toggle

新刊お披露目

去年から持ち越しになりましたが、小説新刊書の披露をさせていただきます。タイトルは『元禄に始まる』としました。全部で6篇の作品を集めており、事によったらそのうちの1篇作としてその題を総タイトルにするかもしれません。その辺は出版社しだいです。

『元禄に始まる』とはまた自分でも多少構図が大きすぎるような気がしないでもないですが、拙老やっとこの年になって、世界観というか歴史観というか、「世」(時世と世間)の見方が形を取ってきたように思い、その見地から日本を眺めると、何だか元禄から現在まではこれをひっくるめて「現代」と扱ってよいと考えるに至りました。元禄元年は西暦では1688,末年は1704ですから、「現代」の起点はおよそ1700年前後と見てよろしい。今年2017までわずかに400年そこそこしか経っていないのです。「現代」とは、一口にいえば、個人が社会から放り出されてもう後戻りできない時代のことです。そのことは、個々の人間がいつも必ずしも自分が望む通りの生き方ができない、という簡単な一事に現れています。「現代」以前の社会では、そもそも個人が社会から放れるということ自体がまだ生じません。こうした個人と社会との拮抗関係は元禄から始まる、と愚考致します。

元禄は「風俗」がリードした時代です。この場合、「風俗」という言葉のアクセントは、風習とか風儀とかの広い意味ではなく、むしろ服装・服飾・化粧・ファッションという狭義の使い方にあります。全体として華美になっている社会を背景に個人を目立たせようとするいじらしい競い合いが「風俗」の第一線です。この作品集では都合6つの人間風俗を描きます。それぞれにテーマは違いますが、6人6様に各人がそれなりにベストの風俗の花を咲かせた跡を見ていただけると存じます。以下、各篇の狙い目を記します。

『曾根崎の女』

近松門左衛門の有名な浄瑠璃「曾根崎心中」を下敷きにしたファンタジーです。拙老と似ていなくもない中年の男が、お初と思しい女と時空の狭間をさまよいます。今の大坂キタは、時間の軸をずらしてみれば昔の曾根崎と同じ場所なのです。時の波に洗われてもお初は変わりませんでした。

『二流作家』

元禄は浮世草子の時代です。井原西鶴はこのジャンルの創始者であり、第一人者でした。その西鶴に才能の勝負を挑んで、挑み続けて、ついに及ばなかった都の錦という男がいました。本篇はこの男のそれなりに波瀾万丈の生き方をたどります。マイナーの意地の物語です。

『カネに恨みは数々ござる』

この語句は誰でも共感をもって口にしたことがあるでしょう。ですが、これが最初に出たのが歌舞伎舞踊「京鹿子娘道成寺」の長唄であることはあまり知られてないようです。鐘」と「カネ」との間には、決してただのダジャレではない、もっと深い縁があるのです。江戸の町娘の粋な手振りがそれを演出します。

『梅ヶ枝の手水鉢』

みんな若い頃きっと一度はコンパの2次会か何かでこの俗謡を聞いたことがあるはずです。皿小鉢を叩いて、♪叩いてお金が出るならば、と合唱したかもしれません。苦しい時の神頼みとして江戸時代には大流行しました。たとえ茶番で演じても効験あらかただったというお話です。

『お初観音経』

現在は「お初天神」が有名で観光地化していますが、もともとこの場所には小さな観音堂がありました。忠臣蔵の時代にも自分の性の悩みだけで心をいっぱいにしていた男女がいたのです。しがない裏長屋に住み、ひたすら観音様を信仰して済度される二人の応報譚です。

『チカラ伝説』

チカラというのは、大石内蔵助の息子の大石主税のことです。赤穗四十七士はみなそれぞれにヒーロー化されましたが、主税は一種独特のかたちで若い英雄になっています。歌舞伎の役柄では妙に色っぽいのです。こういうチカラの造型を、元禄時代を風靡したホモセクシュアルのコードにしたがって読み解きます。以上が作品集『元禄に始まる』(仮題)のコンテントです。単行本には採録しませんので、このホームページの記事だけでご紹介します。

 

 

 

 

 

 

 

 

コメント





コメント

画像を添付される方はこちらで画像を選択して下さい。