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桃叟だより

[皆さんの声をお聞かせ下さい――コメント欄の見つけ方]

今度から『野口武彦公式サイト』は、皆さんの御意見が直接読めるようになりました。ブログごとに付いている「コメント欄」に書き込んでいただくわけですが、
同欄は次のような手順で出します。

トップページの「野口武彦公式サイト」という題字の下に並ぶ「ホーム、お知らせ、著作一覧、桃叟だより」の4カテゴリーのうち、「桃叟だより」を開き、右側サイドメニューの「最新記事」にある記事タイトルをどれでもダブルクリックすれば、その末尾に「コメント欄」が現れます。

そこへ御自由に書き込んでいただければ、読者が皆でシェアできることになっています。ただし、記入者のメールアドレス書き込みは必須ではありません。内容はその時々のブログ内容に関するものでなくても結構です。

ぼくとしては、どういう人々がわがブログを読んで下さっているのか、できるだけ知っておきたいので、よろしくお願いする次第です。以上

2023-08-18 | 口吟, 日暦, 桃叟だより

他界花信

今年の夏は異常に暑かった。小庭のユリも、連日の日照りに背丈だけがやたらにヒョロヒョロ伸び、おまけに台風7号の強風でポッキリ折れ伏すのじゃないかと心配したが、運良く無事に助かり、御覧の通り4輪も花を付けました。調べてみたら、これはどうやらタカサゴユリという品種が野生化したものらしいです。

このユリはもともと、球根を植えたものではなく、どこかから風が吹き運んできた種子が庭の土に居座って自然に成長したものです。ちょうど1年前のことでした(『芳子三回目のお盆に』参照)。だから桃叟には、これはただの花ではなく、亡妻のあの世での消息を伝えてくる年に1度の花信なのです。明るく花開いているという知らせです。

〽あの世から風がもてくる花だより今年もユリが安否知らせて

〽あの世からユリの便りは届きけりぼくも元気に生き延びてます

 

 

史論・史観・史眼――桃叟書窟:山内昌之『将軍の世紀』追評  付 蝉声3首

史論・史観・史眼

人間は誰でも各人各様の「歴史とは何か」を持っている。それぞれの歴史像にはもちろん個人差はあろうが、一つの時代社会は、よし画一的でなくてもだいたい統一された支配的枠組みで歴史を理解し、受容してきたといえる。近代日本の歴史思想は、概言すれば、明治以来の皇国史観が昭和のマルクス主義史観に押し退けられてゆく過程を大枠として進行した。対立軸をなしていたのは、わが国の歴史を縦貫する原理の源泉は何か――君主か平民か、という課問だ。近代日本の主要な歴史著述は、徳富蘇峯の『近世日本国民史』にしても、大佛次郎の『天皇の世紀』にしても、いずれもこの択一の近傍にあった。

現今のいわばポスト昭和期は、あれこれの歴史原理のどれかを選択するのでなく、そもそも「原理」というものをまるごと拒絶するのが特色である。いっそ「没・歴史原理」の時代と呼びたくなるような季節が到来している。極端にいえば「ゼロ史観」の時代なのである。謡曲『卒都婆小町そとばこまち』にある前仏は既に去り、後仏は未だ現れない「夢の中間ゆめのちゅうげん」という詞章がぴったりの状態だ。

およそ歴史というものに関心を持っている人々の間では、前世紀末葉の1990年代から一種のIT革命が展開した。世界的な冷戦構造の終焉と勢力の遠心化・分散化という大情況の進行とコンピューターの普及が相俟って、歴史学の「グランドセオリー」を退場させると共に、①大量な記録のデジタル化、②史料アクセスの簡単化、③史料の相互参照、④情報処理のスピードアップなどの諸作業が身近になったのだ。その結果、これまで歴史の《空白域》だった領域・部分が続々と埋められている。従来支配的だったイデオロギーや原理決定論の歴史への持ち込みが排除され、代わりに精密な実証研究が重んじられるようになり、歴史の見直しが行われた。原理的な思考は観念的な思い込みとして斥けられ、「史実」の掘り起こしが盛んになり、通俗的な歴史小説の世界でも「リアルな」という形容句が流行しているくらいだ。

だいたい以上が、『将軍の世紀』を山内昌之氏に構想させるに至った歴史思想の季節の概況なのではないか。根底に広がるのは、索漠たる歴史意識の《無主状態》である。いかなる歴史原理も《大文字の物語》として否認され――だから進歩史観も頽落史観もない――、そこにはただノッペラボウな時間の経過と小文字で記される事象の継起があるだけだ。――こんな精神風景に耐え抜くには、歴史家はよほどタフであるか、それともまったく新しく人心を賦活する歴史のヴィジョンを切り拓くかしなければならない。山内氏が果敢に引き受けたのは、こうした疲れ仕事であったと思われる。

慶長8年(1603)に樹立され、慶応3年(1867)に「大政奉還」の結果解体する徳川幕府は、徳川将軍を頂点とする国家支配を前後3世紀にわたって持続した長期政権であった。著者は、これを三つの世紀が一つの「束になった世紀」ととらえ、《将軍の世紀》と命名する。もともと「将軍」とは臨時に朝廷から任命され、戦地に派遣される武官職の名にすぎなかったが、徳川家康の就任以来、武士政権の主催者・軍事力の総覧者・事実上の国家元首などの地位を獲得するに至ったのだ。過去に面しては戦国時代の無政府状態を治めただけでなく将来に向いては 「グローバルな生存競争を生き抜く近代の基礎体力を準備した」という双方向性を具えていた。

しかしこの世界史にも稀な長期安定政権、いわゆるパクス・トクガワーナの世といえども、決して永久国家ではあり得ない。すべての有機組織が不可避的に蒙る「エントロピー増大の法則」――「物事は自然に乱雑・無秩序・複雑な方向に向かい、自発的には元に戻らない」という理法にしたがって衰退への回路をたどる。しかもこの場合、徳川国家に長期的な安寧と繁栄を保障するとして奨励された治策そのもの――たとえば商品生産の増大・貨幣流通の広域化etc.――が反対物に転化したことに起因する。家康の江戸開府はいわば天下の「大政」を受託したのだったが、その260年後、慶喜はそれを「奉還」して江戸国家に終焉をもたらしたのである。

初代家康から15代慶喜まで全63巻、上巻735頁・下巻760頁というこの大著を逐章的になぞることはできないので、以下ではトピックを各代将軍の諸事蹟中、徳川国家の《権力――維持――衰亡》という大筋のプロットに当て嵌まる問題点に限定して眺めてゆくことにしよう。

本書の特色として目立つのは、著者の史料博捜ぶり、広範囲にわたる文献への目配りである。第一に『オランダ商館日記』『風説書』など豊富な外国関係文書の活用。これら「外」からの目の導入は、ともすれば閉鎖的に自足しがちな国内の判断を相対化する思いがけない視角をもたらすことはいうまでもない。第二に、政治的要人たちの公生活の記録のみならず、側らで書き残された日常の記録・メモランダム、時にはゴシップめいた私事・小事・秘事のたぐいのあくなき繙読。たとえば『遠近橋をちこちばし』は、水戸藩の徳川斉昭が藩主になるまでの激しい政争の記録であるが、中に混じっている斉昭の乱淫ぶりや男色趣味を窺わせる記載も目敏くキャッチされ、大状況・小状況が一つに落ちかぶさる歴史の機微を浮かび出させる。そしてもう一つ、ちょっと見では遠く離れていて、いかにも無関係であると思われそうな大名家記・権臣の政務記録・手控え雑記その他の援用がたくみである。それらはいささか乱雑に列記すれば、『肥後藩国事史料』・『南紀徳川史なんきとくせんし』・『京都守始末始末』(旧会津藩老臣の手記)・『中山忠能履歴資料』(公卿日記)・『休明光記きゅうめいこうき』(松前奉行の記録)などと枚挙に暇がない。これらの個々の記述を読み合わせると、そこにはいわば補助線が引かれて、人物や出来事の関係が新たな遠近法のうちに現れ出る。事件や事象間相互の距離、内部のからくり、物事の噛み合い方など、これまで朧ろにしか見えなかった幕末日本の全体構図がくっきり見えて来るのである。

こうした広範囲にわたる博引旁証、慎重な文献批判、相互照合の結果、幕末日本の進路を左右した諸事件はいくつも異なる角度から照らし出され、以前には隠されていた相貌を晒すことになる。人物と事件とを結んでいた思いがけぬリンクが突然見えて来て、歴史がなぜあの時ああ急速に旋回したのか、「不思議の勝ち」あるいは「不思議の負け」といった番狂わせがなぜ生じたのか、が問い直される。こうした問いかけの事例は特にもろもろの情勢(=conditions 諸条件)が束状に寄り重なる「第十一章 家茂」から目立って多くなる。まだ十分探索され切っていない歴史の薄暗がりに潜む未解決の謎の結節点がいくつもあるのだが、それらは氏にあっては、そこから内部に分け入って複雑に絡んだ糸目を解きほぐすべき綻び口なのである。

それらのうちから特に、寺田屋事件と生麦事件の二つが注目される。そのどちらもが幕末の時勢を急展開させながらなお真相不明の部分が多いというばかりでなく、この二つの出来事には隠微な因果関係が想定されており、両者相つながって歴史を動かしたと目されるからである。このような動態の背景には、著者の卓抜な人物眼がある。山内氏は、町田昭広氏の『島津久光=幕末政治の焦点』など近年の研究動向を視野に収めつつ、これまで実像をよく知られず評価も低かった島津久光の周辺を発掘して動きを立体化するのである。

といっても、久光の隠れた野望――極論すれば、徳川幕府に替わる島津幕府の樹立というような権力意志――が幕末情勢に底流する動力源であったとする単線的な史論はこの著者の取る所ではない。今ここにあるのは、一つの権力意志が他者と衝突し、せめぎ合うダイナミックな「場」であり、その意欲は他者との摩擦のうちに少なからず妥協変形せざるを得ない現実である。久光とその股肱たち――寺田屋事件・生麦事件に共通する当事者――が、みな開国と攘夷の両極の間に揺れるのはそのためだ。著者の史眼が光るのは、これら外見では矛盾撞着でしかない屈折した心情の奥で蠢いている関係者の真情を複眼的に見通していることであろう。そして氏は、この両事件を合わせ鏡のようなレンズにして久光という人物の真姿に迫ったのと同じ方法を用いて、身分や立場こそ違え、同一の「場」に轡を並べていた何人かの有為の人物に論じ亘ろうとしていたかに見受けられる。名前だけ列挙しておけば、大久保一蔵、原市之進、小松帯刀。

人間の歴史の大きな節目をなす政治闘争は、最後には権力闘争に圧縮され、権力闘争はけっきょく人事抗争に帰着し、究極は個々人の人間性がナマでぶつかり合う。著者が好んで口にする「歴史への畏れ」とは、時として歴史の表面に発露する超人間的な意志・真情・決断などから発するオーラに対して発される畏怖の念だろう。「歴史の謎」といわれてきたものは、必ずしも歴史叙述につきまとう必要悪的な事実の朧化――史実の誤解・曲解・歪曲、史家の意図的な異論・中傷・誹謗・非難(いわゆる「ヘロドトスの悪意」など)、善意による隠蔽・掩護・黙諾――のことばかりではない。およそ人が歴史を前にしたとき、どうしても認めざるを得ない自生的な暗黒点との遭遇である。記念碑的な歴史事象といえども常に予期したように起こるとは限らない。おおむねは人知を越えた、想定外の、夢にも思わなかった結末が訪れるのだ。決定要因はよそからやってくる。当事者の急死とか体調悪化とかまったくの不運・災難とか。人々が苦しまぎれに「歴史の偶然」なるカテゴリーに押し込んで満足するような種類の出来事群が厳存しているのは確かであり、それを前にしては人間はただ戦おののくしかないのだ。

今から45年ほど昔に『江戸の歴史家』を書いた時、評者わたしは、その冒頭を中島敦の小説に紹介されているアッシリアの一歴史学者の言葉を引用することから始めたのを覚えている。――「歴史とは、昔、在った事柄をいうのであろうか? それとも、粘土板の文字をいうのだろうか。」たしかに歴史とは「過去の人間的事実の記述」である。だがその場合、「歴史」とは、事実の堆積をいうのか、それを記述することをいうのか。この曖昧な二義性は「史」の字義に終始付いて回っているようだ。一面から見れば、その曖昧さは語義の幅の広さでもあり、「史論」「史観」「史談」「史録」「史眼」など、意味は異なるが連続的で、境界もしかとは引きにくい幾多の熟語群が生まれたのもそのためだ。歴史学は《科学か文学か》という古くて新しい論争も、「歴史」の語義幅が広いことから発している。著者がそうである歴史家は、度合の違いこそあれ、いつもこの両極の間に引き裂かれる宿命の星の下にある種属である。せいぜい「史譚」ぐらいにしか興味をもたぬ評者のごときはもちろん論外である。 畢

*    *    *

蝉声3首

〽梅雨明けて夏空けざく広がりて耳朶にとよもす蝉の諸声

〽これでもか注ぐ日ざしにじりじりと身を焦がしをる油蝉かな

〽やがて来る焦熱の日をあらかじめ世に知らせんと蝉のもろごえ

 

2023-06-30 | 口吟, 日暦, 桃叟だより

八十六歳生日――梔子3首

今年の6月28日をもって満86歳になりました。月並みな表現でお恥ずかしい仕儀ですが、よくもまあこんなに生き延びたものだと思います。桃叟と同年配の人々はどう感じていらっしゃる事でしょうか。

一つしくじりをしました。毎年この時期に開かれる都立某高校の1956年卒業生の学年クラス会から案内状を頂いているのですが、いつも出している欠席の通知を今年はうっかり間違って「出席」としてしまいました。ヤキが回ったのかも知れません。皆さん車椅子を用意してまで待ってくれていたそうです。悪いことをしました。ごめんなさい。旧友の小澤幹雄君から聞きました。

学年会は大層盛況で30数名が集まったとのことでした。一学年400人が定員でしたから、卒業後67年にして参集率は約8パーセントということになります。われらが世代の生存率もそんなところかも知れない。とにかく残存兵力はこの人数しかないわけです。

小沢幹雄君とは高校時代、演劇部で一緒でした。その後はいい加減な桃叟と違って本物の役者になられましたが、その頃は無邪気に付き合わせてもらいました。「自分には電車の中で突然歌い出すちょっと変わり者の兄がいる」という話を聞いたこともあります。それが後に天下の大指揮者小澤征爾氏になるとはもちろん知る由もありませんでした。

それから10数年、桃叟老人が北米マサチューセッツ州ケンブリッジで暮らした1970年頃には小澤征爾の名前は世界的になっていました。ボストン・シンフォニー・ホールのロビーですれ違ったアメリカの小母さんに

から、「アーユーオザーワ?、オア、エスキモー」と訊ねられて面食らったのを思い出します。エスキモーと一緒にするとは何だと憤慨していたら、周囲に「そりゃ人種差別というものだ」とたしなめられたものでした。なるほど、と感心しました。

*         *       *

梔子3首――

〽ひたむきに言葉なけれどわれに向き物問ひかくるクチナシの花

〽何ゆゑに機嫌悪きか知らねどもこちら振り向けクチナシの花

〽八十あまり六つの月日は幾昔白き花見る明け方の夢

 

2023-06-02 | 日暦, 桃叟だより

声の復権をめざして――付 偶吟四首

人に勧められてわがラインに通話機能を取り付けました。ビデオ機能もあります。一両人と試験的に通話してみて、自分が今抱えている問題点に気付きました。久しぶりに自分自身の顔に対面してひどくゲンナリし、「こりゃとても人前に晒せる御面相ではない」と痛感したのはもとよりですが、それ以上に重大な事柄があったのです。――この数年間、あまり人と会う機会がなくなっているせいで、発声機構、ひらたくいえば「声」を出す筋肉がどんどん退化していたのです。

こっちの言葉がだいぶ聞き取りにくいと見えて、日頃接触するヘルパーさん・トレーナーさんの多くはあまり熱心に聞いてくれません。聞こえたふりで片付けられているというのが大半です。いけないことですが、こちらもつい面倒になってしまいます。悪循環です。

そんなわけで、ラインの通話機能は、しばらく自分自身を相手に話しかけ、会話をこころみるのに活用しようと思っています。言葉とは何よりも声なのです。これからは「声」の復権をめざして邁進します。

偶吟四首

ガクアジサイの盛りに

芦屋でも隅田の川の夕花火見る人なくてここに幾とせ

夜な夜なの夢は乗り物経めぐらん三千世界の一宇一宙

ニャーたちや御飯ですよと声がした猫もあるじも健在の日々

オークスG12023優勝

馬ながらわれ勝れりと得意顔高くいななく晴れの鼻面

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2023-04-27 | 書窟, 桃叟だより

桃叟書窟:山内昌之『将軍の世紀』

山内昌之『将軍の世紀』上下(文藝春秋)

山内氏は、この歴史書のタイトルを大佛次郎の『天皇の世紀』に触発されたと書いている。そうかもしれない。しかし桃叟の見る所では、本書は「将軍」「天皇」など日本史の境界・範囲の問題を越え出た広大な領域に焦点を結ぼうとしている。執筆の発端には、たとえばギボンの『ローマ帝國衰亡史』の塁を摩そうとする壮図が秘められているに違いない。いうなれば本書は首尾一徹した『徳川王朝興亡史』を構想しているのである。

氏にはつとに、浩瀚な『中東国際関係史研究』の著がある。だから氏の着眼が世界史的だとか国際的視野を持つとかいうのではない。歴史の深奥には、いかに尨大な「史実」の積み重ね、いかに緻密な相互照合、厳正な文献批判がなされようとも復元しきれない不可知の部分がある。いわば「歴史それ自体」の層理である。歴史の視界の涯は、何か根源的な「謎」を蔵したとてつもない暗黒に面しているわけで、氏はしばしばそこに佇む戦慄を「歴史への畏れ」と表現している。

こうした「歴史への畏れ」を味到するにはどうしたらよいか。一国,一地域、一時代の個別的な歴史事象の枠にとらわれず、いきなり歴史原像へ参入する方途もある。裸で歴史そのものに肉薄するのである。若き日の氏はそうすることにいささか急であった。そのせいで昔は、「狙いは野心的だとしても、看板倒れの観を否めず、外面的に華やかな美辞麗句の羅列は、無内容さを押し隠すもののように見えてならなかった」(『納得しなかった男』書評)などと書かれもした。だが氏はそんな段階はもう卒業している。

『将軍の世紀』の構成は、初代家康から15代慶喜まで各代将軍の編年体の様式を取るが、各章の比重はかなり不均等であり、必ずしも各将軍の治世の長短、行事こうじの多寡を反映しない。むしろそれぞれの治世下に生じたもろもろの摩擦点・問題点の総量に比例する。いきおい、時代の経過につれて増加する社会的エントロピー、「興亡史」を「亡」の視点から眺める構図がしつらえられる。『将軍の世紀』も下巻(第八「家慶いえよし」以下)になると、分量が俄然多くなり、叙述がひとしお生彩を放つゆえんである。

幕末の為政者たちは、まさか徳川幕府が倒壊するなどとは夢にも思っていなかった。ところが実際には、未来永劫続くと信じられていた徳川政権が実にあっけなく終焉を迎えてしまったのだ。「不思議の負け」が起きたのである。品川まで官軍が迫って来ているのに江戸っ子は幕府の瓦解を信じなかった。今が「幕末」だとは誰も思ってもいなかったのだ。 歴史の現場で人々が直面し、せめぎあうのは、その都度当事者の死活にかかわる特定の・具体的な・解決を要する問題葛藤だから、対立はいやでも政治的な色彩を帯びる。常に緊張を孕み、いつでも円満な話合いで片付くとは限らない。最後は軍事的な手段をもって決着を付ける外はない。内戦である。やがて幕末の維新変動期には、まさにその通りのことが起きるであろう。

政治の究極には権力闘争があり、権力闘争の核心は人事抗争である。この領域ほど、人間行動に非合理な判断が雑じり込むものはない。心情とか情念とか、俗に「理窟じゃ割り切れない」といわれるような傍からは理解不能な心理がひとを動かすことになる。一つの人事抗争はその周辺に複雑な人間関係の連鎖を作り出し、それがまた縦横に輻湊ふくそうして濃密な人間模様を織りなす。たとえば誰を将軍にするかの人事抗争は、徳川国家の大綱を決する権力闘争の中でも最高位にランクされるはずだが、幕末政争で実際に目立つのは、わが子慶喜を将軍にしたい一心に凝り固まった水戸斉昭なりあきの盲愛、歴史の一頁を飾る親バカぶりばか,という具合である。

山内氏はこうした幕末期固有の人事問題を読みほぐし、人間関係を解読する。いやむしろ人間模様を解像する。時には信じられないほど意外な組み合わせ――ex.突然の薩長同盟――の出現も、「なぜそうなるか」の根を政治情勢ばかりでなく人間関係の葛藤の中にも探って解明する。そうした作業を進めるに当たって、氏はこれまでただの随筆として、必ずしも「史料」扱いされて来なかった民間筆録・日記・聞書等の文献をもレパートリーに加え、史料の幅を広げている。おそらく特別な嗅覚が備わっていて、もたらされた歴史情報の真贋を嗅ぎ分けるのだ。

複数の史料の同時繙読・相互参照はたんに文献批判の精度を高めるだけでなく、行間に非・明示的な「史実」を浮かび出させる。「歴史への畏れ」が望見する極限には人智では永久に到達不能な「歴史それ自体」が鎮座し、その周囲にはいわば同心円状にいろいろな光度の星雲が連なっているが、それらの中でさしずめ暗黒星雲にあたるものは、歴史の暗がりにひそむいくつもの「謎」だろう。たとえば大政奉還の実現に力のあった薩摩藩の小松帯刀こまつたてわきが役目を終えたあと、突然幕末史から消え失せるのは何故か、等々。

――――『将軍の世紀』は以上のように「歴史への畏れ」に貫かれた野心作であり、桃叟はもちろん賞賛するが、一つだけ不可解な点がある。本書は関ヶ原に始まるが終わりは鳥羽伏見ではない。つまり「大政奉還』で筆が投じられ、「王政復古」まで叙述するには至っていないのである。なぜなのだろう。その点だけが疑問を残し、また惜しまれてならない。   畢

 

 

 

 

 

 

『旅役者歩兵隊』御吹聴お願い  付 春闌近況4首 

長い間推敲してきた『旅役者歩兵隊』がこのほど完成しました。総枚数は312枚です。これまでの基準からいうと、単行本としては少し薄手なのですが、今回はこの一作だけで勝負しようと思います。

時は慶応4年。場所は鳥羽伏見から江戸上野まで。主人公は幕府歩兵隊に応募した素人役者の町人熊五郎。この男が、仲間たちと共に旅役者に成り済まして東海道を下り、幕府瓦解直後の江戸に帰り着くまでの物語です。ラストシーンは彰義隊の一戦です。一篇の構成は次の如し:

序幕 山崎街道40

二幕目 「伊勢音頭恋寝刃」 桑名50

三幕目 「盛綱陣屋」  名古屋52

四幕目   「弥作の鎌腹」 下田・横浜54

五幕目 「躄の仇討」江戸58

大詰    上野山炎上  58

できばえがどうかは皆さんの判断をお待ちしますが、それにはまずこの作品を読んで頂かなければ話になりません。ご承知の通り、「紙の本」がすっかり不況になっている昨今ですので、この際少しでも販路を増やすように努力したいと思います。皆さんも何とぞお知恵をお貸し下さい。まず拙作を世に御吹聴下さいますよう伏してお願い申し上げます。

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春闌近況4首

〽春闌けて緑の桜ふふだめり去年きみと見し花の移り香

〽この頃は世々の噂も人づてぞ吹く風に聞く花散らしかな

〽夜な夜なの夢は乗り物経めぐらん三千世界の一宇一宙

〽年ごとに名馬出並ぶファンファーレ奢れる駒の高き鼻息

 

 

 

 

 

 

QRコードお披露目 付 春花斉放8首

生まれついてのオッチョコチョイで、人のすなるQRコードというものがやってみたく、人に頼んで作ってもらいました。真ん中のいわば字眼にあたる図柄は、『五体字類』の「明朝諸人」の部類から拝借しました。こんなものでいいですかねえ。皆様のご鑑定をお待ちします。

と、そこまではよかったのですが、このQRコードを実際にどう使ったらいいのかわかりません。宝(?)の持ち腐れにならぬよう、どなか知恵を貸して下さい。

さしあたっては、このブログ上に本QRコードをお披露目し、本ブログの御常連の数を増やそうと思っていますのでよろしく。このブログなどは、ヒット数百万を豪語するSNSに比べれば,吹けば飛ぶような泡沫のカケラにすぎませんが、この三月にはヒット数100を越えました。昭和の生き残りはまだ健在です。

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春花斉放8首

〽菜の花や久松恋ふる足拍子心ときめく三味の連れ弾き

〽忠信の姿ゆかしや花霞遠く鼓が谺する声

〽待ちかねしコブシの花は開き出ぬ春に合はんとけなげなりけり

〽どこかから舞ひ飛び来たるニラの花われを忘るな春の仲間ぞ

〽またひとり古きブンドが失せにけり若き昔は敵なりし人

〽中空に行くも戻るも定めかね八十路半ばは経るによしなし

〽いくそたび仮りの姿と現じけんまことのわれはありか知らずて

〽なつかしや野山に響くファンファーレ勇める駒の嘶きに和す

 

 

 

2023-03-02 | 口吟, 日暦, 桃叟だより

老は労のごとし 付 老来自謔7首

今は昔、銅脈先生の狂文を座右の銘にしていた。「酒は猶兵のごとし。一たび失すれば百敵其の虚を窺う」という名言である。桃叟もいろいろ失敗したが、それも若い頃の話。酒をやめてから無慮三十年、最近は誰もかつての全盛期を知らない。ただ老いてゆくばかりだ。

銅脈先生の名文をもじって、「老は猶ロウのごとし」という枠に納める文字を考えた。「楼」「漏」「琅」「朗」などといろいろな漢字が浮かぶ。しかしみな韻尾が違う。「老」と韻が同じなのは「労」か「牢」なのである(ピンインは共にlao)。いい方を選んで「老は猶労のごとし」ともどき、「一たび佚いつすれば百病其の膏こうを窺う」と続けることにしよう。

桃叟には、「労」とはもっぱら身体を動かすことを意味する。これでも昔は1956年から1962年まで首都で行われた街頭運動にいなかったことはないお兄さんだった――デモクラシイとはデモ暮らしなり――が、それも遠い昔の夢。今は見る影もない。毎日踏み台運動をしないと足がむくむ。週に一度「サラサラ、パラパラ」と口を動かさないとロレツが回らない。情けないが、まあ仕方なかろう。

そんなわけで、「老」は「労」なり、と見つけたり。

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老来自謔七首

〽老いさびて鶴に化すると思ひしに涎とむくみばかりなりけり

〽老いけらし何につけても涙ぐむかゝる我にはあらざりしをや

〽はしたなや小さき事に涙する弱き心を叱るわれかな

〽春一番コブシの蕾ほぐれ出て昔の夢もあはれ花びら

〽ジガバチは嫌ひですよなど言ひき尺取り虫に劣るこのわれ

〽コンガラは狐童女と睦びけり光流るゝ暁の夢

〽朝明よりコンコンチキチとよもして野山うるほすハレの日の雨

🦊    🦊

 

2023-02-19 | 日暦, 桃叟だより

老來蠢動 新刊予告 付 冥顕交信5首 虫獣交感4首

近づく春の気配がします。庭のコブシはまだ蕾んでいませんが、町中ではぼつぼつレンギョウの開花が始まったそうです。すぐにユキヤナギが加わるでしょう。

桃叟もそろそろ近刊をめざして蠢動しようと思います。もうあと何年書けるかわかりませんが、これは完成できると信じます。今度の主人公――幕末に生きるわが分身――は、芝居好きの町人青年ですが幕府歩兵になり、鳥羽伏見で大敗し、旅役者になって江戸へ帰る、までの物語です。

やがて目鼻が付いて来ましたら、このブログでもお披露目するつもりです。が、今日の所はまずこれまで。

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冥顕交信5首

〽久々に夢でまみえしわが妻と共に祝はんきつね菱餅

〽きさらぎも月の半ばとなりにけりやよひぐらしに春の待たるる

〽思ひきや又の逢ふ日は絶え果てて人待つ心ましてわりなし

〽いさかひも和解もありき夫婦雛きみなき今ぞきみはあるなり

〽起き出でよわが底ひなるくしみたま昔のいさを語り聞かせん

虫獣4首

〽思い出すあのうららかな春の午後キツネすやすやタヌキぐうぐう

〽やあ元気? 生きていたのかクモクンは妻の遺影に手をすり合わす

〽いやちこの諏訪法性の御兜かざす八重垣燃ゆる狐火

〽春浅く地べた這ひをるボケの花時待ちつける蕾いぢらし  了

2023-01-17 | 日暦, 桃叟だより

令五癸卯新春三つ物――亡妻追懐七首

新年おめでとうございます。桃叟、百足らず85歳の年明けです。お目ざわりかも知れませんが、もう数年お付き合いを願います。

連句仲間では、例年、三つ物(発句・脇句・第三の3句だけを一まとめにした連句の一様式)を作って年頭の挨拶をする習わしがあるそうです。実は桃叟もその驥尾に付して作ってみたところ、思いがけず及第点を頂いたので、臆面もなくこのブログでお披露目しようと思います。

春風や吉兆告ぐる鳥の声
雑煮に添ふる七草の色
上の座に賓客ウサギおさまりて

三つ物には十二支を詠み込むものだそうですのでウサ君にご登場願いました。白と赤の色彩感がミソです。脇句の緑とのコントラスト。なんなら発句にピンクを感じてくれると有難いのですが。

ついでに桃門社御連中の皆さんにも宿題を出します。各自がワンセットずつ三つ物をまとめ、このブログに提出するように。別に期限は切りませんが、できればまだ正月気分が残っているうちに。

それに皆さんめいめいの周囲にそれぞれの連句グループの輪を広げましょう。学校の教室で、職場で、あるいは御近所で――皆さんも小ボスになれるチャンスですぞ。

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亡妻追懐七首

〽三とせ経て四とせ迎ふる今日の日もなほ新しき傍の空床

〽去る者は日々に疎しといふめれど疎からざるは去らざればなり

〽一筋に彼方へ続く長い道そのいや涯にわれを待つ影

〽日は沈みまだ暮れやらぬ地平線いつまで続く長い夕方

〽昔経し芦屋の春も今は夢行路足利き談話風発

〽待っててね少し仕事が残ってる見終えぬドラマ書きかけの本

〽わが世には幸ひありき春ありきなれと過ごせし永遠の束の間

 

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