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西川照子著 『金太郎の母を探(たず)ねて』

『金太郎の母を探ねて』

西川照子『金太郎の母を探ねて』 講談社選書メチエ

今でも残党はいるのかいないのか、あれはたしかバブルがはじけてからしばらく経った頃、「山姥(やまうば)」と呼ばれる若い娘たちの出現が社会的な話題になったことがある。身なりはサイケデリックで、けっこう露出的なのもいたが、顔を真っ黒に塗り立てるという異様な風体で盛り場によく屯(たむろ)していた。まわりに人を寄せ付けない断固とした雰囲気だったが、その心底は意外に自己防衛的であり、鬼面人を驚かすガングロの裏には、やたらなオトコの接近を拒む可憐な純潔さが潜んでいるらしかった。

西川照子氏の近著『金太郎の母を探(たず)ねて』は、日本文化の根底を流れる「母子神信仰」の姿に光を当て、その原型を「母」としての山姥・「子」としての金太郎に求めて、この伝承の現代的な意味を探ろうとした労作である。著者が本書に盛り込もうとした内容は多様かつ多端であり、論旨の展開に沿って論評するのはなかなか難しい。私見では、本書には外向きに話題と素材を拡張する方向に働く力と、著者自身の内側に向かって屈曲してゆく自己凝視の方位へ引かれる力という二つの力学が作用していると思われる。

21世紀になると共に、「中世日本紀」という新しい学問分野が出現している。中世に成立した『日本書紀』の注釈を中心に――『日本書紀』ばかりではない――歌学注釈書・神道書・寺社縁起・本地物語などに断片的に書き連ねられている諸伝承を統合して、古代以来の記紀神話に拮抗しうるもう一つの神話を構成しようという学問構想だ。これらを今「中世神話」と総称しよう。著者はまずこの世界の逍遙からスタートするのである。

さて、著者がまず踏み入るのは金太郎の母の原像である。第一に、室町時代に成立した御伽草子の1篇である『熊野の本地』。この本地物は《神仏の人間時代の物語》という原則通り、天竺の「せんさいおう」という大王と「御すいでん」の女御(「せんこうの女御」)が試練の末に、日本の熊野の地に来て、熊野権現として鎮座したというストーリーである。しかし著者は、もっぱらこれを女御が山中で首を斬り落とされて死ぬが、首なし死体の乳房から3年の間乳を出し、連れていた赤子(王子)を養い続けたという「母子哀話」として読む。そこから「山中赤子誕生譚」というモチーフ(主題領域)を見出し、次々に連想を拡げる。

第2は、謡曲・幸若舞(こうわかまい)および古浄瑠璃の『山中常盤(やまなかときわ)』――むしろ、盗賊どもが常盤の白い肌を引ん剥いて刀で突き刺す残酷シーンを描いた岩佐又兵衛の絵巻で有名だ――。作中の常盤は山中で出産はしない。奥州にわが子牛若丸を訪ねてゆく途中である。しかし、著者は想念裡に《山中で生むべかりし》赤子と英雄児牛若(後の義経)とを合体させる。著者の想念では牛若丸イコール山中出産児である。ゆえに、常盤=牛若の母=山中出産児の母。この等式と《金太郎の母=山中出産児の母=山姥》という等式とは緊密に照応している。著者はいう。「牛若を助けんとする母の執着」によって常盤は「妖怪となった」と。山姥は固有名詞ではないが、わが子への「異常なまでの深い愛情」によって妖怪になった母である。金太郎の母と常盤とはいわば同位元素の関係にある。

山中常盤物語絵巻より

岩佐又兵衛:山中常盤物語絵巻より。MOA美術館蔵

https://www.google.co.jp/search?q

山姥金太郎

喜多川歌麿による山姥と金太郎

https://ja.wikipedia.org/wiki/山姥

そして著者がいよいよ深く中世神話の世界に参入するのは、古代の神功皇后伝承以前の八幡信仰の形を伝えるという『八幡宇佐宮御託宣集(はちまんうさぐうごたくせんしゅう)』(正和2年1313撰)によってである。撰者は神吽(しんうん)という宇佐弥勒寺の学頭僧。多くの記録や伝承を網羅して八幡=応神天皇説――柳田國男の『玉依姫考(たまよりひめこう)』は、その成立を弘仁11年(820)の神託以後としている――を骨格とする伝統権威に対して、毘盧遮那(ビルシャナ)仏を助ける役割を果たす天神地祇に位置づける解釈がむしろ正統だったとする教説をうちたてた。八幡神は佛教との習合の結果、「八幡大菩薩」の色彩を濃くしたといえよう(桜井好朗さくらいよしろう「八幡縁起の展開」参照)。

西川氏が主として関心を向けるのは、『八幡宇佐宮御託宣集』の中で、神功皇后すなわちオオタラシヒメと竜宮との深い関係について語った箇所に「大帯姫(オオタラシヒメ)は吾が(応神天皇の)母にして則ち娑竭羅(シャガラ)竜王の夫人なり」とある一文だ。奇々怪々な文章だ。それなら応神天皇は竜王の息子なのか? しかし著者は細かな記述の混乱には目もくれず、「原応神天皇」ともいうべき御子神が海で生まれたという記述に注目する。著者もいうように、「海を渡らねば、神の子は生まれない。“海”である。ウミである」からである。思うに「産み」の語呂合わせであろう。

もしも「神の子」が海を介することなしには生まれないとしたら、本書によって読者を、金太郎を「神の子」とする論旨に誘導しようとする筆者の意図は一頓挫 せざるをえない。金太郎の母は山姥であり、山姥は山の妖怪――零落した「山の神」だかからである。山の神は海の神ではない。だが著者はその同一性を論証しなくてはならない。

そこで西川氏の資料博捜、伝承渉猟が始まる。結論から先にいえば、著者はまず、お伽話に登場する金太郎・桃太郎・浦島太郎の「三太郎」は「同一人物ではないのか」と断じ、それから個々の考証に取りかかるのだ。①金太郎の神話原型――『古事記』の天津魔羅(あまつまら)・『播磨国風土記』の天目一命(あめのまひとつのみこと)・『山城国風土記』逸文の別雷神(わけいかずちのかみ)。②桃太郎誕生の神事――『本朝月令』の「秦(はた)氏本系帳」が記録する松尾大社の伝承。③浦島太郎の神話的出自――『日本書紀』雄略22年。浦島太郎は「竜宮童子」のイメージを背負っている。また「太郎」は総じて「神の童名」であるとして「タロウ→タロ→タレ→タレル。垂れる。つまり神がこの世にそのお姿を現わすことを言う。だから神功皇后のオキナガタラシヒメの『タラシ』も『太郎』なのである」と論点を補強してもいる。

金太郎の母の山姥は、源頼光に「この子の父は誰か?」と聞かれた時こう答える:「居眠りをしていたら、夢に赤い竜が現れて、雷が轟きました。その時、この子を身篭もったのです」。赤い流というのは容易に察されるように電光――雷神である。柳田國男の「かつて我々の天つ神は、紫電金線の光をもって降り臨み、竜蛇の形をもってこの世に留まり給う」(『雷神思想の変遷』)という一文を思い出すまでもなく、この夢は神聖受胎の告知であった。別の柳田学用語でいえば、「神父人母(しんぷじんぼ)の神話」(同前書)である。そして西川氏はこの神聖受胎ないしは神婚を「処女懐胎」と読み替える。

著者が特に心を篭めるのは「母子一緒に生き埋めにされる」形での人柱伝承である。例に挙げるのが大分県中津市の八幡鶴市神社に残る、母は鶴、子は市太郎と名の知られる伝承だ。民俗学では有名な話で柳田は『妹の力』で、文化人類学者の石田英一郎が『桃太郎の母』で取り上げている。西川氏は二人の意見を、「柳田も石田もともに市太郎を『父無し子』と見て、『処女懐胎説話』を挟み、母子を八幡神と結び付けている」と要約する。

しかし問題は、柳田が本当に「処女懐胎説話を挟」んでいただろうかということだ。柳田が言っているのは「市太郎の父は誰であったとも知れぬ」というだけのことであって、父親の分からない子が生まれた事実が「神父人母」婚と結び付けられたことを言っているまでである。「処女懐胎」とは関係ない。この書評の初めの方で書評子は、本書には外向きの力と同時に「著者自身の内側に向かって屈曲してゆく自己凝視の方位へ引かれる力」も作用していると書いた。今言った「処女懐胎」もその一例である。本書の著者は「母の持つ子への異常なまでの深い愛情」に時たま目を曇らせかねないところがある。

『利己的な遺伝子』という本で評判になった生物学者リチャード・ドーキンスがこんなことを書いている。「私は、母親というものを、ある種の機械として取り扱っている。この機械の内部には、遺伝子が制御者として乗り込んでいる。そしてこの機械は、その遺伝子のコピーを増殖させるべく、能力の限りあらゆる努力を払うようにプログラムされているのである(『利己的な遺伝子』、日高敏隆他訳)」――およそ母子愛というものを考えるに当たっては、心の片隅に、世の中にはこんな考え方もあるのだと知っていた方がいいと思うのだが、どんなものだろうか。(野口武彦)

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