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夢の岡 (続)

(承前。江戸=東京プランの続き)

古本屋を兼ねた汁粉屋を後にしてなおも夢の散策は続きます。台地はその辺で尽きてそろそろ東側の低湿地に向って坂道が下って行きます。現実の地理では下りきった向こうの先には上野の山があるはずです。筆者不詳の古随筆『望海毎談(ぼうかいまいだん)には、上野・湯島、谷中(やなか)の3つの岡は「昔は芝浦の海の潮、この所まで入り来る入江の続き」とあります。つまり現在の埼玉県南部に浦和とか川口とかの地名が残っていることからも知られるように、6千年前の「縄文海進(じょうもんかいしん)」の頃、この辺には南北に長い入江が伸びていて、海進期が終わると共に、入江はどんどん後退して多くの沼沢を残した低地に姿を変えました。不忍池(しのばずのいけ)はその名残です

ですが、「夢の時空」を語るにあたっては、固有地名はあまり問題になりません。それは一種の抽象的構造体であり、そこでは高低・距離(遠近)・曲直などの要素が特定の組み合わせで基本的に繰り返され、夢を見るその都度一回的に具体的な時空(いつ・どこ)に当て嵌められて行くという塩梅です。

さて、汁粉屋を出た後、道筋は定かではありませんが、拙老の夢は下降過程に入ります。高台からずんずんずんずん下りて、ごみごみした町中へ入って行きます。角を曲がって横町へ。さらにまた曲がって袋小路と見まがう抜け裏に。店がいっぱい並んでいます。売っている物も飾り付けも俗悪で、あたりから陋巷(ろうこう)の匂いが漂ってきます。そこには貧困と悲惨と猥雑のすべてがありました。店に座って媚を売っている女たちの身なりも化粧もだんだんけばけばしくなり、赤い腰巻きも目に付きます。その一画を過ぎると、見世物小屋が2つありました。

とはいっても、どちらも間口が9尺、奥行き2間の長屋仕立てになっています。2つとも活人形(いきにんぎょう)の趣向でした。最初の部屋は『四谷怪談』の一場面で、お岩様がまだ毒を飲まされる前の美しい武士の妻の姿ですんなりと立っていました。次の部屋では、『桜姫東文章(さくらひめあずまぶんしょう)』の悪漢釣鐘権助(つりがねごんすけ)が土間にしゃがみ、褌を外し、紫色に膨れ上がった自分の逸物を取り出して見物人に誇示しているのでした。

(2)「芦屋―神戸コース」

初めに関西の地理を説明すると、芦屋と神戸の間は非常に短くて、六甲山麓と大阪湾の海岸線の間の細長いベルト地帯に住宅地が切れ目なしに続いています。3本の鉄道が平行して走っています。上から下に阪急・JR・阪神と並びます。芦屋から神戸大学のある六甲までの間には私鉄でもJRでも2つ3つしか駅がありません。岡本・御影などの地名で知られる割と高級な住宅街です。と、これが現実のマップなのですが、これが「夢の時空」ですと異様に変形・肥大するのです。地図にはない鉄道路線が南北に延びていて、六甲山系を突き抜けて中国山地のただなかにまで達しています。その終点に盆地があり、そこに明治時代に創建された地方貴族の子女が通う保守的な校風の女学校があるのです。今も古風な和装ハイカラな制服の生徒たちがトロッコ列車で通学しているのが見られるといいます。

(3)「地下道―刑場」コース。

夢がこの方位――東西南北のどちらでもなく、垂直の軸にぶれている――に進みかけている時は、あらかじめ意識下で警報が鳴り響きます。誰かが必死で、「あ、そっちへ行ってはいかん、いかん」と声を掛けてくれるような気がします。でも、いったん進み出したらもう引き返すことはできず、いったら怖いと知りながらも、おしまいまで歩かされてしまうのがこのコースです。いつか物の本で読んだ「反復恐怖」という言葉を思い出します。

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小塚原延命寺首斬り地蔵

たいがいは地下の坑道か地下水道のような暗く長く狭い空間をしゃにむに前進しています。その空間は進めば進むほど狭窄して暑苦しくなり、自分が腸管の中を経巡ってどこか盲管状態にある器官に押し込められ、圧縮されているように感じられます。何かが鼻孔・口腔・咽喉に詰まってイヤな味がしてきます。屍灰のようです。「おまえは今、刑場の地下にいるのだ」といつものナレーションが聞こえます。目を開くと、すぐ頭の上に異様にやさしい温顔をした巨大な石地蔵が立っていました。(了)

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