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桃叟だより

[皆さんの声をお聞かせ下さい――コメント欄の見つけ方]

今度から『野口武彦公式サイト』は、皆さんの御意見が直接読めるようになりました。ブログごとに付いている「コメント欄」に書き込んでいただくわけですが、
同欄は次のような手順で出します。

トップページの「野口武彦公式サイト」という題字の下に並ぶ「ホーム、お知らせ、著作一覧、桃叟だより」の4カテゴリーのうち、「桃叟だより」を開き、右側サイドメニューの「最新記事」にある記事タイトルをどれでもダブルクリックすれば、その末尾に「コメント欄」が現れます。

そこへ御自由に書き込んでいただければ、読者が皆でシェアできることになっています。ただし、記入者のメールアドレス書き込みは必須ではありません。内容はその時々のブログ内容に関するものでなくても結構です。

ぼくとしては、どういう人々がわがブログを読んで下さっているのか、できるだけ知っておきたいので、よろしくお願いする次第です。以上

2018-10-23 | 日暦, 桃叟だより

桃のいろいろ

このところずっとこのホームページを更新していなかったので、心配してくれた人がいます。お礼の気持をこめて、当方つつがなく無事でいることを御報告致します。一ヶ月ほど何も書かなかったのは、ちょっとまとめて考えてみたいと思っていたことがあったからです。いずれ書きます。今日は別の話題。

敬愛する夷斎石川淳先生に『敗荷落日はいからくじつ』という烈々たる文章があります。永井荷風への追悼文ですが、「一箇の老人が死んだ」という書出しは人を驚かせたものです。が、その内容にはわたりません。今の話題は年齢のことです。荷風の享年は80歳でしたし、夷斎先生は60歳でした。文学者の老年ということをしみじみ考えます。後輩に「一箇の老人が死んだ」などと言われたくありません。

「荷」は蓮の葉という意味だそうです。「敗荷落日」とは枯れた蓮の葉 ッパに西日があたっている光景です。これを文人荷風老残のメタファーにしたのはさすがです。

ここで僭越ながら私事になります。拙老 なまじ「桃叟」などと号したものですから、言葉に困っています。「桃」には老境を示す語がないのです。「敗桃」という熟語はありません。「枯桃」もない。「廃桃」「頽桃」「腐桃」「枯桃」――どれもダメです。どなたか良案を教えて下さい。とてもおこがましくて「仙桃」などとは名乗れません。呵々。

 

 

 

2018-09-05 | 日暦

次の作品集が刊行されます

酷暑もまだ去りやらぬうちに次々と台風が襲来します。とりわけ21号台風は間近に迫り、近来人界の消息に超然としているつもりだった拙老でさえ人が心配になったほどです。テレビは今、関西空港機能麻痺のニュースで持ちきり。大阪・神戸の被害も続々報道されています。それに比べるといかにもローカルですみませんが、芦屋の里では日頃カモが泳いでいる宮川が今回ばかりはこんな姿になりました。

 

平坦な道路のように見えるのが川の水面です。カモの親子はどこへ行ってしまったのでしょうか。

こんな天候災害騒ぎの最中に、いかにも私事めいて恐縮なのですが、ずっと懸案だった次の小説作品集が刊行されることに決まりました。タイトルは前回の『元禄六花撰』の後を承けて『元禄五芒星ごぼうせい』としました。全部で5つの作品で構成しています。

こういうラインアップです。順不同です。

①「チカラ伝説」。赤穗47士のうち、大石内蔵助の長子主税はただ一人だけ、他の義士たちと異なる扱いを受けています。元服前の若衆姿で登場する特別待遇です。少年愛という独特のエロティシズムがこの人物には纏綿てんめんとしています。このことは元禄文化を解く何かのカギになるかもしれません。

②「算法忠臣蔵」。この小説では、正伝では終始裏切者として語られる大野九郎兵衛とその子群右衛門が主役になります。赤穗五万石は、特産物である塩の直営という仕法を通じて、歴史社会が要求する重金主義の時代を先取りしていた藩社会であり、18世紀江戸の経済的時流の先駆的な役割を果たしつつあったといえます。浅野内匠頭の短慮がつくづく惜しまれます。殿中刃傷・赤穗藩取潰しの後、大野父子が次善策に腐心する姿を描きます。

③「元禄不義士同盟」。この作の主人公は歌舞伎の世界から拉し来った色悪いろあく斧定九郎です。芝居では大野九郎兵衛の息子ということになっています。本作は、鶴屋南北の『菊宴月白浪きくのえんつきのしらなみ』の趣向を借りて、密かに計画されていた討入り第2陣が大石一派の成功によって不要になり、世間から「不義士」とさげすまれたまま消えてゆく歴史の不条理を描きます。

④「徂徠豆腐考」。天下の大儒荻生徂徠が政治家として颯爽とデビューしたきっかけが、討入りに成功した赤穂義士一同の処分について鮮やかな法的裁断を下したことであったのは有名な事実です。その際、徂徠先生の思考の根本にあったのは、「あれこれの事物の具象性を切り落とした純粋に抽象的思考ができるか」という難問でした。その徂徠先生が無名の貧乏学者だった頃、近所の豆腐屋の援助で飢えを凌いだ話は落語で伝えられています。トウフをめぐる珍問答が徂徠先生に「抽象」とは何かのヒントを与えたのではないかというフィクションです。

⑤「紫の一本異聞」。一篇の主人公戸田茂睡とだもすいは国学者・歌学者などいくつかの肩書がありあすが、一番よく知られているのは江戸地誌『紫の一本むらさきのひともと』の著者としてでしょう。茂睡は徳川5代将軍綱吉の同時代人ですが、『紫の一本』は江戸に武蔵野――そこには昔ムラサキグサが豊かに野生していました――を求めて色々な地形を歩き回ります。が、幻の草はついに見つけられません。最後に足を運ぶのは小石川の幕府薬草園――現在の小石川植物園――です。さて茂睡はそこで何を見出すでしょうか。

『元禄五芒星』は来年2月刊行の予定です。  了

 

 

 

2018-08-03 | 日暦

新作を書いてみました

炎暑のせいでこのHPの更新がすっかり遅れてしまいました。いやはや、「炎夏」という言葉がただの季語では済まなくなった暑さです。そのうちに羿げいカルトが世界中に広まるかもしれません。本当に太陽を射落としたくなるほどです。暑さが苦になるなんてことは去年まではありませんでした。老齢のためでしょうか、それとも地球が狂ってきたのでしょうか。

といっても、この一ヶ月ばかりの期間、拙老は決して怠けていたのでありません。小説の新作を書くのに熱中していました。実をいうと『元禄六花撰』の刊行以後、「算法忠臣蔵」「元禄不義士同盟」「チカラ伝説」「徂徠豆腐考」「紫の一本を求めて」の5作をすでに書き上げ、これらを揃えて1冊の作品集『算法忠臣蔵』(1篇を標題作とする)の発刊を計画中なのですが、この新作は以上の作品の堆積の下から盛り上がってくる新生層のような感じです。

新作の「世界」は明治です。明治11年(1878)に「藤田組贋札事件」という大疑獄が起こりました。西南戦争に便乗してのし上がってきた商社藤田組の社主藤田伝三郎が、偽札を作った容疑で逮捕されたが裁判で無罪となり、代わりに熊坂長庵といういかにも悪人チックな姓名の男ーーこれは実名ですーーが真犯人とされて無期懲役を判決されたという事件です。真相はいまだに不明です。が後世、長庵は権力のデッチアゲで有罪にされた無辜むこの人間だとする説が根強く主張されました。その代表格は何といっても、終生反権力・反官僚の姿勢ををつらぬいた社会派推理作家の松本清張でしょう。

拙老の新作では、長庵が無罪か有罪かのを二者択一する立場を取りません。 長庵が贋金を作っていたとしても構わないのです。明治初年には、社会に出回っている通貨のうち、どれが真貨でありどれが贋貨であるかの基準自体がまだ出来ていませんでした。それを判定したのは国家権力です。しばしば恣意的でした。そんなナンデモアリの時代に或る「特技」を持っていたばかりに歴史の舞台に引っ張り出されてしまった男のドラマとして新たな物語を作りました。ちなみにタイトルは『銅版画師』です。

拙老の予感では、現代日本はもう一度明治初期の「身分社会」をやり直しつつあるように見えます。また国家規模の俗悪さを敵にしなければならないかも知れません。そういう緊張感の中で、拙老はかえってこれからするべき仕事の方向が掴めて来たように思います。  了

 

 

 

 

 

 

 

 

2018-06-29 | 日暦, 桃叟だより

九九の翁

拙老 この6月28日で81歳になりました。

81歳の賀を「盤寿(ばんじゅ)」というそうです。昔の教え子から教わりました。将棋盤い縦に9つ、横に9つの枡目がきちんと並んでいるところから、9×9=81なのでこういう由です。年を取っても井然と居住まいを保ち、物事に筋目が通っているというプラスのイメージがありますので、有難く頂戴して使わせていただきます。もっとも駒の居場所としては、9九は、左下隅にうずくまっている香車の位置ですからあまりパッとしないのも事実です。

前回のホームページ更新からだいぶ空き(5月28日以来)がありますが、この間、人界ではいろいろな事がありました。トランプと金正恩の米朝会談が実現して、少くともここ当分、世界核戦争は起こりそうもないという「安心感」が物理学でいう慣性法則のように全地球を蔽っています。何兆という人間がつく安堵の吐息はほとんど物質の堆積に似た重量感があります。地球の自転および公転にも影響しているに違いありません。

よく「世界情勢」とか「国内情勢」とかいいます。その場合「情勢」とはなんでしょうか? 「情」は心気の発動、「勢」は自然の生成(平賀源内などは「勢」を「まら」と読ませている)、要するに何者かの気力の生動なのです。人間個人には強いにせよ弱いにせよ、誰にも人それぞれの気力があります。あたかも滴る雫が集まってせせらぎになり、水流になり、小川になり、大河になり、やがて海の怒涛となるように、人間の気力もしだいに増幅され、量加され、集合されて、時として統御不能の巨大なエネルギーに転化することもがあります。

最近拙老は、情勢のこのような生態を一種の生理感覚として受容できるようになった気がしています。俗に「空気が読める」というのとは違います。そもそもその空気を大本から動かしている「何者かの気力の生動」を感じられるようになったということです。

この1ヶ月ほどの期間にはわが住居周辺の情勢もだいぶ変わりました。お知らせしなければならないのは、これまで折にふれてお伝えしてきた「恐竜ヶ丘」のその後です。まず近影を御覧下さい。かわいそうにこんな変わり果てた姿になってしまいました、頭と尻尾に分断され、なんだか甲羅のない亀のようじゃないですか。

いつもなら物見高くむらがって、緑の山をつぶす人間の愚行を呆れて 眺めているカラスたちも今日はあたりに見当たりません。今は塒(ねぐら)の山林を一時は明け渡しても、そのうち人口が激減する大情勢のもとでは、いずれあの地域もカラスの領分になると、ひそかにカアカアと快哉を放っていることでしょう。そして拙老は、近頃とみに桃仙境の住人に化そうとしている身として、どちらかといえばカラスに近い視点から人界の栄枯盛衰を俯瞰することにしています。

 

今回はもう一つ特記すべきことがありました。サッカーワールドカップ予選の日本‐ポーランド戦での、悪名高い10分間パス回しのことです。拙老はまず、「日本も玉砕しない国になったものだ!」という感想を持ちました。そりゃ戦略ですからいろいろあるでしょう。「負けて勝て」という指示がどこか高い所から届いていたのかもしれません。でもゲームに勝つ動機は何でしょうか。決勝戦に進出するだけで相当のドル収入になるそうです。まさかそんなことはないと思いますが、人界では物事がすべて「経済効果」で判定されるのが昨今の情勢なのでしょうか。 了

 

 

 

 

 

 

2018-05-28 | 日暦

文の本分

〽時ぞ今咲くや五月の花あやめ筋目すぐなる文ふみのいさをし

最近いやなニュースばかりが多い昨今ですが、久しぶりに実にさわやかな話に接しました。読者の皆さんも同感されると思いますが、日大アメフト部で正直に事実をオープンにした若い学生のことです。拙老はこの出来事から、日本の「文」の伝統が根強く生き残っていると感じ、大いに我が意を得たりと思いました。わが国の文運はまだまだ隆昌です。

https://ja.wikipedia.org/wiki/アヤメ より

文運と申しましたが、そもそも「文」の本義は何でしょうか。考えてみると、この言葉にはいくつもの語意が重層・複合しています。文人などと気取っていても、当人には自分のいったいどこが「文」なのかよくわかってないのです。元々はもちろん漢語ですが、長い年月のうちにいつしか「ふみ」という和訓と分かちがたく結び付きいて使われ、ほとんど区別が付かなくなっています。「ふみ」は「ぶん」の転訛だという説もあるくらいです。「「文」は日本起源のものではありませんから、ある程度まで妥当な説です。

第一に文書とか文献とか「書かれたもの」、第二に手紙(恋文とか文通とか)、第三にある纏まりで思考が表現される一定の言語様式(文章)といったような具合に、語義や用法では相互に微妙につながりあい、重なり合いながらも、それぞれに独立した意味の面積を確保する単語の集まりが「文」であるともいえましょう。

しかし、こうして「文」の語義のいくつもの側面を列挙してみたところで、それだけでは何か大切なものを忘れているという欠落感があることは否めません。「文雅」「文事」「文華」といった一連の熟語がひとしく含意している「みやびな」「洗練された」「垢抜けた」等々のニュアンスです。「文」の反対語は、よくいわれているように「武」なのではなく、もっと古くは「質」――生地むき出し・野性的・素質そのもの――なのです。だいたい「文化」という言葉自体、カルチャーといった静態的な意味以前に、、社会を「文」に「化」するという能動的な語意を持っています。

事の起こりは、やはり「文」の字源にあるようです。「文」の始原は「文身」つまりイレズミだったそうで、それがだんだん描くもの・彫り込むもの・ペイントするもの等々に変わってきました。文字もそこから派生しました。字形が重んじられるゆえんです。文様(模様)も形成されます。「文」字に「かざり」という訓があるのはそのためです。「あや」と読まれることもあります。植物のアヤメも「文目」と漢字表記されることもあります。

「文理」という言葉があります。文科と理科という分類があるように、最近ずっと「文」と「理」とは反対語のように考えられていますが、そうではなくて、「文理」とは本来《文章の筋目》という意味です。「文」とは基本的に、視覚的には「文字」形象の集合(聴覚的な《音韻」連鎖の配列)の形態を取りますが、ただ無雑作に並ぶのではなく、いちばん合理的に文意を結ぶ筋道があります。それが「文理」です。「文目あやめ」の元々の意味です。文飾とか文彩とかの外見の奥底には確固たる「文理」があり、強力な「文勢」が一筋貫いています。

現代日本で最近立て続けに起きている出来事は、まっすぐな筋目――物事のアヤメ――が、国会の多数意見(森友・加計事件)や「事実が確証できない」とする第三者委員会の法理鳥尾(日大アメフト事件)のもとに圧殺され、まさにその圧力のもとで本来の輝きを発する「文理」の実在を人々に確信させる機縁になるでしょう。これこそが「文」の本分なのです。  了

 

 

2018-05-04 | 日暦

老兵の本領

いくら強がっても年齢には勝てません。人間80歳台にさしかかると、やっぱり70歳台の身体とは違うのです。この前帯状疱疹に罹ってから、そのことを痛感しました。毎日、荊妻と代わるがわるソファーで横になって休養を取っている有様です。これからは自分が「老兵」であると覚知しつつ、将来計画を立てる必要があると思いました。

今後どういう本を書いてゆくか。ここで決意表明みたいに大上段にふりかぶるのは面映ゆいし、ガラでもないので、折よくこの期間に某出版社の編集者宛てに出した書信を自己引用させていただくことにしました。

「このたび御提案の御企画では、拙生日頃書きたいと思うテーマが意に任せて書けないのではないかと愚考し、今回は残念ですが見合わせることとさせて頂きたく存じます。なお拙生も不思議に齢80を重ね、今後はすべての著述を『小説』の形でしか書かないと心に決しました。仄聞するところでは、御社には「単行本」出版の部門もある御様子。もし拙生のこれからの仕事にご関心があるようでしたら、今後はそちらの方面で御口を掛けて下さるなら、幸いこの上もございません。」

物書きの先輩から教わったことでは。先方から依頼のあった原稿は断るものではないそうですが、拙老もそろそろ老兵、今からはしんそこ書きたい事柄だけを選り好みさせてもらいます。いわば老兵の本領に徹します。

 〽我はいさ文の防人さきもり荒磯に寄する年波しばしとどまれ

 

 

2018-04-22 | 日暦

燕の季節

今年も例年のようにツバメが帰って来ました。何しろスピードが桁違いに速いものですから飛行姿はとても写真ではお伝えできません。今回映っているのはいつも美しい鳴き声で耳を楽しませてくれますが、あまり姿を見せないイソヒヨドリです。残念ながら逆光線でよく見えませんが、実物は頭から胸と背は青藍色、腹部は赤褐色となかなか色どりが芳譜です。

ふくよかな咽喉を反らせて妙音を発して飛び去るのがふつうですが、この写真では、何か眼下の物に目を注いで いるように見えます。何でしょうか。

これまで何度となくお伝えしてきた「恐竜が丘」の現在の姿です。参考のために前回「人界鳥瞰」の条で掲げた「イグアノドンの岡」の写真を並べておきます。いかにすさまじい変貌を遂げたかは一目瞭然でしょう。地名も改めて「背無し亀」と名付けることにしました。向こうに見えているのは西宮あたりのビルです。いずれ山林は消えて無くなって同じような建物群が平坦に連なるだけの眺めになるでしょう。

イソヒヨドリは上の方から、眼下の人間愚挙を呆れ変えたように涼しげな目で眺め渡しています。  了

2018-04-15 | 日暦

心機、花錦を織る

よく「心気一転」などといいますが、「心機」と書くのが正しいそうです。「機」字の原義は「からくり」つまり「はたおり」の機械という意味ですから、「心機」とは、心で精神の布を織る仕掛け・仕組みのことです。そういえば、♪ボロを着てても心は錦、という歌の文句もありました。またこのことから、物事のメカニズムが時宜を得て、周囲の諸条件とうまく噛み合うかたちで発動するハズミのことも「機」といいます。「好機」「心機」「神機」「妙機」などのたぐいです。

考えてみれば、4月初めに罹患した帯状疱疹が拙老に特別な「機」をもたらしたのかも知れません。最初、この疾患を何となく軽い気持で見ていたのですが、実はこれなかなかのクセモノで、拙老いまだにその後遺症的神経痛に悩まされている次第。たいした痛みではないのですが、皮膚の裏側がしょっちゅうピリピリするのは叶いません。

そんな折も折、拙老は、とあるブログ中にめずらしくも拙老の名前が出ているのを発見しました。めったにないことです。奇貨措くべからずと申しますから、とにかくその一文を引用させていただきます。

川日記 2018.1.15.~1.31.北海道放送故守分寿男氏著「北はふぶき」、「さらば卓袱台」。ローカル局がドラマの可能性を開拓した時代があった。西部邁氏死去。自死という。私は西部氏を買わない。しかし、どの世代にも優れた個性はいるに違いないが、この世代は間違いなくそうだ。青木昌彦(姫岡玲治)、唐牛健太郎、山本義隆、長崎浩、最首悟、平岡正明、野口武彦・・・。60年年代という時代のプリズムを通した思考の乱反射、その光の射程の奥深さこそが大事なのだ。》

拙老はこの文の筆者とは面識がありませんし、どこのどなたとも存じませんが、放送界で一仕事をなさっている人物のように見受けられます。

拙老の名もまだ忘れられていないようで、光栄の至りです。それと共に一種ズシリとした責任感のようなものを感ぜずにはいられません。前世紀から今世紀にかけては大きな思考と感性の転換が進みましたが、そのハシリとして最初に波しぶきを浴びたのが今から思えば60年年代だったのです。上に列挙された8人のうち、すでに4人が故人になられています。オマエもぐずぐずしているんじゃないぞ、という声が聞こえてくるような気がするのです。もちろん、何か形のあるものを世に遺したらどうかという意味です。

拙老はこのところ平均1年に1冊ぐらいのテンポで単行本を刊行して来ています。ずっと歴史とも小説ともつかぬ領域のものなので、読者を戸惑わせているかも知れませんが、自分で本当に書きたいと思っているのは人々の心に沁みる物語――つまり《小説》――であり、また1作ごとに作品をそれに近づけていると確信しています。

今後のできばえは、読者の皆さんに見ていただく外はありませんが、今はとりあえず、『元禄六花撰』の姉妹編にあたる次回作――タイトル未定――に御刮目かつもく願いたいと考えているような次第でございます。

 

 

2018-03-28 | 日暦

年々歳々花相似たり

 毎年この季節になると、サクラの開花に先立ってコブシの花期が来ます。特に今年は、春先に帯状疱疹などというヘンな患いいをしたので、一斉に花開いたのを見ると心が和みます。まさに「年々歳々花相似たり」の境地ですが、実際には第二句の「歳々年々人同じからず」の方に近い心境です。まあ80年上生き延びている身となれば、多少は「同じからざ

る」部面が出て来たとしても致し方のないことかもしれません。

このコブシは本ブログに何回も登場して貰っています。地震の翌年からのことですから、もう20年以上おつきあいしてることになります。こうなると戦友みたいな気持になります。

さて、今後の見通しですが、拙老もそろそろ「桃叟一生の仕事」として締めくくりを付けるべき年齢に差し掛かったという引き締まった気持になってます。これを構想とか執筆プランとか筋道の立った文章で記すには、今はちょっと体力不足なので、今日のところは差し当たりの予定を紹介するに留めさせて下さい。

草思社から2013年に出した単行本『異形の維新史』『不平士族ものがたり』の文庫版が刊行されます。出版は来たる6月、7月の予定です。明治初年代の日本に出現した「理不尽の時代」をもう一度繰り返すであろうポスト平成の日本を占うアクチュアルな企画になると思います。   了

 

 

 

 

 

 

 

 

2018-03-10 | 日暦

世の中は三日見ぬ間の桜かな

しばらくご無沙汰しました。弱り目に祟り目とはよくいったもので、帯状疱疹が出たのと相前後して今度はパソコンがクラッシュし、外部との接触が 一切できない状態になってしまいました。かくてはならじと一つ一つ復旧を重ね、現にこうしてホームページの更新ができるまでになりました。ちょうど3月初めの10日間がブランクになったわけです。本頁は復活第1号に当たります。

世の中は3日見ぬ間の桜かな、という俗諺の通り、この1旬日の間に世界は大きく揺れ動きました。「悪」の枢軸と「善」の枢軸がニコヤカに会談しようというのですから、地球はいよいよ大喜利総踊り状態です。世界は壮大な悲劇的破局ではなく、一場のアナストロフ(躁状態的破滅)のうちにごく喜劇的に終焉を迎えるだろうという拙老の予測にまた一歩近づいたとイヒイヒ嬉しがっています。そういえば昔の1939年、スターリンとヒトラーとの間で独ソ不可侵条約が締結された時、当時の日本の平沼騏一郎は「国際情勢は複雑怪奇なり」という名言(?)を残して内閣総辞職しました。今日の世界もそれに劣らぬくらい不可解なのですぞ。

メイラーがダメになったのでアドレス帳も全滅しました。こちらからは出せません。受け取る分はダイジョブらしいから、ぜひご一報下さってアドレス帳復旧にご協力願います。

 

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