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ぼくとしては、どういう人々がわがブログを読んで下さっているのか、できるだけ知っておきたいので、よろしくお願いする次第です。以上
落語に『雑俳』というのがあります。(ググルべし。全文ではないがかなり読める。)ユーチューブにいくつか録画があるが、ここには転載できません。各自御覧になられたし。ご存じ大家さんの所へ熊さん八つぁんが押しかけて俳諧問答をするお笑いです。よく読むと、人のいい隠居の大家さんが人の悪い熊公八公にからかわれているのではないか。身につまされます。
「雑俳」という語はすでに元禄時代からあるそうです(宮田正信『雑俳史の研究』)。笠付、冠付、前句付、六句付(四季・恋・名所の六つを読み込む)など民衆の近づきやすい形式の俳句をひっくるめてこう呼び、「雑句」「雑体」とも称されました。「純俳」とセットで用いられ、どうしても純正な俳諧よりは「一段低い次元」のものとして軽視されていたようです。「民相応の俳諧」といわれたこともあります。それが江戸時代中期にはポピュラーな人気を集めて享受する人口も増え、社会各層に普及し、「雑俳」は一つのジャンルにさえなり、ついに川柳という名称が生まれるに至りました。
今回「雑俳」の話を始めたのは、別に連衆諸兄姉が「一段低い次元」だなどと口幅ったいことを申すためではありません。拙老が興味を持つのは、むしろ、熊さん八つぁんがご隠居に一貫して保持しているマゼッカエシという言語操作に対してなのです。マゼッカエシは相手の言葉に茶々を入れたり、からかったりすることなのですが、決してデタラメではない。それにはおのずと「文法」が存在し、その規則からはみ出す言動がなされることはないのです。よく引かれる話で恐縮ながら、隠居が『クチナシ』と題を出すと熊さんが「口無しや鼻から下はすぐにあご』。なるほど筋は通っているし、この文は間違っていない。しかし根本のどこかがオカシイのです。理屈っぽくいえば、ク・チ・ナ・シという音声連続に二つの同音異義語があるのをわざと混線させているわけです。
これは一口にいえば「秀句」の技法です。品よくやれば「かけことば」になり、卑俗には「地口」「語呂あわせ」になります。「ほととぎすそのかみ山の旅枕ほの語らひし空ぞ忘れぬ」(『新古今』雑上、式子内親王)の歌で、「そのかみ」という語句は①「その上――昔」②「その神山」の両義を二重に意味しているのが前者の例ですし、「くちなし」は後者でしょう。言語操作としては紙一重の差なのです。
連俳の付け方にも「起情きじょう」「会釈あしらい」「遣り句やりく」などいろいろあるといわれていますが、秘訣はやはり句境の転じ方でしょう。文意のポイント切り換え、つまり文脈の転轍です。これができず前句を引きずっているのは「打越」「輪廻」といわれて嫌われます。
さて、ちょうどいい機会ですから目下の『囀りに』歌仙での初ウ3から初ウ4への移りについて考えましょう。湖愚子よ。貴作をダシに使って悪いが、ひとたび三十六連中の一句に定まったら、その句は次作を誰かの作を前句として後に付けたのと同様、次に後句を付ける誰かにとってのたんなる前句になる運命を持つ。どう解釈されようと文句は言えないのです。湖愚子の句はこういうものでした。
押しボタン流し目に見る同じ階
この句からは幾通りかの情景が呼び起こされます。他にもっとあるかも知れません。多少バイアスがかかっているのは、拙老の老人性色情症候群(色ボケ)のしからしむる所とご海容ください。
1 スマップ風:「そうさ 僕らは世界に一組だけのカップル。エレベーターのオンリーワン。うれしそうな顔 名前も知らなかったのに」
2 ポルノ小説風:「触られちゃったんです。そっと撫でられました。あの感触が忘れられないんです」
3 SNS風:「今つきあってる人いる? 今度食事しない? アドレス交換しようよ」
4 青春小説風:「君の膵臓をたべたい。小指がしゃぶりたい!」
これら以外のもっと清純で綺麗な解釈も当然あることでしょう。老いの僻目がせっかくの端麗な情景を曇らせたり、歪めたりしていないかと懸念されます。ですが、前句をどう解釈し、後句でどう転じようともそれに叶った七七の短句はきっとあるはずです。当面は誰と指名せず、出放題・自由参加方式で進めます。
皆さん、奮ってご応募下さい・。
この前11月4日のブログで「連俳と一句立ての俳句とはどう違うか」を本気で考えるとお約束しました。それというのも、この頃いくつか歌仙を興行してみて、多くの方から寄せられる投句の数々を拝見してドウモシックリコナイという印象を持ちました。皆さんそれぞれ達者なのです。しかし、こちらが期待しているのとはどこか違う。個人の巧拙以前に、連俳というものに対して大きなカンチガイをなさっているのではないか、と感じたので以下の小文を草する次第です。
拙老もこの道は初歩で、シロウトにすぎませんので、この際大先達の言から学ぶことにしましょう。以下にご紹介するのは、柳田国男が1947年に書いた「病める俳人への手紙」(『定本柳田国男全集』第7巻)の文章です。
「連歌は始めから、仲間以外の者には退屈なものと相場が決まって居りました。それがどうして又当事者ばかりには、あの様に身を忘れるほど楽しかったということが、寧むしろこの芸術の一つの深秘であります。(……)中途に誰かが才能を閃めかせて、更に一段とおかしいことを言い出して、笑わせてくれるだろうという予期のもとに、一同が句を続けて行こうとする所に、其楽しみがあったのであります。」
「当代の発句大流行、俳句には長じて居るが俳諧は丸で知らぬという類の珍現象、三冊子さんぞうしでも去来抄きょらいしょうでも、すべて発句のこしらえ方を指導する教理であるかの如く、心得た人の多くなった傾向も、一朝一夕の出来事ではな無いと思います。」
連俳(俳諧連句)は本来そしてどこまでも座の文学です。「座」というのは、もともと集団の場であり、とりわけ共同制作の場を意味します。共同といっても、一句を大勢で作るわけじゃありません。多くの句が節奏湊合して座衆を混一された雰囲気に溶け込ませるのです。
仲間との共同制作の伝統が忘れられ、一句立ての俳句(つまり後続のない「発句」ばかり)が重んじられ、俳句の主流になったのには、よくも悪しくも――柳田はもちろん「悪しくも」と見ていることは文脈から明らかです――正岡子規の俳句革新の影響です。引用した柳田の文章は、その頃はやった桑原武夫の『第二芸術論』――俳句を近代小説よりも低位に見る――を意識して書かれています。柳田に言わせれば、俳句がそんなふうに貶められるようになったのも、子規が一句立ての俳句を偏重したことに帰因します。俳句の五七五を17シラブルの最短詩型の抒情詩リリックとカンチガイさせたのです。その後、学校教育でもこの思い込みが踏襲されました。その影響は大きい。新聞・雑誌・テレビで流布するのみならず、わが桃門に集う諸兄姉にもそう信じ込んでいる向きがあるようです。
では、連俳と単発俳句とは実作上どう違うのでしょうか。
「俳諧」には初めから滑稽・可笑性・をかしみ…といった「笑い」にまつわる一連のニュアンスがつきまといますし、事実発生史的にもそれは古典和歌中の「俳諧歌」から出発しているのですから、そうした傾向を持つことは否定できません。しかし後世「笑い」への詩歌的需要は戯詩・狂歌・川柳などのジャンルに特化されて自立しました。俳語という形で詩歌言語のライセンスを得た俗語――周知のように伝統和歌では雅語以外の語彙は使用できませんでした。「蚤虱馬の尿しとする枕元」(松尾芭蕉『奥の細道』)なんていう表現は和歌ではトンデモナイことでした。こんな下卑た語彙でポエジーが表せるなどと考えていませんでした。しかし以後、俗語・卑語・日常語などが大っぴらに解禁されたのです。いたずらな上品趣味の狭い枠を取り払ってポエジーを世俗化したのです。卑俗・低俗・凡俗・流俗などは必ずしも嫌いません。俳句は川柳とはギリギリの所でカーブを切るのです。
俳句を作るのは、つまり自分自身を「俳諧化」することです。芭蕉に「見るところ花にあらずと云ふことなし」(『笈おいの小文』)という名言があります。これが「蚤」「虱」「馬の尿」を句によんだ人物の言葉だという所がミソです。この「花云云」は、現代風にいえば、ポエジーを発見するとでも言うことなのでしょうが、ポエジーは必ずしも見た目が美々しいものからでなくても得られるのです。現実を「茶にする」のは江戸文学が芸の域にまで洗練した人生スタイル――自分自身を相対化・客観視・超脱する技能――ですが、こうして生まれるのが「俳諧化」なのです。「俳諧化」はナルシシズムや我執のたぐいとは無縁です。つまり自己を「茶にする」のも「花」を発見する内の一つなのです。
さて、われらが実作ではどうなるのでしょうか。
われらふぜい――連衆の皆々様、失礼!――の俳論に芭蕉などを引き出すのは、同人雑誌の小説を論評するのにドストエフスキーを持ち出すようなものですから止めにして、ここではもう少し通俗的だった俳人・浮世草子の青木鷺水ろすいを参考にすることにしましょう。
鷺水に『若ゑびす』という俳諧手引書があり、こんなことを書いています。教えられることが多々あります。
「かいもく(皆目)なる初心の人には、笠付を以て平句をしならはせ、一句の仕立てやうを習はせ、付けはだへ(皮膚感覚?)をおぼえさせ、それも功の行きたる時、発句合はせをさせて、句作のよしあしを知らする事なり。なほ此上に歌仙・源氏四十四・五十韻・百韻・千句・万句などいふ習ひもあり。」
そして鷺水は初歩の稽古して「笠付」「前句付」などの実例をいくつか掲げています。このうち「笠付」――たとえば「ひろまりて」という上五(笠)を出題されたら「土手より外へ出るみやこ」「溝の流れも涯は海」といった七五を付けるたぐい――は、桃門連衆の諸兄姉には初歩的すぎるでしょう。鷺水による「前句付」――七七の短句を与えて五七五の長句を付けさせる――を眺めてみます。
「うらやましがるうらやましがる」
げぢげぢよ殿の妾の髪なぶれ 嫁入よめり聞く身は埋れ木の禿かぶろ笠
逆に五七五の長句に七七の短句を付ける場合もあります。
「見下ろした景気は絵にも及ぶまじ」
いはば潮干は海の虫ぼし 須磨をひけらす摩耶まやの宿坊
先人たちのこうした苦心の跡をわれらの実地に応用してみましょう。「囀りに」歌仙の初ウ3に択んだ湖愚子の「押しボタン流し目に見る同じ階」の長句を前句にして、七七の短句を付けてみたらどうでしょうか。「囀りに」句順表12参照。
折よく句順は「雑」ですから季題の制約はありません。この日常世界の一情景が序曲・イントロ・弾み・呼び水・引き鉄・見せ金等々、呼び名は何でもよいが、一つのきっかけになって心に浮かばせてくれる新しい境地をを短句にしてみて下さい。 了
これまで何回かご紹介してきた恐竜山がついに消滅して、こんな姿になりました。左の写真と右のがうまくつながりませんが、だいたい見当が 付くでしょう。
もう恐竜の姿はどこにもありません。地面の下に埋もれてしまったのでしょう。いずれ掘り出されるかも知れません。
考えてみれば、拙老は80年生きてきた間にに何度か、眼前の景色が地を払って一変した光景を見たことがあります。1945年、東京大空襲の焼跡。1956年、立川反基地闘争で踏み荒らされた一面の芋畑。1995年、神戸大地震の瓦礫の山。もっと長いサイクルで歴史をふりかえれば、応仁の乱後の京都・明治維新直後の東京などもこうなのでしょう。少しオーバーでしょうが、2019年の芦屋の景観も拙老には何かが廃残して行くことを象徴するように思えるのです。
若い頃、遺跡はなぜ埋まっているのかと質問してある歴史学者を困らせたことがあります。噴火とか洪水とか自然災害も多いが、結局は人間が新しい住空間を作るために上に土を被せるのだそうです。なるほど、だから廃墟は発掘されるのか。現在の地形は過去の形状を記憶させている。風景は時間を埋在させているのです。
拙老は、これまで目にしている情景をもっぱら縦層的に眺め、何枚もの層理を剥がして任意の時点における過去を復原して来ましたが、最近もう一つの視界が開けたような気がします。属目しょくもくの風物に内在かつ遍在している脱時間的な現光景――こむずかしい数式を比喩として用いるなら、四次元時空の座標枠{x,y.z,t}のtをtoあるいはむしろtiと書けるような形でのみ具現する視像――が見えるようになったのです。それはたとえば『魔笛まてき』の夜の森でタミーノとタミーナの回りに出現していたに違いない時空のヴィジョンです。拙老が80年間生きてきた幻の「津の国」の姿です。
「隠れんぼ」三首
〽隠れんぼ隠れっきりの女の子鬼泣きじゃくる里のたそがれ
〽丘の辺べに時計埋づみぬその昔アキレス亀に追付きし日
〽年波の寄する浜辺 にしほたれて忘れ貝掘る恋のすなどり
尾
お待たせしました。『囀りに』歌仙の初裏の3句目――「雑」の長句で恋――で、割に簡単に行くと思っていましたが、意外に難物だったようです。句案も全部で四つ寄せられました。例によって到着順に紹介します。
1 やわらに背中を推して虫の夜 三山
2 浪あらふ配所に待たむ文ひとつ 碧村
3 押しボタン流し目に見る同じ階 湖愚
4 雨宿り唇盗むつかのまを 綺翁
皆さんめいめい奮闘されています。たいへん選評しにくいのですが、まずワルクチを言いやすいのから始めます。3と4は共に直情径行タイプ、よくえば「いち早きみやび」(『伊勢物語』)、事実は、相手が誰であれ何であれ色を仕掛けるといった印象であり、こう言っちゃナンだが恋の丈がだいぶ低いんじゃないか。恋はエロばかりじゃないよ。一緒にするなと怒られるかも知れないが、お二人は唯色論monoeroticism――もちろん造語です――では桃門の双璧ならん。もっとも個体差はあるが。
これに反して1,2のお二人は教養が邪魔をして句風が丁寧すぎる。ちょっと舞台装置が整いすぎる感あり。特に今の場合、亭主としてはここでサラリと「恋離れ」をして貰いたいと思っているので、あまり重々しくならないようにしたいのです。今が歌仙の途中であり、前句が「ゆで栗剥きし指の細さよ」であったことをお忘れなく。打添付うちそえづけだろうと向付むこうづけだろうと、その句意を含んで欲しいのです。1の「虫の夜」と、2の「配所」では付け筋はどうなるのでしょうか。
「囀りに」歌仙の人員構成をどうするかをずっと考えていて、一時は連衆の数を固定して n連吟――最大六吟――の方針で行くつもりでしたが、冷静かつ客観的に実働メンバーを検討すると、碧村師を除く他は(桃叟も含めて)だいたい連俳ジャンルにはシロウトで、めいめい自己流に句を作っているのが現状ですので、この際無理はやめて全員――桃叟のブログを見てくれている方々――が出放題の全員参加、つまり百人一首や柔道の試合でいう乱取り方式を取ることにしました。以後御自由に御投句下さい。
こう方針を定めたことが、実は初ウ3の選定に関係してきます。亭主桃叟はこの興行を早く満尾(完結)させるために、先を急ぐことを優先させようと思います。場を動かすには、時として「遣り句」「逃げ句」を使うことが必要になります。3の「押しボタン流し目に見る同じ階」は、その目的にピッタリなのではないか。みごとに雑だし、恋を「流し目」と卑俗化して稀釈しているから一種の向付といえなくもない。これを初ウ3に採用しましょう。以下のようになります。「囀りに」句順表12
湖愚子に一言。この「入集」は必ずしも句の出来がよいからではない。歌仙を前に進めるためのオプションです。淡彩なところが「恋離れ」に適合したことと、句主がともかくも「苦吟」するようになったことを評価したからです。くれぐれもカンチガイしないように。
次の初ウ4にも新人を期待します。熊掌子、もっと厚顔におなんなさい。「こあゆ」さん、31文字ができるんだから17字でもいけますよ。いい俳号も進呈しますよ。近々のうちに連俳と一句立ての俳句(学校教科書で教え、雑誌・新聞・テレビで流行らせているやつ)とはどう違うかを本気で考える一文を草するつもりです。 了
「八十とせを」連作
〽八十とせを経来しは夢か津の国は風に声なく浜に波なし
〽世はもみぢわがうつそみの津の国は空に色なき冬木立かな
〽風寒しいざや急がん芦浜に我を待つらむ人影の見ゆ
〽先立ちてわれを待ちをる斑猫はんみょうは魂住む里の道を教へよ
〽今朝よりは何をせんにも気侭なる日々の多さよ叱られたきに
「うたた寝の」連作
〽うたた寝の夢の逢瀬は短くてひとり目覚むる老いのみどり兒
〽みずがきに汝なが名を招おぎぬ形代に魂帰り来るものならなくに
〽なれは客われは馭者なり一筋に時間とき駆け抜ける夢の馬車道
〽見し夢に色も象かたちもあらざりき「淋し」と叫ぶ一声のあり
〽見し夢はただ抽象のアラベスク線は躍りて闇に流れる
〽いとせめて月だに照らせ足弱の行きなずむなる黄泉平坂よもつひらさか
「ひなたあめ」連作
〽日と共に薄らぐものにあらざりき日に日につもる悲しみの嵩かさ
〽今ぞ知るテューレの王の節回し永遠とわに伝ふる愛惜の歌
〽足立たず舌痺るれ ど亡き妻と連れ立ち歩む夢の山河
〽津の国の暮れずの空の明るみは狐の嫁ぐ日向雨 かな
〽子狸は行き暮れわびぬ八衢やちまたの狐はぐれし道の行く手に
〽子狸は道に惑ひぬいつの間に狐の失せし夜の暗きに
〽コダヌキは悔いてぞ泣きぬ知らぬ間に狐死なせし罪の深きに
「ありのすさび」連作
〽ありし日のありのすさびのつれづれにまた次の日をちぎりしぞ憂き
〽又の日は又なきものと知らざりきありと見えたる明日のまぼろし
〽おぞなりき明日と思ひしおこたりを千たび悔ゆれど今は甲斐なし
〽たはむれに狐を招(を)ぎし妻なりきうつつになせよあやかしの日々
〽津の国の狐啼くなる夕まぐれ叱られ帰る道のはるけさ
〽恋ひしけば尋ね行かなむ津の国の芦屋の里に狐住むなり
〽なつかしや暁の夢の切れ端はキツネとむつぶ一人コダヌキ
最近、桃叟の身辺に不幸がありましたので、しばらくブログの更新が遅れました。すみません。今回から復帰します。
『囀りに』歌仙の初ウ2には全部で三つの投句がありました。次の通りです(到着順)。
①比翼連理や宵の川風 湖愚
②恋狂いして名は閻魔帳 綺翁
③身は末枯うらがれて二枚の切符 三山
うーん。①②はたしかに恋句は恋句ですが、どうも「秋」の風情に乏しい。③は秋の末も末で、もうほとんど冬ですね。「うら枯れ」はなるほど晩秋の季語ですが、恋句らしくもう少しシットリしたいものです。
俳論に私情をまじえてはいけませんが、3句ともどうも選者の意に染まないので――投句者の皆さん、ゴメンナサイ――、ここは一つ国連調停式に、蔭の執筆しゅひつ(作品に参加せず、連衆の句を書きとめる役)を引っ張りだして流れをつなごうと思います。
茹で栗剥きし指の細さよ 執筆 「囀りに」句順表 参照
さあこれで次は初ウ3です。「恋」の長句です。季はまだ「秋」の有効射程(許容範囲)内いありますが、次に「雑」がしばらく続きますから、できれば多少「恋離れ」の気味合いのものが望ましいです。連衆諸氏のうちの色魔的傾向の皆さん、修行時ですぞ。
群像2019年十一月号 このたび講談社の『群像』十一月号(10月6日発売)に、拙老の近作小説「崩し将棋」が掲載されます。思えば、21世紀の初年代に――いつのことだったか記憶にありません――脳出血を起こし、雑誌執筆から遠ざかって以来無慮10数年の空白を経て、久々の現役復帰です。こんなとき、いつも一番喜んでくれた亡妻に知らせられないのが残念です。
この10数年の間には文壇でも世代交替が進行しました。当年82才の拙老ごときは世から老残者扱いされても仕方ありませんが、幸い『群像』編集部の英断で作品発表のチャンスが与えられました。まだ決してボケていないことを読み取って下さることと思います。
「崩し将棋」は全88枚。幕末江戸の戦乱で彰義隊と運命を共にする思春期の少年少女たちのバラッドです。上野のお山だの不忍しのばずの池だの日頃は賑やかな行楽地だった場所が、一転して酸鼻な戦場に変わります。悪童たちは否応なく渦中にに放り出されます。
老来近頃はたっぷり距離を取って世相を眺めさせてもらっていますが、どうも最近の日本は明治時代をそっくりなぞり返しているように見受けられます。現代東京にもやがてそう遠くない将来、幕末の江戸で起きたようなことが起こるでしょう。
もし「崩し将棋」が気に入られたら、どうかお友達お仲間に御吹聴下さい。作者には次作、次々作の用意があります。 了
2019-10-03 |
お知らせ,
日暦,
桃叟だより
悲しいお知らせです。老妻芳子儀、去る9月25日に永眠致しました。生前のご友誼に深くお礼申し上げます。葬儀は、9月28日に家族およびごく親しい友人知己のみを集めて執り行いました。近々のうちに「偲ぶ会」を開こうと思っております。
拙老も故人もナマの感情を露呈することを好みみませんので、ここはむしろ淡々と御報告するにとどめます。
今から30年ほど前、ボードレールの”ma femmme est morte”(妻が死んだ)という詩句が妙に気になっていたことがあります。まさかそれが現実のことになろうとは思っていませんでした。今その語句は名状しがたい現実感をもって拙老に迫っています。
『悪の華』中に”Le Vin de l’Assassin”(鈴木信太郎訳では「人殺しの酒」)という詩編があり、冒頭の詩行は”Ma femme est morte, je suis libre!”です。「妻が死んだ。私は自由だ」とでも訳せましょうか。それにしてもlibreなる言葉は多義的です。「放縦」とも「解放された」とも「自由自在」とも「勝手次第」とも意味の幅が広いです。だから鈴木信太郎訳は「飲み放題」という訳語を補っています。
この詩人は言葉の多層性をたくみに生かしています。言葉の多義的な折り重なりが、詩中のje――歌主・句主のひそみにならって「詩主しぬし」と呼びましょう。詩的虚構の主人公です――が陥っている何とも言えぬ空白感・虚脱感・絶望感の複合を表現しているように思います。そして何よりもここでの”libre”は詩語ですから、表層の多義性よりも深層の音韻の響きに無意識のうちに支配されています。libre[リーブル]はivre[イーヴル](酔っ払った)と通い合うのです。libreは下層にivreを埋めています。この詩主は、妻を失った悲しみ(自由感の高い代償)を酩酊で紛らわしています。
拙老の回りには、拙老がまた飲み始めるのではないかと心配してくれる向きもいます。が、以上をお読み下さったら分かると思いますが、拙老は大丈夫です。これから一人で亡妻と二人分しっかり生きます。 了