今は昔、銅脈先生の狂文を座右の銘にしていた。「酒は猶兵のごとし。一たび失すれば百敵其の虚を窺う」という名言である。桃叟もいろいろ失敗したが、それも若い頃の話。酒をやめてから無慮三十年、最近は誰もかつての全盛期を知らない。ただ老いてゆくばかりだ。
銅脈先生の名文をもじって、「老は猶ロウのごとし」という枠に納める文字を考えた。「楼」「漏」「琅」「朗」などといろいろな漢字が浮かぶ。しかしみな韻尾が違う。「老」と韻が同じなのは「労」か「牢」なのである(ピンインは共にlao)。いい方を選んで「老は猶労のごとし」ともどき、「一たび佚いつすれば百病其の膏こうを窺う」と続けることにしよう。
桃叟には、「労」とはもっぱら身体を動かすことを意味する。これでも昔は1956年から1962年まで首都で行われた街頭運動にいなかったことはないお兄さんだった――デモクラシイとはデモ暮らしなり――が、それも遠い昔の夢。今は見る影もない。毎日踏み台運動をしないと足がむくむ。週に一度「サラサラ、パラパラ」と口を動かさないとロレツが回らない。情けないが、まあ仕方なかろう。
そんなわけで、「老」は「労」なり、と見つけたり。
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老来自謔七首
〽老いさびて鶴に化すると思ひしに涎とむくみばかりなりけり
〽老いけらし何につけても涙ぐむかゝる我にはあらざりしをや
〽はしたなや小さき事に涙する弱き心を叱るわれかな
〽春一番コブシの蕾ほぐれ出て昔の夢もあはれ花びら
〽ジガバチは嫌ひですよなど言ひき尺取り虫に劣るこのわれ
〽コンガラは狐童女と睦びけり光流るゝ暁の夢
〽朝明よりコンコンチキチとよもして野山うるほすハレの日の雨
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近江女 | 2023.03.21 20:10
今日、前田雅之「古典と日本人」を読んでいたら、思いがけず先生のお名前が出てきて、久々にこちらを訪ねてみました。
国文出なのに和歌の一つも詠めないことが哀しくて。。まずは身近な人を何かに例えてみることから始めようか等と考えています。
先生の新作とても楽しみにしています。