ブログを新規まき直し
奇貨措くべからずという言葉があります。本ブログが一時ダウンし、ファイルの一部が 消えてしまったのは災厄には違いないが、考えようによっては「天の配剤」なるべし。つまり一種の「奇貨」です。この機会に大きく模様替えすることにしました。
「わが終活」なんてシカツメラシイのは柄に合わないのでやめにしました。「昭和昔話集」に一本化します。思想なんてものは拙老のニンじゃないのです。サバサバと切り捨てました。
「昭和昔話集」というタイトルで、ダウン以前に5,6回書いたような気もするが、これもやり直しです。その他 コメント欄で二三応酬があったようにも記憶しますが、それも忘れて下さい。これからは好きなことだけを書きます。
今日はまず、「昭和昔話集」第一回『昔の劇評』の復元と増補から。そのオリジナルは次の通り。
「昭和の昔、守田勘弥(喜の字屋)というそこそこの役者がいた。ある時『寺子屋』の松王丸を演(や)ったことがあって大張切りだった。本人も一世一代の大舞台だと思っていたらしい。公演が始まってすぐに、新聞に劇評が載った。「舞台に源蔵が二人出て来たようだ」。昔の劇評家はうまかった。――最近、次期首相をめざして何だか色っぽくなっ菅さんを見ていて、ふと思い出しました。」
今日は2021年1月20日です。第二次緊急事態宣言(従来の一都三県に加えて大阪・京都・兵庫・愛知・岐阜・福岡・栃木の6府県に拡大)された日付です。引用した文章を書いたのは2020年9月初めのことですから、内閣支持率が大幅に下がっている今日の時点で評定したら不公平になるでしょうが、逆にかえって「先見の明」があったということになりませんかねえ。政治力がどうの指導性がこうのなどとダイソレタことは申しません。ただどう見てもニンじゃない、と皆わかっているのです。
「舞台に源蔵が二人出て来たようだ」という寸評がいかに真をうがっていたかは、ポスト昭和の読者に食もう通じないかも知れません。しかしここでも逆に、テレビの管さんの顔つきがこの評言の理解を助けるかも。 了
緊急通知 ブログ中絶と再開
拙老 にはわからない技術的原因によって2020年7~12月のブログが消失しました。やむなくこれらは無かったものとして、そのうち『昭和昔話集』シリーズおよび幾つかの半歌仙興行の記録だけは、諸方から掘り起こして再現しようと思います。
この6ヶ月間は多事多難な時期でした。コロナ禍をめぐって、多様な社会事象が次々と生起したこの期間には、後から見れば何か或る不可逆的な過程が進行していたような気がします。たとえば世界人類とヴィールスという生命体との間で、変化のテンポでは勝負にならない突然変異の競争がなされていたとでもいうような。
幸い拙老は、身に起きる一切の出来事を天の配剤と感じる幸わせな性分です。拙老にはあと何年定命がされ藉(か)されているか分かりませんが、残された時間の内に果たすべき宿債があり、それが未済であるような気がして ならないのです。それは「20世紀アキツシマの文(ぶん)」を21世紀世界に持ち伝えるという書債であるといってもよいでしょう。日本の「文字言葉 」の保持だともいえます。いずれ別回で敷衍(ふえん)するつもりです。
全部を一度に復元することはできないので、今回は半歌仙興行の記録を復活するだけに止めます。この里はコロナも知らず赤とんぼ 令二冬六吟半歌仙句順表 令二歳暮六吟半歌仙句順表 令三新春半歌仙
なお俳友グループ間の対話記録も拾えましたので併載しておきます。ラインやりとり2020暮 今回畢。
調査にご助力下さい
いきなりダッシュボードに「PHPの更新が必要です」というアナウンスが出ました。人に相談したら意外に難物で、やり方をしくじると「サイト自体に不具合が出る可能性がある」とのことなので、当分ほっとくつもりです。特に更新しなくてもブログの機能は変わらないはずなのでこのまま行けるでしょう。そこで皆さんにお願いですが、コメント欄が生きているかどうかを確認したいのです。投稿してみてくれませんか。
わがポスト・パンデミック――烏化佯仙(うかようせん)
お久しぶりです。世が世ですから、世の中で何か画期的なことが起きているのかと思って待機していましたが、人間社会では何事も起きていないかのように事態を処理しているみたいですので、仕方がないから自前で「ポスト・パンデミック」の世界に対処することにします。拙老の周囲でいちばん身近なのは介護の皆さんの社会ですが、ここではコロナと熱中症が同程度に危険だということで、やたら水分ばかり取らされて閉口しています。
何でも今回の時疫の特色は、無症状で強力な感染力を持つヴィールスを蔓延まんえんさせていることにあるそうです。無害に偽装する戦略ですね。ヴィールスも生き延びるために必死で、突然変異のかたちで遺伝形質を発現させているのです。人類も急いで「進化」しなくてはとても追い付きません。
とはいっても、拙老一代のうちに突然変異するのは無理ですので、せめて頭の中で想念をまとめてみようと思います。拙老が最近夢想しているのは、次の画の中の猫のようなイメージになりきることです。これは有名な『不思議の国のアリス』に出て来る《チェシャ猫」の挿絵で、御覧のとおり猫の身体を透かして葉の茂みが見えています。アリスは言います:「あれれ変だわ。笑わない猫はしょっちゅう見るけど、猫がなくて笑いだけ見えるのは初めてだわ」。http://www.alice-in-the-wonderlander/resources/pictures/cheshire-cat/
つまり、猫の肉体は消えて、笑いだけが残っているのです。具体性のない抽象的存在なのです。よく「背後に実在のないアイデア」のたとえに使われるイメージです。こんな具合に、みずからはただの無機的な抽象物と化して下界をニヤニヤ眺めながら余生を楽しんでいるのが拙生老来の日々です。
しかし物事はそううまくは運びません。一たび人間じんかんに生まれたからには、否応なく有機物が混じり込んでいて、スッキリ風化できないのです。わが東洋の伝承では「羽化登仙」といって、白い羽根が生えて鶴に化身し、俗塵を去って悠々と仙界に飛翔することになっています。死んでも完全に気化して遺骸などは残らないそうです。
これにあやかろうと、拙老も日々仙道修業に励んでいますが、芸が未熟なものですから、どうしても思うように羽化できません。できるのは「羽化登仙」ならぬ「烏化佯仙うかようせん、カラスになって仙人のふりをする」くらいのものです。最近この界隈で見かける烏たちにとみに親愛の感情を抱くようにありました。次の写真は、ヘルパーさんが撮ってくれたものです。
えらく自信たっぷりの顔をしています。あわてず、騒がず、ゆっくり急がずに時間を待とう。いずれ人間たちは滅びていなくなり、俺たちはこマンションの主人になるのだ、とうそぶいている感じです。写真のタイトルは「あるじ顔の烏」です。
ポスト・パンデミックの世界では、地球上のあらゆる生命体の距離が縮まり、たがいの差が狭まることです。人間と烏の差などは知れたものです。平均サイズも百何十センチメートルと何十センチかとの違いにすぎません。コロナ・ヴィールスの体長は1万分の1ミリ(100ナノメートル)程度だそうです。桁の大小が違うだけで、同じ尺度で測れる相手なのです。肉眼では見えないのですが、サイズの差を越えてその実在が確かに感じ取れます。
これからの――ポスト・パンデミックの――世界は、今まで目に見えなかった、あるいは、たんに見えないというだけの理由で無視されてきた地球上の生命存在たちがけなげに自己主張する時代が到来すると思います。生命体という有機物が細胞膜を距てて嬉々として交感し合っているのです。
そう思って眺めると、身の回りにはいろいろな生命たちがひしめいています。昆虫たちはみなチャンス到来と出番を待っています。右」のバッタはいかにも罪のない顔をして草の茎を囓っていますが、ケニアではお仲間が2億匹発生し、穀物を食い荒らして中近東からアジア大陸へ移動中とのことです。さしずめコロナバッタでしょう。旧約聖書の『出エジプト記』に見える蝗害の再来です。人類と微生物の体長差が物の数ではないスケールで考えれば、古代と現代の時差などはほんの一またぎにすぎないのです。左の写真は、友人が朝の散歩で久しぶりに見かけた生きているタマムシです。嬉しそうに触角をうごめかしていたそうです。そういえば拙老も長いこと箪笥の中で干からびている死んだタマムシしか見たことがありませんでした。日が当たれば美しく輝きます。もちろん玉虫色に。今日、東京ではアラートが解除され、赤色が消えてレインボウブリッジが虹色に照明されました。本当は玉虫色なのです。 畢
えやみ ときのけ 老いの春
時疫はいよいよ旺盛です。人生の現役の皆さんは、めいめいの持場々々で種々ご多忙のことと存じます。拙老は、介護のヘルパーさんの他にはまず人と会うこともないので、まあ達者で日を送っています。世間に悪いみたいです。すみません。
ある人がこの機会にトーマス・マンの『魔の山』を読破すると言ってきたのに触発されて、拙老も同書を再読しました。おかげで初読時にはうっかり読み落としていた内容に気付くことができました。何歳になっても勉強することはあるものです。
この小説の舞台は、アルプスの中腹、スイスの避暑地ダヴォス――現代ではG7の会場として有名――にある富豪たちの結核療養所です。一篇は、ここに入所した主人公ハンス・カストルプが多くの人々と出会い、論争し、体験を深め、内面を豊かにしてゆく物語なのですが、拙老が今回の読み直しで改めて発見したのは、ハンスが病い癒えて下界に復帰する決心をしてから起きるいくつかの事件でした。
若い人々には分からないかも知れませんが、つい最近まで結核は死病でした。罹ったら死ぬまで治らない病気だったのです。日本の近代文学に「結核文学」「療養文学」「軽井沢文学」のジャンルが生まれたゆえんです。「魔の山」とは半死者の棲息地であり、生者ハンスが人々と交わす対話もいきおい「死と病気に寄せる一切の関心は、生に寄せる関心の一種の表現にほかならない」(第6章「雪」)という風に、いつも「死」と背中合わせでしか物事を考えられないものでした。常に死を意識して生きなければならない。ここはいつも空にmemento mori(「死を忘るなかれ」)の文字が映画のスーパーインポーズのように浮かんでいる、凡俗な生者たちが住む下界とは違う世界だったのです。
ところが、最終章(第7章)で下界に降りる時期が近付いてくると、ハンスはにわかに市民社会・実世間・生活力といった世俗的な事柄に関心を抱くようになると見受けられます。ハンスは人生に不可避的につきまとう日常性・通俗性に直面するだけでなく、これらと同和しなくてはならないことを覚悟したといえます。何が転機になったのでしょうか。「魔の山を木端微塵こっぱみじんに打ち砕き、七年間の惰眠をむさぼっていた青年を荒々しくこの魔境の外にほうり出すような凄まじい轟音」(第7章「霹靂へきれき」)でした。第一次世界大戦の勃発を告げる砲声が轟いたのです。
戦争は日常と非日常の境界を失くします。戦死・戦病死・戦災死・略奪・陵辱・飢餓・悪疫等々、不慮の死がしばしば訪れ、死はなんら非常事態ではなく、日常茶飯事になり、人間社会はそのままいわば「魔の山」化します。進化生物学者のジャレット・ダイアモンドは「人類史上もっとも猛威をふるった疫病は、第一次世界大戦が終結した頃に起こったインフルエンザの大流行で、そのときに世界で二百万人が命を落としている」(『銃・病原菌・鉄』)と書いていますが、ハンスはまだそんな人類の未来を知りません。ただこれから降り立つ世界の変容を鋭敏に予感しているのです。
* * *
今、世界を襲っている疫病は二重の意味でわれわれに脅威をもたらしています。第一にはもちろん、コロナヴィールスが一定の致死率を保っていることに由来する即物的な恐怖感です。第二のはそれと分かちがたく結び付いている、一種いわば「世界不安」的な感覚です。疫病流行が後に残す失業増大・生活苦・金融逼迫・犯罪頻発・人心荒廃といった諸現象が総体として一種名状しがたい不吉な予感を生じさせています。最近「コロナ解雇」「コロナ離婚」といった種類の言葉がたくさんできたそうですが、それも世の不調子の現れでしょう。
そのうち第一の不安に関しては、現実の客観的な把握として、ダイアモンドの「突然大流行する感染症には、共通する特色がいくつかある。まず、感染が非常に効率的で速いため、短期間のうちに、集団全体が病原菌に感染してしまう。つまり、これらの感染症は「進行が急性」である――感染者は、短期間のうちに、死亡してしまうか、完全に回復してしまうかのどちらかである。そして、一度感染し、回復した者はその病原菌に対して抗体を持つようになり、それ以降のかなりの長きにわたって、恐らく死ぬまで、同じ病気にかからなくなる」(『銃・病原菌・鉄』)という指摘に、冷静に耳を傾ける冪でしょう。「治るか/死ぬか」のどちらかだという断言は、一見すると身も蓋もないようですが、実は大多数の感染者はそっくり生き残ってきたのがこれまでの人類史だという点にアクセントが置かれています。自分がそのどちらに属するかは「運」だと度胸を固める他はありません。
またそう覚悟することは、おのずと第二の不安をも解消するでしょう。予言じみたことをいうつもりはありませんが、今確信を持って予想できるのは、コロナ終焉の後の世界には不可逆的な変化が生じているだろうということです。
* * *
拙老が住んでいるここ津の国でも、この不可逆的な変化がそろそろ始まっているようです。以下にお見せするいくつかのイラストがそれを物語ってくれるでしょう。病来このところ歩行は叶いませんが、幸い親切な税理士さんや介護士さんが撮って来てくれる写真で、変貌してゆく外界の姿に触れることができます。
本ブログで何度もご紹介してきた「恐竜山」は見る影もない姿になりました。昔のイグアノドンの全形は消え失せて、わすかに昔の首の部分の樹林だけが残っている有様です。これからは「烏首山うすざん」と呼ぶことにします。山は削られて造成地に区画され、やがて小綺麗なマンションが建つのでしょう。見方によってはことごとくこれ銀行ローンの物的形態なのでしょうが、それまでは申しますまい。とにかくこうした自然の丘陵山林を人口の宅地に造成する土地開発は、プレコロナ時代には「建設」だったかもしれませんが、ポストコロナ期には「破壊」のしっぱなしなのではないか。早い話が、住宅ローンを払う人間がもういないのではないか。
次の一連の動物写真は何か非常に啓示的な意味を持っているんじゃないかな? どれもある介護士さんが訪問先ならびに往復の道すがら目に留めた小景です。
左は、ある訪問先のバルコニーに作られていた烏の巣です。丹念に拾い集めた肥えだを丁寧に編んで雛たちの住処すみかを用意しているのです。あの嫌われ者の烏からは信じられないくらい健気けなげな仕事です。右の写真では、かわいらしいタマゴが三つも生み落とされているのが見えます。烏いだは自分たちの将来のために「建設」にいそしんでいるわけです。次代に備えているのではないか?
近くを流れる宮川の水には、いろいろな小動物たちが、何の拘束もなく、嬉々として日に当たっています。もちろんマスクもしていませんし、外出禁止も休業も要請されていません。
昔、セミの羽化を観察したことがあります。今の情勢によく似ています。飴色をした蛹から成虫が抜け出し、後に形だけがいやに完備した抜け殻が残ります。現代世界もこれと同じでプレコロナの外層がポッカリ外れた後にはポストコロナの成虫がもう待機しているのではないか。カラスやカモやカメはみな何食わぬ顔でその日の予行演習をしているような気がして仕方ありません。 畢
時事と連句 付、『囀りに』歌仙初ウ9
どうも大変な時代に生き合わせてしまったみたいです。この3月24日現在で世界中のコロナヴィールス感染者は32万4000強、死者数は14000強。どう見てもパンデミック状態です。あれよあれよと言っているうちにイタリヤが世界一になりました。さすがデカメロンの本場です。
こんな時代には、人間の心は不思議に「先祖がえり」をするものです。誰もがたとえ半信半疑でもオハライやヤマイヨケ、ヤクヨケといった神事・仏式・両者混淆の効験に期待します。口では俗信だとか民俗的慣習だなどと言いながらも、それにあやかろうとするわけです。現に京都の諸神社には疫病の退散を祈願する「茅の輪くぐり」が飾られています。人間はおのれの不安を吹き払うために輪をくぐり、そうすることによって古い伝承の底に眠っている無意識の記憶に安息のよすがを求めるのです。
こういう御時世だから「不要不急」のことはせぬようにというオカミのお達しです。さしずめ俳諧連句のように悠長なことは自粛せよということらしい。たしかに俳諧文芸は五七五を定形とする短小な詩形からいって、あまり複雑な思惟内容を盛り込むのに向いていないし、多くを十七文字に収めることは不可能だという制約があります。正岡子規も「時事雑詠の俳句をものせんとする」のは「文学以外の事に文学の皮を被きせたる者なり」(『俳諧大要』岩波文庫p.23――インターネットの青空文庫でも読めます)と一刀両断です。要するに、俳諧と時事はすこぶる相性が悪いのです。もちろん川柳の滑稽とは話が別です(p.75)。
果たしてそうでしょうか? 時事とは同時代の出来事(社会事象)の総体でしょうが、俳句のスペースではそお全貌を捉えることなどとても無理な相談です。が逆に、その短さを独鈷とっこに取って、同時代性を切り取る技法を活用することです。時代をズバリと裁断する劈開面を一語に凝縮して言い取ることです。それを一句立ての俳句(単俳方式)で実現するのは難しいでしょう。ですが、連句にならできます。何人もの連衆がすれぞれ独自の旋律・節奏・音調をもって同じ一つの時代相を発現するのです。ちょうど倉梅子の「茅の輪のイメージがたとえ無意識にでも「時疫」に対する同時代人の集合的不安を感じ当てていたように。
さて、『囀りに』歌仙初ウ9の選評にかかります。まずルール通り投句のご紹介から。
①人語して子に犬からむ垣根越し 湖愚
②御普請を仰せつかりし書状にて 碧村
③世やもろき戦火をあおる天狗風 里女
④丁寧に手洗い嗽うがい八十路入り 三山
座元としては、本歌仙のこの局面では「時疫」への不安という時事的なテーマが時代を越えて人々に共有される世界感覚に徹底的にこだわりました。それを基準にしていますから、4句に対してもしかしたら公平でないかも知れません。①は「人の話声がするので耳をそばだてたら、垣根の向こうで子供と犬がじゃれていた」という情景のようだ。まるで緊迫感なし。②は、この投句に「時疫に由来する緊迫感とはめられると窮屈なので、世界を切り替え」た旨の断りがありました。座元は「はめる」のが望みです。残念ながら意見不一致。③は、本当をいうと入選させるつもりでした。ところが「野ッ原に忘れられたる魔法瓶」などとトボケていた三山子が、突然閃いて④の「丁寧に手洗い嗽八十路入り」の一句が送られてきたので、順位が逆転してしまいました。
この句は、一見八十老人のボヤキというただの私感のごとくですが、流行り風邪を怖がる心境を言い取って、それなりに一時代の普遍的感覚を捉えているのではないか。意外に広い公共の「場」――いわば歌仙空間――に吹き抜けていると思われます。入選にします。参照「囀りに」句順表12
次は初ウ10で、雑の短句ですが、11句目および12句目が「11 花の定座(枝折しおりの花)12 折端(花の綴り目)」というふうに続きますので、この10句目はふつう「花前の句」と呼ばれ、次の連衆が花を吟よみやすいように作るのが習わしです。軽い調子で、後句の色彩を奪わないようなのがいいそうです。 尾
デカメロンと連句
とうとうWHOがパンデミックを宣言しました。昔の日本人が軍記物で不慮の最後のことを「もしも自然じねんのことあらば」と表現した自然=無常の感覚が日常化してきたようです。
今は「歴史的緊急事態」なのだそうです。方々でイベント中止やら日常業務の休止やらのニュースが伝えられ、世間は騒がしい限りです。それよりも拙老のブログにもラインにも便りがふっつり来なくなったことが、世の中の異変をしみじみ実感させます。寂せきとして声なきありさまです。無理もない。皆さんはまだ現役なのですね。
拙老は現在なんだか『真夏の夜の夢』に出てくる妖精パックのような視点から世の「緊急事態」を眺めている気分ですが、どうか、今回のコロナに感染したら致死率80%と言う年齢に免じて御勘弁下さい。あるいはこうも申せましょう。今日の事態は数学的帰納法でゆけば精神的に切り抜けられるのです。n回目まで何度もピンチを潜り抜けてきた。∴n+1回目もダイジョブに違いない、と。
こんな御時世にこういうことを書いたら不謹慎だと叱られるかも知りませんが、14世紀に世界でペストが大流行した時、イタリヤ人はフィレンツェ郊外に閉じこもってデカメロンを作りました。
デカメロンに描かれた人々は愛欲のエネルギーをバネにして、世を覆う疫病の恐怖を克服したのだといえますが、もちろんこれは絵空事です。しかしここには、一般に「世界史的危機」の時代が到来し、またそれが現実として誰にも体感されている状況の下で取られる人々の反応の基本型が示されています。語られるのは色欲ばかりではありません。物欲も金銭欲も、要するに生命の危険を前にしていよいよつのる我執がいっせいに揃い踏みするわけです。
デカメロンというのは、もっぱら好色文学として知られています。拙老は小学生のみぎり人に借りて読んだが、サッパリ分からなかったのを思い出します。それなのにえらく怒られて割に合いませんでした。今にして思えば、ずいぶんマセタ子供だと思われたに違いありません。誤解です。拙老はまだ思春期前でしたが、何かイケナイことが書いてあるとはうっすら感じていただけです。
さて、21世紀の日本人はどうしているのでしょうか? インターネットを見たら、こんな俳句が投稿されていました――「春眠やコロナウイルス寝るが勝ち」というのです。たいへん失礼ですが、こりゃただの川柳ですね。昔、若い頃の永井荷風が『冷笑』で、日本の風土をすべて「川柳式のあきらめと生悟り」で事に当たろうとすると八つ当たりしていたのを思い出します。ただグウグウ惰眠を貪っていれば、疫病は自然に過ぎ去るだろう、というのはちょっと覇気がなさすぎるのではないでしょうか。
時疫は天変・地異・人災のどれに属するのでしょうか。いずれにせよ乱世の道具立ての一つでしょう。こういう一種「特異点」的な時代には、あたかも地球が彗星の尾の中を通過でもするかのように周囲が不思議な光気に包まれ、人間の感受性は異様に研ぎ澄まされます。ふだんは気が付かないような事物への感覚が開けるのです。
生活する、生計を立てる、生動するといった「実在」レヴェルではなく、いわば「実存」しているという次元での生存感覚が芽生えるのです。それよりも自分が「存在」している生なまの実感かもしれません。その特別な実感の現れ方は人によってさまざまです。
たとえば、権力者が強力な権限を掌握したがるのも現在が「例外状態」であるという意識の現れです。が、よほど用心しないと個人的な権勢欲がすぐに忍び込みます。世界各地で最近とみに顕著な要人たちのつきせぬ我執です。某国現首相のことはさておき、習近平はこの頃何となく秦の始皇帝に似てきました。
そういう乱世には、川柳でも俳句でもなく連句が何よりも力になります。五七五の韻律が問いかけ、七七の韻律が応じる。およびその逆。言葉の意味よりも音韻が心を通じ合えるのです。〽つくばねの道ぞゆかしき春の暮、〽木の芽ふくらむこぞの踏み跡。
訃報その他
悲しいお知らせです。老妻芳子儀、去る9月25日に永眠致しました。生前のご友誼に深くお礼申し上げます。葬儀は、9月28日に家族およびごく親しい友人知己のみを集めて執り行いました。近々のうちに「偲ぶ会」を開こうと思っております。
拙老も故人もナマの感情を露呈することを好みみませんので、ここはむしろ淡々と御報告するにとどめます。
今から30年ほど前、ボードレールの”ma femmme est morte”(妻が死んだ)という詩句が妙に気になっていたことがあります。まさかそれが現実のことになろうとは思っていませんでした。今その語句は名状しがたい現実感をもって拙老に迫っています。
『悪の華』中に”Le Vin de l’Assassin”(鈴木信太郎訳では「人殺しの酒」)という詩編があり、冒頭の詩行は”Ma femme est morte, je suis libre!”です。「妻が死んだ。私は自由だ」とでも訳せましょうか。それにしてもlibreなる言葉は多義的です。「放縦」とも「解放された」とも「自由自在」とも「勝手次第」とも意味の幅が広いです。だから鈴木信太郎訳は「飲み放題」という訳語を補っています。
この詩人は言葉の多層性をたくみに生かしています。言葉の多義的な折り重なりが、詩中のje――歌主・句主のひそみにならって「詩主しぬし」と呼びましょう。詩的虚構の主人公です――が陥っている何とも言えぬ空白感・虚脱感・絶望感の複合を表現しているように思います。そして何よりもここでの”libre”は詩語ですから、表層の多義性よりも深層の音韻の響きに無意識のうちに支配されています。libre[リーブル]はivre[イーヴル](酔っ払った)と通い合うのです。libreは下層にivreを埋めています。この詩主は、妻を失った悲しみ(自由感の高い代償)を酩酊で紛らわしています。
拙老の回りには、拙老がまた飲み始めるのではないかと心配してくれる向きもいます。が、以上をお読み下さったら分かると思いますが、拙老は大丈夫です。これから一人で亡妻と二人分しっかり生きます。 了
「囀りに」歌仙の初オ5選句
お待たせしました。「囀りに」歌仙の初オ5公募の候補作が揃いましたので、選句をさせていただきます。応募作は全部で3句ありました。次の通りです。
いつのまに稲穂ゆらめくよひの月 湖愚
家々につひに月見ぬ芙蓉かな 花丁
旅せんか下つ弓弦はる月つれて 三山
このうちから、捌き手(桃叟)の独断と偏見で、三山子の「旅せんか」を選びます。日々細くなってゆく「下弦の月」(もちろん秋の季語)を旅路の友とするなんて、さすが老境ならではです。さっそく「囀りに」句順表xlsx.の初オ5の欄に書き加えて置きました。御参看ください。「囀りに」句順表。
なお、三山子は桃叟の早稲田時代からの旧友です。このたび久闊を叙して御投句下さいました。この年までおたがいに「散々」な目に遭ったなというのが「三山」の由来らしい。西国の連衆諸兄姉にお披露目致します。
次の公募は初オ6の「折端」、秋の短句です。ご投句をお待ちします。 桃叟敬白。
ホームページ模様替えおひろめ
このホームページも発足してはや一年、このたび少し模様替えをしてみました。
多少は読みやすくなると思いますので、今後ともよろしくお願い致します。
新しくなったホームページでは、以前できなかったブログ記事(総称【桃叟だ
より】)のバックナンバーが検索・閲覧できるようになりました。内容により、
3つのカテゴリーに分類してあります。
1 日暦――身辺雑記、目に留まったこと、耳に入ったこと、一言なかるべからざる
意見・寸評・随想のたぐいを自由に書き綴る欄です。
2 書窟――蔵書室という意味の言葉ですが、私家版の書評コラムです。専門書・
通俗書・エンターテインメントの区別にこだわらず、「読んで得をする」本を
取り上げて鑑賞します。
3 口吟――拙老は「近代詩」というやつがどうも肌に合いません。定型はテレ隠し
にたいへん便利なので、あらかたのヒンシュクを買いつつ三十一文字(みそひ
ともじ)を楽しませていただきます。
もう一つのお知らせはブログの更新頻度についてです。これまでの一年間は週一
回更新してきましたが、これからは二週間毎を目安に少しランダムな更新にした
いと思います。引き続き読んでいただけると嬉しいです。