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桃叟だより

[皆さんの声をお聞かせ下さい――コメント欄の見つけ方]

今度から『野口武彦公式サイト』は、皆さんの御意見が直接読めるようになりました。ブログごとに付いている「コメント欄」に書き込んでいただくわけですが、
同欄は次のような手順で出します。

トップページの「野口武彦公式サイト」という題字の下に並ぶ「ホーム、お知らせ、著作一覧、桃叟だより」の4カテゴリーのうち、「桃叟だより」を開き、右側サイドメニューの「最新記事」にある記事タイトルをどれでもダブルクリックすれば、その末尾に「コメント欄」が現れます。

そこへ御自由に書き込んでいただければ、読者が皆でシェアできることになっています。ただし、記入者のメールアドレス書き込みは必須ではありません。内容はその時々のブログ内容に関するものでなくても結構です。

ぼくとしては、どういう人々がわがブログを読んで下さっているのか、できるだけ知っておきたいので、よろしくお願いする次第です。以上

連句協会へ加入しました 付 狐の嫁入り一首

わが桃門では2019年に5人の仲間で「俳友グループ」を発足させて連句の世界に踏み込み、全部で10回弱の半歌仙・歌仙の巻々を興行して来ました。現在は連衆6人にほぼ定着しました。めざすのは世の常の和歌とも俳句とも違う連句、「つくばねの道」の踏破です。なぜ今連句なのか。いつも念頭にある柳田国男の言葉をまた引用しよう:

「連歌は始めから、仲間以外の者には退屈なものと相場が決まって居りました。それがどうして又当事者ばかりには、あの様に身を忘れるほど楽しかったということが、寧むしろこの芸術の一つの深秘であります。(……)中途に誰かが才能を閃めかせて、更に一段とおかしいことを言い出して、笑わせてくれるだろうという予期のもとに、一同が句を続けて行こうとする所に、其楽しみがあったのであります。」

われら一同もまたこの「楽しみ」を分かち合えればこそ、時にはしんどいとボヤキながらも、こうして何年間も続けて来られたのだと思います。

この「俳友グループ」では、拙老桃叟がずっと捌を執り行ってきた訳ですが、当の桃叟は俳諧の道にはスブの素人であり、何やら偉そうに添削などしてもすべて独学で自己流でしたので、ずいぶん独りよがりな所があったろうと忸怩たる思いを抱えておりました。

そこでこのたびふと思い立って「日本連句協会」という全国組織と連絡を取り、わが桃門一統を「全国区」化する機会を打診してみようと発意しました。そのやりとりの経過は前回のブログに掲載した通りですが、その後、連句協会事務局から正規の連絡があり、入会手続きを通知して来ました。要項をそのまま引用します:「日本連句協会は個人加入が原則です。このため、まず一名の方に入会登録していただき、グループ登録していただければグループの存在を一般に知らせることが出来ると考えます。協会発行の会員名簿にのその方の氏名・俳号・住所・電話番号・メールアドレスと所属の連句グループを記載しております。記載についてはその方のご意向により不記載とすることも可能です」。

この要項に従って手続きをしました。次の年報に登録が告知されるでしょう。さしあたり、拙老個人の氏名・俳号・住所・電話番号・メールアドレスと所属の連句グループ名だけが公表されます。このグループを会員名簿に登録すれば「会名・代表者・師系・連絡担当の方の氏名・連絡先住所・電話番号・会員数」が記載されることになります(「ご意向により不記載とすることも可能」とのことです)が、まだグループ面々のご承諾を得ておりませんので、登録するのは保留中です。いずれ皆様とご相談したいと思います。

しかし「俳友グループ」一同の関心事は――少くとも桃叟個人に関する限りは――そういう形式的手続きよりも、自分たちの連句作品が「日本連句協会」のように全国的な基準に照らしてどのくらいの所に位置しているのか知りたいということにありました。(と、推測します。)連衆諸兄姉にしても捌がすべて桃叟の独断にもとづいてなされていることに不安を感じておられたかも知れません。そこで思い切って、勝手に決めて申し訳ありませんが、わがグループの歌仙実作がどのように判断されるかを見ようと実物(直近の「紫陽花に」六吟)を実験台に提出してみました。すぐに丁寧な講評を頂きました。下さったのは連句協会会長の高尾秀四郎氏です。不遜な言い方ですが、又とない人選です。これも氏の御認許を得て、「講評」とそれを反映して桃叟がナオシを入れた「治定版」を以下に転写します。

①高尾氏講評高尾講評

②「紫陽花や」六吟歌仙治定版令四「紫陽花や」歌仙六吟句順表(高尾加筆) 治定案

なるほど、と敬服します。連句の式目や約束事・仕来りなどは教わらなくては身に付かないものです。やはり師事することは大切だとしみじみ知りました。勉強しまーす。

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趣きのある人形を手に入れました。「狐の嫁入り」1首。

〽雨白く空明るきに袖濡れぬけふは狐の嫁ぐハレの日

日本連句協会とのコンタクト 付「生くるいのち」3首

『うつつの津の国』を刊行したのを機会にそろそろ現実社会での居場所を測ってみようと、このたび「日本連句協会」という全国組織にコンタクトを取ってみましたところ、すぐに有難いご返事を頂きました。先方からご了解を得てありますので、当方の問合せと頂いたご回答を全文転載致します。

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[野口より] 当方、世俗的な肩書は神戸大学文学部名誉教授ですが、アカデミックな分野にはまるで関心がなく、業績もほとんどありません。読売文化賞、兵庫県文化賞などを頂いたことがあるくらいです。直近には歌集『うつつの津の国』を刊行しました。
連句はおろか、俳句にもまったく風馬牛で、どなたかに師事したことも結社に加入したこともありません。そんなズブの素人が、怖い物知らずで、連句に鼻を突っ込みました。現在、個人ブログ『野口武彦公式サイト――桃叟だより』を定期的に公開し、その一環として歌仙興行を12回ほど開催してきました。
よく「連句は乱世の文芸」と申します。われら「桃叟歌仙」のメンバーは、俳句俳言の技巧技法は甚だ未熟ですが、連句をそんな時代にふさわしいジャンルと察知する感受性を磨いていると自負します。これをやがて周囲から認められるグループとして名乗りを挙げたく、まず貴協会にお引き立てをお願いする次第でございます。

[返信]野口様:日本連句協会にお問い合わせいただき有難うございます。
私は日本連句協会の高尾と申します。
野口様には連句を@乱世の文芸」とお受け止めいただいて、すでに活動を開始しておられるようです。
まずは連句にご興味を持っていただいたことに感謝申し上げます。
日本連句協会では、この文芸が乱世のみならず、世代を超えたコミュニケーションが希薄になったこの国において、その解の一つを提供できる文芸と考えており、その普及に腐心しております。
お住まいが神戸とのことですので、関西圏をベースに活動をしております弊協会のメンバーを紹介させていただき、まずは自己紹介から始めていただき、近況や今後の活動の方向等をお話いただければ、何らかのご協力ができるかと思います。

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話の進み具合は追って次回にご報告することとして今回はまず身辺些事を短歌3首に:

〽わが庵で寄合をするいのちたちおのおのいとし生くるいとなみ

〽つどひ来よみんな集まれいのちたち遅れ先立つ時のたまゆら

〽わが庵は小生命のコンテストこぞつて競ふ蟲のあれこれ

 

『うつつの津の国』海外評判 付2022秋彼岸5首

歌集『うつつの津の国』の反響がいろいろ寄せられています。それらの中からまず、海外の友人スミエ・ジョーンズ氏のメールをお披露目させていただきます。同氏はUSA、インディアナ大学名誉教授・高等研究所常任研究員(NIMOU日本研究情報網データベース)で、比較文学の分野で多くの業績のある方です。桃叟も昔、国際『源氏物語』学会でお世話になりました。

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上梓ほやほやのご高著『うつつの津の国』を賜りました。漢詩よりも恋情に適した和歌の形式を選択なさり、歌に随想、スケッチ、メール、メモなどの入り混じった、不思議なジャンルを発明なさいましたね。狐がらみの民話風のお話に「義経千本桜」の浄瑠璃が重なり、歌は、万葉風、伊勢物語風、古今風などから蕪村の俳句風まで、ただの本歌取りの集まりではなく、インターテクスチャリティーの花園という感じのご本です。芳子さんがお喜びになること請け合いです。

早速インディアナ大学とカリフォルニア大学の図書館司書に購入を勧めました。インディアナ大学のウエルズ記念図書館は、始めから御著は自動的に買い揃えることになっていますから、全部揃っており、同大学の他のキャンパスにも大分入っています。カリフォルニア大学には、CV スター図書館という4階建ての東アジアだけの独立した図書館が出来ています。場所の節約のために貴重書を大分寄贈していますから、資料収集について意見を求められるようになりました。司書が調べた所、御著のうち所蔵していないものがあると判明し、早速注文を入れるそうです。他にも友人などに宣伝しました。ことに短歌のグループで作歌している友人と日本の従妹に勧めました。子規の写生風が現在のジャーナリズムの悪影響で時事報道みたいになり、こんなものは歌ではないと文句を付けていた所ですから。

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2022秋彼岸5首。

〽時満てば地に炎吹く彼岸花来る秋ごとにいのちいとなみ

〽この年も部屋に出て来たなつかしやハエトリグモは古い友だち

〽夢の逢ひはあわただしかりあらけなく別れを急かすベル鳴りやまず

〽夢に詠む三十一文字はあやなくて言葉足らずに芽ぐむひこばえ

〽わが夜の夢のあはひに水罔女みづはのめ露とこぼれて泡と消えゆく

 

 

(さらに…)

芳子追悼歌集『うつつの津の国』が刊行されました

このたび砂子屋書房から逝妻芳子追悼歌集『うつつの津の国』が刊行されます。砂子屋書房は歌集・詩集中心の、かねて世評の高い出版社です。だいじな芳子の名に恥じない版元と見て選びました。

生前から芳子とぼく桃叟に御友誼を御持ちだった皆さんのもとに、来週(8月29日から)贈呈本が届けられるはずです。また、10月15日に「芳子を偲ぶ会兼歌集出版記念会」を開催します。……今日のブログはこのお知らせのみ。

芳子三回目のお盆に

桃叟は仏教の信徒ではないので、故人の霊がこの世に戻って来るという俗説を信じるわけではないが、盂蘭盆の習俗には従おう。というのは、わが猫の額に突然シロユリが咲いたのである。球根(ユリネ)を植えたおぼえはない。不思議なことがあるものだ。どこかから種子が実生みしょうで飛んで来たのが、成育したとしか思えない。ことによったら芳子がシロユリの姿で来てくれたのだろうか。

             

〽わくらばに風の持ち来し百合の種花と咲きけり訪れのごと

〽吹く風が庭に落とした花の種百合と咲きけり妻の気配す

〽三年待ち百合咲き出でぬ生まれ変わりは夢かうつつか

〽何にても形もとめん種子薫習しゅじくんじゅありし昔の香りゆかしき

 

亀齢・馬齢・椿齢――桃叟生誕八十五歳

〔1〕今日は桃叟85歳の誕生日です。いやはや年を取ったものです。何とご挨拶したらよいものか。鶴や亀は月並みだし、今更「便々と馬齢を重ね」なんていうのもわざとらしいし、「桃寿」とか「桃齢」とかの熟語があればいいのですがありませんので、やむなく『荘子』から「椿齢」という語を借りました。「椿」は「珍」に通ずるそうです。そのせいか周囲の人々から、何か珍奇なものを見るような目を向けられていると感じます。毎日、寄ってたかって水を飲まされるので閉口です。年寄りは脱水状態とかになりやすいのだそうです。

〔2〕歌集出版の準備は着々と進行しています。やがて発行日が決まったらまたお披露目します。

〔3〕以下は久しぶりに「精神科医の友への手紙③」です:

最近、ファニーハーフという心理学者の『おしゃべりな脳の研究』という本を読みました。邦題は少しくだけすぎていますが、副題の「内言・聴声・対話的思考」とあるように、われわれの頭の中で聞こえる言葉のさまざまを対象にした至極まっとうな研究書です。多くの調査実験が精神分析から脳解剖学まで行き届いており、目のお早い学兄のことですから、もうお読みになっていると思いますが、ぜひご意見をお聞きしたいと存じます。

というのは今から七十年も前のことですが、拙老が高校生の頃同じクラスに、自分に命令する声を聴く少女がいて、時々電気ショックを受けるのがつらいという話をしていたのを思い出したからです。あの女子高校生はその後どうしたのだろう?  今でも治療法は同じなのでしょうかね。

頭の中で聞こえるものにはずいぶん色々な種類があるようです。本当に耳で聴く声――いちばん有名なのは、神がジャンヌ・ダルクに「オルレアンの囲みを解け」と命じた声でしょう――が至上命令のように響く場合もあるし、ブツブツ呟くようなのもあるし、耳で聴いたかどうか定かではない、いわゆる「内言語」のこともある。頭で考えたことを何でも口で言ってしまうオバサンもいます。聞こえるのが言葉じゃなくて音楽だけという幻聴もあります。そうしてみると多くの人が悩まされる耳鳴りも、同じ一つの症候が、言葉にも音楽にもならないただの音響だけにしか聞こえない状態をいうのかもしれません。

拙老は天寵に薄く、いまだ天から呼びかける声を聴いていません。残念なことです。待っていればいつか聞こえるんじゃないかと藁にもすがる気持ですが、一つ気がかりなことがあります。いったい心の耳に聞こえる「内言語」はロレツ正しく響くものなのでしょうか。 畢

 

 

 

 

 

2022-06-08 | 日暦, 桃叟だより

歌集『うつつの津の国』刊行お披露目 付「パタカラ」考

[お披露目]

かねてから持ち越していた逝妻芳子を追悼する歌集『うつつの津の国』が、このたび詩歌中心の出版社砂子屋書房から刊行されます。発行日は芳子他界後3周年に当たる――世の常の三回忌とは違います――2022年9月25日を予定しています。版元がふだんと別なのは、逝妻を偲ぶ思いをミソヒトモジの語形に託する特別な語感への通暁を期待したらです。平たくいえば、下手な腰折れ歌でも歌い込んだ「まごころ」は和歌って貰えるだろうと信じたからです。この刊行は、桃叟これからの――生涯最終のサイクルに差しかかる――仕事の取っかかりになるでしょう。

[近況]

この頃冗談でなく、言葉がうまく出なくなりました。何しろ人と話さないので、口がどんどん重くなります。人と話すのが一苦労ですので、家に来るヘルパーさん・トレーナーさんとも会話が面倒です。「語」は出て来るが、それを「文」にまとめるのが面倒なのです。この分では、そのうちに当方は話し言葉がすっかりダメになるでしょう。今も電話じゃ通じません。目下は対策として、スピーチトレイナーの指示通り、「パ・タ・カ・ラ」――発声がいちばん難しいそうです――を必死で口唱しています。

もちろんあまり我儘を言える立場じゃないが、こういう境遇になると相手の人間が見えて来るという面もある。こちらの言うことを何度も聞き返してくれるタイプと聞こえたふり(話が分かったふり)をする人とにハッキリ別れます。こちらも一所懸命になりません。

話し言葉はこういう具合ですが、さて書き言葉の方はどうなるでしょうか。これからが正念場になると思います。

徳川九代将軍家重のことを思い出します。家重は脳性麻痺で言語不明瞭。レロレロとしか物ヲ言えず、ために世間から暗愚とされた。父吉宗は英邁な八代将軍。しかも弟は田安(たやす)宗武(むねたけ)――将軍職を嗣がずに高名な国学者になった――という秀才でしたから、よけいその不肖ぶりが目立ったわけです。後世の歴史評価、たとえばNHKの大河ドラマなどでも家重の言語障害は定番になっています。

ところが、ここにただ一人、この家重の言葉を聞き分けることができた家臣がいた、と篠田達明氏が『徳川将軍家十五代のカルテ』に書いています。家重に側用人として仕えた大岡忠光(ただみつ)です。最初はただの旗本だったが、不明瞭な家重の言葉が理解できる特技によって異例の出世を遂げて大名に進み、若年寄(老中に次ぐ重職)に栄達しました。権勢もあったと伝えられます。ちなみに名奉行の誉れ高い大岡忠相(ただすけ)はこの忠光の一族です。

桃叟老人は、篠田氏のように家重が「知的にすぐれた脳性麻痺者だった」とまでは思いませんが、自分の今の体験からも、懸命に口にする言葉を聞き取って貰えなかった家重さんのもどかしさ・口惜しさが身に沁みてわかるような気がします。 畢。

2022-05-26 | 日暦, 桃叟だより

往事片々ウクライナ小事 付 雑俳連句へのいざない

ウクライナが世界のどこにあるのか。今では多くの日本人が知っていまが、1960年にはあまり知る人はいませんでした。まだソ連崩壊以前の時代の話です。桃叟老人もまだ22歳だったその頃は、世の中に日ソ学院というものがあって、この年安保反対デモの間の小閑期にそこへロシヤ語を習いに行ったことがありました。あるクラスで予定していた講師が急に休みになり、代理で教室に来たのは初老の品のいいロシヤ婦人でした。当方は初級もいいとこでしたから、授業はほとんど聞き取れません。しかしその合間に雑談風に語ってくれた言葉だけは、今でもはっきり耳に残っています。

「ナ ウクラーイニェ、ムノーガ ツベトーク、ムノーガ ムノーガ(ウクライナには花がたくさん。たくさん、たくさん。」

簡単な単語なので意味はよくわかりました。もしかしたら聞き取れた単語だけを頭の中で並べたにすぎないのかも知れませんが、とにかく理解できたんです。この言葉を発しながら、婦人がじっと遠くを見るように凝らした眼が忘れられません。たしかにこの時、22歳の桃叟の目にも百花咲き乱れる草原の風景が現じていたのです。はるか後にイタリア映画の『ひまわり』にでてきた野原も、それから今年、戦場になったウクライナでロシヤ兵にひまわりの種子を見せて抗議する農婦も、なぜか初めて見る情景じゃないような気がしたのもたぶんそのせいでしょう。

*         *        *

ここからは、俳友グループの面々への提案です。

令四「彼岸とて」歌仙が満尾して一段落。ここでしばらく休養することにしましょう。といっても何もしないのではなく、ちゃんと勉強は続けます。われらの連句世界をもっと豊富にするために雑俳の修行をしようと思うのです。連衆の皆さんはそれぞれに連句の原理――36の破片を連ねて一種の物語絵巻を作る――を呑み込んで来ていますが、まだまだ独詠句――句主個人の感慨発出・経験発露・感想吐露などが主力になる――の習癖が抜けていない、という印象です。連句の世界には「自己離れ」しなくては身に付かない事物・事象がふんだんにあるのです。

このような「自己離れ」をするのには江戸の雑俳から多くが学べます。江戸人のドライな唯 「物」論、タダモノ論はものみなを物化し、冷眼視し、笑殺しないではいません。雑俳にはその即物的客観性が生きたセンスになっています。

雑俳は初め、「雑句」「狂俳」などといわれて蔑まれ、漢詩・和歌・連歌・俳諧という因襲的な詩歌ヒエラルヒーの序列では最下層に置かれてきた文芸でありますが、不思議な生命力を持っていて、目立たず広く深く広がっていたジャンルなのです。次元が低いの低俗だのといわれるのを承知の上で、撒き散らした世俗の灰神楽で花を咲かせてみようという開き直った芸当なのです。などと

よろず簡略を好むのが庶民文芸の常ですから、五七五に七七を付ける連句形式も長ったるいというので、「切句きりく」(別名「五文字取」)といって初五を頭 にして残り12字を後につける形式ができました。これが後世「笠付」「烏帽子えぼし付」などの別名で流行沁ます。最初は季トカ切字とかには頓着しなかったらしい。素朴な庶民には――現代でもそうだが――コトバを五七五にまとめるだけでも日常口語とは違う《言語の異化》つまり韻文化・詩化がなされたと信じたのです。

今回は雑俳の練習問題として落語の定番にもなっている「くちなしや」の五字を頭にして後12句を付けて下さい。これはなかなか難問ですぞ(本ブログ2016年6月26日の「クチナシ昨今」参照)。いくつもある例歌にかぶらないようにするのは大変だと思います。熊さん八つんがギャフンというようなのができたら、江戸の大家さんにならってやつがれ不肖桃叟が景品を進呈致します。尾。

 

ロレツフリーの弁、付 しろうるり考

疫病流行にどうやら峠が見え始めたと思ったら、今度はウクライナを起点に《世界戦乱》の不安が到来――「内憂外患」といいますが、どこまでが「内」でどこからが「外」なのかハッキリとは分かりません。まあしばらく暗中模索をするほかないようです。殊に桃叟の身の上ではそれと老人性ユーフォリズムの薄明が落ち重なって毎日うつらうつら暮らしています。写真は「梅を見る桃叟」ですナンチャッテ。

いくら粋がっていても84歳は84歳です。実際に身体が衰えるのは致し方ありません。桃叟のintraはまだまだ大丈夫だとは思うが、infraの方はだいぶガタが来ているようです。中でも最近痛切に感じているのは話がしにくいということです。ロレツが回らない。昔は能弁を持って少しは知られていたので今の状態は何ともカッコワルイです。

そこは見栄っ張りのことだから横文字で何というのか考えました。Dysarthriaという言葉があるが、これはたんに構音障害だけでなく、器質疾患を含めた広い意味の病名だから我が場合には当らない。そこでいささか自己流だが、「ロレツフリ(roretsufree)」と造語することにしました。昔――今でもそうかも知れないが――ニューヨークでは crime free NewYork という標識がやたら目に付きました。半分冗談で「ニューヨークではただで犯罪ができるのか」といったら現地の友人はに真顔で怒られました。「犯罪がない」という主旨なのだそうです。だってfreeは「無料で」という意味じゃないですか。

Roretsufree とは「呂律・がない」という語意のつもりです。決して好ましくはないが現実は現実として認める他はない。往年の立て板に水――そんな姿を知る人もだんだん居なくなる――は昔の夢ですが、今はそれを忘れて、むしろこの障害を奇貨としてこれからに生かして行こうと思います。おかげで《コトバの聴覚言語性》とでもいうべき問題意識に目が開かれたような気がしています。ここしばらく、これをヒントにして本ブログの一角に「コトバ事象」の数々を考えるコーナーを設けたいと思います。今回はその初回です。

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しろうるり考

「しろうるり」とは、『徒然草』第60段に見える言葉です。盛親僧都じょうしんそうずという大変ユニークなお坊さんの話です:この僧都ある法師を見て、しろうるりといふ名をつけたりけり。「とは何者ぞ」と人の問ひければ、「さる物を我も知らず。もしあらましかば、この僧の顔に似てん」とぞ言ひける。

シルウルリなんてものは実在しないのである。だがもしあるとしたら、この法師の顔に似ているに違いない。――いかにもその通り、われわれの現実にもそんな感じのする人物はいる。たとえば夏目漱石の『坊ちゃん』に出てくるウラナリ君。しかしウラナリにはその言葉が指し示す対象物が実在する。発育不全のヒョウタンである。シロウルリにはそれがない。盛親僧都の頭の中にしか存在していないのである。

ソシュール言語学の用語でいえば、漱石のウラナリは〔uranari〕という音声連続(記号表現シニフィアン)とそれが呼び起こす概念(記号内容シニフィエ)とが表裏一体で複合した言語記号シーニュなのですが、シロウルリはそうではありません。音声に対応する事物は何も実在しないのです。いわば記号表現だけが虚空に浮遊しているのです。盛親僧都の悪戯心は、図らずも言語論上きわめて面白い論点をつつきだしているわけです。

ところが後世、この悪戯心が通じなかったのか、大真面目にこの「しろうるり」を実在のものと見なす作品が江戸時代に現れました。新作の能『白うるり』です。

 

写真の稿本は朝日新聞社文庫蔵の「番外謡本」に所収のもの。作者名は「洛西隠士月洩軒我笑」とあるのみ。夢幻能の構成を持ち、諸国一見の僧が丹後の国外宮村にやって来て、「白うるりの魂」と出会うというお定まりの筋立てが進行します。つまりしろうるりは霊魂の形で実在するとされるのです。さらに念の入った話なのですが、世には律儀な学者もいるもので、この謡曲『白うるり』を素材にして、これを中世神道の秘伝と見なす研究まで出ました。こうなると、昔『少将滋幹の母』の原典を探した国文学者がいたという笑い話を思い出します。

桃叟がこんな基本的なことを持ち出すのは、最近、連句の「季語」について考えさせられたからです。連句は、近代俳句が生み出した夥しい季語群をどう取り扱ったらよいのか。古い時代の季語には、その指向対象そのものが消失――動植物の消滅とか社会慣行の廃滅とか――し、記号内容なしの記号表現が独行するようになる場合が多くなりました。季語は本質的には詩語なのですから、これからもその基本に立ち返って考えなければなりません。以下は「はいゆう「連句グループ」にラインで送ったファイルの採録です。

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季語の歴史と現在

連句では「季語」をどう扱ったらよいのだろうか。わが連衆の皆さんは苦労されたと思います。ぼくも考えさせられました。そしていろいろ調べた結果わかったことが一つあります。――「現在のところ、公式に季語を認定する機関や組織はどこにも存在していない」という事実です。

意外でした。というのは、連衆の皆さんはしょっちゅう「季語」の扱いに苦慮なさることが多く、その都度歳時記を参考にして来ているからです。そればかりか最近では歳時記の普及が著しく、うちに来るリハビリのトレーナーさんの話では、テレビのプレパト俳句とかいうのに人気が集まり、出演するタレントたちはみんな座右の書にしているそうです。そういえば講談社文庫で出ている水原秋桜子編の『俳句歳時記』には季語が1800収められています。グーグAルで調べてみると、「俳諧の最古の季題集『はなひ草』(野々口立圃1636年)には590、『山の井』(北村季吟1648年)では1300、『俳諧歳時記』(曲亭馬琴1803年)では2600の季語が集められている」由だから、さすがは秋桜子、季語濫出を避けて中庸の数を維持していると言えます。

ついでに季題・季語についてもグーグルから引用しておくと、「『季題』『季語』という言い方は近代に作られたものであり、「季題」は1903年に新声会の森無黄が、「季語」は1908年大須賀乙字がそれぞれはじめて用いた」ということです。いずれにせよ両方とも近代の産物で、江戸時代にはなかったものなのです。

 

さて、このところわれら連衆一同が関心を抱いたのは「季重なり」の問題でした。一句の中で季語が重複することですが、これには「同じ季節」と「異なる季節」と二つの場合があるようですが、後者はキチガイ(「季違い」)といわれて始めから問題外です。厄介なのは同じ季節に二つの季語がダブることです。

 

よく引き合いに出されるのは、高浜虚子が明治31年に出版した「俳句入門」に記した次の文章です。

 

季重なりといふことあり。月並宗匠などは一概に季重なりを排斥すと聞けど、一概に排斥するは癖(へき)せりといはざるべからず

 

また「虚子に限らず、芭蕉、蕪村、一茶、子規といった面々も季重なりをタブー視していなかった。それどころか、季題派にとどまらず、季感を重んじた季語派の俳人でさえ季重なりの句を作っていて、秋桜子は特に多い」(堀田季何「夢見る俳句」)というように、概して「季重なり」に目くじら立てないのが基調のようです。

わが連句グループは、必ずしも近代俳句のルールに従う義理はありません。ましてや、公共の基準も定則もなく、諸説まちまちの「季重なり」絶対不可説に与くみする必要はないわけです。かといって類似・累層・近傍の字句重複は冗長になりますから、極力これを避けるのが得策でしょう。疑わしいケースはその都度自主的・個人的に判定すべし。諺に言う「李下に冠を正さず。瓜田かでんに沓を履かず」をモットーにすればよろしい。そうすれば歳時記に列挙してある「季語」は参考資料としてたいへん使い途があると思います。 以上

 

 

 

 

 

 

永世詩債について――『明治伏魔殿』が刊行されました

このたび「開化奇譚集」と銘打った小説集『明治伏魔殿』が刊行されました。幕末から明治初年の波瀾万丈の変動期に起きたいろんな出来事を5つ揃えています。上野の彰義隊、幕府歩兵隊から明治天皇の馭者になった男、銀座煉瓦街の裏話、明治の贋金造り、斬首される武士の娘――いやア、この短い歳月に、びっくりするほど多彩で密度の濃い事件が発生したものです。

2月21日頃から書店に出回ると思います。

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筆者桃叟には、まだ少し寿命がありそうですから、これが最後の作品にはならないとは思いますが、とかく物情騒然たる昨今、世の中は突然何が起こるかわかりませんから、これからの仕事は全部「非常持ち出し」で取りかかるつもりでいます。

桃叟はけっきょく一生の間、詩債を負い続ける人間なのだと思います。いわば「永世詩債」の債務を背負っているのです。「詩債」とは本来、人から貰った詩に次韻して返すことをいうのですが、もっと意味を広げ、何であれ強く感銘を受けた事柄を詩文化できずにいる負い目をいうようになりました。「書債」「文債」という言葉もあります。桃叟はいつもこの債務を抱えています。債権者も桃叟自身です。場合によっては自己自身への債鬼になるかも。

『明治伏魔殿』を世に問うた現在、桃叟が専心している次の仕事は逝妻芳子を追悼する歌集『うつつの津の国』の上梓です。「詩債」にならって「歌債」という言葉を作ってもよいと思います。この歌債を完済することにここしばらくは専念させていただく所存です。よろしく。

 

 

 

 

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