toggle

狸のカツレツ

これも昔の夢です。昭和45年(1970)6月のある夜のことでした。神戸市青谷の下宿で、泣きながら目を覚ましたのを覚えています。6月27日(土)と古いノートにありますから、拙老が満33歳になるちょうど前夜にあたります。

小ダヌキが生きながらカツレツになって、皿に載って運ばれてきます。パン粉の衣の下に。油で揚げられて白くなった肉が見えています。小ダヌキはまだ生きていて、手足をバタバタ動かして皿の上でウクルクル回ります。目に涙をいっぱい溜めてこういうのでした。「みんな雄々しく戦ったのに、ぼくだけは何もできなかったんです。だからこうなれって皆にいわれて、。カツレツにされたんです」。夢の中で、拙老は連れの老教授に大声で叫んでいました。「もうこんな料理はイヤだ!」

カツレツになったのはタヌキであって、拙老自身ではありませんでした。拙老はミゼラブルなタヌキを見ている第三者です。もっと正確には、タヌキの災難の目撃者です。ただ、この第三者はいささか過剰な感情移入をしています。その点を除くならば、この夢の場面運びは、いわゆる《夢の文法》における「転移」の原理を定石通りに踏まえているといえます。ここに前回少し申し上げた「夢人称」の問題が微妙にからんできます。つまり、夢では――以下これを夢空間あるいは夢界と称します――、一人称が直接現れることはなく、たいがいは三人称に仮想して登場します。今の場合、カツレツになった狸がそうです。このタヌキにはかなりの度合で拙老の一人称が「転移」していると見て間違いないでしょう。

思い返してみると、拙老は1970年代をずっと故知れぬ罪障感と共に生きていたような気がします。自分が生まれつき、それこそ先天的。先験的に深い罪業を背負っているような感じでした。理由のない自責の念とでもいったらよいでしょうか。傍目にはずいぶんお調子者のように思われていたかもしれません。しかし、飲んでいても冗談ばかり言っていても、いつも心中どこかでは自己懲罰への欲求がありました。罰は誰が受けるのでしょうか・

無意識は嘘を吐きません。意識の防御網が利かないところで、その網の目が破れたところで、ホンネは夢界の前舞台に躍り出ようとします。カツレツになった狸などは好例です。はとはいえ、油で挙揚げられるのは夢空間でも拙老の「私」ではなく狸なのです。してみると、夢は相当強力な防衛機構であるともいえそうです。(了)

 

コメント





コメント

画像を添付される方はこちらで画像を選択して下さい。