昔の人には先見の明があったのでしょうか。それとも歴史は繰り返すのでしょうか。何百年どころか、何千年も前の古い言葉には、今の事が言われているような気がします。
鞠躬如也、如不勝。(論語・郷党きょうとう編)
きくきゅうじょたり、たえざるがごとし――――鞠まりのように身をかがめて恐れ入り、センセンキョウキョウとしている様子をいう言葉です。
憎まれっ子世に憚る。(江戸いろはかるた)――――特にコメントの必要なし。
敵は本能寺にあり。(明智軍記)――――その瞬間、男の胸には自分も天下を狙えるという野望が兆したのでした。
非復呉下阿蒙。(三国志・呉志)
またごかのあもうにあらず。――――もういつまでも田舎のオッサンじゃないよ。
巧言令色鮮仁。(論語・学而篇)
こうげんれいしょく、すくなしじん――――故タカジンが菊人形にしたい顔だと言っていたのを思い出します。
上下交征利而國危矣。(孟子・梁惠 王りょうのけいおう)
しょうかこもごもりをとりてくにあやうし――――誰も彼もが利得に目の色を変えるばかりだったら、国は亡びますわよ。
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みんな古言古辞です。文責先賢。桃叟妄語。 完
フォロワーというんですか。そうなりつつあります。朝見たスマホでは、また宿題を課されレポートを要求されているような気がしましたが、半日後にパソコンで見たら解説が続いており、「鞠躬」等の解説と舌鋒鋭い女史についてのコメントがありました。怠惰で出来の悪い学生にはありがたいことです。
それにしても先生、ペースが早いようです。根をお詰めになりませぬよう。
冒頭の写真、巨大なマントヒヒとちぢこまったブルドッグみたいですね。睦まじい犬の仲です。
貶めた手前、私は尾羽打ち枯らした旅ガラスとでもしておきます。