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桃叟だより

[皆さんの声をお聞かせ下さい――コメント欄の見つけ方]

今度から『野口武彦公式サイト』は、皆さんの御意見が直接読めるようになりました。ブログごとに付いている「コメント欄」に書き込んでいただくわけですが、
同欄は次のような手順で出します。

トップページの「野口武彦公式サイト」という題字の下に並ぶ「ホーム、お知らせ、著作一覧、桃叟だより」の4カテゴリーのうち、「桃叟だより」を開き、右側サイドメニューの「最新記事」にある記事タイトルをどれでもダブルクリックすれば、その末尾に「コメント欄」が現れます。

そこへ御自由に書き込んでいただければ、読者が皆でシェアできることになっています。ただし、記入者のメールアドレス書き込みは必須ではありません。内容はその時々のブログ内容に関するものでなくても結構です。

ぼくとしては、どういう人々がわがブログを読んで下さっているのか、できるだけ知っておきたいので、よろしくお願いする次第です。以上

2020-09-23 | 日暦, 桃叟だより

わが「終活」(2) 付 『昭和昔話集』2

むかしばなし2。『いよっ、澤瀉屋(おもだかや)ア』:                                                        あちこちでよく話題になるので近頃評判のテレビドラマ『半沢直樹』を見てみた。面白かった。脇役を澤瀉屋系の歌舞伎役者連がガッチリ固めているのが心嬉しい。とりわけ市川中車(香川敬之)がが達者だ。サアサアサアと息も継がせず詰め寄る「繰り上げ」の台詞回しなどさすがに堂に入っている。この芸が相手に食われまいと張り合う主役の「倍返しだー!」というキメゼリフを引き立てている。来週の大詰めで主役の演技がどうすれば「新劇調のスローガン絶叫」に終わらないかが演出の見どころだろう。楽しみにしている。

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わが「終活」(2)――――同年配の人口がどんどん目減りしてゆくので、最近では老生の名が人々の口の端に上ることはほとんどなくなったようです。現にこのブログを定期的にクリックして下さる読者の数は12人そこそこです。テレビタレントのSMSに「いいね」が1o万集まるのに比べるとまったくのお笑い草です。

しかし、老生はこういうことには慣れています。1957年には数百人しか集まらず、届けに行った警察署から冷やかされるほど貧寒だったデモが、1960年には5万に膨れ上がり、お巡りさんをキリキリ舞いさせた光景が目に焼きいています。信念が揺るがぬ限り、人々はまた寄って来るものです。

まあ桃叟個人のことはどうでもよろしいが、どうでもよくないのは桃叟をこういう運命に誘い込んだマルクス主義思潮の問題です。桃叟だけのことではない。極端にいえば、全世界人口の半分以上、二十世紀人口の大部分が影響を受け、日々の生活に有形無形の影響を蒙っているこの思想は、たんによく言われる「青春のハシカ」として済ませられる問題ではありません。

この際、「マルクス主義とは何か?」といった問いかけは、思想史事典にゆだねましょう。たとえば「マルクスとエンゲルスが創始した思想体系であり、しばしば科学的社会主義と言われ、資本の私有を廃止し、社会の共有財産に変えることで、階級のない協同社会をめざす」(ウイキペディア)といった概念的な説明にあまり意味があるとは思えません。問題の焦点はどこまでも「桃叟個人にとってマルクス主義体験が何であったか」にあります。そしてこの課問は、少くとも廿世紀全般にわたって投企され費消された幾多の青春がこぞって発しているはずのものです。 続く。

 

 

 

わが「終活」(1) 付 『昭和昔話集』1

むだばなし。『昭和の劇評』:さるにても昔の劇評家はうまかった。昭和の昔、守田勘弥(喜の字屋)というそこそこの役者がいた。ある時『寺子屋』の松王丸を演(や)ったことがあって評判になった。当人も一世一代の大舞台だと思っていたらしい。公演が始まってすぐ、新聞に芸評が載った。「舞台に源蔵が二人出て来たようだ」。――最近、次期首相をめざして何だか色っぽくなった菅さんを見ていて、ふと思い出しました。(『昭和昔話集』1)

……      ……      ……       ……

日頃冗談で拙老には135歳までの寿命があると称している桃叟ですが、回りの人々からあまり信用してもらえません。リアルに物を考えろ、いつまでボケずにいられるか分からないぞということらしいです。たしかに用意は周到な方がよいので、確実に品質維持が保証できる期間をさしあたり85歳まで、あと2年半と見積もることにしました。85になってまだ元気だったら、次に90になった時のことを考えれば済むことです。

『不思議の国のアリス』のルイス・キャロルが一人の少女へ宛てた手紙に、「老人には、死ぬことの他にいくつかやることがある」と書いています。桃叟老人にも「いくつかやる」べきことは残っていますが、その一つはさしずめ拙老なりの「終活」でしょう。あんまり好きな言葉ではありあせんが、流行語として定着下様ですから仕方がありません。昔風にいえば「一生の総括」です。ソウカツという言葉の響きに何となく鬱屈を感じるのはこの世代だけなんでしょうカネ。

拙老も齢よわい83歳を数え、連れ合いには先立たれ、子孫の係累はなく、同年配の旧友は目減りし、今は天下晴れて自由気ままな身の上です。もうそろそろ、何の気兼ねも忖度もなしに、自分がこの決して短くない歳月を何に熱中して生きて来たかを回顧してもよい時分だと思うのです。年を取ると顧みたり、回想したりする時間の量がやたらに増えます。泣いても笑っても、80何年という歳月が流れてしまったわけです。一生の出来事が一度に見える「パノラマ視現象」なんてのも現れるそうですが、今のところ起きていません。

しかし桃叟といえども、ただ漫然と生存していたわけではなく、そこには一筋の水脈がありました。二十世紀の間じゅう、多くの人々をその圏外に引き留める引力を持ち続け、その限りで強く支配したマルクス主義とのわれながら不可思議なつきあいです。この関係性――あえて関係とはいわない――を既存の言葉でいうのはなかなか難しい。帰依・信奉・親炙しんしゃ・友好…どれも違う。どこかに緊張を孕んだ共生の関係は、やはり「つきあい」とでもいうのがいちばん適切のように思います。

何だかんだいっても、結局少くとも5年ぐらいは「同棲」したわけだから、今更知らんぷりはできないし、またする気でもありません。輝かしい経歴などではなく、しくじり・恥・オッチョコチョイ・不調法・不体裁なことばかりがやたらに思い出されますが、それは決して自虐形態をしたナルシシズムではありません。今にして思えば、それは結局、当のマルクス主義本体がひっかぶった危機に由来する「不具合」の』個々の現れだったのではないのでしょうか。

というようなわけで、廿世紀後半から廿一世紀にかけての時代に生き合わせた年代層にとって、マルクス主義との思想的な差引勘定をきちんと「精算」を付けることには、どこやらヤヤコシイ男女関係を清算するような七面倒くささが付きまといます。昔の言葉でいえばショウモウなのです。とても1回や2回のブログにチョコチョコと書いてお茶を濁すわけにはゆきかねます。――次回以後、もっとゆっくり時間を掛けて、必要だったら私的体験も材料として――間違っても自叙伝風にではなく――語りまぜつつ、記述して行こうと思う次第です。 (続)。

 

 

第二回「偲ぶ会」延期のお知らせ

来たる9月25日は亡き妻 芳子を「偲ぶ日」にあたり、今年も昨年のように皆さんにお集まりを願おうと思っていたのですが、ご存じのように時疫流行の昨今です。我らの中には 高齢者・遠隔地にお住まいの方も多く、感染を避けるため外出を避けるのが得策だと考えます。残念ながら 今年は開催を見合わせることに致しましたのでお知らせします。芳子もきっと理解してくれることと 思います。

武彦は何とか無事に鰥夫生活(やもめぐらし)をこなしています。これからはいよいよ「一生の学術」(『文会雑記』)にはもちろん到底及びませんが、武彦なりのライフワークに取りかかろうと思います。毎日の指針は、生前の芳子がぼくに寄せてくれた愛情に恥じない仕事をするだけです。遺意を果たせるかどうかあまり自信はありませんが、神棚も位牌もおよそいかなる宗教も受け付けない武彦は、今も毎日朝晩に芳子と言葉を交わして生活しています。

幸い、ガラス細工で「コンコンちゃんの結晶」といえるような置物が 手に入りましたので、これを芳子の形代(かたしろ)にして対話します。最近あるコトバに遭遇して目が開いたような気がしました。キプリングが「翼のかぶと」という歴史小説の中でローマン・ブリテンの百人隊長にこう言わせています。「戦いというのは、恋愛のようなものだ。相手がよかろうが悪かろうが、一度心を捧げればそれが最初で最後なのだ。もう一度捧げる価値のあるものなど残らない」と。その通りだと思います。

明日から、コロナで水をさされた歌仙興行の出直しその他  「俳友グループ」の再編成に取りかかるつもりです。ではすぐにまた。

 

 

 

2020-08-11 | 日暦, 桃叟だより

メソパンデミアのさなか

老懶の身には時疫も寄りつくまいとタカを括っていたら、7月27日に発熱して体温たちまち39度1分に駆け上がりました。こりゃてっきりコロナか?とびっくりしましたが、熱冷ましを飲んだら、幸いすぐに35度9分に下がり、いつも熱が出たとき天井に文字が浮かび出て見える視像も消えました。主治医の診断では腎盂炎だろうという見立てで抗生物質を処方してくれました。枯桃はウイルスからも敬遠されるようです。

人間界を見渡すと、どうやら世界の為政者は、現今のいわゆる「コロナ禍」を基本的に押さえ込み可能、つまり一過性の災厄と見なして何とか切り抜けられると段取りを付けたようです。国家指導者の間にも、ドイツのメルケル首相(危機をきちんと危機と見る)からブラジルのポワソナーロ大統領(危機意識などまるでなし)までの幅があるわけですが、それらの根底には共通してある種の奇妙な楽観が見られます。被害の度合はまちまちでも、いつかは終熄して「コロナの世界」が到来するという予想が共有されているのです。

この「楽観」は、いつか引いた人類学者ダイアモンドの「感染者は、短期間のうちに、死亡してしまうか、完全に回復してしまうかのどちらかである。そして、一度感染し、回復した者はその病原菌に対して抗体を持つようになり、それ以降のかなりの長きにわたって、恐らく死ぬまで、同じ病気にかからなくなる」(『銃・病原菌・鉄』)という超客観的で、ある意味突き放したような冷厳な指摘に裏打ちされているのですが、およそ為政者たるものが無神経にそのありのままを口にするわけにはゆきません。死ぬか回復するかはあなたの運しだいだ、ということにもなるのですから。「楽観」は現実の冷厳な側面を忘れさせ、あるいは現実から目を逸らさせ、ひどい場合には「コロナ利権」の温床になりかねないのではないでしょうか。

読者の皆さんは、次のような評語を見て、どうお感じになるでしょうか。

1.近寄るな―――咳する人に

2.鼻口を覆え―――他の為にも・身の為にも

3.予防注射を―――転ばぬ先に

4.うがいせよ―――朝な夕に

これらの評語はどれも尤も至極で、たとえ令和2年のコロナ蔓延に際して安倍内閣から布告されたものだいっても誰も否定しないでしょう。ところが実を言えば、これは大正9年(1920)2月7日、内務省衛生局がインフルエンザ猖獗のみぎりに発行・配布した「流感予防」の文言なのです。このとき印刷されたポスターの見本も残っているから紹介しましょう(平凡社東洋文庫773『流行性感冒』所収)。

 

 

 

 

 

 

 

このポスターは1920のもので、今は2020ですから、ちょうど百年経っているわけですが、してみるとわれら日本人は髪型や服装が違うだけで、どうもまったく同じことを繰り返しているみたいです。

大正8‐9年(1919‐20)にインフルエンザが大流行したした時代には、病源がウイルスであるとはまだ知られていませんでした。内務省衛生局も「『インフルエンザ』の病原問題は猶お未解決なり」と断定しています。

現代ではウイルスが発見されて、その正体は知られていますが、だからといって問題が解決したわけではありません。相手は次々と突然変化を重ねて医療で簡単に退治されるような弱点を露呈しない。このコロナ・ウイルスは、宿主が死亡したら寄生している当のウイルスもただちに死滅しててしまうことを「知って」いて、わざと非致死性の弱毒にとどまる「狡知」を示すのです。この擬人法は果たしてたんなる修辞なのでしょうか。それとも、われわれ21世紀の人類が遭遇する新しい種類の「知能」なのでしょうか。

そもそもウイルスが生物であるかどうかについても議論百出だということです。それ自体は細胞を持たず、宿主の細胞に侵入してしか増殖できない寄生体であるから、生物ではなく「生物学的存在」と呼んでおくのが適切(マシューズ『生化学』)とされているそうだが、もとより這般の事情は拙老ごとき門外漢が口を出す領分ではありません。それよりも大切なのは、このところ立て続けに人間の周辺で起きている、一見些細ながら重大なな意味を持つと実感される一連の事象に気が付くことだろうと考えます。今のような時期には、何よりもこの実感がすべてです。

メソパンデミアの世紀は、われわれ人類のみを機軸に据える発想枠を外側から大きく揺さぶっています。最大の実例がコロナウイルスでしょう。相手は生物でもないのに、「悪意」「悪知恵」としか見えない意思をもってわれわれに対抗する。繁殖の手段を取ることなく増殖する。つまりわれわれはここに「生命」とか「いのち」とかに準ずる存在物を想定せざるを得ないのです。少くとも、明らかに「亜生命」「ほとんど生命体」「いのちモドキ」のたぐいがわれら人類の近傍では連続的に繋がってひしめいている図が目に浮かびます。

こんな風に感じ始めると、日常寓目の風景も違う光に照らされて見えて来るから不思議です。

この写真は、読者の皆さんにはすっかりおなじみの恐竜山の跡地の新聞広告を転写したものです。跡形もなく開発され、広大な住宅地として売られています。これは鳥瞰写真ですが、拙老にはなぜだか上空を舞っているカラスの視点から地上を眺めたもののように思えて仕方がないのです。カラスたちは三々五々群れ集って、慌てず焦らずゆっくり羽根を動かしながら、眼下の土地は人間滅亡の後いずれ自分たちの巣になることを確信して、カアカアと呼び交わしているに違いないのです。

もっと身近な所に目を転じると、水辺にはカエルを探すシラサギがたたずみ、庭の隅にはなぜかいつも忙しげなトカゲが出没します。

 

 

一昔前までは市中あちこちに池や田があり、サギたちも多かったのですが、今ではどこかの森から川べりに飛んでくる姿はだんだん希少価値になります。トカゲたちは平和にカサコソ暮らしています。が、人間社会の情勢も反映しているらしく、ドウセ俺タチャアいつか切り捨てられるんだと、今から尻尾の色を変えているのが哀れです。 尾。

 

 

 

 

 

 

 

調査にご助力下さい

いきなりダッシュボードに「PHPの更新が必要です」というアナウンスが出ました。人に相談したら意外に難物で、やり方をしくじると「サイト自体に不具合が出る可能性がある」とのことなので、当分ほっとくつもりです。特に更新しなくてもブログの機能は変わらないはずなのでこのまま行けるでしょう。そこで皆さんにお願いですが、コメント欄が生きているかどうかを確認したいのです。投稿してみてくれませんか

わがポスト・パンデミック――烏化佯仙(うかしょうせん)

お久しぶりです。世が世ですから、世の中で何か画期的なことが起きているのかと思って待機していましたが、人間社会では何事も起きていないかのように事態を処理しているみたいですので、仕方がないから自前で「ポスト・パンデミック」の世界に対処することにします。拙老の周囲でいちばん身近なのは介護の皆さんの社会ですが、ここではコロナと熱中症が同程度に危険だということで、やたら水分ばかり取らされて閉口しています。

何でも今回の時疫の特色は、無症状で強力な感染力を持つヴィールスを蔓延まんえんさせていることにあるそうです。無害に偽装する戦略ですね。ヴィールスも生き延びるために必死で、突然変異のかたちで遺伝形質を発現させているのです。人類も急いで「進化」しなくてはとても追い付きません。

とはいっても、拙老一代のうちに突然変異するのは無理ですので、せめて頭の中で想念をまとめてみようと思います。拙老が最近夢想しているのは、次の画の中の猫のようなイメージになりきることです。これは有名な『不思議の国のアリス』に出て来る《チェシャ猫」の挿絵で、御覧のとおり猫の身体を透かして葉の茂みが見えています。アリスは言います:「あれれ変だわ。笑わない猫はしょっちゅう見るけど、猫がなくて笑いだけ見えるのは初めてだわ」。http://www.alice-in-the-wonderlander/resources/pictures/cheshire-cat/

つまり、猫の肉体は消えて、笑いだけが残っているのです。具体性のない抽象的存在なのです。よく「背後に実在のないアイデア」のたとえに使われるイメージです。こんな具合に、みずからはただの無機的な抽象物と化して下界をニヤニヤ眺めながら余生を楽しんでいるのが拙生老来の日々です。

しかし物事はそううまくは運びません。一たび人間じんかんに生まれたからには、否応なく有機物が混じり込んでいて、スッキリ風化できないのです。わが東洋の伝承では「羽化登仙」といって、白い羽根が生えて鶴に化身し、俗塵を去って悠々と仙界に飛翔することになっています。死んでも完全に気化して遺骸などは残らないそうです。

これにあやかろうと、拙老も日々仙道修業に励んでいますが、芸が未熟なものですから、どうしても思うように羽化できません。できるのは「羽化登仙」ならぬ「烏化佯仙カラスになって仙人のふりをする」くらいのものです。最近この界隈で見かける烏たちにとみに親愛の感情を抱くようにありました。次の写真は、ヘルパーさんが撮ってくれたものです。

えらく自信たっぷりの顔をしています。あわてず、騒がず、ゆっくり急がずに時間を待とう。いずれ人間たちは滅びていなくなり、俺たちはこマンションの主人になるのだ、とうそぶいている感じです。写真のタイトルは「あるじ顔の烏」です。

ポスト・パンデミックの世界では、地球上のあらゆる生命体の距離が縮まり、たがいの差が狭まることです。人間と烏の差などは知れたものです。平均サイズも百何十センチメートルと何十センチかとの違いにすぎません。コロナ・ヴィールスの体長は1万分の1ミリ(100ナノメートル)程度だそうです。桁の大小が違うだけで、同じ尺度で測れる相手なのです。肉眼では見えないのですが、サイズの差を越えてその実在が確かに感じ取れます。

これからの――ポスト・パンデミックの――世界は、今まで目に見えなかった、あるいは、たんに見えないというだけの理由で無視されてきた地球上の生命存在たちがけなげに自己主張する時代が到来すると思います。生命体という有機物が細胞膜を距てて嬉々として交感し合っているのです。

そう思って眺めると、身の回りにはいろいろな生命たちがひしめいています。昆虫はみなチャンス到来と出番を待っています。

左のバッタはいかにも罪のない顔をして草の茎を囓っていますが、ケニアではお仲間が2億匹発生し、穀物を食い荒らして中近東からアジア大陸へ移動中とのことです。さしずめコロナバッタでしょう。旧約聖書の『出エジプト記』に見える蝗害の再来です。人類と微生物の体長差が物の数ではないスケールで考えれば、古代と現代の時差などはほんの一またぎにすぎないのです。

右の写真は、友人が朝の散歩で久しぶりに見かけた生きているタマムシです。嬉しそうに触角をうごめかしていたそうです。そういえば拙老も長いこと箪笥の中で干からびている死んだタマムシしか見たことがありませんでした。日が当たれば美しく輝きます。もちろん玉虫色に。今日、東京ではアラートが解除され、赤色が消えてレインボウブリッジが虹色に照明されました。本当は玉虫色なのです。 畢

2020-05-23 | 日暦, 桃叟だより

とりあえず桃叟近影

この格好にはコロナも寄りつけますまい。毎日リハビリをやって奮闘しております。

〽老い武者に強い味方が付きにけり時のえやみよ諦めて去れ

歌仙もこのところ停滞ぎみですが、近日中に立て直しましょう。次回のブログで物事をきちんと整理するつもりです。

えやみ ときのけ 老いの春

時疫はいよいよ旺盛です。人生の現役の皆さんは、めいめいの持場々々で種々ご多忙のことと存じます。拙老は、介護のヘルパーさんの他にはまず人と会うこともないので、まあ達者で日を送っています。世間に悪いみたいです。すみません。

ある人がこの機会にトーマス・マンの『魔の山』を読破すると言ってきたのに触発されて、拙老も同書を再読しました。おかげで初読時にはうっかり読み落としていた内容に気付くことができました。何歳になっても勉強することはあるものです。

この小説の舞台は、アルプスの中腹、スイスの避暑地ダヴォス――現代ではG7の会場として有名――にある富豪たちの結核療養所です。一篇は、ここに入所した主人公ハンス・カストルプが多くの人々と出会い、論争し、体験を深め、内面を豊かにしてゆく物語なのですが、拙老が今回の読み直しで改めて発見したのは、ハンスが病い癒えて下界に復帰する決心をしてから起きるいくつかの事件でした。

若い人々には分からないかも知れませんが、つい最近まで結核は死病でした。罹ったら死ぬまで治らない病気だったのです。日本の近代文学に「結核文学」「療養文学」「軽井沢文学」のジャンルが生まれたゆえんです。「魔の山」とは半死者の棲息地であり、生者ハンスが人々と交わす対話もいきおい「死と病気に寄せる一切の関心は、生に寄せる関心の一種の表現にほかならない」(第6章「雪」)という風に、いつも「死」と背中合わせでしか物事を考えられないものでした。常に死を意識して生きなければならない。ここはいつも空にmemento mori(「死を忘るなかれ」)の文字が映画のスーパーインポーズのように浮かんでいる、凡俗な生者たちが住む下界とは違う世界だったのです。

ところが、最終章(第7章)で下界に降りる時期が近付いてくると、ハンスはにわかに市民社会・実世間・生活力といった世俗的な事柄に関心を抱くようになると見受けられます。ハンスは人生に不可避的につきまとう日常性・通俗性に直面するだけでなく、これらと同和しなくてはならないことを覚悟したといえます。何が転機になったのでしょうか。「魔の山を木端微塵こっぱみじんに打ち砕き、七年間の惰眠をむさぼっていた青年を荒々しくこの魔境の外にほうり出すような凄まじい轟音」(第7章「霹靂へきれき」)でした。第一次世界大戦の勃発を告げる砲声が轟いたのです。

戦争は日常と非日常の境界を失くします。戦死・戦病死・戦災死・略奪・陵辱・飢餓・悪疫等々、不慮の死がしばしば訪れ、死はなんら非常事態ではなく、日常茶飯事になり、人間社会はそのままいわば「魔の山」化します。進化生物学者のジャレット・ダイアモンドは「人類史上もっとも猛威をふるった疫病は、第一次世界大戦が終結した頃に起こったインフルエンザの大流行で、そのときに世界で二百万人が命を落としている」(『銃・病原菌・鉄』)と書いていますが、ハンスはまだそんな人類の未来を知りません。ただこれから降り立つ世界の変容を鋭敏に予感しているのです。

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今、世界を襲っている疫病は二重の意味でわれわれに脅威をもたらしています。第一にはもちろん、コロナヴィールスが一定の致死率を保っていることに由来する即物的な恐怖感です。第二のはそれと分かちがたく結び付いている、一種いわば「世界不安」的な感覚です。疫病流行が後に残す失業増大・生活苦・金融逼迫・犯罪頻発・人心荒廃といった諸現象が総体として一種名状しがたい不吉な予感を生じさせています。最近「コロナ解雇」「コロナ離婚」といった種類の言葉がたくさんできたそうですが、それも世の不調子の現れでしょう。

そのうち第一の不安に関しては、現実の客観的な把握として、ダイアモンドの「突然大流行する感染症には、共通する特色がいくつかある。まず、感染が非常に効率的で速いため、短期間のうちに、集団全体が病原菌に感染してしまう。つまり、これらの感染症は「進行が急性」である――感染者は、短期間のうちに、死亡してしまうか、完全に回復してしまうかのどちらかである。そして、一度感染し、回復した者はその病原菌に対して抗体を持つようになり、それ以降のかなりの長きにわたって、恐らく死ぬまで、同じ病気にかからなくなる」(『銃・病原菌・鉄』)という指摘に、冷静に耳を傾ける冪でしょう。「治るか/死ぬか」のどちらかだという断言は、一見すると身も蓋もないようですが、実は大多数の感染者はそっくり生き残ってきたのがこれまでの人類史だという点にアクセントが置かれています。自分がそのどちらに属するかは「運」だと度胸を固める他はありません。

またそう覚悟することは、おのずと第二の不安をも解消するでしょう。予言じみたことをいうつもりはありませんが、今確信を持って予想できるのは、コロナ終焉の後の世界には不可逆的な変化が生じているだろうということです。

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拙老が住んでいるここ津の国でも、この不可逆的な変化がそろそろ始まっているようです。以下にお見せするいくつかのイラストがそれを物語ってくれるでしょう。病来このところ歩行は叶いませんが、幸い親切な税理士さんや介護士さんが撮って来てくれる写真で、変貌してゆく外界の姿に触れることができます。

本ブログで何度もご紹介してきた「恐竜山」は見る影もない姿になりました。昔のイグアノドンの全形は消え失せて、わすかに昔の首の部分の樹林だけが残っている有様です。これからは「烏首山うすざん」と呼ぶことにします。山は削られて造成地に区画され、やがて小綺麗なマンションが建つのでしょう。見方によってはことごとくこれ銀行ローンの物的形態なのでしょうが、それまでは申しますまい。とにかくこうした自然の丘陵山林を人口の宅地に造成する土地開発は、プレコロナ時代には「建設」だったかもしれませんが、ポストコロナ期には「破壊」のしっぱなしなのではないか。早い話が、住宅ローンを払う人間がもういないのではないか。

次の一連の動物写真は何か非常に啓示的な意味を持っているんじゃないかな? どれもある介護士さんが訪問先ならびに往復の道すがら目に留めた小景です。

左は、ある訪問先のバルコニーに作られていた烏の巣です。丹念に拾い集めた肥えだを丁寧に編んで雛たちの住処すみかを用意しているのです。あの嫌われ者の烏からは信じられないくらい健気けなげな仕事です。右の写真では、かわいらしいタマゴが三つも生み落とされているのが見えます。烏いだは自分たちの将来のために「建設」にいそしんでいるわけです。次代に備えているのではないか?

近くを流れる宮川の水には、いろいろな小動物たちが、何の拘束もなく、嬉々として日に当たっています。もちろんマスクもしていませんし、外出禁止も休業も要請されていません。

昔、セミの羽化を観察したことがあります。今の情勢によく似ています。飴色をした蛹から成虫が抜け出し、後に形だけがいやに完備した抜け殻が残ります。現代世界もこれと同じでプレコロナの外層がポッカリ外れた後にはポストコロナの成虫がもう待機しているのではないか。カラスやカモやカメはみな何食わぬ顔でその日の予行演習をしているような気がして仕方ありません。 畢

 

 

2020-04-01 | 日暦, 桃叟だより

令和わざうた(童謡)ならぬ老謠おひろめ

『日本書紀』皇極天皇2年(643)10月のことですから、古い古い時代の話です。大化の改新(645)前夜の不安定な政情のさなか世上に奇妙な童謡わざうたが流行しました。「岩の上に 小猿米焼く 米だにも 食げて通らせ 山羊やまじしの老翁をぢ」というものです。意味はチンプンカンプンですが、元は歌垣かがいの歌で、岩上に屯している若い女たちが、通りがかった白髪の老人をセメテ米グライ食ベニ寄ッテユキナヨとからかっているのだそうです。

だが実は、この歌には寓意があって「白髪の老人」というのは当時の権力闘争の渦中にいた皇族を指していて、その人物が政敵を恐れて山中に隠れた事実を諷しているということです。こういう風に、日本の古代史では何度も「童謡」が、権力者を憚って公然とは語りにくいこと、宮廷の醜聞、政治家の私行、闇に包まれた事の真相などを世に広める役割を果たして来ました。

古代社会だけはありません。それ以後の各時代も、それぞれに人々の気持を解放する手段や方法を作り出しています。中世の落書――応仁の乱時の「二条河原落書」など――が有名。江戸時代の狂歌・川柳。黄表紙に四方赤良よものあから作の『頭てん天口有あたまてんてんにくちあり」なんてお誂え向きの外題もあるくらいです。が、古代の童謡は特別ユニークです。子供になりすますというより、子供にしかない直覚的な洞見力がつらぬいているからでしょう。

もとより桃叟には少年の純真さなどありませんが、それでも陸游りくゆうの「老翁垂七十  其實似童兒ろうおうしちじゅうになんなんとし、そのじつどうじににたり」という詩句にはつくづく共感します。ましてや八十路をだいぶ過ぎたとなれば尚更です。以下の連作もそんな子供っぽさとしてお読み捨て下さい。

令和閑吟 〽なにともなやなう 人生七十古来稀 人生八十今はザラなり

耄耋ぼうてつ独吟 〽老い舌は今のわざうた心せよ亀に甲あり年に劫あり

弥生つごもり 〽明日こそはかけて聞きたし卯月鳥いつはりならぬ小夜の一声

卯月ついたち 〽嘘つくは天下御免の朝は来ぬコロナを飛ばす大法螺を吹け

三月三日紀念 〽宰相の首ぞ危ふき春の雪頃は万延コロナ蔓延   尾

 

 

 

 

 

 

時事と連句 付、『囀りに』歌仙初ウ9

どうも大変な時代に生き合わせてしまったみたいです。この3月24日現在で世界中のコロナヴィールス感染者は32万4000強、死者数は14000強。どう見てもパンデミック状態です。あれよあれよと言っているうちにイタリヤが世界一になりました。さすがデカメロンの本場です。

こんな時代には、人間の心は不思議に「先祖がえり」をするものです。誰もがたとえ半信半疑でもオハライやヤマイヨケ、ヤクヨケといった神事・仏式・両者混淆の効験に期待します。口では俗信だとか民俗的慣習だなどと言いながらも、それにあやかろうとするわけです。現に京都の諸神社には疫病の退散を祈願する「茅の輪くぐり」が飾られています。人間はおのれの不安を吹き払うために輪をくぐり、そうすることによって古い伝承の底に眠っている無意識の記憶に安息のよすがを求めるのです。

こういう御時世だから「不要不急」のことはせぬようにというオカミのお達しです。さしずめ俳諧連句のように悠長なことは自粛せよということらしい。たしかに俳諧文芸は五七五を定形とする短小な詩形からいって、あまり複雑な思惟内容を盛り込むのに向いていないし、多くを十七文字に収めることは不可能だという制約があります。正岡子規も「時事雑詠の俳句をものせんとする」のは「文学以外の事に文学の皮を被せたる者なり」(『俳諧大要』岩波文庫p.23――インターネットの青空文庫でも読めます)と一刀両断です。要するに、俳諧と時事はすこぶる相性が悪いのです。もちろん川柳の滑稽とは話が別です(p.75)。

果たしてそうでしょうか?   時事とは同時代の出来事(社会事象)の総体でしょうが、俳句のスペースではそお全貌を捉えることなどとても無理な相談です。が逆に、その短さを独鈷とっこに取って、同時代性を切り取る技法を活用することです。時代をズバリと裁断する劈開面を一語に凝縮して言い取ることです。それを一句立ての俳句(単俳方式)で実現するのは難しいでしょう。ですが、連句にならできます。何人もの連衆がすれぞれ独自の旋律・節奏・音調をもって同じ一つの時代相を発現するのです。ちょうど倉梅子の「茅の輪のイメージがたとえ無意識にでも「時疫」に対する同時代人の集合的不安を感じ当てていたように。

さて、『囀りに』歌仙初ウ9の選評にかかります。まずルール通り投句のご紹介から。

①人語して子に犬からむ垣根越し 湖愚

②御普請を仰せつかりし書状にて 碧村

③世やもろき戦火をあおる天狗風 里女

④丁寧に手洗い嗽うがい八十路入り 三山

座元としては、本歌仙のこの局面では「時疫」への不安という時事的なテーマが時代を越えて人々に共有される世界感覚に徹底的にこだわりました。それを基準にしていますから、4句に対してもしかしたら公平でないかも知れません。①は「人の話声がするので耳をそばだてたら、垣根の向こうで子供と犬がじゃれていた」という情景のようだ。まるで緊迫感なし。②は、この投句に「時疫に由来する緊迫感とはめられると窮屈なので、世界を切り替え」た旨の断りがありました。座元は「はめる」のが望みです。残念ながら意見不一致。③は、本当をいうと入選させるつもりでした。ところが「野ッ原に忘れられたる魔法瓶」などとトボケていた三山子が、突然閃いて④の「丁寧に手洗い嗽八十路入り」の一句が送られてきたので、順位が逆転してしまいました。

この句は、一見八十老人のボヤキというただの私感のごとくですが、流行り風邪を怖がる心境を言い取って、それなりに一時代の普遍的感覚を捉えているのではないか。意外に広い公共の「場」――いわば歌仙空間――に吹き抜けていると思われます。入選にします。参照「囀りに」句順表12

次は初ウ10で、雑の短句ですが、11句目および12句目が「11 花の定座(枝折しおりの花)12 折端(花の綴り目)」というふうに続きますので、この10句目はふつう「花前の句」と呼ばれ、次の連衆が花を吟みやすいように作るのが習わしです。軽い調子で、後句の色彩を奪わないようなのがいいそうです。 尾

 

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