わが畏友野山嘉正氏が亡くなりました。1937年生まれの同い年でした。心から哀傷の意を表します。
最近はかけ違うことが多く、あまり会うこともなくなりましたが、昔、大学院で机を並べていた頃、友達づきあいをさせてもらった親愛の気分がいつまでも脱けません。思えば50余年も前の初対面の日、会ってすぐは礼儀正しく「野山さん」と呼んでいたのに、一日の終わりには「ノヤ公」になっていたのを思い出します。心安だてにずいぶん失礼をしたものです。遅蒔きながらごめんなさい。
その頃よくこんなことを言い合いました:文学者には「文」の「学者」と「文学」の「者」という二つの種類がある。きみは「文学」の「者」の方で 大成するだろう。ぼくはどうなるか分からないが、好き勝手に「文」の「学者」の途をめざさせてもらう、と。それからおよそ半世紀。誰の目から見ても大きな差が付いています。何といっても野山氏には学界の責任あるポストに就いて、それを難なくこなす力量、そしてそれにふさわしい貫禄が ありました。拙老 などが逆立ちしても及びも付かない資質です。
拙老の「文」の「学者」の方は怪しいもので、82歳になっても海の物とも山の物とも付かない有様です。「同じ字をあめさめだれとぐれて読み」という有名な川柳があります。野山さんは終始正統派の埒を守って、「あめ」「さめ」の正格を崩しませんでしたが、拙老はダレたりグレたりを繰り返しています。性もと不埒者なのです。
『日本近代詩歌史』の著者である故人に向かっては身の程知らずだとお叱りを受けるかもしれませんが、つたない哀悼歌を捧げることをお許し下さい。
見果てんか性根ゆるがぬ一筋の野にも山にも芳躅ほうしょくの跡
友ありき連れ立ち探しもとほりぬ野山に清すがし大和撫子
《以上》
こあゆ | 2019.07.15 16:59
僭越ながら、
立ち入りて万朶の花に驚きぬ案内よろしき野守の翁
野にありて愚考いたすと知の花を先じて咲かす生の横溢