toggle

植物時間・人類時間・政治時間

去年もたしかヒガンバナの写真を当ホームページに載せましたが(『ヒガンバナ幻想」参照)、それに比べると、庭のヒガンバナは今年の方が威勢がいいようです。少くとも株の数が増えています。最初はいかにも貧弱な花叢がヒョロヒョロと伸びただけでしたが、毎年着実に地面の占有面積を増やしています。短命な花の癖に、種(しゅ)としての命はしぶとく長いのです。かといって、たとえば皇居のお堀の斜面の見事な、「火の花団」と呼びたくなるような群落にまで成長するにはあと何百年もかかると思います。(左は自撮、右はmokurou.blockspot.com より)

〽曼珠沙華過ぎし彼岸を訪ぬれば主無き庭に花の一叢

きっと拙老がいなくなった後、この地面には憎たらしいくらい元気なヒガンバナの繁茂と開花で賑わうことでしょう。週に何日かリハビリで屋上に出ますが、そこで小耳に挟むカラスたちの会話では、人間がいなくなった跡地をどう分け合うかの談合はもう成立しているようです。しかしそのうちに生ゴミも出なくなってカラスの飢死は不可避で、その後の時代はゴキブリの天下になるそうです。だけど、動物は放射能に弱いから次々と死に絶えて地球はやがて植物の世界になり、それが何百世紀も続いた後は、ただ粘菌類だけが嬉々として地表を這い廻る生命体の千年王国が実現するでしょう。

人の一生は長いようで短く、花の命は短いようで、けっこう長いのです。

長い短いは必ずしも寿命のことだけではありません。「~~時間」というふうに何かの世界に固有する時間の構造はだいたいその何かの再生産サイクルに関係しているようです。植物の時間は地球の公転周期に依存しているし、人類の時間は、文明の発達度にもよりますが、概して月の公転周期が基本的リズムをなしているような気がします。月々の女性の生理循環やサラリーマンの月給制などにその新旧の痕跡が残っています。

政治時間にも周期はあります。しかしきわめて短いのです。ひとしく再生産に関係するといっても、主として個体保存をめざし、種属保存を指向するものではなくなっているからでしょう。自分の仕事の「公(おおやけ)」性、公共性、「みんなのため」という目的への奉仕、人間社会への貢献etc.を公言しない政治家はいません。政治家は表看板として常に「公」性を堅持しなくてはなりません。つまり人類の種属保存に貢献することを旨とします。

しかしその反面、政治家は一私人でもあります。「公」が100パーセントで「私」がゼロであるような政治家は、皆無とは申せますまいが、マアあまりいらっしゃらないでしょう。私利私益の追求は、もちろん、一個人が個体保存のみをめざす本能から発しています。

政治家の私利私欲といっても、よくマスコミの餌食になるような「物欲」「金銭欲」「色欲」「名誉欲」ばかりではありません。政治家にとって時にはプラスにも作用し、それだけでは毒とも薬ともいえない「権勢欲」というものがあります。短周期の政治時間は、行きつくところ、この権勢欲の成就という極限に収束するみたいです。多くの政治家はこれに執着して身を滅ぼします。そういう筋書を絵に描いたように、生々しい政局ドラマがつい最近起きているじゃないですか。才女、才に溺る。一時は政治地図を塗り替えるほどの勢いを示した一女性政治家がいかにも女性的な好悪の感情を押さえきれなかった結果、せっかくのチャンスをフイにしました。アレヨアレヨという間の、物の哀れさえ感じさせる結末でした。  了

 

 

 

 

 

 

 

 

 

コメント





コメント

画像を添付される方はこちらで画像を選択して下さい。