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桃叟だより

[皆さんの声をお聞かせ下さい――コメント欄の見つけ方]

今度から『野口武彦公式サイト』は、皆さんの御意見が直接読めるようになりました。ブログごとに付いている「コメント欄」に書き込んでいただくわけですが、
同欄は次のような手順で出します。

トップページの「野口武彦公式サイト」という題字の下に並ぶ「ホーム、お知らせ、著作一覧、桃叟だより」の4カテゴリーのうち、「桃叟だより」を開き、右側サイドメニューの「最新記事」にある記事タイトルをどれでもダブルクリックすれば、その末尾に「コメント欄」が現れます。

そこへ御自由に書き込んでいただければ、読者が皆でシェアできることになっています。ただし、記入者のメールアドレス書き込みは必須ではありません。内容はその時々のブログ内容に関するものでなくても結構です。

ぼくとしては、どういう人々がわがブログを読んで下さっているのか、できるだけ知っておきたいので、よろしくお願いする次第です。以上

精神科医の友への手紙(2)

平井孝男様。お久しぶりです。この前お手紙を差し上げ、それを本ブログへ公開させていただいたのが、2001年1月21日でしたから、いつのまにか一年以上が経ってしまったわけです。現在、平井クリニック院長、新大阪カウンセリングセンター長と赫々たる名声に輝いておいでの貴君をつい昔のよしみで「友人」などと気安くお呼びするのは失礼のきわみですが、まあ長年のお付き合いに免じてお許し下さい。

御近著をお送り下さって有難うございました。いつも治療の現場で困難な問題に取り組んでおられるお姿に頭が下がります。

この一年の間に起きたことの中でいちばん大きかったのはやっぱりコロナの襲来でしょう。「感染を防ぐ対策を取り、地道に一歩一歩手探りに進んで行く」のみだと御来信にはありましたが、本当にその通りだと思います。昔から災厄の 時には洋の東西を問わずヒトリテンデンコ(Help yourself)だと申しますが、いざとなると一人きりでは判断を下すのも難しくなります。

わが身は、感染したらオシマイの確率が高いと脅されている「後期高齢者」に分類されているのですが、どういうものか実感がまるでありません。家に閉じこもったきりで人と会わない――お医者さんも来診してくれます――からかも知れませんが、世間並みの恐怖や不安が感じられないのです。ぼくは今ヤモメグラシで、妻子の養うべきもなく、言ってみれば「無役」の旗本・御家人のような身分だからかも知れません。いずれにせよ責任のない立場なのです。現役の人々からはたぶん腹立たしく見えるでしょう。しかしこの別に根拠のない安心感は高い致死率と引き換えです。

どうも最近のぼくは「老人性多幸症」に罹っているのではないかという気がします。自己診断をするものではないと申しますが、今みたいな御時節には、無責任に楽観的な 方が不安神経症になるよりはマシなのではないでしょうか。

リハビリはまじめにやっています。この前 ちょっと厳しいトレーナーさんに「♪今日も今日とて親方さんに、芸がまずいと叱られて」という歌の一節をユーチューブで見せましたが、反応はもひとつでした。最近の人はもう美空ひばりを知らないらしい。『越後獅子の唄』には他の効能もあります。ロレツの回らない構音障害の治療にも有効です。小さな テープ・レコーダーに歌 (?)を吹き込み、音程の狂いを直すのも苦労でなままかの大仕事です。

ぼくの方はまあこんな具合に毎日どうにか生き延びて います。何だかこうやって生き残るような気がします。貴兄もどうかお元気で天職を全うされるように心からお祈りします。天運長久。

腰折れの一首。〽口ずさむ美空ひばりの越後獅子バチでぶたれてリハビリをする。

 

 

2021-01-16 | 日暦, 桃叟だより

令三春六吟半歌仙』の発句(綺翁)の選定

『令三春六吟半歌仙』の発句(綺翁)の選定についてはいろいろ迷いましたが、けっきょく公開句順表にあるように「茅の海やいざ漕ぎ出でむ春の潮」に治定しました。一度は 「知の海にいざ漕ぎいでむ春の潮」にともしたのですが、その後考えるところあって「茅の海や」に落ち着きました。理由は以下に申し述べます。令三春六吟半歌仙句順表
問題の発端は、連句式目に、「「松永貞徳が示した、「名所、国、神祇、釈教、恋、無常、述懐、懐旧おもてにぞせぬ。」のきまりが、そのまま現代連句でも受け継がれており、そのほか地名、人名、殺伐なこと、病態、妖怪なども嫌われている」(東明雅『十七季』)という申し合わせがあり、綺翁子が使った「茅の海」は、大阪湾の古称ですから固有地名ということになり、禁則に引っかかるのではないかと考えた次第です。また綺翁子の発想を窺ってみると、「茅の海は知の海、言葉の海との掛け言葉のつもりでして春の最強の上げ潮に乗って知の海へ自らの力で漕ぎ出しましょうかねという句意」だというので、いっそのこと「知の海」でいったらどうかと思い返しました。
ところが、どうもわれながら釈然としないのです。初句から「知の海」と、抽象語を交えた比喩で出るのは、なんだか新体詩みたいで気が そそりません。
考えあぐねていたところへ、図らずも2つのヒントが相次いで訪れました。「これだ!」と思わず飛び上がりました。
①幸田露伴の意見です。「冬の日木枯の巻概観」の」中で露伴は「竹斎」なる人名についてこう言っています:「表六句の中に人名国名地名などはせぬが常法なり。幕末になりては特にかゝることをばこちたく云ふこと、所謂宗匠の教なれども、竹斎は作り物語の中の名なれば、有るが如く無きが如き故、難無きなり」と。――つまり、固有名詞でなく、普通名詞として扱えというのです。
②もう一つは三山子の何気ない疑問表出の一文です:大阪湾は「茅の海」ですか? 「茅渟の海」では??――するどい! たしかに大阪湾の古称は正しくは 「茅渟の海(ちぬのうみ)」であって、「茅の海」なる地名は 存在しない。だから――ひょっとして怪我の功名かも知れないが――綺翁子は固有名詞ではなく、普通名詞を詠んだにすぎない。これは架空の地名であり、どんな地図の上にも実在しない幻境の海域なのです。

〽茅の海やいざ漕ぎ出でむ春の潮

三山さん、これを発句として脇を固めて下さい。
里女さん、この二句を掌で受けて下さい。

 

『令三春吟半歌仙』『令三銘々精進会』の呼びかけ

2021.01.14 木曜日
令三春吟半歌仙句順表.xlsx令三春吟半歌仙句順表

「野口武彦公式ブログ」が何とか復旧できましたので、歌仙興行も続行します。『令三春吟半歌仙句順表』を公示しますので、連衆諸兄姉のご応募をお願いします。

またそれに平行して、俳友グループの皆さんに『令三銘々精進会』へのご参加を呼びかけます。皆にレポートを提出してもらいたいのです:「芭蕉七部集の任意の巻から一組の付け合いを選んで自由に鑑賞し、100字前後にまとめよ。」

歌仙を何回か巻いてみて、諸君の作句方法に或る特定の傾向があるように感じた。自分の生活体験にある何らかのクライマックスを「私的=詩的瞬間」として切り取る発想をするのだ。それでは最短の詩形と考える「学校俳句」「秀才俳句」だ。連句 は違う。諸君もやってみて感じたと思うが、それは個々の付句を介して、或る集団的・伝統的な公共文化圏に加わることだ。連句は現代のような――時疫がいよいよその間を強めている――乱世に生きる人間の共通語なのだ。だから諸君の句作にも、たんなる生活体験のみでなく、すぐれた先人の製作に触れて得られる「詩的体験」を多く蓄積し、詞藻・詩嚢・歌袋・俳語目録をできるだけ豊富にしなければならない。

『芭蕉七部集』はその点でいい勉強になると思うよ。『日本の古本屋』などで検索すればいくらでも見つかるが、拙老は特に幸田露伴の評釈を勧める。注釈作業それ自体が 「文学」であることの好個の見本なり。また安東次男の評釈も面白い。クセが 強いが、それがまた魅力だ。この通知はブログでも公開します。「その望の日を」注釈

ブログを新規まき直し

奇貨措くべからずという言葉があります。本ブログが一時ダウンし、ファイルの一部が 消えてしまったのは災厄には違いないが、考えようによっては「天の配剤」なるべし。つまり一種の「奇貨」です。この機会に大きく模様替えすることにしました。

「わが終活」なんてシカツメラシイのは柄に合わないのでやめにしました。「昭和昔話集」に一本化します。思想なんてものは拙老のニンじゃないのです。サバサバと切り捨てました。

「昭和昔話集」というタイトルで、ダウン以前に5,6回書いたような気もするが、これもやり直しです。その他 コメント欄で二三応酬があったようにも記憶しますが、それも忘れて下さい。これからは好きなことだけを書きます。

今日はまず、「昭和昔話集」第一回『昔の劇評』の復元と増補から。そのオリジナルは次の通り。

「昭和の昔、守田勘弥(喜の字屋)というそこそこの役者がいた。ある時『寺子屋』の松王丸を演(や)ったことがあって大張切りだった。本人も一世一代の大舞台だと思っていたらしい。公演が始まってすぐに、新聞に劇評が載った。「舞台に源蔵が二人出て来たようだ」。昔の劇評家はうまかった。――最近、次期首相をめざして何だか色っぽくなっ菅さんを見ていて、ふと思い出しました。」

今日は2021年1月20日です。第二次緊急事態宣言(従来の一都三県に加えて大阪・京都・兵庫・愛知・岐阜・福岡・栃木の6府県に拡大)された日付です。引用した文章を書いたのは2020年9月初めのことですから、内閣支持率が大幅に下がっている今日の時点で評定したら不公平になるでしょうが、逆にかえって「先見の明」があったということになりませんかねえ。政治力がどうの指導性がこうのなどとダイソレタことは申しません。ただどう見てもニンじゃない、と皆わかっているのです。

「舞台に源蔵が二人出て来たようだ」という寸評がいかに真をうがっていたかは、ポスト昭和の読者に食もう通じないかも知れません。しかしここでも逆に、テレビの管さんの顔つきがこの評言の理解を助けるかも。 了

緊急通知 ブログ中絶と再開

拙老 にはわからない技術的原因によって2020年7~12月のブログが消失しました。やむなくこれらは無かったものとして、そのうち『昭和昔話集』シリーズおよび幾つかの半歌仙興行の記録だけは、諸方から掘り起こして再現しようと思います。

この6ヶ月間は多事多難な時期でした。コロナ禍をめぐって、多様な社会事象が次々と生起したこの期間には、後から見れば何か或る不可逆的な過程が進行していたような気がします。たとえば世界人類とヴィールスという生命体との間で、変化のテンポでは勝負にならない突然変異の競争がなされていたとでもいうような。

幸い拙老は、身に起きる一切の出来事を天の配剤と感じる幸わせな性分です。拙老にはあと何年定命がされ藉(か)されているか分かりませんが、残された時間の内に果たすべき宿債があり、それが未済であるような気がして ならないのです。それは「20世紀アキツシマの文(ぶん)」を21世紀世界に持ち伝えるという書債であるといってもよいでしょう。日本の「文字言葉 」の保持だともいえます。いずれ別回で敷衍(ふえん)するつもりです。

全部を一度に復元することはできないので、今回は半歌仙興行の記録を復活するだけに止めます。この里はコロナも知らず赤とんぼ 令二冬六吟半歌仙句順表  令二歳暮六吟半歌仙句順表 令三新春半歌仙 

なお俳友グループ間の対話記録も拾えましたので併載しておきます。ラインやりとり2020暮 今回畢。

調査にご助力下さい

いきなりダッシュボードに「PHPの更新が必要です」というアナウンスが出ました。人に相談したら意外に難物で、やり方をしくじると「サイト自体に不具合が出る可能性がある」とのことなので、当分ほっとくつもりです。特に更新しなくてもブログの機能は変わらないはずなのでこのまま行けるでしょう。そこで皆さんにお願いですが、コメント欄が生きているかどうかを確認したいのです。投稿してみてくれませんか

わがポスト・パンデミック――烏化佯仙(うかようせん)

お久しぶりです。世が世ですから、世の中で何か画期的なことが起きているのかと思って待機していましたが、人間社会では何事も起きていないかのように事態を処理しているみたいですので、仕方がないから自前で「ポスト・パンデミック」の世界に対処することにします。拙老の周囲でいちばん身近なのは介護の皆さんの社会ですが、ここではコロナと熱中症が同程度に危険だということで、やたら水分ばかり取らされて閉口しています。

何でも今回の時疫の特色は、無症状で強力な感染力を持つヴィールスを蔓延まんえんさせていることにあるそうです。無害に偽装する戦略ですね。ヴィールスも生き延びるために必死で、突然変異のかたちで遺伝形質を発現させているのです。人類も急いで「進化」しなくてはとても追い付きません。

とはいっても、拙老一代のうちに突然変異するのは無理ですので、せめて頭の中で想念をまとめてみようと思います。拙老が最近夢想しているのは、次の画の中の猫のようなイメージになりきることです。これは有名な『不思議の国のアリス』に出て来る《チェシャ猫」の挿絵で、御覧のとおり猫の身体を透かして葉の茂みが見えています。アリスは言います:「あれれ変だわ。笑わない猫はしょっちゅう見るけど、猫がなくて笑いだけ見えるのは初めてだわ」。http://www.alice-in-the-wonderlander/resources/pictures/cheshire-cat/

つまり、猫の肉体は消えて、笑いだけが残っているのです。具体性のない抽象的存在なのです。よく「背後に実在のないアイデア」のたとえに使われるイメージです。こんな具合に、みずからはただの無機的な抽象物と化して下界をニヤニヤ眺めながら余生を楽しんでいるのが拙生老来の日々です。

しかし物事はそううまくは運びません。一たび人間じんかんに生まれたからには、否応なく有機物が混じり込んでいて、スッキリ風化できないのです。わが東洋の伝承では「羽化登仙」といって、白い羽根が生えて鶴に化身し、俗塵を去って悠々と仙界に飛翔することになっています。死んでも完全に気化して遺骸などは残らないそうです。

これにあやかろうと、拙老も日々仙道修業に励んでいますが、芸が未熟なものですから、どうしても思うように羽化できません。できるのは「羽化登仙」ならぬ「烏化佯仙うかようせん、カラスになって仙人のふりをする」くらいのものです。最近この界隈で見かける烏たちにとみに親愛の感情を抱くようにありました。次の写真は、ヘルパーさんが撮ってくれたものです。

えらく自信たっぷりの顔をしています。あわてず、騒がず、ゆっくり急がずに時間を待とう。いずれ人間たちは滅びていなくなり、俺たちはこマンションの主人になるのだ、とうそぶいている感じです。写真のタイトルは「あるじ顔の烏」です。

ポスト・パンデミックの世界では、地球上のあらゆる生命体の距離が縮まり、たがいの差が狭まることです。人間と烏の差などは知れたものです。平均サイズも百何十センチメートルと何十センチかとの違いにすぎません。コロナ・ヴィールスの体長は1万分の1ミリ(100ナノメートル)程度だそうです。桁の大小が違うだけで、同じ尺度で測れる相手なのです。肉眼では見えないのですが、サイズの差を越えてその実在が確かに感じ取れます。

これからの――ポスト・パンデミックの――世界は、今まで目に見えなかった、あるいは、たんに見えないというだけの理由で無視されてきた地球上の生命存在たちがけなげに自己主張する時代が到来すると思います。生命体という有機物が細胞膜を距てて嬉々として交感し合っているのです。

そう思って眺めると、身の回りにはいろいろな生命たちがひしめいています。昆虫たちはみなチャンス到来と出番を待っています。右」のバッタはいかにも罪のない顔をして草の茎を囓っていますが、ケニアではお仲間が2億匹発生し、穀物を食い荒らして中近東からアジア大陸へ移動中とのことです。さしずめコロナバッタでしょう。旧約聖書の『出エジプト記』に見える蝗害の再来です。人類と微生物の体長差が物の数ではないスケールで考えれば、古代と現代の時差などはほんの一またぎにすぎないのです。左の写真は、友人が朝の散歩で久しぶりに見かけた生きているタマムシです。嬉しそうに触角をうごめかしていたそうです。そういえば拙老も長いこと箪笥の中で干からびている死んだタマムシしか見たことがありませんでした。日が当たれば美しく輝きます。もちろん玉虫色に。今日、東京ではアラートが解除され、赤色が消えてレインボウブリッジが虹色に照明されました。本当は玉虫色なのです。 畢

2020-05-23 | 日暦, 桃叟だより

とりあえず桃叟近影

この格好にはコロナも寄りつけますまい。毎日リハビリをやって奮闘しております。

〽老い武者に強い味方が付きにけり時のえやみよ諦めて去れ

歌仙もこのところ停滞ぎみですが、近日中に立て直しましょう。次回のブログで物事をきちんと整理するつもりです。

えやみ ときのけ 老いの春

時疫はいよいよ旺盛です。人生の現役の皆さんは、めいめいの持場々々で種々ご多忙のことと存じます。拙老は、介護のヘルパーさんの他にはまず人と会うこともないので、まあ達者で日を送っています。世間に悪いみたいです。すみません。

ある人がこの機会にトーマス・マンの『魔の山』を読破すると言ってきたのに触発されて、拙老も同書を再読しました。おかげで初読時にはうっかり読み落としていた内容に気付くことができました。何歳になっても勉強することはあるものです。

この小説の舞台は、アルプスの中腹、スイスの避暑地ダヴォス――現代ではG7の会場として有名――にある富豪たちの結核療養所です。一篇は、ここに入所した主人公ハンス・カストルプが多くの人々と出会い、論争し、体験を深め、内面を豊かにしてゆく物語なのですが、拙老が今回の読み直しで改めて発見したのは、ハンスが病い癒えて下界に復帰する決心をしてから起きるいくつかの事件でした。

若い人々には分からないかも知れませんが、つい最近まで結核は死病でした。罹ったら死ぬまで治らない病気だったのです。日本の近代文学に「結核文学」「療養文学」「軽井沢文学」のジャンルが生まれたゆえんです。「魔の山」とは半死者の棲息地であり、生者ハンスが人々と交わす対話もいきおい「死と病気に寄せる一切の関心は、生に寄せる関心の一種の表現にほかならない」(第6章「雪」)という風に、いつも「死」と背中合わせでしか物事を考えられないものでした。常に死を意識して生きなければならない。ここはいつも空にmemento mori(「死を忘るなかれ」)の文字が映画のスーパーインポーズのように浮かんでいる、凡俗な生者たちが住む下界とは違う世界だったのです。

ところが、最終章(第7章)で下界に降りる時期が近付いてくると、ハンスはにわかに市民社会・実世間・生活力といった世俗的な事柄に関心を抱くようになると見受けられます。ハンスは人生に不可避的につきまとう日常性・通俗性に直面するだけでなく、これらと同和しなくてはならないことを覚悟したといえます。何が転機になったのでしょうか。「魔の山を木端微塵こっぱみじんに打ち砕き、七年間の惰眠をむさぼっていた青年を荒々しくこの魔境の外にほうり出すような凄まじい轟音」(第7章「霹靂へきれき」)でした。第一次世界大戦の勃発を告げる砲声が轟いたのです。

戦争は日常と非日常の境界を失くします。戦死・戦病死・戦災死・略奪・陵辱・飢餓・悪疫等々、不慮の死がしばしば訪れ、死はなんら非常事態ではなく、日常茶飯事になり、人間社会はそのままいわば「魔の山」化します。進化生物学者のジャレット・ダイアモンドは「人類史上もっとも猛威をふるった疫病は、第一次世界大戦が終結した頃に起こったインフルエンザの大流行で、そのときに世界で二百万人が命を落としている」(『銃・病原菌・鉄』)と書いていますが、ハンスはまだそんな人類の未来を知りません。ただこれから降り立つ世界の変容を鋭敏に予感しているのです。

*       *       *

今、世界を襲っている疫病は二重の意味でわれわれに脅威をもたらしています。第一にはもちろん、コロナヴィールスが一定の致死率を保っていることに由来する即物的な恐怖感です。第二のはそれと分かちがたく結び付いている、一種いわば「世界不安」的な感覚です。疫病流行が後に残す失業増大・生活苦・金融逼迫・犯罪頻発・人心荒廃といった諸現象が総体として一種名状しがたい不吉な予感を生じさせています。最近「コロナ解雇」「コロナ離婚」といった種類の言葉がたくさんできたそうですが、それも世の不調子の現れでしょう。

そのうち第一の不安に関しては、現実の客観的な把握として、ダイアモンドの「突然大流行する感染症には、共通する特色がいくつかある。まず、感染が非常に効率的で速いため、短期間のうちに、集団全体が病原菌に感染してしまう。つまり、これらの感染症は「進行が急性」である――感染者は、短期間のうちに、死亡してしまうか、完全に回復してしまうかのどちらかである。そして、一度感染し、回復した者はその病原菌に対して抗体を持つようになり、それ以降のかなりの長きにわたって、恐らく死ぬまで、同じ病気にかからなくなる」(『銃・病原菌・鉄』)という指摘に、冷静に耳を傾ける冪でしょう。「治るか/死ぬか」のどちらかだという断言は、一見すると身も蓋もないようですが、実は大多数の感染者はそっくり生き残ってきたのがこれまでの人類史だという点にアクセントが置かれています。自分がそのどちらに属するかは「運」だと度胸を固める他はありません。

またそう覚悟することは、おのずと第二の不安をも解消するでしょう。予言じみたことをいうつもりはありませんが、今確信を持って予想できるのは、コロナ終焉の後の世界には不可逆的な変化が生じているだろうということです。

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拙老が住んでいるここ津の国でも、この不可逆的な変化がそろそろ始まっているようです。以下にお見せするいくつかのイラストがそれを物語ってくれるでしょう。病来このところ歩行は叶いませんが、幸い親切な税理士さんや介護士さんが撮って来てくれる写真で、変貌してゆく外界の姿に触れることができます。

本ブログで何度もご紹介してきた「恐竜山」は見る影もない姿になりました。昔のイグアノドンの全形は消え失せて、わすかに昔の首の部分の樹林だけが残っている有様です。これからは「烏首山うすざん」と呼ぶことにします。山は削られて造成地に区画され、やがて小綺麗なマンションが建つのでしょう。見方によってはことごとくこれ銀行ローンの物的形態なのでしょうが、それまでは申しますまい。とにかくこうした自然の丘陵山林を人口の宅地に造成する土地開発は、プレコロナ時代には「建設」だったかもしれませんが、ポストコロナ期には「破壊」のしっぱなしなのではないか。早い話が、住宅ローンを払う人間がもういないのではないか。

次の一連の動物写真は何か非常に啓示的な意味を持っているんじゃないかな? どれもある介護士さんが訪問先ならびに往復の道すがら目に留めた小景です。

左は、ある訪問先のバルコニーに作られていた烏の巣です。丹念に拾い集めた肥えだを丁寧に編んで雛たちの住処すみかを用意しているのです。あの嫌われ者の烏からは信じられないくらい健気けなげな仕事です。右の写真では、かわいらしいタマゴが三つも生み落とされているのが見えます。烏いだは自分たちの将来のために「建設」にいそしんでいるわけです。次代に備えているのではないか?

近くを流れる宮川の水には、いろいろな小動物たちが、何の拘束もなく、嬉々として日に当たっています。もちろんマスクもしていませんし、外出禁止も休業も要請されていません。

昔、セミの羽化を観察したことがあります。今の情勢によく似ています。飴色をした蛹から成虫が抜け出し、後に形だけがいやに完備した抜け殻が残ります。現代世界もこれと同じでプレコロナの外層がポッカリ外れた後にはポストコロナの成虫がもう待機しているのではないか。カラスやカモやカメはみな何食わぬ顔でその日の予行演習をしているような気がして仕方ありません。 畢

 

 

2020-04-01 | 日暦, 桃叟だより

令和わざうた(童謡)ならぬ老謠おひろめ

『日本書紀』皇極天皇2年(643)10月のことですから、古い古い時代の話です。大化の改新(645)前夜の不安定な政情のさなか世上に奇妙な童謡わざうたが流行しました。「岩の上に 小猿米焼く 米だにも 食げて通らせ 山羊やまじしの老翁をぢ」というものです。意味はチンプンカンプンですが、元は歌垣かがいの歌で、岩上に屯している若い女たちが、通りがかった白髪の老人をセメテ米グライ食ベニ寄ッテユキナヨとからかっているのだそうです。

だが実は、この歌には寓意があって「白髪の老人」というのは当時の権力闘争の渦中にいた皇族を指していて、その人物が政敵を恐れて山中に隠れた事実を諷しているということです。こういう風に、日本の古代史では何度も「童謡」が、権力者を憚って公然とは語りにくいこと、宮廷の醜聞、政治家の私行、闇に包まれた事の真相などを世に広める役割を果たして来ました。

古代社会だけはありません。それ以後の各時代も、それぞれに人々の気持を解放する手段や方法を作り出しています。中世の落書――応仁の乱時の「二条河原落書」など――が有名。江戸時代の狂歌・川柳。黄表紙に四方赤良よものあから作の『頭てん天口有あたまてんてんにくちあり」なんてお誂え向きの外題もあるくらいです。が、古代の童謡は特別ユニークです。子供になりすますというより、子供にしかない直覚的な洞見力がつらぬいているからでしょう。

もとより桃叟には少年の純真さなどありませんが、それでも陸游りくゆうの「老翁垂七十  其實似童兒ろうおうしちじゅうになんなんとし、そのじつどうじににたり」という詩句にはつくづく共感します。ましてや八十路をだいぶ過ぎたとなれば尚更です。以下の連作もそんな子供っぽさとしてお読み捨て下さい。

令和閑吟 〽なにともなやなう 人生七十古来稀 人生八十今はザラなり

耄耋ぼうてつ独吟 〽老い舌は今のわざうた心せよ亀に甲あり年に劫あり

弥生つごもり 〽明日こそはかけて聞きたし卯月鳥いつはりならぬ小夜の一声

卯月ついたち 〽嘘つくは天下御免の朝は来ぬコロナを飛ばす大法螺を吹け

三月三日紀念 〽宰相の首ぞ危ふき春の雪頃は万延コロナ蔓延   尾

 

 

 

 

 

 

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