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8月断想

夏の幉 butterflyandsky.fan.coocan.jp より

今年の夏は猛暑でした。(もっとも、これは西国に限ってのことらしい。)生来身体は丈夫な方で、あまり夏バテなどしたことのない拙老でしたが、今年ばかりは年齢のせいかギラギラ照りつける太陽には閉口しました。8月はどうも叶いません。T.S.エリオットの『荒地』の有名な冒頭:「4月は残酷きわまる月だ」じゃないが、どうやら拙老たちのような「生き残り」年齢層にとっては「8月は一種特別な月」であるようです。

日本浪曼派の詩人伊東静雄に「8月の石にすがりて」(詩集『夏花』)という絶唱があります。

八月の石にすがりて
さち多き蝶ぞ、いま、息たゆる。
わが運命(さだめ)を知りしのち、
たれかよくこの烈しき
夏の陽光のなかに生きむ。

いつだったかこの最初の5行を読んだ時、拙老は不思議な錯覚を感じたことを覚えています。これはてっきり昭和20年8月15日つまり「敗戦の日」の感情を先取りたもののように思えたからです。もちろん、そんなことはあり得ません。この詩は昭和11年に作られた作品ですから、9年後に日本が戦争に負けることなど知るはずはないのです。でも、この詩は驚くほど予感的です。敗戦の運命(さだめ)がすでにいち早く感じ取られています。詩的真実というものはやはり時間を越えているのです。

昭和20年の夏も猛暑でした。少くとも敗戦の日、東京の天気は太陽が輝く晴天でした。作家の髙見順は『敗戦日記』の8月15日の条にこう書いています。

——遂に敗けたのだ。戦いに破れたのだ。
夏の太陽がカッカと燃えている。眼に痛い光線。烈日の下に敗戦を知らされた。
蝉がしきりと鳴いている。音はそれだけだ。静かだ。

たしかに、あの日は蝉の声が盛んで、まるで耳に沁みるようでした。そのことは、いろんな人がいろんな風に書き残しています。しかし、次のように記した人もいます。実際に蝉が鳴かなかったのか、それとも耳に入らなかったのかは分かりません。

十五日(水)炎天                                      ◯帝國ツイニ敵ニ屈ス。

当日、こうとだけしか書けなかったのは山田風太郎です。引用したのは『戦中派不戦日記』のこの日の記載の全文です。翌16日からは打って変わったように多弁になりますから、かえって、この意気消沈ぶりが実感だったろうと推察できます。「炎天」――焼けるように照りつける日ざしだけが印象に刻み込まれたのでしょう。

8月は、「大日本帝國」時代の記憶と結び付いて、朝鮮民族にも特別な季節だという印象が残っているようです。 8月15日は日本による植民地支配が終結した日ということで、韓国では「光復節」、北朝鮮では「祖国解放記念日」となり、それぞれ特別な日にされています。とりわけ今年は北朝鮮がグアム島周辺にICBMを射ち込む計画を立てているとかで、こういう情勢になると、8月はまた新たな炎暑の悪夢に魘(うな)されることになりそうです。すなわち熱核戦争による破局の予感です。

しかしわれら現代人は意外にケリリとしています。数十年前のキューバ危機の時ほど深刻には受け止めていないようです。すっかり慢性化した脅威にワルズレして鈍感になっているのでしょうか。それともいたずらに恐怖症に罹らないための防衛機制が効いているのでしょうか。

いずれにせよ、極熱の8月はもうすでに先験的に内面化されているものです。  了

 

 

 

 

 

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