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地霊伝説

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  岩園天神鳥居

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岩園古墳跡

あれはたしか昭和30年(1955)のことだったから、もうかれこれ60年も前の話になります。その頃まだ高校生だった拙生は、けなげにも詩人になろうという大それた野望を抱き、果敢かつ大胆不敵また厚顔無恥にも、ある日詩稿を『ユリイカ』の伊達得夫(だてとくお)氏のところへ持ち込んだことがあります。お宅は当時柏木1丁目という地名だった今の北新宿にありました。美人の奥さんが紅茶を御馳走してくれたのですが、当の伊達氏は拙作に目を通して苦笑されるばかり。さぞ当惑されたことだろうと思いますが、こちらの方も冷や汗びっしょりでした。詩稿が全部ボツになったことはいうまでもありません。

その時分拙生は、西脇順三郎にあらずんば詩人にあらずと思い込むほど西脇一辺倒で、自分が作る詩(?)も、体言で行を替え、助詞は行頭に置く等々何から何まで西脇を模倣するありさまでしたから、相手にされなくて当然だったのですが、その冒頭の1編だけは満更でもない出来だったろうと今でも性懲りもなく思っています。こういう詩です。

祠の奥の鏡

に数珠玉の実が

映って揺れる

俺の魂と思った

他のは全部クズでしたが、この作にだけは未だに何か捨てがたいものを感じています。わずか4行の詩句が喚起する情景に、《魂の小景》とでも呼びたくなるものが垣間見えているような気がします。この詩作以来、拙老の外界受容器官にはいつもあらかじめこれが原画として仕込まれていて、外の景色が二重写しにされるような塩梅です。もう80年近く生きていますが、この二重写しに遭遇する機会はほんのたまさかにしか訪れません。この前、それがやって来た時は一種の不意打ちでした。

2010年に大病を発する直前、筆者はこの稀有な体験に遭遇したのです。

今回、巻頭に掲げたのは,芦屋市の北東部、隣接する西宮市とは山続きの土地にある岩園天神社の正面鳥居と境内の古墳跡の写真です。この天神社は下方の打出天神社と違って、廃社でこそないがひどく荒れ果て、今では神主も常住していないそうです。境内の森の中に古墳の跡と思しい岩むらが二つあります。昔はすぐ近くにある八十塚(やそづか)古墳群の一部だったのでしょう。このあたり一帯は先史時代に巨石文化が栄えた地域であり、もっとさかのぼれば旧石器時代の縄文人が古大坂湾の海進を避けてこの高みに暮らしていたのかもしれません。現在ではもう骨も土器も見つかりませんが、剥き出しに転がる岩石の群が無言でいろいろな記憶を語り掛けてきます。

岩園天神社の岩むらは、古い時代に崩壊した古墳の石室の遺跡と見られます。市内の芦屋神社には洞窟状の石室がありますし、西宮の甑岩(こしきいわ)神社には名の由来になった巨大な陰陽石と立派な磐座(いわくら)があります。両方とも、天井や壁があるのでいかにも古墳らしく見えるのですが、これはただたんなる岩石の雑多な積み重ねです。みごとに何にもなくなっています。

前世紀の1980年代に「路上観察学」という趣向が大いに流行(はや)りました。「絶対トンネル」だの「純粋階段」だの「無用門」だの当時「トマソン」――巨人軍にいた元大リーガーで、三振ばかりするのにずっと4番打者に据えられていた選手です。さっそく《大事に保存される無用の長物》の代名詞になりました――と呼ばれた珍妙ながら楽しい概念を次々といろいろ発見したものです。写真集も出ました。

その語法でゆくなら、この岩むらなどはさしずめ「抽象古墳」というところでしょう。実在の古墳を古墳たらしめる具体的要件――誰かを葬祭したしるしである内部空間(玄室)とか築山などの外郭(たとえば芦屋市内の親王塚)――のたぐいはきれいに消失し、ただ簡略な輪郭が残っているだけなのですから。

遺跡跡に積まれた石組の間の空隙には何もありません。何も見えないのではなくて何もないのです。でもそうはいっても、ここにはかつて何かがあったという記憶が残存し、縦横奥の三つの次元による区切りがこの場所は占有されていることを明示していますから、この間隙にはいわば「時空それ自体」が充満しているといえましょう。ここには存在の芳烈な残り香が漂っています。もしこちらの身がフィルムだったとしたら、すぐに感光してしまうくらい強力な自然放射能のようなものを発散しています。拙老はその放射根源の方に目を向けました。と、先方からも同じ強度で視線が返されて来ました。あの岩の隙間から何ものかに見られていると感じたのです。岩園天神社に足を向けた日、拙老はそうした被視感を心の皮膚でぴりぴり知覚しながら境内の森をを歩きました。

天神社の鳥居は南向きで、神域の西側から東に向かって一筋の谷川が流れています。流れに沿って歩行路が付いています。その時なぜかその細径を辿って下界へ降りてみようという気が兆したのです。もしかしたら、あの岩むらの空所から何かがするりと抜け出して拙老の小紀行に同行したのかも。谷川道を下ってゆく拙老のまわりだけ、にわかに空気の成分が変わったような気がしました。山側の崖から傾いてきて道を塞いでいる倒木や竹の幹を踏み越え、潜り抜けてゆくと、さしかける日の光もは薄くなり、聞き慣れない小鳥の囀りが耳に近く響き、地味な模様のヒョウモン蝶が舞い、谷水ひたひたの低所を真っ黒な翅(はね)のトオセミトンボが飛んでいました。そこは一種の異空間なのでした。両岸に繁茂する広葉樹林の梢越しにマンションの棟が見えましたが、その眺めは遠く隔絶された日常世界というより、無理に次元をくっつけた合成写真のようでした。

だがなおも歩いている内に、だんだん流れは谷川らしくなくなり、ただの溝川になり、やがて町中を流れる通常河川に合流しました。後で聞けば、夙川(しゅくがわ)につながる支流だそうです。下界はもう西宮市になっていました。タクシーを停め、 岩園トンネルをくぐって家に帰りました。それからしばらくして拙老は髄膜炎を発病。病源は長らく不明でしたが、病院では、昔感染したきりずっと遊眠状態だった結核菌が目を覚ましたのだろうと結論を出したそうです。しかし、拙老はあの岩むらに何万年も眠っていた何ものか――たぶんわが地霊――の不死のヴィールスが、「時を得たり」とばかり、拙老という人間に安住の地を見出して棲みついたことを信じて疑いません。とはいっても、うちの荊妻はこの意見を頭から撥ね付けますけれども。(野口武彦)

コメント2件

 高瀬 光代 | 2021.08.02 15:23

偶然に拝見して親近感を感じてしまい、コメントさせていただきます。岩園町に住んで65年になります。
岩園天神には、毎日のように散歩に行っています。古墳もありますし、何より森が素晴らしいと思います。
夏でも涼しく、冬でもふんわりと暖かく小鳥たちもさえずっています。
写真で、高塚町の開発地も拝見しました。高塚山は、近隣の住民にとってかけがえがなく、保存できないかと運動してきたのですが、残念ながら開発されてしまいました。

 ugk66960 | 2021.08.03 15:59

コメントご投稿有難うございました。実をいえば、このコメント欄に反応があるのは3ヶ月ぶりぐらいで、その間、本ブログを読んで下さる方はもういなくなったのかとすっかり悲観的になっていた所でした。拙生今年で84歳になりますが、同世代者は次々と世を去ってしまい、日々寂寥を感じております。貴姉の御年齢を穿鑿するようなことはございませんが、御文面から拝察するに、ともかく互いに〈話の通じる〉年齢差と見受けられます。今後も本ブログに目をお留め下さるようお願い致します。

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