toggle

老児病症候群

うちの荊妻に「あなたはいくつになっても小児的なんだから」と、これまで何度言われたことでしょうか。あんまり何度も言われるものですから、拙老もすっかり意地になって、宋代の陸游(りくゆう)という詩人に「老翁七十に垂(なんなん)として、其の実、童子に似たり」という語句があるのをトッコに取りたくなります。拙老、来年は八十になったら、いったい何に似るのでしょうか。今いちばん似ている姿として次のimg_1125写真を掲げます。老熟したアケビの実です。もう少し時間が経ってパカッと開くのを待つだけです。

近頃、知人の噂で「誰それさんがアルツハイマーに罹ったそうだ」という種類の話をよく聞きます。昔はもっと簡明にボケとか老耄(ろうもう)とか言いました。お役所言葉では75歳以上を「後期高齢者」と呼ぶそうですが、拙老のように80になろうという年令は何というのでしょう? まさか「末期高齢者」とは言えめえから、さしずめ「スーパー」とか「デラックス」とか上に付けるに違いない。もう一つの病状には「老人性多幸症」というのもあります。老来無際限に全能感を持ったり、大風呂敷を拡げたりする症候です。これはビョーキなんですから、読者の皆さんも大目に見なくてはなりませんぞ。

* * *     * * *

年令のせいか、ついこの頃、拙老の過去の仕事を見直させる機会になるような人との接触が 2つありました。

第1は、読売新聞東京支社のS編集委員からのお申し出で、日曜版「名言巡礼」の斕に拙著『幕末気分』(講談社単行本2002、講談社文庫2005)所収の「上野モンマルトル1868――世界史から見た彰義隊」の1篇を取り上げ、その末尾で、幕末日本で活躍したフランス士官ブリュネが口にした「アナタ上野デ負ケマシタガ弱クアリマセン」以下の言葉を「名言」としてクローズアップて下さるそうです。11 月27日の日曜版に載ります。本来「お知らせ」の欄に割り振るべきかもしれませんが、ここでお披露目させて頂きます。

ですが、取材に来られたS氏のお話を伺っているうちに、おたがい力点とする所がビミョーに違うことが分かってきました。S氏はブリュネという人間にたいへん興味をお持ちで、外国人でありながら幕末の骨抜き旗本よりももっとサムライ的な「侠気の」軍人と評価されています。ブリュネ中心に人間関係を見るのです。それに対して拙老が画面の中央に置いてスポットを浴びせたのは当時16歳の若き彰義隊士、丸毛利恒(まるも としつね)の方でした。上野戦争では日本最初の近代砲撃戦で官軍にスッテンテンに負け、どうにか品川へ辿り着いて榎本艦隊に合流して函館まで行く少年武士です。大きな歴史の変わり目に、徳川幕府への純粋な忠誠心・道義的信念・主観的確信だけでぶつかり、敗残してゆくその姿に、壮絶な悲劇的アイロニーを感じ、しかし作中人物に同化せず、突き放してあの小説を完結させたつもりです。

第2は、1週間ほど前、早稲田大学の後輩とおっしゃるF氏から思いがけないお問い合わせを頂いたことです。今年の8月にノン・フィクションライター佐野眞一氏の『唐牛伝(かろうじでん)』が刊行されました。同書の読後感として、同書中にまったく野口武彦への言及がないが、当人としてどう思うか、何か一言ぐらいはないのかという主旨のお問合せ でした。ご尤もです。たとえばコトバンクを見ると、拙老の項には、「早大在学中,学生運動リーダーとして六〇年安保闘争に参加」と記しているだけで、それ以上のことは書いてありません。その空白ないしは「落丁」の部分を何とか埋めてほしいというご要望だと思います。

実をいうと、こういう種類の注文はこれまでに何度もありました。たいがいは初めから悪意のある挑発的な質問でした。そしてそれらに対して、拙老はおおむね韜晦(とうかい)の二字で応対してきました。早い話が相手をケムに巻いてきたのです。他に応対方法はありませんでした。元ブンドで評論家の西部邁(にしべすすむ)氏の文章を援用すれば、抽象論を好む氏は「資料だ情報だというふうに具体論を好みがちの大方の日本人から、受け入れられない」そうだが、拙老がいつも要求されたのは、何を考えていたかではなく、「アノ時、オ前ハドコデ何ヲシテイタカ」という居丈高な詰問だけでした。

とはいえ、今回のご要望は今までのものとはかなり性質が違うと思います。拙老が返事に困るような形の質疑ではなく、「野口自伝」などとんでもない話ですが、60年安保における拙老のスタンスを(さらにそのポジティブな意味を)再確認せよという慫慂(しょうよう)ではないかと思われますので、一度じっくり考えて見ようかと存じます。

ご想像の通り、これにはかなりの性根が必要ですので、これからこのHP2年目の重い課題として取りかかろうかと思います。しばらく時間をお貸し下さい。

とりあえず、次回は『唐牛伝』を書評するつもりです。(了)

コメント





コメント

画像を添付される方はこちらで画像を選択して下さい。