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呉座勇一著『応仁の乱』

〽なれや知る都は野辺の夕雲雀あがるを見ても落つる涙は

作者は室町幕府第8代将軍足利義政の右筆(ゆうひつ)飯尾彦六左衛門常房。およそ応仁の乱を語る人なら、必ずといっていいくらい、よく引用する歌です。出典は『応仁記』。「洛中大焼の事」という章段の最後の一行です。京都はこれまで「平安城」「花洛」と称してきたほど美観を誇り、宮殿・伽藍・豪邸が建ち並ぶ壮麗な都市空間であったのに、うち続く兵乱の結果、今は一面に赤土――まるはだかの地面――に変ってしまったという記述をこの一首が引きしめています。

なるほどこの戦乱を始めた武将たちには、細川勝元にせよ、山名宗全そうぜんにせよ、畠山家の内紛(義就よしなり政長まさながの対立)・斯波しば家の家督争い(義敏よしとし・義廉よしかどの対立)にせよ、誰にもそれぞれの利害関係やら動機やらがあったとは思いますが、いずれも自分の挙兵はそれだけの規模で戦争目的を達成できると思っていたようです。錯覚でした。一度だけの軍事行動では目標は完遂できず、相手方も同じことで、合戦は合戦を呼び、一門一族の抗争はたがいに同盟勢力を引きずり込んで動員し合い 、そのうちに一国の範囲では納まらず地方規模に拡大しました。軍勢の数も最後には数万に膨れあがりました。そして、それこそ流行歌の歌詞に「おのおの京をめざしつつ」とあるように、一国の首都は常に決戦の地になりますから、数多の軍兵が都会で勝手に暴れ回ります。多くは足軽・雑兵のたぐいで高尚な戦争目的もヘチマもありません。暴行・略奪・放火思いのままです。京中が焼野原になって不思議はありません。

今の日本には、一国の首相と内閣官房長官が「北朝鮮には、サリンを搭載したミサイルを日本に打ち込む準備が出来ている」と明言する時代が来ています。政府首脳のこうした緊迫感に比べて民衆はいかにもノーテンキに振る舞っているみたいですが、心の深い所ではひそかに危機意識が進行しているのかもしれません。何といっても破局的な戦争を回避する当事者能力が日本にはなく、戦端の開否は、どう見てもヘンな2人の政治家の手中にあるのですから処置なしです。こんな風に処置なし、当事者以外お手上げの事態は、かつて日本に応仁の乱が起きた環境と非常に似ています。

最近、中公新書の一冊として刊行された呉座勇一(ござゆういち)氏の『応仁の乱』が評判になっているそうです。新聞広告では、「続々重版!31万部」とあり、社会学者大沢真幸(おおさわまさち)氏の推薦文には「けっこう学術的なこんな本がよく売れることに、ふしぎを感じる」(朝日朝刊2017/4/9)とあります。この数字を素直に信じれば、これは「ふしぎ」以上に「信じられない」現実です。拙老がボンヤリしている間に歴史の読者もずいぶん変わったものだと思います。かつての歴史物ブームはすでに去り、歴史の読者は専門書を力読するエキスパートか、大衆的歴史小説の読み手かに二分されていたからです。

ではなぜこの「ふしぎ」が起きたのでしょうか。その謎を解く鍵は編集者も広告文で力説している「英雄なき時代のリアル」ということにあると思います。

リアルとはどういうことでしょうか? 一つには、われわれが、たとえば現今のホットな世界動勢――日々刻々動いている情勢――から切り離され,完全に聾桟敷に置かれながら、起こった事の結果だけは全部引っ被るという現実が、動かし難い事実としてあることを認めざるを得ない立場は、まさにリアルです。呉座氏は 応仁の乱に対してそういうスタンスを確保しており、その間合は世界戦争に対する現代日本人の姿勢と正確に比例しています。

ところで、リアルとは何でしょうか。今更めきますが、realというのはラテン語で「事物」を意味する名詞rēsから派生した形容詞reālisが元になっている言葉で、「物的証拠」という場合の「物的」、モノというよりブツの、即物的な、ゲンキンな……といった語句に共通する意味成分をそなえています。リアルはレアルではないといえばそれまでですが、語源から引き継いでいる意味成分の原質はいつまでも生き残るものです。

『応仁の乱』で提示されるリアルは、読者に対して二重に呈示されます。①は、史料に『経覚私要鈔きょうがくしようしょう』『大乗院社寺雑事だいじょういんしゃじぞうじき』という奈良興福寺の僧経覚と尋尊じんそんの日記を選び、「乱に関する質量豊かな記述」を活用していることです。ここにに発揮されている考証の手腕は玄人芸の域に達し、感服に値します。史料をこれに絞ったことはおのずと事件の叙述に『視点人物」を設定したことになり、その視野に入った事柄は「事実」として受け入れられ、また他方、その見聞に入らないことは切り捨て可能になります。あやふやな「史実」にもとづく推測や憶測は不必要です。ここにおいてリアルであうとは「堅実」を意味します。

『応仁の乱』におけるリアルの主張は、②として指摘しますと、これまでの「応仁の乱」論の決まり文句――呉座氏はこれを常套句(クリシェ)化した先入観と見なす――に対する批判・否定と一体化してなされています。その先入観とは、応仁の乱を「下の階級の者がその上の階級の者に対して闘争を起こし、打倒することで歴史は進歩する、という歴史観」の考え方のことです。つづめていえば「階級闘争史観」「下克上(げこくじょう)史観」のことであり、呉座氏はそれらに反発することに急であるように見受けられます。もしかしたら、同世代と思しい編集者もそれをエンカレッジしているのかもしれません。

たしかに「階級闘争史観」「下克上史観」のたぐいがわれわれの歴史への接し方に偏差を持ち込んだのは事実でしょう。それでだいぶ損をした向きもあると思います。しかし考えてみれば、害毒がを生じさせた責任は、階級闘争・下克上そのものにはなくて、それらを眼鏡にじた「史観」の方にあるのではないでしょうか。階級闘争はギリシャ・ローマの古代からありましたし、「下克上」という言葉の初出は――もちろん先刻御承知でしょうが――室町時代より早い建武年間(1334‐38)「二条河原の落書」です。いずれも歴史の動因になっていることは打消しがたい事実です。

一頃ポストモダニズムの全盛期に「大文字の歴史」はよそうというスローガンが流行したことがありました。主敵はマルクス主義史観でしたが、歴史historyをHistotyとして何らかの理念の貫徹過程と把握することへの異議申請だったと思います。本書『応仁の乱』におけるリアルの主張が、大文字主義を否定するあまり、いわば「小文字主義」になっていはしないかと、老婆心ならぬ老叟心ながらいささか杞憂する次第です。というのは、史観はともかく、書かれる歴史は、史論ぬきの史実の記述だけではついにあり得ず、歴史の読者はただの諸事件の連鎖では満足せず、何らかのプロットを期待しますから、歴史は歴史過程(何が どう起きたか)と原理過程(起きた事柄にどんな意味があるか)の永遠のせめぎ合いにこそ生命力の源があるからです。  了

(昨朝――2017/04/16朝――北朝鮮のミサイル発射が幸いにも失敗したために、このHP更新も無事に済ませることができました。次回はどうなることでしょうか?)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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