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お知らせ

[皆さんの声をお聞かせ下さい――コメント欄の見つけ方]

今度から『野口武彦公式サイト』は、皆さんの御意見が直接読めるようになりました。ブログごとに付いている「コメント欄」に書き込んでいただくわけですが、
同欄は次のような手順で出します。

トップページの「野口武彦公式サイト」という題字の下に並ぶ「ホーム、お知らせ、著作一覧、桃叟だより」の4カテゴリーのうち、「桃叟だより」を開き、右側サイドメニューの「最新記事」にある記事タイトルをどれでもダブルクリックすれば、その末尾に「コメント欄」が現れます。

そこへ御自由に書き込んでいただければ、読者が皆でシェアできることになっています。ただし、記入者のメールアドレス書き込みは必須ではありません。内容はその時々のブログ内容に関するものでなくても結構です。

ぼくとしては、どういう人々がわがブログを読んで下さっているのか、できるだけ知っておきたいので、よろしくお願いする次第です。以上

桃叟お披露目三題

⑴『令二冬六吟半歌仙』首尾よく満尾お披露目。

10月1日にスタートしたこの半歌仙はテンポよく進み、このたび11月16日に満尾完結致しました。連衆諸兄姉の精進いちじるしく、ご勉強の様子が窺われます。だんだん連句がルコト一句立てとは違う「対話」であることの呼吸が呑み込めてきたようです。満尾3句を紹介します。

港の端は鯛網干したり        熊掌
昼は嵯峨夜は祇園の花を見て  三山
ワラビタラの芽山里豊か       綺翁

なお全句に御興味がおありの向きはご参照。令二冬六吟半歌仙句順表

⑵なお12月6日に予定していた「令二冬」満尾記念の集まりは、コロナ情勢の全国的悪化のため、残念ながらしばらく延期します。

⑶第3回興行は、『令二歳暮六吟半歌仙』と名付け、11月21日発起として挙行します。連衆6人は変わりなし。句順は多少入れ替わりますが、明細は令二歳暮六吟半歌仙句順表 を参照のこと。蘭々・里女の二子に正客・脇をお願いします。よろしく。

連句グループ復活 『昭和昔話集』3

『昭和昔話集』3:「タンカは死なず」

評判のテレビドラマ『半沢直樹』の最終回は視聴率が34.75%と最高だったそうだ。この高人気はどこから来るのだろうか。おそらく主人公が「三人揃えて千倍返しだー」と胸のすくようなタンカを切る場面だろう。

たしかに、今までじっと忍耐し、我慢に我慢を重ね、溜まりに溜まった鬱憤うっぷんを一度に吐き出すシーンは痛快だ。視聴者はこのタンカを待ちかねていたのである。日頃、勤め先の上司の専横・独善・無理解などに悩まされ、半沢の立場に深く感情移入し、ストレスを溜め続けていた多くの視聴者が主人公にすっかり自己同化できる場面だった。しかしその大ウケは、主人公半沢および堺雅人という主演役者の人気以上に、タンカを切ることそのもののうちに用意されていたのではないかという気がする。

歌舞伎の舞台では、日頃頭の上がらない相手に威勢よく悪態をつく場面は一幕のハイライトであり、見せ場であり、タンカ(啖呵)は一種の口上芸であった。見物客は舞台で啖呵を切る爽快感を共有する、いわばそれに共同参加するために芝居小屋へ足を運ぶのである。現代日本でテレビの視聴者が画面に釘付けになるのも同じことだ。

ここでは芸の様式がまずあって、それから筋書が来る。見たいのは半沢直樹よりもむしろ半沢の啖呵場なのだ。だからこの場面では、もともと歌舞伎仕込みの澤瀉屋中車の顔芸が生きる。さすがに「赤っ面」ではないが、さんざん悪役で揉まれた苦労が凄みとして滲み出る。堺雅人のマスクはいまだ白塗りで甘い。政界の黒幕を演じた柄本明も、ラストの土下座で悪役が「半道化」になってしまった。尾。

*       *      *     *

「庭玖追善六吟半歌仙」への参加お願い

長らくお待たせしました。連句の興行が時疫のせいでずっと中断していましずっとたが、このたびやっと復活する運びになりました。この際思い切って粧いを変えて新しくスタートし直してみるつもりです。「囀りに」歌仙を15句目で中断するのは残念ですが、考えてみればうまくいかなかった原因がいくつもあります。

一つには、興行の運び方として「出放題」にこだわったこと。歌仙の運営は、各句ごとに連衆すべてが付句を投ずる「出放題」とあらかじめ定まったメンバーが決まった順序で代わる代わる句を付けて行く「膝送り」とに大別され、「膝送り」には両吟・三吟・四吟・五吟・六吟などがありますが、「囀りに」歌仙では「出放題」にした結果、連衆が多過ぎ、めいめいが「誰かがやるだろう」といわゆるお見合い状態になりがちでした。それに捌きの桃叟が自分の個人的な好みを押しつけたキライもあります。そんなこんなで反省点しきりです。

これからは付句に小むずかしい注文は付けません。まあ「雑俳歌仙」とでも言った気持で気楽に行きましょう。「季」と式目さえ守れば、後は何でもOKです。

今回は、連衆6人の六吟半歌仙(18句)でひとまず再出発することにしました。多少トップダウンの気味がありますが、御勘弁下さい。

順序と配分は添付ファイルで送る「句順表」の通りです。人選に不満がおありかもしれませんが、本興行の趣旨は「玖庭追善」にありますので、亡妻芳子――テニス(庭球)が好きだったので俳号は「玖庭」です――、故人と顔見知りだった人々を揃えました。この「六吟半歌仙システムがうまく行くようだったら、次回以後はどんどん顔ぶれを入れ替えて進めてゆくつもりです。連衆に指名された諸兄姉のご協力を願います。

さしあたり「文音ぶんいん」方式で進めます。順番に御投句を桃叟宛てにお送り下さい。不肖桃叟が書き留めさせていただき、「句順表」にも書き加えます。ではまず脇句の碧村子からお願いします。庭玖追善六吟半歌仙句順表

追慕連作拾遺

 

黄薔薇に囲またキツネの子

〽事あらば今来んとこそ語らひねありか告げてよ魂たまの憑りしろ

亡妻追慕連作

9月25日には御存知の社会事情から「偲ぶ会」に集まることはできませんでしたが、故人をよく知る人々から御追悼をいただきました。有難うございました。ただただ感謝あるのみです。芳子は黄バラが好みで、ピンクの花はダイキライでした。あの世でも好き嫌いを通していると思います。

以下は、亡妻を追慕する腰折れの幾首かです。

〽空耳に朝よと告ぐる声のして見れど主なき去年こぞの臥し床

〽一年は夢のうちにぞ過ぎにけるかくても人は永らふるもの

〽駆けめぐる野にも山にも跡なくて狐失せにし猟夫さつのつれづれ

〽秋深し日ごとにまさる老いらくのボケとワスレといづれ友なる

〽八十年やそとせを妹と過ごせし津の国の風は光りぬ草は歌ひぬ

〽津の国の産土うぶすなを掘るその昔丘に埋めたる恋の碑いしぶみ

以下割愛

わが「終活」(1) 付 『昭和昔話集』1

むだばなし。『昭和の劇評』:さるにても昔の劇評家はうまかった。昭和の昔、守田勘弥(喜の字屋)というそこそこの役者がいた。ある時『寺子屋』の松王丸を演(や)ったことがあって評判になった。当人も一世一代の大舞台だと思っていたらしい。公演が始まってすぐ、新聞に芸評が載った。「舞台に源蔵が二人出て来たようだ」。――最近、次期首相をめざして何だか色っぽくなった菅さんを見ていて、ふと思い出しました。(『昭和昔話集』1)

……      ……      ……       ……

日頃冗談で拙老には135歳までの寿命があると称している桃叟ですが、回りの人々からあまり信用してもらえません。リアルに物を考えろ、いつまでボケずにいられるか分からないぞということらしいです。たしかに用意は周到な方がよいので、確実に品質維持が保証できる期間をさしあたり85歳まで、あと2年半と見積もることにしました。85になってまだ元気だったら、次に90になった時のことを考えれば済むことです。

『不思議の国のアリス』のルイス・キャロルが一人の少女へ宛てた手紙に、「老人には、死ぬことの他にいくつかやることがある」と書いています。桃叟老人にも「いくつかやる」べきことは残っていますが、その一つはさしずめ拙老なりの「終活」でしょう。あんまり好きな言葉ではありあせんが、流行語として定着下様ですから仕方がありません。昔風にいえば「一生の総括」です。ソウカツという言葉の響きに何となく鬱屈を感じるのはこの世代だけなんでしょうカネ。

拙老も齢よわい83歳を数え、連れ合いには先立たれ、子孫の係累はなく、同年配の旧友は目減りし、今は天下晴れて自由気ままな身の上です。もうそろそろ、何の気兼ねも忖度もなしに、自分がこの決して短くない歳月を何に熱中して生きて来たかを回顧してもよい時分だと思うのです。年を取ると顧みたり、回想したりする時間の量がやたらに増えます。泣いても笑っても、80何年という歳月が流れてしまったわけです。一生の出来事が一度に見える「パノラマ視現象」なんてのも現れるそうですが、今のところ起きていません。

しかし桃叟といえども、ただ漫然と生存していたわけではなく、そこには一筋の水脈がありました。二十世紀の間じゅう、多くの人々をその圏外に引き留める引力を持ち続け、その限りで強く支配したマルクス主義とのわれながら不可思議なつきあいです。この関係性――あえて関係とはいわない――を既存の言葉でいうのはなかなか難しい。帰依・信奉・親炙しんしゃ・友好…どれも違う。どこかに緊張を孕んだ共生の関係は、やはり「つきあい」とでもいうのがいちばん適切のように思います。

何だかんだいっても、結局少くとも5年ぐらいは「同棲」したわけだから、今更知らんぷりはできないし、またする気でもありません。輝かしい経歴などではなく、しくじり・恥・オッチョコチョイ・不調法・不体裁なことばかりがやたらに思い出されますが、それは決して自虐形態をしたナルシシズムではありません。今にして思えば、それは結局、当のマルクス主義本体がひっかぶった危機に由来する「不具合」の』個々の現れだったのではないのでしょうか。

というようなわけで、廿世紀後半から廿一世紀にかけての時代に生き合わせた年代層にとって、マルクス主義との思想的な差引勘定をきちんと「精算」を付けることには、どこやらヤヤコシイ男女関係を清算するような七面倒くささが付きまといます。昔の言葉でいえばショウモウなのです。とても1回や2回のブログにチョコチョコと書いてお茶を濁すわけにはゆきかねます。――次回以後、もっとゆっくり時間を掛けて、必要だったら私的体験も材料として――間違っても自叙伝風にではなく――語りまぜつつ、記述して行こうと思う次第です。 (続)。

 

 

第二回「偲ぶ会」延期のお知らせ

来たる9月25日は亡き妻 芳子を「偲ぶ日」にあたり、今年も昨年のように皆さんにお集まりを願おうと思っていたのですが、ご存じのように時疫流行の昨今です。我らの中には 高齢者・遠隔地にお住まいの方も多く、感染を避けるため外出を避けるのが得策だと考えます。残念ながら 今年は開催を見合わせることに致しましたのでお知らせします。芳子もきっと理解してくれることと 思います。

武彦は何とか無事に鰥夫生活(やもめぐらし)をこなしています。これからはいよいよ「一生の学術」(『文会雑記』)にはもちろん到底及びませんが、武彦なりのライフワークに取りかかろうと思います。毎日の指針は、生前の芳子がぼくに寄せてくれた愛情に恥じない仕事をするだけです。遺意を果たせるかどうかあまり自信はありませんが、神棚も位牌もおよそいかなる宗教も受け付けない武彦は、今も毎日朝晩に芳子と言葉を交わして生活しています。

幸い、ガラス細工で「コンコンちゃんの結晶」といえるような置物が 手に入りましたので、これを芳子の形代(かたしろ)にして対話します。最近あるコトバに遭遇して目が開いたような気がしました。キプリングが「翼のかぶと」という歴史小説の中でローマン・ブリテンの百人隊長にこう言わせています。「戦いというのは、恋愛のようなものだ。相手がよかろうが悪かろうが、一度心を捧げればそれが最初で最後なのだ。もう一度捧げる価値のあるものなど残らない」と。その通りだと思います。

明日から、コロナで水をさされた歌仙興行の出直しその他  「俳友グループ」の再編成に取りかかるつもりです。ではすぐにまた。

 

 

 

調査にご助力下さい

いきなりダッシュボードに「PHPの更新が必要です」というアナウンスが出ました。人に相談したら意外に難物で、やり方をしくじると「サイト自体に不具合が出る可能性がある」とのことなので、当分ほっとくつもりです。特に更新しなくてもブログの機能は変わらないはずなのでこのまま行けるでしょう。そこで皆さんにお願いですが、コメント欄が生きているかどうかを確認したいのです。投稿してみてくれませんか

わがポスト・パンデミック――烏化佯仙(うかしょうせん)

お久しぶりです。世が世ですから、世の中で何か画期的なことが起きているのかと思って待機していましたが、人間社会では何事も起きていないかのように事態を処理しているみたいですので、仕方がないから自前で「ポスト・パンデミック」の世界に対処することにします。拙老の周囲でいちばん身近なのは介護の皆さんの社会ですが、ここではコロナと熱中症が同程度に危険だということで、やたら水分ばかり取らされて閉口しています。

何でも今回の時疫の特色は、無症状で強力な感染力を持つヴィールスを蔓延まんえんさせていることにあるそうです。無害に偽装する戦略ですね。ヴィールスも生き延びるために必死で、突然変異のかたちで遺伝形質を発現させているのです。人類も急いで「進化」しなくてはとても追い付きません。

とはいっても、拙老一代のうちに突然変異するのは無理ですので、せめて頭の中で想念をまとめてみようと思います。拙老が最近夢想しているのは、次の画の中の猫のようなイメージになりきることです。これは有名な『不思議の国のアリス』に出て来る《チェシャ猫」の挿絵で、御覧のとおり猫の身体を透かして葉の茂みが見えています。アリスは言います:「あれれ変だわ。笑わない猫はしょっちゅう見るけど、猫がなくて笑いだけ見えるのは初めてだわ」。http://www.alice-in-the-wonderlander/resources/pictures/cheshire-cat/

つまり、猫の肉体は消えて、笑いだけが残っているのです。具体性のない抽象的存在なのです。よく「背後に実在のないアイデア」のたとえに使われるイメージです。こんな具合に、みずからはただの無機的な抽象物と化して下界をニヤニヤ眺めながら余生を楽しんでいるのが拙生老来の日々です。

しかし物事はそううまくは運びません。一たび人間じんかんに生まれたからには、否応なく有機物が混じり込んでいて、スッキリ風化できないのです。わが東洋の伝承では「羽化登仙」といって、白い羽根が生えて鶴に化身し、俗塵を去って悠々と仙界に飛翔することになっています。死んでも完全に気化して遺骸などは残らないそうです。

これにあやかろうと、拙老も日々仙道修業に励んでいますが、芸が未熟なものですから、どうしても思うように羽化できません。できるのは「羽化登仙」ならぬ「烏化佯仙カラスになって仙人のふりをする」くらいのものです。最近この界隈で見かける烏たちにとみに親愛の感情を抱くようにありました。次の写真は、ヘルパーさんが撮ってくれたものです。

えらく自信たっぷりの顔をしています。あわてず、騒がず、ゆっくり急がずに時間を待とう。いずれ人間たちは滅びていなくなり、俺たちはこマンションの主人になるのだ、とうそぶいている感じです。写真のタイトルは「あるじ顔の烏」です。

ポスト・パンデミックの世界では、地球上のあらゆる生命体の距離が縮まり、たがいの差が狭まることです。人間と烏の差などは知れたものです。平均サイズも百何十センチメートルと何十センチかとの違いにすぎません。コロナ・ヴィールスの体長は1万分の1ミリ(100ナノメートル)程度だそうです。桁の大小が違うだけで、同じ尺度で測れる相手なのです。肉眼では見えないのですが、サイズの差を越えてその実在が確かに感じ取れます。

これからの――ポスト・パンデミックの――世界は、今まで目に見えなかった、あるいは、たんに見えないというだけの理由で無視されてきた地球上の生命存在たちがけなげに自己主張する時代が到来すると思います。生命体という有機物が細胞膜を距てて嬉々として交感し合っているのです。

そう思って眺めると、身の回りにはいろいろな生命たちがひしめいています。昆虫はみなチャンス到来と出番を待っています。

左のバッタはいかにも罪のない顔をして草の茎を囓っていますが、ケニアではお仲間が2億匹発生し、穀物を食い荒らして中近東からアジア大陸へ移動中とのことです。さしずめコロナバッタでしょう。旧約聖書の『出エジプト記』に見える蝗害の再来です。人類と微生物の体長差が物の数ではないスケールで考えれば、古代と現代の時差などはほんの一またぎにすぎないのです。

右の写真は、友人が朝の散歩で久しぶりに見かけた生きているタマムシです。嬉しそうに触角をうごめかしていたそうです。そういえば拙老も長いこと箪笥の中で干からびている死んだタマムシしか見たことがありませんでした。日が当たれば美しく輝きます。もちろん玉虫色に。今日、東京ではアラートが解除され、赤色が消えてレインボウブリッジが虹色に照明されました。本当は玉虫色なのです。 畢

えやみ ときのけ 老いの春

時疫はいよいよ旺盛です。人生の現役の皆さんは、めいめいの持場々々で種々ご多忙のことと存じます。拙老は、介護のヘルパーさんの他にはまず人と会うこともないので、まあ達者で日を送っています。世間に悪いみたいです。すみません。

ある人がこの機会にトーマス・マンの『魔の山』を読破すると言ってきたのに触発されて、拙老も同書を再読しました。おかげで初読時にはうっかり読み落としていた内容に気付くことができました。何歳になっても勉強することはあるものです。

この小説の舞台は、アルプスの中腹、スイスの避暑地ダヴォス――現代ではG7の会場として有名――にある富豪たちの結核療養所です。一篇は、ここに入所した主人公ハンス・カストルプが多くの人々と出会い、論争し、体験を深め、内面を豊かにしてゆく物語なのですが、拙老が今回の読み直しで改めて発見したのは、ハンスが病い癒えて下界に復帰する決心をしてから起きるいくつかの事件でした。

若い人々には分からないかも知れませんが、つい最近まで結核は死病でした。罹ったら死ぬまで治らない病気だったのです。日本の近代文学に「結核文学」「療養文学」「軽井沢文学」のジャンルが生まれたゆえんです。「魔の山」とは半死者の棲息地であり、生者ハンスが人々と交わす対話もいきおい「死と病気に寄せる一切の関心は、生に寄せる関心の一種の表現にほかならない」(第6章「雪」)という風に、いつも「死」と背中合わせでしか物事を考えられないものでした。常に死を意識して生きなければならない。ここはいつも空にmemento mori(「死を忘るなかれ」)の文字が映画のスーパーインポーズのように浮かんでいる、凡俗な生者たちが住む下界とは違う世界だったのです。

ところが、最終章(第7章)で下界に降りる時期が近付いてくると、ハンスはにわかに市民社会・実世間・生活力といった世俗的な事柄に関心を抱くようになると見受けられます。ハンスは人生に不可避的につきまとう日常性・通俗性に直面するだけでなく、これらと同和しなくてはならないことを覚悟したといえます。何が転機になったのでしょうか。「魔の山を木端微塵こっぱみじんに打ち砕き、七年間の惰眠をむさぼっていた青年を荒々しくこの魔境の外にほうり出すような凄まじい轟音」(第7章「霹靂へきれき」)でした。第一次世界大戦の勃発を告げる砲声が轟いたのです。

戦争は日常と非日常の境界を失くします。戦死・戦病死・戦災死・略奪・陵辱・飢餓・悪疫等々、不慮の死がしばしば訪れ、死はなんら非常事態ではなく、日常茶飯事になり、人間社会はそのままいわば「魔の山」化します。進化生物学者のジャレット・ダイアモンドは「人類史上もっとも猛威をふるった疫病は、第一次世界大戦が終結した頃に起こったインフルエンザの大流行で、そのときに世界で二百万人が命を落としている」(『銃・病原菌・鉄』)と書いていますが、ハンスはまだそんな人類の未来を知りません。ただこれから降り立つ世界の変容を鋭敏に予感しているのです。

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今、世界を襲っている疫病は二重の意味でわれわれに脅威をもたらしています。第一にはもちろん、コロナヴィールスが一定の致死率を保っていることに由来する即物的な恐怖感です。第二のはそれと分かちがたく結び付いている、一種いわば「世界不安」的な感覚です。疫病流行が後に残す失業増大・生活苦・金融逼迫・犯罪頻発・人心荒廃といった諸現象が総体として一種名状しがたい不吉な予感を生じさせています。最近「コロナ解雇」「コロナ離婚」といった種類の言葉がたくさんできたそうですが、それも世の不調子の現れでしょう。

そのうち第一の不安に関しては、現実の客観的な把握として、ダイアモンドの「突然大流行する感染症には、共通する特色がいくつかある。まず、感染が非常に効率的で速いため、短期間のうちに、集団全体が病原菌に感染してしまう。つまり、これらの感染症は「進行が急性」である――感染者は、短期間のうちに、死亡してしまうか、完全に回復してしまうかのどちらかである。そして、一度感染し、回復した者はその病原菌に対して抗体を持つようになり、それ以降のかなりの長きにわたって、恐らく死ぬまで、同じ病気にかからなくなる」(『銃・病原菌・鉄』)という指摘に、冷静に耳を傾ける冪でしょう。「治るか/死ぬか」のどちらかだという断言は、一見すると身も蓋もないようですが、実は大多数の感染者はそっくり生き残ってきたのがこれまでの人類史だという点にアクセントが置かれています。自分がそのどちらに属するかは「運」だと度胸を固める他はありません。

またそう覚悟することは、おのずと第二の不安をも解消するでしょう。予言じみたことをいうつもりはありませんが、今確信を持って予想できるのは、コロナ終焉の後の世界には不可逆的な変化が生じているだろうということです。

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拙老が住んでいるここ津の国でも、この不可逆的な変化がそろそろ始まっているようです。以下にお見せするいくつかのイラストがそれを物語ってくれるでしょう。病来このところ歩行は叶いませんが、幸い親切な税理士さんや介護士さんが撮って来てくれる写真で、変貌してゆく外界の姿に触れることができます。

本ブログで何度もご紹介してきた「恐竜山」は見る影もない姿になりました。昔のイグアノドンの全形は消え失せて、わすかに昔の首の部分の樹林だけが残っている有様です。これからは「烏首山うすざん」と呼ぶことにします。山は削られて造成地に区画され、やがて小綺麗なマンションが建つのでしょう。見方によってはことごとくこれ銀行ローンの物的形態なのでしょうが、それまでは申しますまい。とにかくこうした自然の丘陵山林を人口の宅地に造成する土地開発は、プレコロナ時代には「建設」だったかもしれませんが、ポストコロナ期には「破壊」のしっぱなしなのではないか。早い話が、住宅ローンを払う人間がもういないのではないか。

次の一連の動物写真は何か非常に啓示的な意味を持っているんじゃないかな? どれもある介護士さんが訪問先ならびに往復の道すがら目に留めた小景です。

左は、ある訪問先のバルコニーに作られていた烏の巣です。丹念に拾い集めた肥えだを丁寧に編んで雛たちの住処すみかを用意しているのです。あの嫌われ者の烏からは信じられないくらい健気けなげな仕事です。右の写真では、かわいらしいタマゴが三つも生み落とされているのが見えます。烏いだは自分たちの将来のために「建設」にいそしんでいるわけです。次代に備えているのではないか?

近くを流れる宮川の水には、いろいろな小動物たちが、何の拘束もなく、嬉々として日に当たっています。もちろんマスクもしていませんし、外出禁止も休業も要請されていません。

昔、セミの羽化を観察したことがあります。今の情勢によく似ています。飴色をした蛹から成虫が抜け出し、後に形だけがいやに完備した抜け殻が残ります。現代世界もこれと同じでプレコロナの外層がポッカリ外れた後にはポストコロナの成虫がもう待機しているのではないか。カラスやカモやカメはみな何食わぬ顔でその日の予行演習をしているような気がして仕方ありません。 畢

 

 

時事と連句 付、『囀りに』歌仙初ウ9

どうも大変な時代に生き合わせてしまったみたいです。この3月24日現在で世界中のコロナヴィールス感染者は32万4000強、死者数は14000強。どう見てもパンデミック状態です。あれよあれよと言っているうちにイタリヤが世界一になりました。さすがデカメロンの本場です。

こんな時代には、人間の心は不思議に「先祖がえり」をするものです。誰もがたとえ半信半疑でもオハライやヤマイヨケ、ヤクヨケといった神事・仏式・両者混淆の効験に期待します。口では俗信だとか民俗的慣習だなどと言いながらも、それにあやかろうとするわけです。現に京都の諸神社には疫病の退散を祈願する「茅の輪くぐり」が飾られています。人間はおのれの不安を吹き払うために輪をくぐり、そうすることによって古い伝承の底に眠っている無意識の記憶に安息のよすがを求めるのです。

こういう御時世だから「不要不急」のことはせぬようにというオカミのお達しです。さしずめ俳諧連句のように悠長なことは自粛せよということらしい。たしかに俳諧文芸は五七五を定形とする短小な詩形からいって、あまり複雑な思惟内容を盛り込むのに向いていないし、多くを十七文字に収めることは不可能だという制約があります。正岡子規も「時事雑詠の俳句をものせんとする」のは「文学以外の事に文学の皮を被せたる者なり」(『俳諧大要』岩波文庫p.23――インターネットの青空文庫でも読めます)と一刀両断です。要するに、俳諧と時事はすこぶる相性が悪いのです。もちろん川柳の滑稽とは話が別です(p.75)。

果たしてそうでしょうか?   時事とは同時代の出来事(社会事象)の総体でしょうが、俳句のスペースではそお全貌を捉えることなどとても無理な相談です。が逆に、その短さを独鈷とっこに取って、同時代性を切り取る技法を活用することです。時代をズバリと裁断する劈開面を一語に凝縮して言い取ることです。それを一句立ての俳句(単俳方式)で実現するのは難しいでしょう。ですが、連句にならできます。何人もの連衆がすれぞれ独自の旋律・節奏・音調をもって同じ一つの時代相を発現するのです。ちょうど倉梅子の「茅の輪のイメージがたとえ無意識にでも「時疫」に対する同時代人の集合的不安を感じ当てていたように。

さて、『囀りに』歌仙初ウ9の選評にかかります。まずルール通り投句のご紹介から。

①人語して子に犬からむ垣根越し 湖愚

②御普請を仰せつかりし書状にて 碧村

③世やもろき戦火をあおる天狗風 里女

④丁寧に手洗い嗽うがい八十路入り 三山

座元としては、本歌仙のこの局面では「時疫」への不安という時事的なテーマが時代を越えて人々に共有される世界感覚に徹底的にこだわりました。それを基準にしていますから、4句に対してもしかしたら公平でないかも知れません。①は「人の話声がするので耳をそばだてたら、垣根の向こうで子供と犬がじゃれていた」という情景のようだ。まるで緊迫感なし。②は、この投句に「時疫に由来する緊迫感とはめられると窮屈なので、世界を切り替え」た旨の断りがありました。座元は「はめる」のが望みです。残念ながら意見不一致。③は、本当をいうと入選させるつもりでした。ところが「野ッ原に忘れられたる魔法瓶」などとトボケていた三山子が、突然閃いて④の「丁寧に手洗い嗽八十路入り」の一句が送られてきたので、順位が逆転してしまいました。

この句は、一見八十老人のボヤキというただの私感のごとくですが、流行り風邪を怖がる心境を言い取って、それなりに一時代の普遍的感覚を捉えているのではないか。意外に広い公共の「場」――いわば歌仙空間――に吹き抜けていると思われます。入選にします。参照「囀りに」句順表12

次は初ウ10で、雑の短句ですが、11句目および12句目が「11 花の定座(枝折しおりの花)12 折端(花の綴り目)」というふうに続きますので、この10句目はふつう「花前の句」と呼ばれ、次の連衆が花を吟みやすいように作るのが習わしです。軽い調子で、後句の色彩を奪わないようなのがいいそうです。 尾

 

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