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烏歌万歳楽

恐竜が岡全景

左上端に甲山(かぶとやま)、右上端に恐竜が岡の遠景

タイトルにした「烏歌万歳楽(うかまんざいがく)」というのは本当にあった舞楽の名です。唐の則天武后(そくてんぶこう)の時代の作といいます。どんなものだったのか知りませんが、その字面だけをお借りしました。沢山のカラスが群れ集まって当世を寿(ことお)ぐという場面を想像すると面白いです。

上に並べた写真は拙老がいつもリハビリで歩いているマンション屋上から東南方向を見た風景です。変則的な連続写真のつもりで御覧下さい。それぞれ縮尺が違うので一枚の画面になりません。ごめんなさい。カラスたちも日頃おそらくこんな視界を鳥瞰しているのでしょう。右から左に眼を移してゆくと一匹の恐竜が地に伏して 、時あらば甲山に躍りかかろうとしている地形が見えて来ると思います。

この前 お話しした老鴉スローニンはその後姿を見せません。ぷつりと消息が絶えました。後継ぎがまだ決まっていないのか、リーダー格の若いカラスがまだ選ばれていないのか、こちらに強い印象を与えるほど個性のあるヤツにはその後出会っていません。そうかといって別にカラスの顔ぶれが変わったのでもなさそうで、どうやら以前のように寄り集まって談合する場面が少なくなったみたいなのです。カラスたちの談合の材料といえば、巣を作る森の配分とかエサ場になるゴミ捨て場の情報とかどこの家が廃屋になりそうかの予想とかに限られていたのですが、つい最近、カラス界の常識をくつがえすような事態が起きたらしいのです。

上掲の写真に見える風景は、基本的に、遠見の甲山やはるかな生駒の山景は別として、マンション群の合間合間に緑の山林が頭を覗かせるという構図になっています。少し前まではこの構図は逆で、山林の切れ目に建造物の屋根が見えているという感じだったと思います。一昔前はほとんど樹木の梢ばかりだったようです。『細雪(ささめゆき)』の時代の話です。大正=初期昭和の好景気で蓄えられたカネは土地に姿を変えて阪神間に瀟洒な住宅地を作り上げました。現在は土地がカネに変えられる逆転現象が起きているわけです。

長生きをすると一つ身に付くのは、嘱目(しょくもく)の視界がたんに現在形だけではなく、いくつもの時制で見える不思議な視覚です。拙老などは第二次世界大戦後の焼跡に、東京に武蔵野が蘇り、富士山が指呼の間という感じで身近に見えた時代を生きているし、明治初期の東京では江戸以来の武家屋敷が茶と桑の畠になった光景もよく覚えています。目の前の風景がいつまでも変わらないなどということはあり得ないのです。

ところが、今この界隈のカラス界にはとてつもない災難が降りかかろうとしているみたいです。山林を伐採してその跡にマンションが建てられるという噂が広まっています。カラスには巣がなくなるわけですから死活問題です。阪神間一帯は先史時代に巨石文化が栄えた地域で、古墳遺跡が多く、そのいくつかは皇族の墳墓(親王塚)に指定されたり、ご神体の磐座 (いわくら)として保存(芦屋神社 、甑岩こしきいわ神社等)されたりしています。それほどの由緒も伝承もない古墳群は、あわれやブルドーザーにつぶされる運命にあります。最近、カラスたちに元気がないのもそれを予感してのことなのでしょうか。

もっとも、これは拙老の勝手な思い込みであって、カラスたちはただ無邪気にカアカアと、あの「烏歌万歳楽」を謳歌しているだけかもしれません。   了

 

 

 

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