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百年・百歳・百年目――――亡妻追憶九首

百年・百歳・百年目

 厚生労働省の発表では「人生100年時代が本格的に射程に入ってきた」そうです。平均寿命百年が来たとのことです。今年85歳を迎える桃叟は複雑な気持になります。「めでたくもありめでたくもなし」と一休禅師の口真似をする他ありません。

古人もまさかこうなるとは思っていなかったらしく、「百寿」という熟語があるにはあるが滅多には使われません。むしろ「陛下百歳の後」といった修辞の方が普通です。君主の死後という意味で、もちろん「まさか100歳になっても生きてはいないだろうが」のニュアンスが含まれています。これよりもよく知られているのは、「百年目」という言い回しでしょう。悪事が発覚してオタオタし、もうお終いだと覚悟すると「それを知られちゃ百年目」と捨て台詞を吐くことになっています。

幸か不幸か、人間だれしも自分の寿命を知ることはできません。しかし桃叟がもし百歳まで生きるなんてことになったら、それこそ百年目だという気がします。夭折しないでまる半世紀。けっこうしぶとく、ふてぶてしく、図々しく生き延びて来ました。馬齢を重ねたといえば聞こえがいいが、重ねたのは無駄ばかりの酔生夢死の歳月でした。しかしまだすこし先きがあるみたいです。まさしく「残る月日のほどぞゆかしき」(『新千載集』)の心境です。

思うに「百」という数は、数学でいう極限値――極限でなく――のようなものなのでしょう。いつか行き着いてしまう終点ではなく、無限にそれに近づいて行くことに意義があるような仮想の目じるしなんですね、きっと。何かが自分のうちで時熟するのを見届けようと思います。

追憶は時を選ばず

〽ごめんねといくら悔いても詮はなし三年目でも四年経っても

〽あの時にああ言わなければよかったと悔いる気持を伝えてしがな

〽春の野に金鳳花(バターカップ)は咲き満ちて妹背のきつね熟睡(うまい)をぞする

〽ザグレブは寝静まりたり一筋に汽車はつんざく東欧の闇

〽人混みで妻とはぐれし夢を見きうつつにまさる心寂しさ

有馬のゆかり3首

〽なつかしや有馬記念のファンファーレ勝ちて誇れる馬の嘶き

〽有馬山いで湯の里をもとほりし妹背の仲を忘れやはする

〽有馬山猪名の笹原押し分けて失せにし影を探し求めつ

八十五翁偶吟3首

〽ももたらず八十路半ばにたたずみて残る月日のほどぞかぼそき

〽たどり来てなほ越えあぐむ八十路坂半ば步みてふと立ち止まる

〽空耳かあらずかすかにどこよりかまざまざと聞くわれを呼ぶ声

 

 

 

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