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わが仮想読者

このホームページを開設してからかれこれ5ヶ月になります。週に1度の更新というペースで進めてきました。これからも、最低最初の1年くらいほこのペースを守ってゆくつもりです。

このあたりで一度、本欄がいったいどんな読者を想定しているかを確認しておこうと思います。そもそも筆者は誰に向かってものを言おうとしているのでしょうか。

ブログによっては読者の側の反応を受け取れる仕組みのものもあるようですが、拙生は高齢頑迷ならびにITリテラシイ皆無につき、それは遠慮させていただき、当分は勝手ながらモノクラシイ(monocracy)・システムでやらせてもらおうと思っているような次第です。このHPをどれだけの人が眼にしてくれているか。「アクセス数」なる項目を見ると、⒈ヶ月にだいたい2700ぐらいです。どういう人々なのでしょう?

拙生が意識している読者層にはだいたい3つのグループがあります。

第一に、拙生とほぼ同年齢の人々。60年安保を共にくぐりぬけ、20世紀後半から21世紀初頭へかけて発生した厄介千万な諸問題にぶつかって、立場はいろいろだったが、今になってみれば結局は一緒にジタバタしてきた世代的「同行(どうぎょう)」の皆さん。とはいえ、このグループは現在急速に人数が減りつつあります。つまり、多くの人がやがて「亡き数」に入ろうとしていることです。

第二に、かつて大学で教え――といっても、最後の卒業生がかれこれ20年前ですが――、今ではだいぶいい年になっているいわば年下の友人たちです。気心がわかるというか、拙生のクセも臭みも心得ていてくれ、清濁併せて受け入れてもらえるグループです。(甘いかな?)でも、拙生の言動のすべてを理解してくれているとは思いません。ナアナアの間柄で行くつもりはありません。たとえば、最近あまりにも桃色ではないかとの御懸念もあるようですが、別に御心配には及びません。

第三のグループは、本当をいうと、この人々がわがホームページが目途している真のターゲットなのですが、次のような仮想の読者です。あえてひとくちで形容するならネオ「読書人」のクラスです。

「読書人」という言葉には21世紀の昨今、どうも二十一世紀なりの新しい定義づけが必要じゃないかという気がします。

いちばん古い、というより古典的な意味では、この語は文字通り「書」を読み、科挙――清(シン)代までの官吏選抜試験――に応募した知識人を意味していました。 ほぼ難しい漢字が読める階級と同じ範囲の人間です。また最近の日本では『週刊読書人』という新聞が発行部数が減って悪戦苦闘しているようですが、このことがいみじくもわが国の読書文化の消長を物語っていると思います。日本で「読書人」といったら、専門書以外でもカタイ本を読む人のことでした。何をもってカタイとするかはいろいろでしょうが、読む人の側からいえば、自分の職業上・職務執行上必須の知識習得のため(いわゆる実用書)以外の「自己目的的な」時には「自己充足的な」――何なら「自己満足的」でもよい――興味を持つということが条件です。余計な好奇心といってもよい。昔は「物好き」という適切な言葉がありました。

近頃、若い人が本を読まなくなったそうです。従来、本から――それは活字からというのと同義語でしょうが――得ていた情報が電波とか電子文字とかの媒体を通じて、より手軽に迅速に頭に入るようになったらだと思います。ですが、それは結局得ようとするものが情報に過ぎないからではないのでしょうか。読書は情報を得るだけが能ではありません。たしかに実用書からは有用な情報が得られますが、普通、実用書を読むことを読書とは言いません。また、まさにその種類の情報こそインターネットの方が速いのです。読書がもたらすのは、控え目に申し上げますと、情報にプラスされた「なにか過剰なもの」です。つまり余計なものです。この過剰こそが本を読む楽しみでなくて何でしょう。

「畸」という漢字があります。「畸」とはまず、田をいくら何等分かしても割り切れず余る土地を意味しました。それが転じて余計とか過剰とか余剰とかいう語義が派生し、やがては常軌を逸脱した畏るべきものという意味にもなります。われわれが読書するたびに期待しているのはこの「畸」なるものではないでしょうか。読書人は独特の好奇心に満ちた人種です。好奇心とは好「畸」心に他なりません。

さて、ここでようやく先程わが「仮想の読者」と呼んだ新しいタイプの読書人のことに話を戻します。かりにネオ「読書人」と名づけましたが、実際にはこのクラスの人々はいつの時代にもいると思います。常に心の底で「畸」なる世界と遭遇したいと思っていながら、日常社会の慣性法則に従うのを余儀なくされているだけです。こういう人々は、たとえば「眼光紙背に徹す」という言い回しもあるように、読書がただの情報摂取であることだけにあきたらず、何か「畸」なるものを渇仰し続けるでしょう。

拙老は、これからいつもこのタイプの読書人を視野に置いてものを書き、またこれをわがHPの仮想読者として発信したいと存じますナンンチャッテ。

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