠隔地にお住まいの方も多く、感染を避けるため外出を避けるのが得策だと考えます。残念ながら 今年は開催を見合わせることに致しましたのでお知らせします。芳子もきっと理解してくれることと 思います。

武彦は何とか無事に鰥夫生活(やもめぐらし)をこなしています。これからはいよいよ「一生の学術」(『文会雑記』)にはもちろん到底及びませんが、武彦なりのライフワークに取りかかろうと思います。毎日の指針は、生前の芳子がぼくに寄せてくれた愛情に恥じない仕事をするだけです。遺意を果たせるかどうかあまり自信はありませんが、神棚も位牌もおよそいかなる宗教も受け付けない武彦は、今も毎日朝晩に芳子と言葉を交わして生活しています。

幸い、ガラス細工で「コンコンちゃんの結晶」といえるような置物が 手に入りましたので、これを芳子の形代(かたしろ)にして対話します。最近あるコトバに遭遇して目が開いたような気がしました。キプリングが「翼のかぶと」という歴史小説の中でローマン・ブリテンの百人隊長にこう言わせています。「戦いというのは、恋愛のようなものだ。相手がよかろうが悪かろうが、一度心を捧げればそれが最初で最後なのだ。もう一度捧げる価値のあるものなど残らない」と。その通りだと思います。

明日から、コロナで水をさされた歌仙興行の出直しその他  「俳友グループ」の再編成に取りかかるつもりです。ではすぐにまた。

 

 

 

2020-08-11 | 日暦, 桃叟だより

メソパンデミアのさなか

老懶の身には時疫も寄りつくまいとタカを括っていたら、7月27日に発熱して体温たちまち39度1分に駆け上がりました。こりゃてっきりコロナか?とびっくりしましたが、熱冷ましを飲んだら、幸いすぐに35度9分に下がり、いつも熱が出たとき天井に文字が浮かび出て見える視像も消えました。主治医の診断では腎盂炎だろうという見立てで抗生物質を処方してくれました。枯桃はウイルスからも敬遠されるようです。

人間界を見渡すと、どうやら世界の為政者は、現今のいわゆる「コロナ禍」を基本的に押さえ込み可能、つまり一過性の災厄と見なして何とか切り抜けられると段取りを付けたようです。国家指導者の間にも、ドイツのメルケル首相(危機をきちんと危機と見る)からブラジルのポワソナーロ大統領(危機意識などまるでなし)までの幅があるわけですが、それらの根底には共通してある種の奇妙な楽観が見られます。被害の度合はまちまちでも、いつかは終熄して「コロナの世界」が到来するという予想が共有されているのです。

この「楽観」は、いつか引いた人類学者ダイアモンドの「感染者は、短期間のうちに、死亡してしまうか、完全に回復してしまうかのどちらかである。そして、一度感染し、回復した者はその病原菌に対して抗体を持つようになり、それ以降のかなりの長きにわたって、恐らく死ぬまで、同じ病気にかからなくなる」(『銃・病原菌・鉄』)という超客観的で、ある意味突き放したような冷厳な指摘に裏打ちされているのですが、およそ為政者たるものが無神経にそのありのままを口にするわけにはゆきません。死ぬか回復するかはあなたの運しだいだ、ということにもなるのですから。「楽観」は現実の冷厳な側面を忘れさせ、あるいは現実から目を逸らさせ、ひどい場合には「コロナ利権」の温床になりかねないのではないでしょうか。

読者の皆さんは、次のような評語を見て、どうお感じになるでしょうか。

1.近寄るな―――咳する人に

2.鼻口を覆え―――他の為にも・身の為にも

3.予防注射を―――転ばぬ先に

4.うがいせよ―――朝な夕に

これらの評語はどれも尤も至極で、たとえ令和2年のコロナ蔓延に際して安倍内閣から布告されたものだいっても誰も否定しないでしょう。ところが実を言えば、これは大正9年(1920)2月7日、内務省衛生局がインフルエンザ猖獗のみぎりに発行・配布した「流感予防」の文言なのです。このとき印刷されたポスターの見本も残っているから紹介しましょう(平凡社東洋文庫773『流行性感冒』所収)。

 

 

 

 

 

 

 

このポスターは1920のもので、今は2020ですから、ちょうど百年経っているわけですが、してみるとわれら日本人は髪型や服装が違うだけで、どうもまったく同じことを繰り返しているみたいです。

大正8‐9年(1919‐20)にインフルエンザが大流行したした時代には、病源がウイルスであるとはまだ知られていませんでした。内務省衛生局も「『インフルエンザ』の病原問題は猶お未解決なり」と断定しています。

現代ではウイルスが発見されて、その正体は知られていますが、だからといって問題が解決したわけではありません。相手は次々と突然変化を重ねて医療で簡単に退治されるような弱点を露呈しない。このコロナ・ウイルスは、宿主が死亡したら寄生している当のウイルスもただちに死滅しててしまうことを「知って」いて、わざと非致死性の弱毒にとどまる「狡知」を示すのです。この擬人法は果たしてたんなる修辞なのでしょうか。それとも、われわれ21世紀の人類が遭遇する新しい種類の「知能」なのでしょうか。

そもそもウイルスが生物であるかどうかについても議論百出だということです。それ自体は細胞を持たず、宿主の細胞に侵入してしか増殖できない寄生体であるから、生物ではなく「生物学的存在」と呼んでおくのが適切(マシューズ『生化学』)とされているそうだが、もとより這般の事情は拙老ごとき門外漢が口を出す領分ではありません。それよりも大切なのは、このところ立て続けに人間の周辺で起きている、一見些細ながら重大なな意味を持つと実感される一連の事象に気が付くことだろうと考えます。今のような時期には、何よりもこの実感がすべてです。

メソパンデミアの世紀は、われわれ人類のみを機軸に据える発想枠を外側から大きく揺さぶっています。最大の実例がコロナウイルスでしょう。相手は生物でもないのに、「悪意」「悪知恵」としか見えない意思をもってわれわれに対抗する。繁殖の手段を取ることなく増殖する。つまりわれわれはここに「生命」とか「いのち」とかに準ずる存在物を想定せざるを得ないのです。少くとも、明らかに「亜生命」「ほとんど生命体」「いのちモドキ」のたぐいがわれら人類の近傍では連続的に繋がってひしめいている図が目に浮かびます。

こんな風に感じ始めると、日常寓目の風景も違う光に照らされて見えて来るから不思議です。

この写真は、読者の皆さんにはすっかりおなじみの恐竜山の跡地の新聞広告を転写したものです。跡形もなく開発され、広大な住宅地として売られています。これは鳥瞰写真ですが、拙老にはなぜだか上空を舞っているカラスの視点から地上を眺めたもののように思えて仕方がないのです。カラスたちは三々五々群れ集って、慌てず焦らずゆっくり羽根を動かしながら、眼下の土地は人間滅亡の後いずれ自分たちの巣になることを確信して、カアカアと呼び交わしているに違いないのです。

もっと身近な所に目を転じると、水辺にはカエルを探すシラサギがたたずみ、庭の隅にはなぜかいつも忙しげなトカゲが出没します。

 

 

一昔前までは市中あちこちに池や田があり、サギたちも多かったのですが、今ではどこかの森から川べりに飛んでくる姿はだんだん希少価値になります。トカゲたちは平和にカサコソ暮らしています。が、人間社会の情勢も反映しているらしく、ドウセ俺タチャアいつか切り捨てられるんだと、今から尻尾の色を変えているのが哀れです。 尾。

 

 

 

 

 

 

 

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