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科学者の特別待遇

このところ北朝鮮政府の核実験・ミサイル発射実験が度重なって、というより「乱射乱撃」雨あられの有様で、さしもノーテンキな日本世論もこれを無視しがたくなっている状況のように拝察されます。ことわっておきますが、拙老はどちらかといえば何事に対してもノーテンキであることは、むしろ日本国民――さすが150年前に徳川幕府の瓦解を他人事のように見殺しにした江戸庶民の末裔です――の美徳であると考える立場です。

破滅的な核戦争の危機がダモクレスの剣のように頭上に覆い被さっている状況は、世界史的には新しいことかもしれません。しかし、遍満する「死」の脅威を日常感覚として慣れ親しみ、平生の心理として飼い馴らすことなら、すでに日本の古典文学がマスターしています。軍記物語などではこんな場合、いつも「われに自然のことあらば」と表現するのが常でした。「もしも」が「自然」だったのです。

北朝鮮の軍事力増強の現実を見ていると、拙老の世代は自然に1930年代のスペインを思いだします。当時のスペインは人民戦線政府が樹立されたばかりの弱小国家でしたが、この時期この国はスターリン時代のソ連とナチスドイツによる最新兵器の実験場になりました。その研究成果は成果その後第二次世界大戦で実地に活用されました。現代の北朝鮮にはおそらくロシアとイランの科学技術がものすごい速度で流入しているものと思われます。

情報によりますと、最近のミサイル発射技術の改良点は次の3点だそうです。

  • コールド・ラウンチング
  • ロフティッド発射(空中点火)
  • 固体燃料

専門的な事柄はよくわかりませんが、興味深いのは短期間にこれだけの成果を挙げた科学者・技術者たちに北朝鮮政府が示した破格の好待遇です。金何とかいう物理学の教授は陸軍中将の階級をもらい、その他この国益的研究に従事した面々はみなマンションと年金を貰ったそうです。

学問研究は国家権力――じつは権力を手中にしている連中――のための物ではないとよく言いますし、その通りだと思いますが、自然科学者にはだいたい無邪気な人々が多いようです。自分の研究がお国の為になると、強烈な愛国心をもって信じ込んだら始末に負えますまい。

かつてアメリカが国力を上げて原子爆弾の開発に取り組んだ時も同じようなことが起きました。しかし一点だけ違っていたことがあります。広島に最初の一発が落とされた後、優秀な頭脳の人々の間に深刻な懐疑が生じたことです。もちろん、あれは正義の発明だったと信じて疑わない学者もいましたが、中には心の底から悩んだ人もいました。アインシュタインの場合は有名ですし、水素爆弾の開発に反対したオッペンハイマーやフェルミもそうでした。

初期の原子力開発の研究者の一人にジョージ・ガモフという愛すべき人物がいます。日本では『不思議の国のトムキンス』を始めとする通俗科学読物の作者として有名ですが、物理学の世界では屈指の天才で、あの「ビッグバン理論」の創始者だといえばうなずかれる読者も多いでしょう。

拙老がこの人物が好きなのは、その何ともいえないユーモア感覚です。

ガモフは1904年にロシアのオデッサに生まれましたが、のちアメリカに亡命します。ちょうどロシア革命がスターリン時代に変わる時期でした。ブハーリンやモロトフに会った話とか、ソヴィエト官僚の石頭のこととか亡命の動機はいろいろありますが、ガモフが「こりゃととてもヤッチャイラレナイ」と思った理由は「唯物論的弁証法」だったということです(ガモフ自伝『わが世界線』)。「唯物論的弁証法」はロシア語で「マチェリアリースチェカヤ・ディアレークティカ」というそうですが、ガモフにはこの言葉が同じロシア語の「マチェールシチーナ」と聞こえたらしいのです。直訳すれば「母親の・方言」となりますが、要するにいちばん卑猥な悪罵のことです。「オ前ノカアチャンデーベソ」の類いでしょう。

そのガモフは、自伝によれば、1948年までアメリカ政府から核爆発に関する研究に従事する資格を与えられなかったそうです。亡命前にソヴィエトの赤軍砲兵だったことがその理由です。その後、海軍省軍需局の高性能爆薬部の顧問に迎えられたことが非常に嬉しかったと言っています。この頃、アインシュタインとの連絡係をしていたそうです。回想中に出て来る科学者たちはまるで子供のように純真で、こういうすぐれた才能が発見した自然界の秘密を「国益」のために利用する政治家や軍人が憎らしく思えます。

ガモフは1968年に急死しました。死因は肝不全と公式にはありますが、アルコール中毒だったという説もあります。そんな翳りの部分も拙老がこの人物が好きな理由の一つであります。  了

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