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夢の牧

奇妙な夢を見た。

鎌倉時代の奈良に来ている。昨夜はたしか芳子――荊妻の名です――と奈良のホテルに泊まったはずだが、いつのまにか単独で動いていた。そこは奈良近郊の古い町で、どうやら昔は誰かの荘園だったらしかった。町の真ん中に大きな平地があり、その端に神社が建っていて、鳥居の向こうに緑の樹木の梢と社殿の切妻屋根が覗いていた。神社は高台の上に建っていて、鳥居の脇から長くて高い石段道が上に続いていた。それを登り詰めると神社の社殿を見下ろす岡の頂上に達するのだった。

岡の頂上は意外に広く、馬を調練する馬場になっていた。そこでは鎌倉時代の人々が一頭一頭を乗りこなして兵馬に仕立ててゆくのだ。これが音に聞く牧(まき)というものらしかった。馬は広がった土地のあちこちから集められてきた。人が跨がって馬場を一巡すれば、だいたいちゃんとした兵馬に養育されるのだった。

今日は、この神社で、毎年恒例の武芸競べが挙行される日だということだった。主役は子供だ。きちんと鎧兜を身に着けたいでたちで頂上の神社まで断崖を攀じ登り、先頭を争う競技である。崖に取り付く前は、郎党たちが鐙(あぶみ)から押し上げて手伝うが、いったん登り初めてからは運任せだ。もし鎧の重さで登る途中に転落しても、それは神慮だから委細構われない。子供たちをそんな苛酷なレースに送り出した後、今度は父親たちが徒歩で石段を登る。これも競争だ。先頭の男が激しくあえぎながら、やっと石段を登り切ったのが見える。

不意に視界が変わり、拙老は神社のある高台の全景を眺めていた。桃の花が盛りだった。石段のある岡の中段に桃の林があって、毎年武芸競べの季節になると馥郁(ふくいく)と開花して神社を縁取るのだった。岡の麓を歩いてみる。町外れに岩石をくり抜いて作ったローマ時代の古い教会堂が立っていた。やたらに縦に細長く、キリスト教だったら十字架のあるべき尖塔のてっぺんには、未知の不思議な字形を染め抜いた旗が掲げてあった。エトルリア文字の「N」に似ていた。

岩造りの教会堂はピンクを帯びた濃い蜜色の堅牢な岩質で底光りしていた。芳子はこの町のどこかにいる気配がしたが、どこにも姿が見えなかった。 (6月12日暁、野口武彦記)

 

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