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往事片々ウクライナ小事 付 雑俳連句へのいざない

ウクライナが世界のどこにあるのか。今では多くの日本人が知っていまが、1960年にはあまり知る人はいませんでした。まだソ連崩壊以前の時代の話です。桃叟老人もまだ22歳だったその頃は、世の中に日ソ学院というものがあって、この年安保反対デモの間の小閑期にそこへロシヤ語を習いに行ったことがありました。あるクラスで予定していた講師が急に休みになり、代理で教室に来たのは初老の品のいいロシヤ婦人でした。当方は初級もいいとこでしたから、授業はほとんど聞き取れません。しかしその合間に雑談風に語ってくれた言葉だけは、今でもはっきり耳に残っています。

「ナ ウクラーイニェ、ムノーガ ツベトーク、ムノーガ ムノーガ(ウクライナには花がたくさん。たくさん、たくさん。」

簡単な単語なので意味はよくわかりました。もしかしたら聞き取れた単語だけを頭の中で並べたにすぎないのかも知れませんが、とにかく理解できたんです。この言葉を発しながら、婦人がじっと遠くを見るように凝らした眼が忘れられません。たしかにこの時、22歳の桃叟の目にも百花咲き乱れる草原の風景が現じていたのです。はるか後にイタリア映画の『ひまわり』にでてきた野原も、それから今年、戦場になったウクライナでロシヤ兵にひまわりの種子を見せて抗議する農婦も、なぜか初めて見る情景じゃないような気がしたのもたぶんそのせいでしょう。

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ここからは、俳友グループの面々への提案です。

令四「彼岸とて」歌仙が満尾して一段落。ここでしばらく休養することにしましょう。といっても何もしないのではなく、ちゃんと勉強は続けます。われらの連句世界をもっと豊富にするために雑俳の修行をしようと思うのです。連衆の皆さんはそれぞれに連句の原理――36の破片を連ねて一種の物語絵巻を作る――を呑み込んで来ていますが、まだまだ独詠句――句主個人の感慨発出・経験発露・感想吐露などが主力になる――の習癖が抜けていない、という印象です。連句の世界には「自己離れ」しなくては身に付かない事物・事象がふんだんにあるのです。

このような「自己離れ」をするのには江戸の雑俳から多くが学べます。江戸人のドライな唯 「物」論、タダモノ論はものみなを物化し、冷眼視し、笑殺しないではいません。雑俳にはその即物的客観性が生きたセンスになっています。

雑俳は初め、「雑句」「狂俳」などといわれて蔑まれ、漢詩・和歌・連歌・俳諧という因襲的な詩歌ヒエラルヒーの序列では最下層に置かれてきた文芸でありますが、不思議な生命力を持っていて、目立たず広く深く広がっていたジャンルなのです。次元が低いの低俗だのといわれるのを承知の上で、撒き散らした世俗の灰神楽で花を咲かせてみようという開き直った芸当なのです。などと

よろず簡略を好むのが庶民文芸の常ですから、五七五に七七を付ける連句形式も長ったるいというので、「切句きりく」(別名「五文字取」)といって初五を頭 にして残り12字を後につける形式ができました。これが後世「笠付」「烏帽子えぼし付」などの別名で流行沁ます。最初は季トカ切字とかには頓着しなかったらしい。素朴な庶民には――現代でもそうだが――コトバを五七五にまとめるだけでも日常口語とは違う《言語の異化》つまり韻文化・詩化がなされたと信じたのです。

今回は雑俳の練習問題として落語の定番にもなっている「くちなしや」の五字を頭にして後12句を付けて下さい。これはなかなか難問ですぞ(本ブログ2016年6月26日の「クチナシ昨今」参照)。いくつもある例歌にかぶらないようにするのは大変だと思います。熊さん八つんがギャフンというようなのができたら、江戸の大家さんにならってやつがれ不肖桃叟が景品を進呈致します。尾。

 

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