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桃叟だより

精神科医の友への手紙

かれこれ50年ほど前のことだったと記憶します。拙老は金沢大学へ集中講義に行ったことがあります。たしか題目は『谷崎潤一郎の文学」だったと思います。その時教室で熱心に聴講してくれる学生がいました。それが若き日の平井孝男君、いや失礼、平井氏だったのです。その後は互いにかけちがって、ごくたまにしか会う機会がありませんでしたが、その間にたいへん勉強され、たくさん実地を踏まれて、今は立派な精神科医になっています。

「友」と呼ぶのはいささか気が引けるのですが、最近送ってもらった本を読んでいろいろ感じることがありましたので、ご当人のご承諾を得て、同氏宛ての手紙を以下に公開させていただこうと思います。

*          *          *

平井孝男  様

御近著『精神分析の治療ポイント』を御惠投有難うございました。

全部を粗々ながら一応通読、つくづく敬服しました。貴兄は小生などにはとてもできない(尻込みしてしまう)大変なお仕事に真剣に取り組んでおいでです。小生のような物書きと違って、いつもナマモノを扱っておいでですから、書かれることにも迫力がおありです。

御著はどちらかといえば「同業者」向きに、治療のノウハウを記した専門書だと思いますのでそちらの方面は敬遠して、小生にもわかる範囲の事柄だけを話題にするのをお許し下さい。

小生が「!」と心を留めたのは、貴兄が「あらゆる精神医学の潮流は、それぞれの逆転移の結果である。またフロイド以後の精神分析が何百という学派に分かれていくのもそれぞれの逆転移を持つからである」(p.111)と書いている一文です。これは文脈によって、フロイド
以後の学者のフロイド学説に対する逆転移と読めるように思いますが、それでよろしいか?

それならば、ユングのフロイドとの訣別という重要な出来事も「逆転移の一ケース」と解釈できるわけですね。そもそも転移は「治療者に対する感情の総体」(p.80)と定義されていますから、二人の決裂の出発点には、「始めに感情ありき」的な根底があったといえるのではないか。

小生は、貴兄がいかにも現役の精神科医らしく「感情」を重視し、治療者ー患者のアナロジーでフロイド=ユングの師弟関係をとらえておいでなのを面白く(失礼!)拝読しました。

実は小生最近、『鴎外五人女』という小説を書いた機会にユングを少々勉強、例の「元型」説に多少かぶれている所だったので、貴説に特別興味を持ったわけです。

他にも尋ねたいこと、確かめたいこと、疑問、感想などいろいろあるのですが、なにぶんメールのこととてそう長くは書けません。もし貴兄のご賛同があれば、小生のホームページにこの続きを書きたいのですが、いかがなものでしょうか。ここまでのメールもこのまま(もちろん必要な補正を加えて)転載したいのですが許可していただけるでしょうか。右、お尋ね致します。        野口武彦 拝

*          *         *

以下の文章は「尋ねたいこと、確かめたいこと、疑問、感想」についての付け足しです。色々ありますが、今回はさしあたり「感想」だけを申し述べることで御勘弁下さい。

御著の中で、拙老の心に留まった言葉が3つ(正確には3ヶ所)あります。

①貴兄が治療原則として打ち出されている「波長合わせと共同作業」(p.5)という視点。

②「逆転移」を独創的に――あるいは自己診断として?――「治療者の業の深さ」(p.108)と規定していること。(「我と好きこのんで修羅場に踏み込んで行く人間」だそうです。よくわかってらっしゃる!)

③そこから、人間の本性についての、慨嘆にも似た剔決てっけつが下されます。「直りにくいのは人間の本性」であり、「現実には完治はありえず、人間は永遠の寛解かんげ」であり、「治療とは一種の理想型」(p.252)であるのです。

この言や佳し。大いに我が意を得ました。なぜなら拙老近頃、自分の未成年性は死ななきゃ直らない、不可完治の「未成年病」とでもいわなくてはならないのじゃないかと思っているからです。まあ当分の間は、貴兄の被治療者になる気遣いはないと思いますが、老年のこととてわが人生はこれからどう転ぶかわかりません。

拙老は今後人生のアディショナルタイムをずっと慢性の寛解状態で過ごすことになるでしょう。何か起きた場合にはなにぶんよろしくお願い致します。     不一

 

 

 

 

 

 

時間の心象 岩井画伯の画業

岩井康頼ホームページ より

www.google.co.jp/org/wiki光円錐 より

かれこれ30年ほど前、岩井康頼氏の個展カタログに拙文を草したことがあります。その後長い歳月の間に、画面全部の記憶は薄れましたが、ただ一つ、鮮明に覚えているイメ-ジがあります。遠い地平線の上に、高く、広い空を悠々と飛んでいる大きな蜻蛉の姿です。もちろん、現実には見かけない種類です。勝手に「古代トンボ」と名づけました。

最近、岩井画伯から送っていただいた展覧会「円環する風景2018異界への旅」のカタログにあったのが、上に一部を拡大してげている作品です。「円環する風景――水と墓標」と題されています。タイトルからすると、この台形をしたオブジェは、画面全体にひろがる暗い水面を浮遊している物体なのかも知れませんが、拙老の関心は台形の最下層にいる何やら得体の知れぬモノたちの姿にあります。

手前のいちばん目立つ所で寝そべっているのは、バッタみたいです。同じ層にあるヒトデやらエビの殻やら変に小さい海鳥などと比べるといやに大きい。とてもこの世の虫とは思えません。これも古生代から生き延びてきたに違いありません。これをやはり「古代バッタ」と名づけましょう。30年前の古代トンボの姿は見当たりませんが、それにしても、岩井氏の心の中で、種類こそ違え始原の昆虫が生存し続けていたとは、と嬉しく驚きました。

ところで、岩井画伯のこの画像とその下に示した時間錐の概念図との間には基本的な一致があります。右はふつう「ミンコフスキー空間」と呼ばれる4次元(3次元空間+時間)時空上の超円錐の直観像を図示したものですが、この図では、われわれの「現在」が過去円錐と未来円錐それぞれの頂点が接する一点で、両円錐を縦貫する垂直線を水平に切断する平面で示されます。「現在時」は時間軸を未来方向にーーつまり上向きにーー移ってゆく動点であり、「現在地」はそれを中心として周囲に同心円状に拡がるーーその広さは光に照射される範囲で決まりますーー面積を持つわけです。

画伯の作品では、「現在」は中央にある豊麗な黄バラになっています。そこから下方の過去円錐にあたる部位に画伯独自の視覚空間が蓄積されています。最古層の古代バッタはもとより、層理にまたがってはびこる海蛇や蜥蜴も見えます。つまりこの30年間に画伯内面の時間の地層は確実に積み重ねられ、中に棲息している奇態な生類も変わらず成育していたのです! 久闊を叙した思いです。

最近、拙老には時間の姿がよく見えるようになりました。「見える」というと変ですが、視・聴・嗅・味・触といった五官の他に「時感」とでもいうべき別の感覚が開いたような気がします。画伯が絵画空間のうちに時間の視像を造形してくれたことを力強く感じます。  了

 

 

 

市原悦子さんを悼む

1月12日に女優の市原悦子さんが亡くなりました。拙老より一つ年上のご年齢でした。感慨ひとしおです。

一つ思い出すことがあります。まだ年号が昭和だった頃の話です。その時分拙老が教えていた女子学生に、お世辞のつもりて「きみは最近市原悦子に似てきたねえ」と言ったら、泣き出されて往生したことがあります。なぜだかわかりませんでした。拙老としては本気で褒めたつもりだったのです。長い間、市原悦子はわが憧れの舞台女優だったからです。

人に相談して、やっとワケがわかりました。若い女性ーー1985年に20代だった世代ーーにとって、市原悦子といったら「家政婦は見た」のオバサンだったのです。一方、拙老の脳裡にあったのは、自分がもっと若い頃、東京六本木の俳優座劇場の舞台で見た『ハムレット』のオフェリアであり、フランスの風俗喜劇『クルヴェット天から舞い降りる』の可憐な娼婦役だったのです。楚々とし、ホッソリスラリとしていました。その後テレビで有名になってから見ていません。

神戸に来てから数年後、地震前の国際会館にあった劇場の楽屋で会ったことがあります。『しんげき忠臣蔵』の公演中でした。市原さんはお軽の役でした。たしか『袴垂はどこだ』の作者、福田善之氏と一緒だったと思います。市原さんに紹介してくれましたが、他の座員たちはあまりよい空気ではありませんでした。当時はまだ、60年安保闘争の傷跡が濃厚に残っていて、若い役者連がみなブンド(共産主義学生同盟)色に染まっていました。鏡の前でメイキャップをしていた東野 英治郎ーー後にテレビドラマ『水戸黄門』で主役を演じますーーが「野口武彦か!」と吐き捨てるように言ったのを覚えています。

それでも憧れの女優に会えたので夢中になって、拙老は「いつかあなたに戯曲を書いて捧げます」と口にしたことを思い出します。市原さんは「マア嬉しい」と言ってくれました。あれから50年が経ちましたが、拙老はまだその約束をはたしていません。あの年『しんげき忠臣蔵』の頃には、その後自分が『花の忠臣蔵』を書こうとは思っていませんでした。読んでいただけたかどうか分りませんが、市原さん、これは書けずに終わった戯曲に変わる、せめてもの一本刀土俵入りで ござんす。   幕

 

 

 

 

 

 

2019-01-05 | お知らせ, 日暦

初夢二題

新年おめでとうございます。今年は平成の最後の年だそうです。平成31年(2019)己亥きがい、「つちのとゐ」です。まずは毎年恒例の年頭狂歌から。

〽津の国の芦屋の春は土の戸に猪も祝ぐ恵方萬歳 

本年もどうぞよろしく。

◯同じ夜に初夢を二つ続けて 見ました。吉例の夢始めで今年を占います。夢語りですから、言葉遣いも改まります。            (1)私は、漢文の解釈をめぐって人々と議論している。何かの研究会の席らしい。問題になっている一文には「白、*ヨメズの粟を食む」とあった。「これは『中庸』の中の文章だ」と私は言う。たしか架蔵の『日本倫理彙編』所収の本文に目加田**という学者が注釈していて、「白将軍が関東軍に令を発し云々」と解釈している、と私は淀みなく意見を述べる。

(2)どこかアメリカの空港にいる。私はちゃんとサンドイッチを用意してチェックインの行列に並んでいる。すると、搭乗を予定していたフライトの前の飛行機便が突然キャンセルされたらしく、大勢の乗客がどやどやロビイに出てくる。中にレーガン、ブッシュ、トランプが混じっていて、いきなり私からサンドイッチを取り上げ、物もいわずにムシャムシャ食べてしまう。私は憤慨して、「見ろ。これがアメリカの政策だ!」と周囲の人々に訴える。

     それにしても、夢の中の私はスラスラ言葉が出るので、ひどく嬉しい。

◯しばらく見ぬ間に、おなじみの恐竜山はこんな姿になっています。胸部と腹部はすっかり住宅群に食い荒らされ、御覧の通り、今では頭と尻尾 だけで生きています。この次お目にかける頃には尻尾が消えていることでしょう。

昨年末はだいぶ間遠になってしまいましたが、今年はこのブログの回数を多くしてゆこうと思います。何しろこのブログは一方交通なので、どなたに読まれているか、あまり確信がなかったのですが、最近ふと思いがけない方から「見ている」と知らせくれました。どこかに必ず読んでくれている人はいるものです。

もし天が拙老に85歳の齢を藉してくれたら、その年から「枯桃」と称する所存ですが、それまでにはまだ5年あります。この期間、せめて「衰桃」にならないように頑張ります。

 

よろしく刮目かつもくされたし。 了。

 

さしあたっての執筆計画

毎年愛顧していた『出版ニュース』誌が来年3月下旬号で休刊することになったそうです。人々の活字ばなれ・出版ひでりが滔々と進行していて、日本では読書文化の衰亡がかなり深刻みたいです。こういう時、拙老は昔何かの本で読んだことのあるフランスの軍人の言葉を思い出します:「わが軍の右翼は圧迫され、中央は崩壊。動きが取れない。最高の状況だ。これから突撃する。(Pressé fortement sur ma droite, mon centre cède, impossible de me mouvoir, situation excellente, j’attaque.。」 (フェルディナン・フォッシュ)

編集部から許可を頂いたので同誌への最後の寄稿を以下に転載します。

[2019年出版予定]

二月に講談社から『元禄五芒(ぼう)星』を刊行します。次の五篇を収めた小説集です。
①「チカラ伝説」
②「元禄不義士同盟」
③「紫の一本異聞」
④「算法忠臣蔵」
⑤「徂徠豆腐考」
このうち③を除くと、他の四篇がいずれも「忠臣蔵」事件に関連しており、今更ながら、この出来事がいかに大きな波紋を同時代および後世に広げていたかに驚かされます。①は色情論的、②は行動学的、④は経済理論的、⑤は法思想的な角度から、忠臣蔵問題にアプローチしています。
⑥は、徳川綱吉の時代に生きた戸田茂睡(もすい)という学者が著した江戸地誌『紫の一(ひと)本(もと)』を題材にしていますが、それはほんのとば口で、本当は、元禄の江戸の基底深くに広がる江戸の原景に立ち入ろうとした作品です。

その後二〇一九年の後半には、まだ版元は未定ですが、小説集を二冊まとめて刊行する予定です。ざっと以下のようなラインナップです。
『明治伏魔殿』
1 粟田口の女
2 銅版画家
3 巷説銀座煉瓦街
4 虎尾
5 鹿鳴
『明治奈落』
1 龍馭
2 崩し将棋
3 乙女峠のマリア
4 忠臣蔵生人形
5 維新のパガニーニ
久しぶりに幕末・維新物を揃えましたが、実をいえば「幕末」と「明治」とは一つながりに連続した時代なのです。いっそのこと「一八六〇年代日本」という切り取り方をした方がいいくらいです。社会の新陳代謝が一度に急速に、突発的に、掌を返すように、実も蓋もなく進行したので、人々はそれに翻弄されてさまざまなドラマを繰り広げました。 さて「粟田口の女」は、男運の悪い武士の娘が京都粟田口で死罪になる話。「銅版画家」は贋金作りの画師の話。「巷説銀座煉瓦街」は辣腕政治家井上馨と新聞人服部撫松との角逐の物語。「虎尾」「鹿鳴」「龍馭」の三作は似たようなタイトルを並べましたが、順に、〈虎尾の会〉を作った山岡鉄舟、鹿鳴館のセクハラヒーロー伊藤博文、脱走歩兵隊士から明治天皇の馭者になった梶原雄之助といった人物たちを主人公にします。
また「崩し将棋」は、上野彰義隊と思春期の少年少女の物語。「乙女峠のマリア」は文豪森鴎外の幼児体験、「忠臣蔵生(いき)人形」は幕末明治の見世物に見る忠臣蔵劇理解の庶民感覚、「維新のパガニーニ」は幕末動乱のさなかに渡欧した三味線師の冒険です。
ご期待下さい。

愛読していた『出版ニュース』が三月で休刊になるとのことです。大変残念ですが。今後も拙生の出版予定にご興味がおありでしたら、「野口武彦公式サイトwww,nghiko.com/」を覗いていただければ幸いです。

 

 

老い支度

拙老も行末を考えなくてはならない年齢に達しましたので、人並みに遺言書を作ることになりました。さっき公証センターから帰って来たところです。老い支度です。感慨ひとしおです。作成した書類は向う120年間保存されるとハゲの公証人さんが言いました。当方は135歳まで生存する予定だと言ったら笑っていました。ともかくこれで一段落付いたので、夫婦そろってほっとしています。

ゆうべ面白い夢を見ました。猫のDJの夢です。

夢の〈私〉は、ニューヨークかボストンか東部の大都会の郊外にある廃棄された工場跡にいました。仲間がいました。ミュージシャンのグループか何かで、新盤を売り込もうとしてうまくゆかず、やむなくこれで解散しようということになっていたようです。その建物には、持ち出す荷物を詰めたダンボールの箱がたくさん置いてありました。それぞれにレコードプレイヤーと猫が1匹ずつ入っていました。たいがいは白猫でした。猫たちは長いこと箱に閉じ込められていたので、すっかり衰弱しきっています。ろくに腰が立たず、起こしてもプレーヤーの回転盤の上に下痢をしてへたばってしまいます。

中に1匹だけ元気なのがいました。毛艶のよい黒猫です。毛皮ばかりではなく、生き生きした目をクリクリさせています。いかにも見どころのある猫なので、期待して回転盤に載せました。LPレコードが回りはじめました。猫はふり落とされまいと懸命に足を踏ん張り、レコードの溝に爪を立てます。すると、どこかのスピーカーから素晴らしいメロディが流れ出しました。題して『黒猫のブルース』。やった!〈私〉と仲間たちとは大いに満足してうなずき合いました。

どうもそれから夢は、〈私〉のミュージシャンのグループがその曲をデモテープにして音楽会社に売り込み、大成功を収めるというハッピイエンドの物語に発展したみたいなのですが、残念ながら途中で醒めてしまいました。めでたしめでたし。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2018-10-23 | 日暦, 桃叟だより

桃のいろいろ

このところずっとこのホームページを更新していなかったので、心配してくれた人がいます。お礼の気持をこめて、当方つつがなく無事でいることを御報告致します。一ヶ月ほど何も書かなかったのは、ちょっとまとめて考えてみたいと思っていたことがあったからです。いずれ書きます。今日は別の話題。

敬愛する夷斎石川淳先生に『敗荷落日はいからくじつ』という烈々たる文章があります。永井荷風への追悼文ですが、「一箇の老人が死んだ」という書出しは人を驚かせたものです。が、その内容にはわたりません。今の話題は年齢のことです。荷風の享年は80歳でしたし、夷斎先生は60歳でした。文学者の老年ということをしみじみ考えます。後輩に「一箇の老人が死んだ」などと言われたくありません。

「荷」は蓮の葉という意味だそうです。「敗荷落日」とは枯れた蓮の葉 ッパに西日があたっている光景です。これを文人荷風老残のメタファーにしたのはさすがです。

ここで僭越ながら私事になります。拙老 なまじ「桃叟」などと号したものですから、言葉に困っています。「桃」には老境を示す語がないのです。「敗桃」という熟語はありません。「枯桃」もない。「廃桃」「頽桃」「腐桃」「枯桃」――どれもダメです。どなたか良案を教えて下さい。とてもおこがましくて「仙桃」などとは名乗れません。呵々。

 

 

 

2018-09-05 | 日暦

次の作品集が刊行されます

酷暑もまだ去りやらぬうちに次々と台風が襲来します。とりわけ21号台風は間近に迫り、近来人界の消息に超然としているつもりだった拙老でさえ人が心配になったほどです。テレビは今、関西空港機能麻痺のニュースで持ちきり。大阪・神戸の被害も続々報道されています。それに比べるといかにもローカルですみませんが、芦屋の里では日頃カモが泳いでいる宮川が今回ばかりはこんな姿になりました。

 

平坦な道路のように見えるのが川の水面です。カモの親子はどこへ行ってしまったのでしょうか。

こんな天候災害騒ぎの最中に、いかにも私事めいて恐縮なのですが、ずっと懸案だった次の小説作品集が刊行されることに決まりました。タイトルは前回の『元禄六花撰』の後を承けて『元禄五芒星ごぼうせい』としました。全部で5つの作品で構成しています。

こういうラインアップです。順不同です。

①「チカラ伝説」。赤穗47士のうち、大石内蔵助の長子主税はただ一人だけ、他の義士たちと異なる扱いを受けています。元服前の若衆姿で登場する特別待遇です。少年愛という独特のエロティシズムがこの人物には纏綿てんめんとしています。このことは元禄文化を解く何かのカギになるかもしれません。

②「算法忠臣蔵」。この小説では、正伝では終始裏切者として語られる大野九郎兵衛とその子群右衛門が主役になります。赤穗五万石は、特産物である塩の直営という仕法を通じて、歴史社会が要求する重金主義の時代を先取りしていた藩社会であり、18世紀江戸の経済的時流の先駆的な役割を果たしつつあったといえます。浅野内匠頭の短慮がつくづく惜しまれます。殿中刃傷・赤穗藩取潰しの後、大野父子が次善策に腐心する姿を描きます。

③「元禄不義士同盟」。この作の主人公は歌舞伎の世界から拉し来った色悪いろあく斧定九郎です。芝居では大野九郎兵衛の息子ということになっています。本作は、鶴屋南北の『菊宴月白浪きくのえんつきのしらなみ』の趣向を借りて、密かに計画されていた討入り第2陣が大石一派の成功によって不要になり、世間から「不義士」とさげすまれたまま消えてゆく歴史の不条理を描きます。

④「徂徠豆腐考」。天下の大儒荻生徂徠が政治家として颯爽とデビューしたきっかけが、討入りに成功した赤穂義士一同の処分について鮮やかな法的裁断を下したことであったのは有名な事実です。その際、徂徠先生の思考の根本にあったのは、「あれこれの事物の具象性を切り落とした純粋に抽象的思考ができるか」という難問でした。その徂徠先生が無名の貧乏学者だった頃、近所の豆腐屋の援助で飢えを凌いだ話は落語で伝えられています。トウフをめぐる珍問答が徂徠先生に「抽象」とは何かのヒントを与えたのではないかというフィクションです。

⑤「紫の一本異聞」。一篇の主人公戸田茂睡とだもすいは国学者・歌学者などいくつかの肩書がありあすが、一番よく知られているのは江戸地誌『紫の一本むらさきのひともと』の著者としてでしょう。茂睡は徳川5代将軍綱吉の同時代人ですが、『紫の一本』は江戸に武蔵野――そこには昔ムラサキグサが豊かに野生していました――を求めて色々な地形を歩き回ります。が、幻の草はついに見つけられません。最後に足を運ぶのは小石川の幕府薬草園――現在の小石川植物園――です。さて茂睡はそこで何を見出すでしょうか。

『元禄五芒星』は来年2月刊行の予定です。  了

 

 

 

2018-08-03 | 日暦

新作を書いてみました

炎暑のせいでこのHPの更新がすっかり遅れてしまいました。いやはや、「炎夏」という言葉がただの季語では済まなくなった暑さです。そのうちに羿げいカルトが世界中に広まるかもしれません。本当に太陽を射落としたくなるほどです。暑さが苦になるなんてことは去年まではありませんでした。老齢のためでしょうか、それとも地球が狂ってきたのでしょうか。

といっても、この一ヶ月ばかりの期間、拙老は決して怠けていたのでありません。小説の新作を書くのに熱中していました。実をいうと『元禄六花撰』の刊行以後、「算法忠臣蔵」「元禄不義士同盟」「チカラ伝説」「徂徠豆腐考」「紫の一本を求めて」の5作をすでに書き上げ、これらを揃えて1冊の作品集『算法忠臣蔵』(1篇を標題作とする)の発刊を計画中なのですが、この新作は以上の作品の堆積の下から盛り上がってくる新生層のような感じです。

新作の「世界」は明治です。明治11年(1878)に「藤田組贋札事件」という大疑獄が起こりました。西南戦争に便乗してのし上がってきた商社藤田組の社主藤田伝三郎が、偽札を作った容疑で逮捕されたが裁判で無罪となり、代わりに熊坂長庵といういかにも悪人チックな姓名の男ーーこれは実名ですーーが真犯人とされて無期懲役を判決されたという事件です。真相はいまだに不明です。が後世、長庵は権力のデッチアゲで有罪にされた無辜むこの人間だとする説が根強く主張されました。その代表格は何といっても、終生反権力・反官僚の姿勢ををつらぬいた社会派推理作家の松本清張でしょう。

拙老の新作では、長庵が無罪か有罪かのを二者択一する立場を取りません。 長庵が贋金を作っていたとしても構わないのです。明治初年には、社会に出回っている通貨のうち、どれが真貨でありどれが贋貨であるかの基準自体がまだ出来ていませんでした。それを判定したのは国家権力です。しばしば恣意的でした。そんなナンデモアリの時代に或る「特技」を持っていたばかりに歴史の舞台に引っ張り出されてしまった男のドラマとして新たな物語を作りました。ちなみにタイトルは『銅版画師』です。

拙老の予感では、現代日本はもう一度明治初期の「身分社会」をやり直しつつあるように見えます。また国家規模の俗悪さを敵にしなければならないかも知れません。そういう緊張感の中で、拙老はかえってこれからするべき仕事の方向が掴めて来たように思います。  了

 

 

 

 

 

 

 

 

2018-06-29 | 日暦, 桃叟だより

九九の翁

拙老 この6月28日で81歳になりました。

81歳の賀を「盤寿(ばんじゅ)」というそうです。昔の教え子から教わりました。将棋盤い縦に9つ、横に9つの枡目がきちんと並んでいるところから、9×9=81なのでこういう由です。年を取っても井然と居住まいを保ち、物事に筋目が通っているというプラスのイメージがありますので、有難く頂戴して使わせていただきます。もっとも駒の居場所としては、9九は、左下隅にうずくまっている香車の位置ですからあまりパッとしないのも事実です。

前回のホームページ更新からだいぶ空き(5月28日以来)がありますが、この間、人界ではいろいろな事がありました。トランプと金正恩の米朝会談が実現して、少くともここ当分、世界核戦争は起こりそうもないという「安心感」が物理学でいう慣性法則のように全地球を蔽っています。何兆という人間がつく安堵の吐息はほとんど物質の堆積に似た重量感があります。地球の自転および公転にも影響しているに違いありません。

よく「世界情勢」とか「国内情勢」とかいいます。その場合「情勢」とはなんでしょうか? 「情」は心気の発動、「勢」は自然の生成(平賀源内などは「勢」を「まら」と読ませている)、要するに何者かの気力の生動なのです。人間個人には強いにせよ弱いにせよ、誰にも人それぞれの気力があります。あたかも滴る雫が集まってせせらぎになり、水流になり、小川になり、大河になり、やがて海の怒涛となるように、人間の気力もしだいに増幅され、量加され、集合されて、時として統御不能の巨大なエネルギーに転化することもがあります。

最近拙老は、情勢のこのような生態を一種の生理感覚として受容できるようになった気がしています。俗に「空気が読める」というのとは違います。そもそもその空気を大本から動かしている「何者かの気力の生動」を感じられるようになったということです。

この1ヶ月ほどの期間にはわが住居周辺の情勢もだいぶ変わりました。お知らせしなければならないのは、これまで折にふれてお伝えしてきた「恐竜ヶ丘」のその後です。まず近影を御覧下さい。かわいそうにこんな変わり果てた姿になってしまいました、頭と尻尾に分断され、なんだか甲羅のない亀のようじゃないですか。

いつもなら物見高くむらがって、緑の山をつぶす人間の愚行を呆れて 眺めているカラスたちも今日はあたりに見当たりません。今は塒(ねぐら)の山林を一時は明け渡しても、そのうち人口が激減する大情勢のもとでは、いずれあの地域もカラスの領分になると、ひそかにカアカアと快哉を放っていることでしょう。そして拙老は、近頃とみに桃仙境の住人に化そうとしている身として、どちらかといえばカラスに近い視点から人界の栄枯盛衰を俯瞰することにしています。

 

今回はもう一つ特記すべきことがありました。サッカーワールドカップ予選の日本‐ポーランド戦での、悪名高い10分間パス回しのことです。拙老はまず、「日本も玉砕しない国になったものだ!」という感想を持ちました。そりゃ戦略ですからいろいろあるでしょう。「負けて勝て」という指示がどこか高い所から届いていたのかもしれません。でもゲームに勝つ動機は何でしょうか。決勝戦に進出するだけで相当のドル収入になるそうです。まさかそんなことはないと思いますが、人界では物事がすべて「経済効果」で判定されるのが昨今の情勢なのでしょうか。 了

 

 

 

 

 

 

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