[お披露目]
かねてから持ち越していた逝妻芳子を追悼する歌集『うつつの津の国』が、このたび詩歌中心の出版社砂子屋書房から刊行されます。発行日は芳子他界後3周年に当たる――世の常の三回忌とは違います――2022年9月25日を予定しています。版元がふだんと別なのは、逝妻を偲ぶ思いをミソヒトモジの語形に託する特別な語感への通暁を期待したらです。平たくいえば、下手な腰折れ歌でも歌い込んだ「まごころ」は和歌って貰えるだろうと信じたからです。この刊行は、桃叟これからの――生涯最終のサイクルに差しかかる――仕事の取っかかりになるでしょう。
[近況]
この頃冗談でなく、言葉がうまく出なくなりました。何しろ人と話さないので、口がどんどん重くなります。人と話すのが一苦労ですので、家に来るヘルパーさん・トレーナーさんとも会話が面倒です。「語」は出て来るが、それを「文」にまとめるのが面倒なのです。この分では、そのうちに当方は話し言葉がすっかりダメになるでしょう。今も電話じゃ通じません。目下は対策として、スピーチトレイナーの指示通り、「パ・タ・カ・ラ」――発声がいちばん難しいそうです――を必死で口唱しています。
もちろんあまり我儘を言える立場じゃないが、こういう境遇になると相手の人間が見えて来るという面もある。こちらの言うことを何度も聞き返してくれるタイプと聞こえたふり(話が分かったふり)をする人とにハッキリ別れます。こちらも一所懸命になりません。
話し言葉はこういう具合ですが、さて書き言葉の方はどうなるでしょうか。これからが正念場になると思います。
徳川九代将軍家重のことを思い出します。家重は脳性麻痺で言語不明瞭。レロレロとしか物ヲ言えず、ために世間から暗愚とされた。父吉宗は英邁な八代将軍。しかも弟は田安(たやす)宗武(むねたけ)――将軍職を嗣がずに高名な国学者になった――という秀才でしたから、よけいその不肖ぶりが目立ったわけです。後世の歴史評価、たとえばNHKの大河ドラマなどでも家重の言語障害は定番になっています。
ところが、ここにただ一人、この家重の言葉を聞き分けることができた家臣がいた、と篠田達明氏が『徳川将軍家十五代のカルテ』に書いています。家重に側用人として仕えた大岡忠光(ただみつ)です。最初はただの旗本だったが、不明瞭な家重の言葉が理解できる特技によって異例の出世を遂げて大名に進み、若年寄(老中に次ぐ重職)に栄達しました。権勢もあったと伝えられます。ちなみに名奉行の誉れ高い大岡忠相(ただすけ)はこの忠光の一族です。
桃叟老人は、篠田氏のように家重が「知的にすぐれた脳性麻痺者だった」とまでは思いませんが、自分の今の体験からも、懸命に口にする言葉を聞き取って貰えなかった家重さんのもどかしさ・口惜しさが身に沁みてわかるような気がします。 畢。
十五代のカルテ、面白そう!
介護士をしてる私の妹も、入居者さんのモニョモニョ言ってらっしゃるのを聞き分けます。わたしにはさっぱりで、まったくすごい能力だなとシミジミ感じます。