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ハローインとええじゃないか

日本にもハローインの波が押し寄せるようになった。

テレビニュースでは、東京渋谷の雑沓の模様を伝えていた。大勢の若者がゾンビの恰好をして歩いていた。夜、地元関西のテレビを見たら、大阪ミナミの活況を映し出していた。何人かが威勢よく道頓堀川に飛び込んで喝采を浴びた。この前、阪神タイガースが優勝したとき以来の眺めだった。

こういう光景は初めてではない。昂奮したファンがケンタッキーフライドチキンのマスコット人形を川に投げ込んだ時の記憶もさることながら、そのさらに150年ほど前、明治維新の年にも、このあたりは「ええじゃないか」踊りの人波で溢れていた。群衆の騒乱はどちらかといえば関西の方に年季が入っているのだ。

わが国の歴史をさかのぼると、時代の違いを越えて間歇的に、同じ波形がよみがえっているのを感じる。同一シーンがリフレーンのように繰り返されている。日本史はほぼ周期的に人々が踊り狂う躁状態の波に洗われる。それはたいがい、踊りの狂躁――日常羈絆の逸脱――社会不安という一連のサイクルをたどる。

古くは天慶(てんぎょう)8年(945)のこと、京都に奇怪な噂が広まった。何か正体の知れぬ神が入京するというので、万を数える民衆が街道にひしめき、歌舞の声は附近の山を圧した。「天慶の乱」と呼ばれる平将門の乱で大いに世が乱れていた時期である。それから150年ばかり経った永長元年(1068)、「永長大田楽、えいちょうだいでんがく」と語り伝えられるほどの狂乱が都に起きた。大江匡房(おおえのまさふさ)が「一城(平安京中)の人、みな狂えるが如し」(『洛陽田楽記』)と嘆じている。何しろ公卿も武士(もののふ)も庶民もお坊さんもみんな思い思いに仮装し、好みの衣裳で街路に繰り出し、検非違使――つまり当時の警察官――までが歌舞の行列に加わったというのだから、盛況思うべしである。

東京渋谷のゾンビはまだコスプレの範囲に収まっているが、もし大江匡房が生きていたらこれも「妖異の萌す所、人力及ばず」といって眉をひそめるであろうか。

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