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ネオ佐幕派史論テーゼ

先月(2017年4月)105歳の天寿を全うして他界した拙老の義母は、明治45年(1912)の生まれでした。ギリギリでも明治生まれというと、それだけでも一目置かれたたそうです。生前しきりに、最近は何の書類にも生年月日を書き込む欄に「明治」おいう年号がないといってこぼしていました。うちの荊妻もいろいろ手続きをするために市役所へ行くと、故人の生年が明治と聞くと急に応対が丁重になったということでした。「明治」の御威光はたいしたものです。

最近、テレビなどで「昭和のニオイがする」という言葉をよく聞きます。拙老などは自分のことが褒められているのか――「薫陶(くんとう)を受ける」とか「芳躅(ほちょく)を踏む」とかいうじゃないですか。両方とも香ばしいカオリのする言い回しです――と小鼻を膨らませたのが大間違い。どうやらあまり良くない意味で使われているみたいなのです。古くさい、ジジムサイ、加齢臭がするといった一連の薄汚れたニュアンスがつきまとっています。明治と昭和とにはまだだいぶ開きがあるようです。

「明治」は45年続き、「平成」の62年に記録を破られるまでは、これまでの歴代元号では最長を誇っていました。しかしこれら元号史上の1位と2位の間には大きな格差があると見られています。

なぜこのような違いが意識されるのでしょうか。昭和の評価はまだ定まらず、いまだ係争中であるのに対して、明治の方はともかくも偉大な時代だったという定評が出来上がっている事情があると思います。何しろ明治の御代は、長く世界から孤立した蒙昧(もうまい)な半未開国をわずか20年で一流の近代国家に生まれ変わらせた奇跡の年紀なのです。後世がこぞって仰ぎ見るべき聖代でした。

一般にどんな時代でも直近の過去は短所・欠陥が目立つものなのですが、明治時代には前代を軽んずる気持がひときわ強かったようです。よく引かれる例に、「天保の老人」というのがあります。「明治ノ青年ハ天保ノ老人ヨリ導カルルモノニアラズシテ、天保ノ老人ヲ導クモノナリ」(徳富蘇峯「新日本之青年」)といった調子で、まったく怖い物知らずの勢いでした。

「平成」はたぶん今年いっぱいで終わりになり、次の元号がどうなるかは知りませんが、どうやら「昭和・平成・χ」の3代が一まとまりになってこの多事多難だった一世紀を何らかの形で完結しそうな気配です。事によったら、それは政体の大きな変革を伴うかもしれません。その結末が拙老の一生のサイクルに間に合うかどうかは微妙なところです。(5月3日のニュースでは、とうとう「憲法改正」の発議が日程に載せられる由。してみると、あまり微妙じゃなさそうです。)

明治の青年たちは同時代を絶対視し、その進歩性・建設性・向日性を強調するあまり、日本社会が江戸時代に積み残してきたものを顧みる余裕がありませんでした。時代が進み、近代社会が目を瞑っていた抑圧や貧困や不安が表面化して来るにつれて、こうした社会の「不調子」(北村透谷)に対する不平不満の数々が噴出しはじめ、そのあるものは「佐幕派イデオロギー」の外観をまといました。

しかしこの「佐幕派イデオロギー」たるや、これといった社会的支持勢力もなく、まことに寥々(りょうりょう)微々たるものでありました。「佐幕」とは「幕府を佐(たす)ける」という意味です。だけどもう幕府はどこにもありません。最後の将軍、徳川慶喜も早々と権力闘争をオリました。旧時代の封建領主たちは金禄公債を使い果たして没落するか、財産を資本に変えて新しい支配層になりました。この新支配層が、江戸時代の基本的な対立軸「尊皇/佐幕」のうち、現行政治体制のまるごとの容認をイデオロギー的に支える「尊皇」の側に回ったことはいうまでもありません。いきおい「佐幕」の支持者は野に下り、民間に散らばり、徒党化するしかなかったのです。

実際の話、明治時代になってから「王政復古」ならぬ「幕政復古」を叫んだ勢力は 皆無でした。ですから「佐幕派イデオロギー」とは事実上「佐幕派アナクロニズム」に他ならず、主張する当人もそれが現実には何の力もないことを知り尽くしているわけです。葵の旗を立てて銀座をデモったという話はあまり聞きません。

その代わり、近代日本ではすべて反体制的・反政府的・反権力的・反筋力的……等々およそ「反」の字を冠した無政府的エネルギーはことごとく「佐幕派」と結びつきました。維新内戦の敗者だった江戸っ子の数少ない自慢のタネといったら、新撰組と彰義隊しかありません。さら佐幕派陣営のヒーローを探るなら、長谷川伸の股旅物に描かれている関東の無宿者たちがこれに加わるでしょう。「佐幕派」的心情はかくして反政治的である以上に脱政治的になります。

現代日本で佐幕派の今日的意義を喋々(ちょうちょう)することは何かになるでしょうか? 「死児の齢(よわい)を数える」という言葉がありますが、これはまるで死んだ後で生命保険を掛けるようなものです、どう考えても現実の政治勢力になる気遣いはありません。それでも「佐幕派」はいまだに不思議な存在感をもって存続しています。「一朝事ある時」ではなく、そう遠くないかも知れない不定の将来、現行政治が煮え詰まってニッチもサッチも行かなくなり、社会の隅々に無辜(むこ)の民のウラミツラミが飽和に達した暁、不意にどこかから躍り出ると夢想されているのが、このネオ佐幕派なのです。   了

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