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桃叟だより
2017-05-02 | 日暦

ネオ佐幕派史論テーゼ

先月(2017年4月)105歳の天寿を全うして他界した拙老の義母は、明治45年(1912)の生まれでした。ギリギリでも明治生まれというと、それだけでも一目置かれたたそうです。生前しきりに、最近は何の書類にも生年月日を書き込む欄に「明治」おいう年号がないといってこぼしていました。うちの荊妻もいろいろ手続きをするために市役所へ行くと、故人の生年が明治と聞くと急に応対が丁重になったということでした。「明治」の御威光はたいしたものです。

最近、テレビなどで「昭和のニオイがする」という言葉をよく聞きます。拙老などは自分のことが褒められているのか――「薫陶(くんとう)を受ける」とか「芳躅(ほちょく)を踏む」とかいうじゃないですか。両方とも香ばしいカオリのする言い回しです――と小鼻を膨らませたのが大間違い。どうやらあまり良くない意味で使われているみたいなのです。古くさい、ジジムサイ、加齢臭がするといった一連の薄汚れたニュアンスがつきまとっています。明治と昭和とにはまだだいぶ開きがあるようです。

「明治」は45年続き、「平成」の62年に記録を破られるまでは、これまでの歴代元号では最長を誇っていました。しかしこれら元号史上の1位と2位の間には大きな格差があると見られています。

なぜこのような違いが意識されるのでしょうか。昭和の評価はまだ定まらず、いまだ係争中であるのに対して、明治の方はともかくも偉大な時代だったという定評が出来上がっている事情があると思います。何しろ明治の御代は、長く世界から孤立した蒙昧(もうまい)な半未開国をわずか20年で一流の近代国家に生まれ変わらせた奇跡の年紀なのです。後世がこぞって仰ぎ見るべき聖代でした。

一般にどんな時代でも直近の過去は短所・欠陥が目立つものなのですが、明治時代には前代を軽んずる気持がひときわ強かったようです。よく引かれる例に、「天保の老人」というのがあります。「明治ノ青年ハ天保ノ老人ヨリ導カルルモノニアラズシテ、天保ノ老人ヲ導クモノナリ」(徳富蘇峯「新日本之青年」)といった調子で、まったく怖い物知らずの勢いでした。

「平成」はたぶん今年いっぱいで終わりになり、次の元号がどうなるかは知りませんが、どうやら「昭和・平成・χ」の3代が一まとまりになってこの多事多難だった一世紀を何らかの形で完結しそうな気配です。事によったら、それは政体の大きな変革を伴うかもしれません。その結末が拙老の一生のサイクルに間に合うかどうかは微妙なところです。(5月3日のニュースでは、とうとう「憲法改正」の発議が日程に載せられる由。してみると、あまり微妙じゃなさそうです。)

明治の青年たちは同時代を絶対視し、その進歩性・建設性・向日性を強調するあまり、日本社会が江戸時代に積み残してきたものを顧みる余裕がありませんでした。時代が進み、近代社会が目を瞑っていた抑圧や貧困や不安が表面化して来るにつれて、こうした社会の「不調子」(北村透谷)に対する不平不満の数々が噴出しはじめ、そのあるものは「佐幕派イデオロギー」の外観をまといました。

しかしこの「佐幕派イデオロギー」たるや、これといった社会的支持勢力もなく、まことに寥々(りょうりょう)微々たるものでありました。「佐幕」とは「幕府を佐(たす)ける」という意味です。だけどもう幕府はどこにもありません。最後の将軍、徳川慶喜も早々と権力闘争をオリました。旧時代の封建領主たちは金禄公債を使い果たして没落するか、財産を資本に変えて新しい支配層になりました。この新支配層が、江戸時代の基本的な対立軸「尊皇/佐幕」のうち、現行政治体制のまるごとの容認をイデオロギー的に支える「尊皇」の側に回ったことはいうまでもありません。いきおい「佐幕」の支持者は野に下り、民間に散らばり、徒党化するしかなかったのです。

実際の話、明治時代になってから「王政復古」ならぬ「幕政復古」を叫んだ勢力は 皆無でした。ですから「佐幕派イデオロギー」とは事実上「佐幕派アナクロニズム」に他ならず、主張する当人もそれが現実には何の力もないことを知り尽くしているわけです。葵の旗を立てて銀座をデモったという話はあまり聞きません。

その代わり、近代日本ではすべて反体制的・反政府的・反権力的・反筋力的……等々およそ「反」の字を冠した無政府的エネルギーはことごとく「佐幕派」と結びつきました。維新内戦の敗者だった江戸っ子の数少ない自慢のタネといったら、新撰組と彰義隊しかありません。さら佐幕派陣営のヒーローを探るなら、長谷川伸の股旅物に描かれている関東の無宿者たちがこれに加わるでしょう。「佐幕派」的心情はかくして反政治的である以上に脱政治的になります。

現代日本で佐幕派の今日的意義を喋々(ちょうちょう)することは何かになるでしょうか? 「死児の齢(よわい)を数える」という言葉がありますが、これはまるで死んだ後で生命保険を掛けるようなものです、どう考えても現実の政治勢力になる気遣いはありません。それでも「佐幕派」はいまだに不思議な存在感をもって存続しています。「一朝事ある時」ではなく、そう遠くないかも知れない不定の将来、現行政治が煮え詰まってニッチもサッチも行かなくなり、社会の隅々に無辜(むこ)の民のウラミツラミが飽和に達した暁、不意にどこかから躍り出ると夢想されているのが、このネオ佐幕派なのです。   了

2017-04-17 | 書窟

呉座勇一著『応仁の乱』

〽なれや知る都は野辺の夕雲雀あがるを見ても落つる涙は

作者は室町幕府第8代将軍足利義政の右筆(ゆうひつ)飯尾彦六左衛門常房。およそ応仁の乱を語る人なら、必ずといっていいくらい、よく引用する歌です。出典は『応仁記』。「洛中大焼の事」という章段の最後の一行です。京都はこれまで「平安城」「花洛」と称してきたほど美観を誇り、宮殿・伽藍・豪邸が建ち並ぶ壮麗な都市空間であったのに、うち続く兵乱の結果、今は一面に赤土――まるはだかの地面――に変ってしまったという記述をこの一首が引きしめています。

なるほどこの戦乱を始めた武将たちには、細川勝元にせよ、山名宗全そうぜんにせよ、畠山家の内紛(義就よしなり政長まさながの対立)・斯波しば家の家督争い(義敏よしとし・義廉よしかどの対立)にせよ、誰にもそれぞれの利害関係やら動機やらがあったとは思いますが、いずれも自分の挙兵はそれだけの規模で戦争目的を達成できると思っていたようです。錯覚でした。一度だけの軍事行動では目標は完遂できず、相手方も同じことで、合戦は合戦を呼び、一門一族の抗争はたがいに同盟勢力を引きずり込んで動員し合い 、そのうちに一国の範囲では納まらず地方規模に拡大しました。軍勢の数も最後には数万に膨れあがりました。そして、それこそ流行歌の歌詞に「おのおの京をめざしつつ」とあるように、一国の首都は常に決戦の地になりますから、数多の軍兵が都会で勝手に暴れ回ります。多くは足軽・雑兵のたぐいで高尚な戦争目的もヘチマもありません。暴行・略奪・放火思いのままです。京中が焼野原になって不思議はありません。

今の日本には、一国の首相と内閣官房長官が「北朝鮮には、サリンを搭載したミサイルを日本に打ち込む準備が出来ている」と明言する時代が来ています。政府首脳のこうした緊迫感に比べて民衆はいかにもノーテンキに振る舞っているみたいですが、心の深い所ではひそかに危機意識が進行しているのかもしれません。何といっても破局的な戦争を回避する当事者能力が日本にはなく、戦端の開否は、どう見てもヘンな2人の政治家の手中にあるのですから処置なしです。こんな風に処置なし、当事者以外お手上げの事態は、かつて日本に応仁の乱が起きた環境と非常に似ています。

最近、中公新書の一冊として刊行された呉座勇一(ござゆういち)氏の『応仁の乱』が評判になっているそうです。新聞広告では、「続々重版!31万部」とあり、社会学者大沢真幸(おおさわまさち)氏の推薦文には「けっこう学術的なこんな本がよく売れることに、ふしぎを感じる」(朝日朝刊2017/4/9)とあります。この数字を素直に信じれば、これは「ふしぎ」以上に「信じられない」現実です。拙老がボンヤリしている間に歴史の読者もずいぶん変わったものだと思います。かつての歴史物ブームはすでに去り、歴史の読者は専門書を力読するエキスパートか、大衆的歴史小説の読み手かに二分されていたからです。

ではなぜこの「ふしぎ」が起きたのでしょうか。その謎を解く鍵は編集者も広告文で力説している「英雄なき時代のリアル」ということにあると思います。

リアルとはどういうことでしょうか? 一つには、われわれが、たとえば現今のホットな世界動勢――日々刻々動いている情勢――から切り離され,完全に聾桟敷に置かれながら、起こった事の結果だけは全部引っ被るという現実が、動かし難い事実としてあることを認めざるを得ない立場は、まさにリアルです。呉座氏は 応仁の乱に対してそういうスタンスを確保しており、その間合は世界戦争に対する現代日本人の姿勢と正確に比例しています。

ところで、リアルとは何でしょうか。今更めきますが、realというのはラテン語で「事物」を意味する名詞rēsから派生した形容詞reālisが元になっている言葉で、「物的証拠」という場合の「物的」、モノというよりブツの、即物的な、ゲンキンな……といった語句に共通する意味成分をそなえています。リアルはレアルではないといえばそれまでですが、語源から引き継いでいる意味成分の原質はいつまでも生き残るものです。

『応仁の乱』で提示されるリアルは、読者に対して二重に呈示されます。①は、史料に『経覚私要鈔きょうがくしようしょう』『大乗院社寺雑事だいじょういんしゃじぞうじき』という奈良興福寺の僧経覚と尋尊じんそんの日記を選び、「乱に関する質量豊かな記述」を活用していることです。ここにに発揮されている考証の手腕は玄人芸の域に達し、感服に値します。史料をこれに絞ったことはおのずと事件の叙述に『視点人物」を設定したことになり、その視野に入った事柄は「事実」として受け入れられ、また他方、その見聞に入らないことは切り捨て可能になります。あやふやな「史実」にもとづく推測や憶測は不必要です。ここにおいてリアルであうとは「堅実」を意味します。

『応仁の乱』におけるリアルの主張は、②として指摘しますと、これまでの「応仁の乱」論の決まり文句――呉座氏はこれを常套句(クリシェ)化した先入観と見なす――に対する批判・否定と一体化してなされています。その先入観とは、応仁の乱を「下の階級の者がその上の階級の者に対して闘争を起こし、打倒することで歴史は進歩する、という歴史観」の考え方のことです。つづめていえば「階級闘争史観」「下克上(げこくじょう)史観」のことであり、呉座氏はそれらに反発することに急であるように見受けられます。もしかしたら、同世代と思しい編集者もそれをエンカレッジしているのかもしれません。

たしかに「階級闘争史観」「下克上史観」のたぐいがわれわれの歴史への接し方に偏差を持ち込んだのは事実でしょう。それでだいぶ損をした向きもあると思います。しかし考えてみれば、害毒がを生じさせた責任は、階級闘争・下克上そのものにはなくて、それらを眼鏡にじた「史観」の方にあるのではないでしょうか。階級闘争はギリシャ・ローマの古代からありましたし、「下克上」という言葉の初出は――もちろん先刻御承知でしょうが――室町時代より早い建武年間(1334‐38)「二条河原の落書」です。いずれも歴史の動因になっていることは打消しがたい事実です。

一頃ポストモダニズムの全盛期に「大文字の歴史」はよそうというスローガンが流行したことがありました。主敵はマルクス主義史観でしたが、歴史historyをHistotyとして何らかの理念の貫徹過程と把握することへの異議申請だったと思います。本書『応仁の乱』におけるリアルの主張が、大文字主義を否定するあまり、いわば「小文字主義」になっていはしないかと、老婆心ならぬ老叟心ながらいささか杞憂する次第です。というのは、史観はともかく、書かれる歴史は、史論ぬきの史実の記述だけではついにあり得ず、歴史の読者はただの諸事件の連鎖では満足せず、何らかのプロットを期待しますから、歴史は歴史過程(何が どう起きたか)と原理過程(起きた事柄にどんな意味があるか)の永遠のせめぎ合いにこそ生命力の源があるからです。  了

(昨朝――2017/04/16朝――北朝鮮のミサイル発射が幸いにも失敗したために、このHP更新も無事に済ませることができました。次回はどうなることでしょうか?)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2017-04-01 | 日暦

トカゲの一分(いちぶん)

人間の歴史には、ごくたまに信じられないほどの珍事が起きることがあります。カエルがヘビを呑んでしまったり、ゴマメの歯ぎしりが天下国家を揺るがしたりというような、普通は起こり得ないことが現実になる場合です。シュテファン・ツヴァイクのたくみな表現によれば、「重大な運命を左右する糸が、一瞬間だけまったくつまらない人間の手に握られることがある」(『人類の星の時間』)というのです。ツヴァイクがこの文章で挙げている実例は、1815年8月18日、ナポレオンが起死回生を賭けたワーテルローの一戦のみぎり、皇帝の命令を小心翼々と守り、退却するプロシャ軍を無駄に追跡し続けたばかりに、肝腎の決戦に居合わせず、運命的な敗北の一因となった凡将グルシー元帥のことです。

ナポレオンはその後大西洋の絶海の孤島、セントヘレナに幽囚されたまま1821年に生涯を終えますが、グルシーの方は戦後死刑にもならず、つまりたいして罪に問われたわけでもなく、ただ追放されただけで、世界のあちこちに流浪したはてに1847年に81歳で死にました。ナポレオンより長生きしたわけです。

今、拙老の頭に浮かんでいるのは、最近ニュースを独占した感のある森友学園のことです。もちろん、安倍首相をナポレオンに見立てるつもりはありませんし、ましてや篭池さんを「つまらない人間」に数える気持などは毛頭ございません。それどころか、篭池夫妻やら昭恵夫人やらバルザック風の《人間喜劇》にお迎えしたいキャラクターが続々と登場して興味が尽きません。また時々脇役的に登場する財務省のお役人さんの困り切った顔のクローズアップを見ると、その昔、ディッケンズが『リトル・ドリット』で描いた、「仕事ヤルベカラズ」を原則とする「迂遠省」の官吏もかくやあらんと思わせてくれます。

国会の証人喚問に応じた篭池さんの「尻尾切りはやめてほしい」という発言はいっぺんに有名になりました。その気持はわかります。いきなりこんな仕打ちを受けるまでは、首相と自分とは同じ陣営に属し、同じ「大義」につくす自分に便宜を計ってくれると信じていたのに、急に掌を返されたのですから、篭池夫妻が「裏切られた」と思うまでの心境になるのも当然です。

この事件はいずれ篭池さんがすべての罪を引き被って「一件落著」に至るでしょう。権力者に不義不正はないという神話を守るには、権力は切羽詰まれば馬謖(ばしょく)さえ斬ることがあります。いわんや、トカゲの尻尾を切ることにおいてをや。トカゲの尻尾は、もともとトカゲの一部分だったのであり、決して無辜(むこ)の庶民だったのではありません。その辺を間違えてはなりませんが、この際はやっぱり権力に捨てられてピクピクしている尻尾の方にに声援を送るところでしょう。   了

 

 

 

 

2017-03-15 | 日暦

タイタンの黄昏

誰がどう見ても現行世界秩序に一つの「終末」が忍び寄って来ているのは疑いないようです。とりわけ長いこと「民主主義」というブランドとして安全視されていた政治システムが何となく信用できなくなったのが心配です。何事でもワアワア大勢で「賛成!」「反対!!」と決めればそれでいいのかという問題が真剣に考えられているようです。

「世界の終焉」とか「民主主義の末期症状」とか悲観的に物事を見るのが流行していますが、そうした発想の根本にあるのは、やはりユダヤ=キリスト教的時間論に影響された「終末史観」だと思います。世界史は良かれ悪しかれ一つの予定されたend(終止、目的)に向って収束して行くと見る歴史像が描かれます。もちろん、世にはそうではない時間論も史観もいろいろあって、たとえば日本の伝統では――循環史観などと呼ばれますが――物事の終わりと見えるものはすなわち始まりであり、永遠にぐるぐる廻って終末がないのです。気が楽でいいですねえ。

ヨーロッパにも「終末史観」とはいえないのもあります。キリスト教発生以前のギリシャ=ローマ神話に終末論はありません。最近非常に面白いと思うのは、北欧神話です。じつは拙老、昭和23,4(1948~9)頃――満11歳前後の時です――、世を挙げての活字渇望時代に繁盛した貸本屋(あの頃は焼け残った蔵書が資本になりました)から借りて来て愛読したのが『北欧の神話と伝説』という古本でした。その時に覚えた言葉が鮮明によみがえって来たのです。

その一つにラグナロクという言葉があります。昔の本では「ラグナレク」と表記してあったように記憶しますが、古ノルド語ではRagnarøkあるいはRagnarökと綴るそうですから、ゲーテかギョエテかの問題みたいなものでしょう。要するに「北欧神話での終末の日」という意味だそうです。この日には神々も滅亡します。それも巨人族と死闘して共倒れになるのです。エッダ神話では神も永遠不死ではありません。

ワグナーの楽劇に『神々の黄昏』というのがありますが、 Götterdämmerung(ゲッターデメルング)というドイツ語の原題はこのラグナロクの訳語だそうです。リヒアルトの孫ヴィーラント・ワグナー演出の舞台をテレビで見ましたが、神々がみなフロックコートで登場する奇妙なオペラでした。ラインの黄金は金融資本だったのかもしれません。

今回のタイトルを、『神々の黄昏』をなぞって『タイタンの黄昏』などとしてみたのは、最近見かけたある政治家の姿に忍び寄る「終末」の影を感じたからです。去る2月8日、小池東京都知事が都議会の百条委員会に石原慎太郎氏を召喚したいと発言。それに応じて、同委員会まで待っちゃいられないいといって石原氏が3月3日に記者会見を開きました。そのテレビ中継を見ていて印象がまさにそれだったのです。拙老は惻隠(そくいん)の情を感ぜずにはいられませんでした。

もちろんこれまでの氏が保守派政治家として行ってきた言動には批判がないどころではありません。しかし、今「惻隠の情」と形容した感情は、思想上の賛否とか主義主張の異同とかの精神的次元かからではなく、もっと何かこう体感的なレヴェルから発したものです。「慎太郎もトシをとったなあ」というのが偽らざる感想でした。 

拙老はふとこれも昔見た能の『実盛(さねもり)』を思い出していました 。ご存じのように、源平合戦の時代、平家の一武将として加賀国篠原で戦い、老齢を侮られまいと鬚髪を黒く染めて奮戦し、武運つたなく討死する古武士斉藤別当実盛をシテとする修羅能です。ことに後シテのキリの詞章、〽老武者の悲しさは、軍にはし疲れたり……の一節が心に浮かびます。というより、かつて能舞台に幻じた老い武者と疲労の色濃い老政治家と二つの形姿が重なります。

来たるべき百条委員会で引かれるのは一見すると「正」と「邪」との、「若」と「老」との対峙線のように見えますが、じつは政治手法の新旧対立ではないかという気がします。石原氏と拙老が共に属している旧世代には「君子は器 (うつわ)ならず」(『論語』為政)という語句が意味をなします。が、都知事その他の石原批判者はみな君子に「大器たれ」と要求している、と見るのは僻目(ひがめ)なのでしょうか。  了

 

 

 

2017-03-01 | 日暦

権力の無人階段

金正男殺害事件が世界中の注目を浴びています。VXでの殺人劇には、某国国家元首の意向やら大使館の関与やらオツムの弱そうな東南アジア系美女の参加やらで、関係者の範囲はどんどん広がり、登場人物のやたらに多い政治劇になっています。本日のニュースでは中国が北朝鮮からの石炭輸入を禁止したそうで、これを経済的制裁と見るならば、「国ぐるみの謀略説」はいよいよ動かし難いようです。中国がマレーシアに圧力をかけた(北朝鮮庇護か?)と伝えられるのも同様です。

世論では、北朝鮮の非人道性を非難する論調ばかりがかまびすしく叫ばれていますが、拙老には、これは果たして国家の制度だけの問題だろうかという気がします。つまり、全体主義国家だからこういう事件が起きるのではなく、これからはいわゆるデモクラシイの世界でもこんな政治劇は繰り返されるのではないのでしょうか。

拙老がまだ若い時分、たしか昭和31年(1956)頃、日本で封切られたローレンス・オリヴィエ――なんていったってもう知っている人はいないか――主演の『リチャード3世』という映画がありました。15世紀のイギリス、薔薇戦争と呼ばれる30年も断続的に続いた血なまぐさい内乱の末期に、王位を簒奪して「リチャード3世」となった男を主人公にした歴史映画です。

英国プランタジネット王朝の二分家ランカスター家とヨーク家が王位継承をめぐって抗争し、ランカスターは赤い薔薇、ヨークは白薔薇をそれぞれ紋章にして相争ったのでこの名があります。しかし、実情は綺麗事ではなく、近親や兄弟が殺し合う凄惨な権力闘争でした。1555年から1585年まで続きます。

圧巻は最期に1585年のボズワースの戦場で敗死するシーンでした。リチャードは落馬して「馬をくれ、馬を、馬を持って来たら俺の王国をやるぞ!」と叫んで奮戦し、ずたずたに切りさいなまれて芋虫のように転がります。取り囲んでいた兵士たちが弾かれたように後ずさりします。執念で起き上がろうとする敵に畏怖を感じたのです。血で隈取られた断末魔の表情が大写しになり、ついに力尽きて息絶える姿が凄かったです。前進座の名優河原崎長十郎――この役者を知っている人も居くなりました――が、この《落ち入り》は歌舞伎の殺し場そっくりだと感嘆していたのをよく覚えています。

このリチャード3世(ヨーク家)は自分が王位を手に入れるために、兄エドワード4世の急死をよいことにその子(リチャードの甥)をロンドン塔に幽閉して殺しています。しかしそのエドワード4世もかつてはヘンリー6世(ランカスター家)をやはりロンドン塔に押し込めて廃位しています。殺害したとする説もあります。そしてボズワースの戦勝はヘンリー7世の戴冠につながります。その他一々例は挙げませんが、イギリス国王の系譜の背景には何度も繰り返される王族内部の相互殺戮が透けて見えるわけです。今でこそ、イギリスは憲政のモデルのようにいわれていますが、前世紀にはけっこう血なまぐさかったのです。薔薇戦争などは、紅白入り乱れた源平合戦を思わせます。

クワランプールの空港の医療センターで、テレビの画面に大写しになった金正男の姿は悲哀を感じさせました。そこにはいかなる美学的救済もありませんでした。源平合戦も薔薇戦争も(その他いかなる歴史的名場面も)ドキュメントにしたらそうなるでしょう。あの笑止な――この言葉の原義はワライ・ヤム(日葡辞書)であって、「嗤うべき」ではありません――絶命直前の姿からは、現代における政治死の普遍的な位相が見えて来ます。これはもう近親憎悪なんてものではない、自己に対立する者は必ず排除しなければならない権力者のルールなのです。

ポーランドの批評家ヤン・コットはその卓抜なシェークスピア史劇論の中で、リチャード3世の舞台後景には「無人の階段」があるといっています。王位という頂点に人を導く階段。一人が上り、それに次が続きます。それにまた次の次が続いて、リチャードとかヘンリーとか名は違っても永遠に階段のドラマが繰り返されます。シェークスピアが閃かせているのは、歴史とはそういう永劫の自己同一性ではないかという怖しい啓示です。

金正男暗殺は、おそらく「白頭山王朝」に伝わる権力葛藤のドラマを現前させたと思われます。この王朝が存続する限り、クーデター・予防的反クーデター(粛清・暗殺)が繰り返されるでしょう。遺伝形質は発現せずにはいないのです。

国家元首が3代にわたって世襲されるのは民主主義の時代に逆行すると言われます。たしかに、それは封建時代に支配的だった権力委譲の方式でした。しかしこの現象――慣習ではなく――は、ある意味暗示的に、今後の世界で政治的支配層が不可避的に直面する権力継承とい処方の提出であるとは考えられないでしょうか。もちろん、世襲制がよいというのではありません。一般に、権力を後継する者は何を基準にして選ばれるべきなのか、平たくいえば、誰を信用して後事を任せられるのか、という問題です。

封建社会あるいは封建遺制の強い社会では、血族・姻族・藩閥・県人会・学閥などの直接的人脈が物を言います。気心が分かることが優先します。同臭だからこそ信用できるのです。その点、近代民主主義というやつは両刃(もろは)の釼でした。たとえ毛色の違う相手とでも一緒に議論し、かつ平等に投票させて政策決定しなければならないのです。しかも近年では、民主主義がまさにその原理――無選別性・資格不問性・多数決制など――ゆえに反・民主主義に転ずる場合がしきりに起きています。たとえば、トランプさんのアメリカ、EU離脱を決めたイギリス、右翼が政権に就きそうなイタリアやフランスなど。(そしてたぶんわが国も)。これらすべてを公式化していえば、《民主主義を多数決で否決した民主主義》という逆説的な現実なのです。

困りますねえ、どうしたものでしょうか?  了

 

 

 

 

 

 

 

 

2017-02-02 | 日暦

トランプ騒動管見

世の動きのテンポがどんどん速くなっています。今やたんなる速度ではなく、加速度がついて世の全物象・事象が動き出したような気がします。すべての天体が支配される自転・公転の法則の作用域とは他の所で、別箇の存在物が回転運動のスピードをぐんぐん上げていると感じられます。

世界政治では、アメリカにトランプさんが出現して以来、物事を動かす歯車のギアが上がったようです。やたらに即断即決を急いで いますから、他の国々も否応なく釣り込まれてテンポを合わせなくてはなりません。矢継ぎ早に繰出される大統領令に次々に応接しなければならないので、いつのまにか先方の時計の針の進む速度が基準になってしまうのです。そのうち地球全体にグリニッチ標準時ならぬワシントンDC標準時が強制されるかもしれません。グローバリズムが単一の世界空間を生んだように、単一の世界時間が作り出される可能性もなしとしません。古代ローマ帝國なみの世界権力が時差や時間帯の制度を撤廃し、地球上に画一的な時法を採用させれば済むことですから。

トランプさんに大統領令を乱発させている根本原因は「移民問題」です。世論調査で大統領令に賛成する声が49%を占めているという数字は、アメリカが「保守化」したことではなく、これまで意見の相違があっても論争で解決する、できる、という「民主制」をタテマエにして来た社会に実は階級対立が存在していたこと、今後はそれを軸にとって社会組成を考えなくてはならなくなったことを意味します。

今日(2月1日)に入った新しいデータによれば、アメリカ社会で、トランプさんの「入国制限」政策に賛成した人は51%に達したそうです。タテマエをかなぐり捨てた人々のホンネはこんなものでしょう。移民排斥ということではアメリカもヨーロッパ諸国なみになったわけです。日本も遠からぬ未来、いずれそうなるでしょう。

世界空間が単一化するとは、全地球規模で市場化が進行することです。商品市場・資本市場と進んできた広域化は、ついに労働市場の国境をなくしました。資本はより安い労働力を探して自由に越境するし,労働力はより高く賃金を支払う雇用主を求めて移動するでしょう。それが世界史の常態になっている時代に、自国の非移民労働者の雇用機会が狭められたとクレームを付けるのは時代錯誤(アナクロ)です。トランプさんは、世界資本主義の時代に一国資本主義の《倫理と精神》を語っているわけです。

ですから昨今の拙老は、外界の緊張が高水準をキープしているので、内界にストレスが溜まらないのです。最近のアメリカを観察することが、日本の場合の予行演習をさせる機会になっているというところでしょう。近々のうちに何かが決著する予感がします。

目下の拙老の関心事はもっぱら,初めに「何か独自の界域で回転運動のスピードがぐんぐん上がっている》と表現したような加速度を得ている実体が何であるかをつきとめることにあります。漠然と比喩的な表現のように感じられるかもしれませんが、拙老の周囲で何かが――あたかも独楽(こま)の回転のように――しだいに澄み切ってゆくような生理的実感があるのです。 了

 

 

2017-01-13 | 日暦

新刊お披露目

去年から持ち越しになりましたが、小説新刊書の披露をさせていただきます。タイトルは『元禄に始まる』としました。全部で6篇の作品を集めており、事によったらそのうちの1篇作としてその題を総タイトルにするかもしれません。その辺は出版社しだいです。

『元禄に始まる』とはまた自分でも多少構図が大きすぎるような気がしないでもないですが、拙老やっとこの年になって、世界観というか歴史観というか、「世」(時世と世間)の見方が形を取ってきたように思い、その見地から日本を眺めると、何だか元禄から現在まではこれをひっくるめて「現代」と扱ってよいと考えるに至りました。元禄元年は西暦では1688,末年は1704ですから、「現代」の起点はおよそ1700年前後と見てよろしい。今年2017までわずかに400年そこそこしか経っていないのです。「現代」とは、一口にいえば、個人が社会から放り出されてもう後戻りできない時代のことです。そのことは、個々の人間がいつも必ずしも自分が望む通りの生き方ができない、という簡単な一事に現れています。「現代」以前の社会では、そもそも個人が社会から放れるということ自体がまだ生じません。こうした個人と社会との拮抗関係は元禄から始まる、と愚考致します。

元禄は「風俗」がリードした時代です。この場合、「風俗」という言葉のアクセントは、風習とか風儀とかの広い意味ではなく、むしろ服装・服飾・化粧・ファッションという狭義の使い方にあります。全体として華美になっている社会を背景に個人を目立たせようとするいじらしい競い合いが「風俗」の第一線です。この作品集では都合6つの人間風俗を描きます。それぞれにテーマは違いますが、6人6様に各人がそれなりにベストの風俗の花を咲かせた跡を見ていただけると存じます。以下、各篇の狙い目を記します。

『曾根崎の女』

近松門左衛門の有名な浄瑠璃「曾根崎心中」を下敷きにしたファンタジーです。拙老と似ていなくもない中年の男が、お初と思しい女と時空の狭間をさまよいます。今の大坂キタは、時間の軸をずらしてみれば昔の曾根崎と同じ場所なのです。時の波に洗われてもお初は変わりませんでした。

『二流作家』

元禄は浮世草子の時代です。井原西鶴はこのジャンルの創始者であり、第一人者でした。その西鶴に才能の勝負を挑んで、挑み続けて、ついに及ばなかった都の錦という男がいました。本篇はこの男のそれなりに波瀾万丈の生き方をたどります。マイナーの意地の物語です。

『カネに恨みは数々ござる』

この語句は誰でも共感をもって口にしたことがあるでしょう。ですが、これが最初に出たのが歌舞伎舞踊「京鹿子娘道成寺」の長唄であることはあまり知られてないようです。鐘」と「カネ」との間には、決してただのダジャレではない、もっと深い縁があるのです。江戸の町娘の粋な手振りがそれを演出します。

『梅ヶ枝の手水鉢』

みんな若い頃きっと一度はコンパの2次会か何かでこの俗謡を聞いたことがあるはずです。皿小鉢を叩いて、♪叩いてお金が出るならば、と合唱したかもしれません。苦しい時の神頼みとして江戸時代には大流行しました。たとえ茶番で演じても効験あらかただったというお話です。

『お初観音経』

現在は「お初天神」が有名で観光地化していますが、もともとこの場所には小さな観音堂がありました。忠臣蔵の時代にも自分の性の悩みだけで心をいっぱいにしていた男女がいたのです。しがない裏長屋に住み、ひたすら観音様を信仰して済度される二人の応報譚です。

『チカラ伝説』

チカラというのは、大石内蔵助の息子の大石主税のことです。赤穗四十七士はみなそれぞれにヒーロー化されましたが、主税は一種独特のかたちで若い英雄になっています。歌舞伎の役柄では妙に色っぽいのです。こういうチカラの造型を、元禄時代を風靡したホモセクシュアルのコードにしたがって読み解きます。以上が作品集『元禄に始まる』(仮題)のコンテントです。単行本には採録しませんので、このホームページの記事だけでご紹介します。

 

 

 

 

 

 

 

 

2017-01-01 | 日暦

平成丁酉年頭

ことし平成29年、2017 は干支でいうなら丁酉(ていゆう)、「ひのととり」に当たります。この干支を見て多少ドッキリしない人は、本当に若い世代に属するか、それとも年相応の見識を身に付け損なったかのどちらかです。「丁酉」は、なるほど三善清行(みよしきよゆき)の『革命勘文(かくめいかんんもん)』にいう「辛酉革命」「甲子革令」「戊午革運」ほど有名ではありませんが、十干の「丁」と十二支の「酉」との組み合わせは、昔から何か変事の多い年だと言われています。ホンメイではないが、まあダークホース的に波乱ぐるみの胡散臭い年にランクされているというところでしょう。

拙老はそれほど暦運循環説を信じているわけではありませんが、一人や二人ではなく、一国すべての人々が「今年は変事が起こる」と信じ始めたら、それはつまり変事が起きたことなのです。『徒然草』にも「狂人の真似とて都大路を走らばすなわち狂人なり」というじゃないですか。そう思えば、去年から今年にかけて変乱はすでにいろいろ立て続けに起きているようです。自然災害だけでもこのところやたらに地震・台風・火事が続きます。後期高齢者の交通事故もです。やれやれ。

世界中もおかしくなっています。トランプが次期アメリカ大統領になり、日本でカジノ法が成立し、2016年の「今年の漢字」は「金」になりました。取り立てて異常ではないと思われるかもしれませんが、今これを①トランプ②カジノ③金と三題噺風の縁語で並べると関連が見えて来ます。一つ一つでは、相互に独立して起きる事柄が実はつながりがあると判って納得するのです。偶然の出来事の継起がすべて統一した意味があるように感じるのは精神疾患だそうですが、だとすれば世界中がビョーキなのです。

拙老のイジワルな予想では、わが国はいずれ遠からず、壮大なアナストローフ――笑い死的狂躁状態のうちの破局――を迎えることになっているのですが、今年あたりからいよいよ、そういう局面へのサイクルが始まったのではないでしょうか。以下、平成丁酉連吟11首。

とりどりに年取る人はあるめれど吾は若やぐひのととりどし

昔から命(めい)革(あらた)むと言い継ぎつナメタラアカン丁酉(ていゆう)の年

老帝も退位をすなるかぐつちの火のとの酉は改元の年

すめろぎは天津みくらを降り給う火のとの鳥の荒きすさびに

年経(ふ)れどナルシシズムは衰えず羽振り見せばや老鶴のわれ

寒空に入日かたぶく夕景色風をこらえて老鴉(ろうあ)うそぶく

夕暮に老い梟は飛びたちぬめざすは白きミネルバの肩

われこそは鳥のピカ一荒磯のひとり鴎のなぞ潔(いさぎよ)き

白鳥は常世(とこよ)から来る使いなりわれに聞かせよ神の睦言

烏さえ姿を見せぬ寒空に凍(い)てんとしつつ残る夕映え

鶴に乗り空を翔りぬ初日の出下界によどむこぞのつごもり

 

 

 

 

 

2016-12-18 | 書窟

佐野真一著『唐牛伝』

このHPの読者は、必ずしも本評伝の主人公である唐牛健太郎がどういう人物 だったのかご存じではなく、中には Karouji Who? (唐牛って誰?)といぶかしむ人がいるかもしれませんので、初めにその簡単なプロフィル、そして拙老との接点を記しておくのがよいと思います。

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1960年4月26日国会議事堂前

(佐野真一『唐牛伝』小学館より)

 

 

 

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1960年7月某日東京文京公会堂前

 

 

 

今から60年近くも以前のことです。1959年のこと、その頃全国的に盛り上がっていた学生運動の世界にちょっとしたニュースがさざ波のように広がりました。新しい全学連委員長に北海道大学の唐牛健太郎――以下誰に限らず、回想中では敬称を略――という青年が選出されたというのです。颯爽たる登場でした。たちまち人気を獲得し、人望もありましたが、学生運動家としては割と短命でした。1959年から1960年へと日米安保条約改訂阻止闘争(いわゆる「60年安保」)は激化し、唐牛は60年春の段階で、4月26日、国会突入を図った全学連主流派デモを現場指揮中――上の写真は警察車輌の上で演説し、警官隊にダイブする直前の唐牛です――に逮捕されます。そのため6月15日の樺美智子さんの死をもたらした国会デモの日は拘留中で不在でした。

委員長になった唐牛はもちろん早稲田にもオルグに来ました。唐牛をナマで見たのはこれが最初で最後です。写真で見るとおりのカッコイイ男でした。喧嘩も強そうでした。驚いたことには、もう女性ファンが出来ていて、唐牛さんの汗臭い背広をいくら出してもいいから手に入れたいなどと言っていました。参りました。拙老などは風采さっぱり上がらず、腕力もなく――上に恥ずかしいが掲げた拙老の若き日の写真からご推察下さい――、その頃の中央委員会で主流反主流入り乱れて乱闘になった時、西部邁に「お前はケンカ弱いんだから、家に帰って文学でもやってろ」と言われたのを思い出します。それもそうだと思わないでもなかったですが、当時の拙老にはそれなりの立場がありましたので、やっぱり頑張りました。

乱闘といえば、1959年11月27日には、国会の車寄せ――落ちたら大怪我をする高さなのです――の上で、青木昌彦と掴み合いになったこともあります。青木は「警察権力は完全に麻痺している。国会占拠を続ければ革命になる」と目を吊り上げていました。拙老が「 そこまでは付き合えないよ」と言ったのが、取っ組み合いの始まりでした。自分でもいやにクールだと思いました。こういう時に逆上しないタイプだったのです。ヒーローにはなれません。……みな半世紀以上も前の話です。

『唐牛伝』の年譜によれば、1961年7月に全学連委員長を辞任した後の唐牛の軌跡は多彩かつ華麗を極めます。47歳で世を去ったのはいかにも短命ですが、並の人間には想像も付かない波乱万丈な人生を送ったといえます。太平洋をヨットで横断した堀江青年と一緒にマリン会社を作ったのは勇名です。本書の帯封の惹句は、それなりにこの「永遠の青年」の生涯を要約しています:「”昭和の妖怪”岸信介と対峙し、”聖女”樺美智子の十字架を背負い、三代目山口組組長”田岡一雄”と”最後の黒幕”田中清玄の寵愛を受け、”思想界の巨人”吉本隆明と共闘し、”不随の病院王”徳田虎雄の参謀になった」という具合です。多少オーバーな所もありますが、故人の生き方の振幅をうまくとらえていると思います。

著者佐野眞一氏のことはよく知りませんが、おそらく一作ごとにモノガタリを作る人ではないかと思います。そして各々のモノガタリには共通の原話(ウル・ストーリー)があるような気がします。佐野氏は唐牛の生い立ちにかなりのスペースを割いていますが、「庶民」(なかんずく庶子・私生児)が「社会」に反噬(はんぜい)し、善戦し、結局は敗北するにしても、その敗北のカッコヨサが人気を呼ぶというモノガタリのパターンの中に引き込み、石原裕次郎ー高倉健のタイプ系列(唐牛本人もだいぶ意識していました)への民衆の好みと合致させる力業を発輝してくれます。その結果、それなりに一貫した唐牛レゲンデができあがるという寸法です。

佐野氏の心の底には一群のキイワードがあるようです。好きなタイプといえるかもしれません。「反アカデミスト」「無名人」「短命族」「非成功者」「影のある男」『物騒な輩」等々。著者はどうも唐牛という人間をその鋳型に押し込んでいるように見受けられます。唐牛は「没落のヒーロー」であり、その没落する姿がコタエラレナイというわけです。著者は唐牛を「60年安保」のアイドルにすることには批判的ですが、やっぱり一種のノスタルジアに耽っていることでは同じでしょう。唐牛をめぐる「エピソードから伝わってくる人間と時代が醸す美質は貴重であり、現代にそれを求めるのは到底無理である」と述懐したり、学生ばかりではなく、政治家も右翼も「昔」はもっとよかったという慨嘆を繰り返したりしていることが何よりの証拠です。

本書で唐牛がいろいろな世界を彷徨・漂流した時期は、一方では旧ブンドの人々も拙老のような「日共構造改革派」の面々にもまたそうでした。その進路は、①政治運動を離れてそれぞれの専門領域で突出した人々(島、青木、西部など)――このうち青木は近代経済学に、西部は保守思想家へと180度舵を切りましたが――、②終生政治を捨てなかった人々(清水丈夫、北小路敏など)に分かれます。本書は島成郎と青木昌彦を「悪役」に扱い、西部を狂言回しに使っているように見えますが、それは著者独特のインテリ嫌い、「常民」ポーズがそうさせているような気がします。拙老ごときは涕(はな)も引っかけられません。

著者は、ある政治家が唐牛を評して、「名誉欲もないし、物欲もない。地位も欲しがるタイプではない」といったという言葉を紹介しています、これはかつて明治維新のみぎり、西郷隆盛が山岡鉄舟を褒めちぎった言葉とまったく同じです。歴史の変動期によく現れ出る無欲な人間類型をクローズアップして、それに波長を合わせる場合の常套といえます。政治の不可避的な汚濁、歴史にひそむ暗部とすれすれに、クリーンでいられる類い希な資質の持ち主として顕彰する手法が使われます。一人だけ「その後の高度成長の波に乗ら」なかったことが勲章になります。

「60年安保」は、今から思えば、20世紀末から21世紀へかけて進行する世界の地殻変動の序曲だったと思います。当然、それに伴なう知的変動も活発であり、現在もその真っ盛りにあると言うべきでしょう。佐野真一氏にととては「ノンフィクションは、”小文字”で書く文芸」だとのことです。しかし、世の中には”大文字”で書かなきゃならない世界もあるのではないでしょうか。(了)

 

2016-11-25 | 日暦

老児病症候群

うちの荊妻に「あなたはいくつになっても小児的なんだから」と、これまで何度言われたことでしょうか。あんまり何度も言われるものですから、拙老もすっかり意地になって、宋代の陸游(りくゆう)という詩人に「老翁七十に垂(なんなん)として、其の実、童子に似たり」という語句があるのをトッコに取りたくなります。拙老、来年は八十になったら、いったい何に似るのでしょうか。今いちばん似ている姿として次のimg_1125写真を掲げます。老熟したアケビの実です。もう少し時間が経ってパカッと開くのを待つだけです。

近頃、知人の噂で「誰それさんがアルツハイマーに罹ったそうだ」という種類の話をよく聞きます。昔はもっと簡明にボケとか老耄(ろうもう)とか言いました。お役所言葉では75歳以上を「後期高齢者」と呼ぶそうですが、拙老のように80になろうという年令は何というのでしょう? まさか「末期高齢者」とは言えめえから、さしずめ「スーパー」とか「デラックス」とか上に付けるに違いない。もう一つの病状には「老人性多幸症」というのもあります。老来無際限に全能感を持ったり、大風呂敷を拡げたりする症候です。これはビョーキなんですから、読者の皆さんも大目に見なくてはなりませんぞ。

* * *     * * *

年令のせいか、ついこの頃、拙老の過去の仕事を見直させる機会になるような人との接触が 2つありました。

第1は、読売新聞東京支社のS編集委員からのお申し出で、日曜版「名言巡礼」の斕に拙著『幕末気分』(講談社単行本2002、講談社文庫2005)所収の「上野モンマルトル1868――世界史から見た彰義隊」の1篇を取り上げ、その末尾で、幕末日本で活躍したフランス士官ブリュネが口にした「アナタ上野デ負ケマシタガ弱クアリマセン」以下の言葉を「名言」としてクローズアップて下さるそうです。11 月27日の日曜版に載ります。本来「お知らせ」の欄に割り振るべきかもしれませんが、ここでお披露目させて頂きます。

ですが、取材に来られたS氏のお話を伺っているうちに、おたがい力点とする所がビミョーに違うことが分かってきました。S氏はブリュネという人間にたいへん興味をお持ちで、外国人でありながら幕末の骨抜き旗本よりももっとサムライ的な「侠気の」軍人と評価されています。ブリュネ中心に人間関係を見るのです。それに対して拙老が画面の中央に置いてスポットを浴びせたのは当時16歳の若き彰義隊士、丸毛利恒(まるも としつね)の方でした。上野戦争では日本最初の近代砲撃戦で官軍にスッテンテンに負け、どうにか品川へ辿り着いて榎本艦隊に合流して函館まで行く少年武士です。大きな歴史の変わり目に、徳川幕府への純粋な忠誠心・道義的信念・主観的確信だけでぶつかり、敗残してゆくその姿に、壮絶な悲劇的アイロニーを感じ、しかし作中人物に同化せず、突き放してあの小説を完結させたつもりです。

第2は、1週間ほど前、早稲田大学の後輩とおっしゃるF氏から思いがけないお問い合わせを頂いたことです。今年の8月にノン・フィクションライター佐野眞一氏の『唐牛伝(かろうじでん)』が刊行されました。同書の読後感として、同書中にまったく野口武彦への言及がないが、当人としてどう思うか、何か一言ぐらいはないのかという主旨のお問合せ でした。ご尤もです。たとえばコトバンクを見ると、拙老の項には、「早大在学中,学生運動リーダーとして六〇年安保闘争に参加」と記しているだけで、それ以上のことは書いてありません。その空白ないしは「落丁」の部分を何とか埋めてほしいというご要望だと思います。

実をいうと、こういう種類の注文はこれまでに何度もありました。たいがいは初めから悪意のある挑発的な質問でした。そしてそれらに対して、拙老はおおむね韜晦(とうかい)の二字で応対してきました。早い話が相手をケムに巻いてきたのです。他に応対方法はありませんでした。元ブンドで評論家の西部邁(にしべすすむ)氏の文章を援用すれば、抽象論を好む氏は「資料だ情報だというふうに具体論を好みがちの大方の日本人から、受け入れられない」そうだが、拙老がいつも要求されたのは、何を考えていたかではなく、「アノ時、オ前ハドコデ何ヲシテイタカ」という居丈高な詰問だけでした。

とはいえ、今回のご要望は今までのものとはかなり性質が違うと思います。拙老が返事に困るような形の質疑ではなく、「野口自伝」などとんでもない話ですが、60年安保における拙老のスタンスを(さらにそのポジティブな意味を)再確認せよという慫慂(しょうよう)ではないかと思われますので、一度じっくり考えて見ようかと存じます。

ご想像の通り、これにはかなりの性根が必要ですので、これからこのHP2年目の重い課題として取りかかろうかと思います。しばらく時間をお貸し下さい。

とりあえず、次回は『唐牛伝』を書評するつもりです。(了)

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