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鷺と蛙

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宮川河口の白鷺

この写真は、宮川の河口附近で餌をあさっているシラサギをヘルパーさんに撮ってきてもらったものです。歩行中です。運動感があります。水中の石をしっかりと踏みしめて嘴を伸ばし、じっと魚を狙っているようですが、何の魚かはわかりません。宮川は、つい最近までは大きな溝川みたいな流れでしたが、芦屋浜埋立てと共に、川筋が延長され、護岸工事も施されて芦屋川ほどではないが、いっぱしの川になりました。新しい河口から海水がさかのぼって淡水と入りまじり、独特の汽水域が広がってボラやマハゼが繁殖します。シラサギが探しているのもこういう種類の魚なのだろうと思います。

自分が魚になって鷺についばまれる話が泉鏡花の小説にあります。

「――頭からゾッとして、首筋を硬く振り向くと、座敷に、白鷺かと思う女の後姿(うしろすがた)の頚脚(えりあし)がスッと白い」(『眉かくしの霊』)。

鏡花の小説には「鷺」が何度も登場します。この作家の血肉にまで食い入っている個人神話の象徴体系の内部で、「鷺」は特定の意味作用を持っているのです。「鷺」はつねに妖艶な女性との二重像として出現し、男に死の恐怖をもたらします。鏡花はこれを原画としてそのいくつかの変奏を『青鷺』『白鷺』『鷺の灯』『神鷺の巻』で描いています。中でも傑作は、上に引用した一文のある『眉かくしの霊』でしょう。語り手が温泉宿の一室で美しい芸者の幽霊を見る場面ですが、その直前の夢の中で、語り手は魚になって鷺の嘴にくわえられて空を飛び、池に落とされるのです。

だいたい鏡花にあっては、基本的に、サギとは美しくて男を恐怖させたり戦慄させたりし、また自分も殺されてしまったりする妙にマゾヒスト的な女性です。拙老がイメージするサギはちょっと違います。鋭い嘴で小魚や蛙をつついて喜ぶサドっぽいサギなのです。それも可愛らしく、丸いお尻をした雌のカエルが好きなようです。なぜ唐突にカエルの話が出て来るのかと申しますと、今から20年前も拙老が住んでいたこの辺一帯にはのどかなサギとカエルの楽園があったからなのです。

その頃でも異例の眺めだったと申せましょう。土地開発のラッシュの中で、奇跡のようにただ一ヶ所、ネコの額よりも狭い池の水面が残っていたのです。 毎年夏が近づいてくると、この池ではウシガエルがいっせいに野太い声で鳴き立て、渾身の大合唱があたり一面に響き渡りました。安眠妨害になるから池を埋めろという近隣住民の声も高かったのですが、地主は頑として聞き入れず、水草が茂り、トンボが舞う貴重な水面が守られていました。時にはみごとなアオサギが蛙を捕りに飛んできた。バサバサッと羽音を立てて頭上すれすれに飛びました。

その池が思わぬ役に立ったのは、1995年の大地震の後でした。災厄はいろいろあったが、水道が止まったのには皆が困りました。飲料水もさることながら、トイレが流せないのにはいちばん参りました。方々から人々が集まってきて池の水を汲んでいきました。衆の力は恐ろしいものです。しばらく経ったら池は完全に干上がってしまいました。そしてこの年ばかりは、さしも喧しかった蛙の声がまったく聞こえてきませんでした。みんなカエルは絶滅したと思っていました。

ところが、自然には不思議な回復力がありました。池の水源は六甲山系の地下水だったらしく、どこからともなく水が湧き出して、池はいつのまにか元のように水を湛え、浮草が青々と水面を覆いました。ミズスマシもまた泳ぎ始めました。そして翌年の春、思いがけなくギコギコゲコゲコと聞き慣れた声が響いてきました。カエルたちは無事に戻ってきたのです。あの時ほど嬉しかったことはありません。

地震から何年も経ってから、池はなくなり、カエルも姿を消しました。カエルの歌もピタリと聞こえなくなりました。災害の記憶が薄れるにつれて、今度は「耐震保証付き」とやらで再び住宅建設が盛んになったのです。池は埋められ、その跡にこじんまりしたアパートが建ちました。住人は家の下の地面が以前は池だったことを知りません。わざわざ教えることでもないので黙っています。

土地造成が始まる前に、近所の子供たちが蛙をかわいそうに思い、できるだけたくさんの数を捕まえて奥山の池に運んでいったと聞きました。日本古来の言い伝えでは、蛙は自分が生まれた場所に帰る習性があるそうですから、新しい池になじめなかったり、先住の蛙たちにいじめられたりして、また群をなして古巣に戻って来ようとしたことも充分にありえます。きっとリーダーの年かさのカエルに率いられてぞろぞろ隊伍を組んで行列したのでしょう。

山道をたどり、丘を越えて帰ってはきたが、もうどこにも昔の水面はありません。消え失せた故郷の池を求めて夜道をうろうろし、人間に化けて道をたずねるカエルたちの恰好(かっこう)が目に見えるようです。このことは別に新聞にも載りませんでしたから、全員ひっそりと途中で干からびてしまったものと思われます。

池のカエルを求めて飛んで来ていたサギの姿も見かけなくなりました。サギは山の方にいくらでも群生地がありますから、絶滅はしてないでしょうが、身近に見られないのは淋しい限りです。写真のサギは、池に来たお仲間よりは何世代も若いと思いますが、もしここにカエルがいたら――塩水中に住むカエルというのは聞いたことがありません――やっぱり食べるのではないでしょうか。また、食べられはするもののカエルの方でもサギが好きだったのではないかと思います。水面に浮かんだお尻を嘴でつっつかれのが快感だという不思議な相思相愛の世界があったのでは? (野口武彦)

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